2015年8月6日木曜日

人工知能は人間に代替できるか

ずっと以前に下書きを書いてはいたものの、その後忘れられていた文章がいくつかある。これは面白いので、本日、投稿しておく。


人工知能の発展によって、やることが正確かつ効率的になる反面、人を配置する必要がなくなるかもしれない業務として、複数の分野が挙げられている。

その代表例が、医療と裁判だそうだ。

成程ねえ・・・と詳しい解説を省いても(それなりに)納得できる人は多かろう。

まず、ヤブ医者なるものは、原理的にいなくなるワナ。
また、トンデモ判事なるものも、安心して早期退職させられるワナ。

そう期待する向きもあるようだ。つまり、専門職に従事する一部のヒトは、たしかに機械学習と人工知能の発展によって、機械、というかロボットに代替されるわけだ。


しかし、ちょっと待てよ・・・と。

与えられた法律を具体的事案に適用して、結論するべき刑罰を速やかに引き出す。今でもそんな仕事にたけた人材はいるはずだ。そんな人材が優秀だと評価されているのか?

人間が人間を裁くには、具体的事案それだけに限定して話を聞くだけでは不十分である。そうではないか?

事件を理解するとは、その事件が発生した経緯の全体を視ることだ。関係者を理解する。社会の中でみる。世界の中でみる。生い立ちと歴史の中でみる。でないと、理解したとは言えないだろう。

そんな仕事はやっぱり人工知能にゃ無理っていうものですぜ。
あいつらは、とどのつまり、機械だ。

医師の診療もそうである。ビッグデータと機械学習を活用すれば、現在でも患者の病状から自動的に治療の基本方針は出てくるだろう。IBMのワトソンは既に癌治療の現場に導入され始めている(資料)。将来は不可欠のアシスタントになっていくだろう。しかし、患者の人生全体をみるのは無理だ。家族の人生にも思いを馳せる。幸福について考える。未来予想図を提供する。そんな風に、全体を理解するのは、人工知能にはまだ無理だ。


機械で仕事を失うのは、機械的に仕事をしている人達である。

確かに(その時は)不幸かもしれない。しかし、機械的な仕事は、機械にまかせるほうが人間にとっては楽ではないだろうか?

同じ仕事を機械がして、GDPを同じだけ稼いでくれれば、ヒトは好きなことをしながら、パンとサーカスにただ興じながら、自由に人生を送ることが可能になろう。これが理屈ではないか。豊かになるとはそういうことを言うのではないか。

ケインズが言った『経済問題は、所詮、経済問題なのだ』。それを地でいく終着的世界ではないのか。

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