2015年7月29日水曜日

メモ ― 世論調査より、委員会審議の優勢評価ポイントのほうが効果的ではないか

政府が提案している安保法案は、条文だけを読んでみても素人にはまず理解不能である。というより、一般に法律というものは、関係法条が入り組んでいるので、官僚にとっても難物である。それ故に、担当官の机上には必ず『▲▲法逐条解説』というアンチョコが置いてあるものだ。

国の行方を決めるような重要法案をいきなり出してきて、解説資料はほとんどなし。

そんな風だから、<安保法案=戦争法案>というようなレッテルを張り付けられてしまうのだ。野党にも格好の攻め口を与えてしまう。まあ、いわば、現在の与党の苦境は、現・安倍政権のDNAともいえる傲慢に由来するものである、な。

とはいえ、集団的自衛権=戦争という捉え方も、その愚かさ、無教養、低能ぶりには絶句する。だから民主党はアンポならぬアホなのだ、と。

大体、集団的自衛権の行使が、戦争を引き起こすのなら、国連に加盟している以上、必然的に戦争リスクに直面しているという結論になる。なぜなら国連憲章によれば、国連加盟国はすべて(安全保障理事会が所要の決定を行うまでは)集団的自衛権をもつと規定されているからだ。

日本は、集団的自衛権は使わないと言明してきたが、日本以外の加盟国はすべて(日本に対しても)集団的自衛権を持っている。集団的自衛権を行使できるか否かで憲法判断上の大問題が日本国内で発生していることを知って驚く国は多いだろう。

なぜ当たり前の事実をまず言わないのか?
なぜそんな危ない国際機関に日本は加盟しているのか?加盟しようと考えたのか?

日本が、1956(昭和31)年に国連に加盟する時、日本国憲法との整合性を真剣に議論しなかったから、いま混迷するのだ。

解決されていない混迷はいま解決すればよい。

なぜこういう本質的質問を出してこないのだろう。こんな議論なら、最近のTVドラマよりも、いや池●氏の歴史解説番組よりずっと面白いはずだ。


国会の委員会審議はTV中継されることが多い。しかし、ずっとみている人はごくごく限られるだろう。たまに床屋で散髪する時、店のテレビが国会中継をやっていることがあるから、日本人が政治に寄せる関心は決して低くはないのだ。

ところが、実際のやりとりを自分の耳で聞いておきながら、その全体的印象はというと翌朝の大手新聞社の報道記事で形成されているところが大きい。そして、大手新聞社が掲載する文章は右翼、左翼を問わず、つまり産経、朝日を問わず、片言隻句をクローズアップすることが主であって、報道伝達としては主観的にすぎる、誇張しすぎであると感じることが多い。読者に考えることを促しているというより、プロパガンダに近いと思うことが非常に増えてきている。

党派的行動は、その国を活性化する効果をもつが、度を越えて感情的になるとやっていることが支離滅裂になり、最後の結果は悲惨なものになる。日本人が歴史から学ぶべきことは、こういうことであったろう。


世論調査もいいが、これだけメディアとネットが発展してきたのだ。世論調査や視聴率調査に千人、何百人(何百台)ものサンプルをとって調べるなら、毎日の国会審議を視聴して、一般国民の常識から『本日は△△党側が●●ポイント』。多数の人に依頼して、そんな傍聴ログをネットで公表すれば、大変有用な情報を提供することになるのではないか?

ただただパフォーマンスをしたいかのような議員には厳しい態度をとる人もいるだろうし、反対を連呼すること自体がいま必要なのだと考える人もいるだろう。

評価員は、まあ数十人もいればよい。数十人の人が付ける評価ポイントは、たかだか数十人ではあるが、審議からうける印象は人によってそんなに違わないものである。

小生は、毎年度末に卒業生が行うワークショップの審査員を同僚とともにつとめている。個々の学生の評点は複数の審査員がつけた評点を平均して決まるのであるが、それぞれの評価要素ごとにわけてみても、驚くほど審査員どうしの評点には高い相関がある。

人がうける印象と言うのは、意外なほど似ているものである。要するに、良いものは良いし、悪いものは悪い。そういうことだ。

故に、<国民による与野党別・国会審議評価スコア>は、十分、意味のある結果を出しうる。評価システムとして機能する可能性が高い。

そして、その評価状況は、日本人にとってはゲーム論でいうところの<フォーカルポイント>として機能する。悪い均衡を避けて、高い均衡を実現するツールとなりうる。そう思うのだ、な。

直接民主主義そのものではないが、その機能をシミュレートする。そんな役割を果たしうる。

もちろん評価員となるサンプルは無作為サンプルでなければならない。政党交付金を支給されている政党が5党あるからと言って、各政党支持層から同じ5分の1ずつを選ぶなどと、まるでNHKの座談会のような抽出方法をとってはいけない。国民全体の構成を反映するサンプルは無作為にとることで保証される。


そんなデータ、みたいねえ……。いま集団的自衛権で論争しているが、どちらが逃げているのか、はぐらかしているのか?どちらの議論が優勢だと国民は感じているか?どちらが国民の共感を得つつあるのか?

毎日ネットで公開される審議勝敗ポイントは、その日一日の話題をしばらく独占するだろう。

メディア各社ごとに異なるサンプルをとって、公表してもよい。その中で、外れ値となったサンプルがあれば、統計的検定によって、無作為サンプルの結果とは判断しがたい、と。そんな数値が混じることもあるだろう。すべてメディア各社の良心にまかされるが、偽りがあればその事実を確率的に指摘できるのだ。その指摘がメディア各社へのペナルティになる。

日本社会の政治談議は大いにレベルアップするはずである。

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