2015年8月9日日曜日

「歴史とは合意されたストーリーである」の一例

ナポレオンの名言としては必ず挙げられるのが本日の標題だ。

今日、日経をブラウザで読んでいる際に、不図アクセスランキングをみるとコラム「春秋」が3位になっていた(10:30現在)。
8月6日の広島、9日の長崎。米国では長い間、70年前の2つの原爆投下は正しい行いだったと考える人が多かった。戦争終結を早め、失われたかもしれない多くの人命を救ったという理屈だ。こうした米国での原爆肯定論が遠くない将来、変わるかもしれないという。
ある会社が今年の夏、米国で実施した世論調査がある。2回の原爆投下が「正しい」と思う人が46%に対し「間違い」が29%と肯定派がまだ多い。しかし半数を切った。背景は世代交代だ。18~29歳の若年層だと肯定31%、否定45%と逆転する。30~44歳の回答も否定派が36%に達し、肯定派の33%をわずかだが上回った。
本日は長崎に原爆が投下されてから70年目の節目にあたる。TVでは記念番組を放送している。大変な犠牲である。その犠牲も、あのまま戦争状態を継続し、本土決戦をしていたなら避けられなかった双方の犠牲者を少しでも少なくするためのやむをえぬ選択であった・・・

というのが、戦後ずっと合意されていた「歴史」であると思われる。

早く戦争を終結させたかった。それは事実であると推測される。というのは、ソ連が参戦する約束になっており、時間を費やすれば満州、さらに北海道を含め日本本土の北部領域全体までが全てソ連の管轄下に入ることが確実だったからである。ドイツの二の舞である。

日本海軍は壊滅していたので、本土強襲上陸をせずとも、主要港湾を海上封鎖し、兵糧攻めをとっていれば、昭和20年年末までに日本は継戦能力を失い、自壊降服していただろうという見方が多くなってきているという。しかし、年末まで待てない。ソ連には参戦を依頼済みだしなあ・・・

それに・・・

こんな風に見れば、原爆投下は犠牲の回避というより、次の戦争、つまり冷戦を予想したアメリカの国家戦略であったことになる。

行為には意図がある。そして、異なった意図で同じ行為がなされうる。真の意図など、当事者にも分からないものだ。故に、ストーリーが要る。一つの世代で共有されるストーリーが「歴史」である。歴史とは、その時々の世代が直面する別の問題を解決するための必要から生まれる話しである。そう思うのだ、な。

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