2015年9月13日日曜日

日本の地政学的ポジションで硬性憲法は危なかったのではないか?

いうまでもなく日本国憲法は改正が非常に困難な硬性憲法である。それ故に制定後に一度も改正されていない。

戦後に限っても、憲法改正の回数はアメリカが6回、フランスが27回(というより、フランスは1958年にクーデター事件をはさんで第4共和制から第5共和制に移行した)、カナダが18回、日本と同じく戦争を放棄しているイタリアが15回、そしてドイツが58回となっている(出所:The Huffington Post, 2013-6-19)。

憲法を軽視しては立憲主義は成り立たない。がしかし、変化する国際情勢の中で次第に明らかになり堅固になってくる理念もあれば、新たに必要となる理念もある。だんだんと陳腐化してくる、もしくは重要性を失ってくる義務や合意もあるはずだ。故に、憲法は社会の基盤ではあるが、だからこそ常に条文の現実的妥当性には注意を払って、より良い憲法に進化させる努力が欠かせないと思うのだ。そして、この努力をするべき立場にあるのは誰かといえば、発議をする国会議員は当然としても、研究活動を通して理論的な基礎を整える所謂「憲法学者」の役割が極めて重要だ。最高裁に委ねる事柄ではないのだ、な。

そもそも自衛隊の存在自体が、9条の条文『・・・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』となぜ矛盾しないのか?外国では全て自衛隊は軍隊だとみている。それも強力な・・・。

これには長い議論の歴史があり、一冊の本にしても素人には理解が難しい。

そもそも1991年に海上自衛隊が機雷掃海を目的にペルシア湾に派遣されたことが、なぜ違憲ではなかったのか?

この辺りの専門的議論も微に入り細を穿つものであり、素人には神学論争にしか感ぜられない。

一般的に言って、議論が実証性を失い、神学性を帯びるのは、専門家が自己満足を求める時である。

漫談ではないが、戦後初めての海外派遣であるペルシア湾から数えても、『あれから24年…』である。どんな議論にも結論が得られているはずの時間だ。その後、自衛隊はインド洋にもイラクにも海外派遣されてきた。

憲法学界は、これらを全て現行憲法の枠内と解釈してきた(違憲だという人もいたと言っても意味のないことだ。戦後ずっと憲法は守られてはいないと主張するならまだ論理的一貫性がある。しかしこの見方は学界主流の見解とは言えないだろう)。率直に言って、ベトナム戦争が終結し東アジアに曲りなりの平和が訪れた1975年以降、89年から90年にかけての米ソ冷戦の終結を経て今日に至るまでの40年間にわたる憲法学の進展ぶりを振り返ると、小生はどことなく知的停滞、知的倦怠、知的怠慢を感じてしまう。

<護憲>とともに、社会の発展において憲法を良いものにしていく<超憲>の問題意識を専門家なら持っておくべきだった、と。こうした知的サボりのツケが、今後何年もの期間を通して、一挙にやってくるのではないかと予想しているのだな。

安倍政権の進め方も確かに独善的なところがある。と同時に、憲法学界・専門家の側で何らの自己批判もなされる様子がないのは、既に知的怠慢を通り越して、知的退廃の惨状をなしている。遺憾にして図らずも落涙を禁じえず、なのだな。

☓ ☓ ☓

経済学のケインズ革命では、その当時、30台の若手経済学者のみが急速な「パラダイム転換」についていくことが可能だった。戦後の経済政策では、新しい経済理論を消化した専門家のみが現実と向かい合うことができた。

法律には小生は門外漢だが、10年後の法学界において、理論的なリーダーになっているのは現時点において40歳未満の法学者であろう。いま現在、学問的権威とされている専門家はすべて「学説史」に名を残すのみとなり、現実の場ではまったく忘れ去られている。残念ながら、小生はそう予想している。

上の予想がもしも外れるなら、それはそれで結構良いことだ。

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