2015年9月2日水曜日

「組織」というものを誤解していた愚

大学に戻りたいと感じた動機だが、青年から壮年にさしかかる頃、「組織」、というか「宮仕え」というものが嫌になっていたことがある。ちょうどその頃、大学に残った先輩に仕事を頼みにいって「こんな毎日の過ごし方もあるのか…」と、改めて吃驚したのが、直接の動機になった。で、いまは北海道で長い年数を大学から給料をもらいながらおくってきている。

組織について誤解していた。当時の小生は『成功すれば上司の栄誉、失敗すれば担当者の責任』というのは不条理だと思い込んでいた。

実際に、後になって思い出してみると、担当者としての小生が責任を負わされたことは一度もなく、勘違いや思い込みに陥った小生はその時々の上役からそれを教えられたものだった。お陰でいろいろ大事なことを理解した。方針に沿って動けない、目標を理解できないというのは、部下としては失格であったのだ。

また『リーダーが成功の栄誉を得ることは当たり前だ』と今では考えるようになった。下は高校野球から上は内閣総理大臣まで、いかなる人間集団もトップに誰が立つかで、力を発揮もするし、弱小集団にもなる。現場で動く人間は代わりがいても、有能なリーダーは得がたいものである。

若い頃の小生の思い込みは、認識自体は正しかったが、それが不条理だと感じた点が全くの誤りであった。まったく、「青臭い」という時代は確かにあるものである。

ただし、ナポレオンは「戦争においてはいたずらに多くの人間がいても何もならない。一人の人間こそすべてである」と、認識を一貫させている。

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