2015年9月10日木曜日

予測の面白さと不可能さ

昨日は久しぶりに会議があり、終わってから研究棟裏庭の階段を降りた所にあるパスタハウスにて同僚と昼食をとった。

いつもそうだが談論は多岐に渡ったが、そのうちジョージ・フリードマンの『100年予測』(早川書房)の話になった。「大胆予測」を超える、まあ、「空想」とも言えるような内容だが、案外、説得力があったりするので、読みながらも用心がいる。


21世紀の超大国というと誰でもが中国を思い浮かべる。

それは違うというところから始まる。

現在の中国が推し進めている海軍力増強は、ハードウェアの数量だけに目を向けた議論であり、実際には多分に「張り子の虎」である。それよりも中国の将来を決めている本質的要因は、中国国内の格差拡大である(この見方は実に本筋だ)。本来は沿岸部から内陸部に経済的富を移転する必要があるが、中央政府は末端の官僚のサボタージュに直面し、政治的に問題解決できない。中国沿岸地域と日本は経済的利害が一致するので、日本は移民ではなく中国との経済協力で日本国内の人口減少問題を解決しようとする。そして日本は2030年にかけて拡大する。拡大する中で、中国国内の不安定に介入する必要性を感じるようになる。かくして、日本の経済的拡大のあとには軍事的拡大のステージがやってくる。シーパワーとしての日本の存在感は高まっていく。というより、高めざるを得ない状況になる。

ロシアもまた中国と似た進路をたどる。

米国は、対ロシア外交の戦略的パートナーとして、ロシアの隣国であるポーランドと黒海から地中海への出口であるボスポラス海峡を押さえるトルコを支持する。これら二国も大国への道を歩む。

東アジアで拡大する日本が強大な海上勢力として米国の制御可能範囲を超えていくにともなって、米国は再び中国、韓国と結び、米中韓対日同盟をつくって対抗する。

日本は外交的な孤立に陥るが、インド洋の彼方で成長したトルコと枢軸同盟を結成する。トルコは北の大国となったポーランドとは相容れないため、ドイツを引き入れる。その頃、独仏を柱とする西欧とポーランドが対決するがポーランドの勝利となり、欧州の主軸は西から東に移動している。

日本・トルコ枢軸連合は、アメリカがその頃までには配置している宇宙軍事拠点を先制攻撃して無力化するが、結局、極超音速ミサイルが日本の海上勢力をピンポイントで宇宙から撃破して、日本は再び敗北する。


ま、そんな予測 - というよりストーリーであるのだが、文句なしの面白さとは別に、「こりゃあ、ないですよ」という箇所は確かに山のようにある。

たとえば、中国への経済的進出だが、今度は「門戸開放」、というか国際的コンソーシアム方式の中で進めるはずである。つまりは米企業であり、「寄ラバ大樹ノ陰」というずるい戦略である。パッとはしないが、戦前期よりはマシだ。明治の日露戦争で得た勝利の果実を、アメリカとの共同方式で発展させようとした伊藤博文の戦略は、彼自身の暗殺による死をきっかけに後退し、大正から昭和にかけて主流となったのは満蒙権益を日本の生命線とみる発想だった。伊藤博文の突然の退場は、確かに戦前期・日本の歴史に濃い影を投げかけたのだが、これと同じパターンの誤りが21世紀でも単純に繰り返されるとは思われない。

同僚は、しかし、こんな雑談を大変に好んでおり、上の話しとも重なる孫崎亭『日米開戦の正体』の話にもなった ― ただし、こちらは校正不備が目立つなど仕上がりには疑問が残る。

伊藤博文は誰でも知っている政治家だが、実際にどんな政略をもっていた人物か、案外よくは知らない人が多いのではないだろうか?

そんなことを言えば、戦後の吉田茂は実際の所、自衛隊をどうしたいと思っていたのか。ほとんどの人は何も知らないはずだ。こんな所が、無教養というか、歴史オンチなのだといえば確かにそうかもしれず、いま学校教育で一番抜け落ちている部分だろう。

いずれにしても、人間は予測できる敗北を避けようとするものだ。予測するが故に、予測できるが故に、その予測は(そのままの形では)実現しないのである。であるので、一寸先はやはり闇であり、100年先は五里霧中であるというのが最も正しい言い方だ。

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