2016年1月31日日曜日

断想: IT大手企業のイメージ句

昨日は卒年生による最終発表会の2回目が開催されたのだが、今週いっぱい引きずってきた腹痛がどうやら風邪ではないということが分かってきたので、病院で診断を受けようということにする。

それで昨日は欠席のやむなきに至り、本日の入試も腹痛がようやく収まってきたのでどうにかこうにか終えてきた案配だ。

そんなこんなで書くこともない。
ないのだが、うなされながら朝方頭の中で何だか一生懸命考えていたことを珍しく記憶している。それを書き記しておく。


  • Facebookは、ビッグデータ時代の何たるかが分かっている。
  • Microsoftは、企業が何を求めているかが分かっている。
  • Googleには、天才的頭脳が集まっている。


これにAmazonを加えればアメリカのIT業界四天王に相成るのだが、Amazonについてはいい形容句を思いつかない。覚醒しないままウンウンうなって考えたのはこれだ。多分、ちょっと異質なのだろう・・・と思う。

少なくともAmazonは利益・儲けには余り関心がない不思議な企業だ。Amazon株に投資している人は創業者のジェフ・ベゾスが真の天才であると信じているに違いない。

何事によらず天才とは、普通の人が思いつかないような企てを平気で始めるものだ。いわゆる専門家には「バカ」に見えるだろう。また、天才の暴力性があまりに行き過ぎれば、サプライズが無理解に転じて、孤立と没落も速いのだろう。過ぎ去れば、天才とは時代を背にオーラを放ちながら、時代に使われる人形かもしれない。一つの時代が終わり、二つの時代を生き抜く天才は、したがって、これまで一人もいないはずである。

しぶとく生き抜く人間は、その時その時に自分に出来ることを選んでいく「秀才」である。

そんなことを病気で疲弊した頭のなかで反すうして考えていた。何なんでしょう、これは・・・と思う。

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