2015年12月23日水曜日

日記―男二人の焼肉パーティ

昨冬は11月から猛吹雪が毎週のように襲来し、それも爆弾低気圧とかで記録的猛吹雪になるでしょうという天気予報が繰り返し、繰り返し流されていたものだ。ま、結果としては、小生が暮らす道央地方はそれほどでもなかったが、それでもクリスマス前の今頃は雪が1メートルを超していたように覚えている。

今年はまだ積雪ゼロである。ホワイト・クリスマスどころではない。昨日も雨が降った。『長崎は今日も雨だった』ではなく、札幌は今日も雨だったの世界だ。

昨日、新しく着任したばかりのT准教授と市内の某レストランで年忘れ会をやった。氏は日曜日に大連から戻ったばかりである。雪見酒を期待して昨日に設けたのだが、まったく雰囲気がでない。食べたのは焼き肉だ。
炭の香や 牛肉あぶりて 夜深し
映画をみることがあるかと聞くとTさんは『ウォール・ストリートがいいですね。マイケル・ダグラスのあの映画はアメリカのピッツバーグで勉強していたとき、毎日のようにみて、それで英語を勉強してました』。

過ぎた時間を思い出す人に特有の表情と声でそんなことを話した。

そういえば、小生の旧友に金融専門家であるYS先生がいるのだが、彼もまた留学した当座は毎日のように映画『ブレードランナー』(=アンドロイドは電気羊の夢を見るか)をみて英語の勉強をしていたそうである。(ある意味)追いつめられるような状況に自らを追い詰め、将来への道を切り開く勉学の場をアメリカに求めたのであった。

作品は異なるが、似た状況におかれた日本人の若者がおなじようなことをして英語の勉強をしていたことに関心を刺激される。

小生の母方の曽祖父は、明治になってから旧幕期以来の老舗をつぶしてしまい、それでアメリカの桑港に渡航して、某ホテルの皿洗いを手始めに肉体労働に従事し、何年かのあと小金を蓄えて日本に帰国し、店と土地を取り戻したそうな。会ったこともない曽祖父であるが、小生と共有してはいない時間の中で、そんな人生を歩んでいたことが子供心に非常に面白かった。ただ、曽祖父の時代は、活動写真があったとしても無声映画だ。英語の勉強は行きの船の中でやったのだろう。

それもこれも今では茫々たる過去のことになった。

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