2016年5月4日水曜日

裁判員: 今後20年、30年このままで定着するとは思われない

連休も後半に入った今日4日。北海道でも桜が満開となり日高は大混雑だそうである。

長閑だ。秋までは義務的業務からも解放されているので実にのんびりとする。

これで裁判員を委嘱されたりすれば、正に晴天の霹靂に違いない。

こんな報道あり。
昨年暮れ、死刑が執行された。2009年に始まった裁判員制度の対象事件では、初めての執行。・・・「死刑がひとごとではなくなってしまった。一般市民が人の命を奪う判決にかかわるのはきつい」。(中略)「法廷での無表情な顔が、浮かぶんです。最期はどんなことを思ったのだろうかと考えてしまう」・・・まもなくして、裁判員の経験を話した親しい友人にこう問われた。
 「人を殺したのか?」
(出所)朝日新聞DIGITAL、 2016年4月22日配信

公判への市民参加としては何と言っても有罪であるか無罪であるかを決する英米流の陪審員制度が有名だが、何かの形で市民が裁判に参加する国は多くある。

日本の裁判員制度は、裁判官と市民が審理を重ね量刑判断にまで至る点で、欧州に多い参審制に似ているが、裁判員は任期制ではないところが違うという説明がWikipediaにはある。

そもそも論をいえば、起訴から判決まで一般市民がまったく関与できない制度は、民主主義国家としては失格であるとは思っている。できれば、公判を指揮するのは職業裁判官ではなく、(専門知識は必要として)一般市民から選ばれた人である。そうあってほしい。

ただ、具体的な量刑判断は判例や法的裁量の余地もある以上は、専門家に(先ずは)判断・提案してほしい。その覚悟をもって裁判官という職業を公僕として選んだのではないか、とも感じる。

日本の裁判において、一般市民がどのような役割を果たすか、果たしうるか、果たしたいと思うか、いま分かることは現行の方式が永い耐用性をもつとは思えない。そういうことではないだろうか。




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