2016年6月9日木曜日

越後長岡という町の「業」なのか

この夏の参院選が迫り各政党は臨戦態勢、というか既に戦闘モードに入ったようである。
 参院選で共闘する野党4党の党首級が8日、参院選の応援のため新潟県長岡市で合同の街頭演説を行った。長岡などを地盤としていた田中角栄元首相を「政治の師匠」とする生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎代表も駆け付け、生活で側近だった元職で無所属の野党統一候補、森裕子氏への支援を呼び掛けた。ただ、小沢氏は田中元首相の弟子を自任しながら、北陸地方ではない新潟県を「北陸で最大の県」と発言する基本的なミスを犯すありさまだった。
(出所)産経ニュース、2016年6月8日 22時39分

長岡市には前の週末に訪れて、山本五十六記念館、河井継之助記念館を回ってきた。この話題は既に投稿しているが、戊辰戦争、太平洋戦争と長岡に縁のある人はいつも奮戦し、討ち死にしているところに一抹の悲哀を感じるのは、歴史好きなら共通の心理だろう(と思われる)。考えてみれば、田中角栄という政治家もそうである。政治的な意味合いではあれもまた一つの討ち死にではなかったか。

田中角栄記念館は既に柏崎市西山町に開設されている。柏崎市と長岡市は30キロはなれているので別の街だ。旧幕時代には柏崎市は親藩の越後高田藩、長岡市は譜代の長岡藩にあった。幕末には両藩は敵味方に別れたが、高田藩では長岡藩に対する同情の気持ちが強かったと伝えられている。長岡に本社を置く越後交通は政治家・田中角栄と深い縁があり、田中本人が社長をつとめたこともある。長岡市のホテルはホームページ中の観光案内で田中角栄記念館を紹介している。田中角榮もまた長岡・柏崎を含む北越から輩出した政治家であったわけであり、ひょっとすると長岡市にも政治家・田中角栄を追憶する施設ができるかもしれない。

そうなれば、河井継之助、山本五十六、田中角栄と近代日本で奮戦空しく散った悲運の人材三人がそろうわけであり、歴史好きには実にこたえられない場所になる。

それにしても、弟子の小沢一郎氏が新潟県を北陸に数えたという間違い・・・、新聞というのは細かいことを言うものだねえ。まあ、確かに新潟県は「関東甲信越地方」であり、「北陸地方」ではないことに行政区分上はなっている。他方、電気は東北電力から買っている。直江津までは北陸本線が通っていた ー 2015年3月からは金沢が終着となった。

古い呼び名では、福井県が越前、富山県が越中、新潟県は越後である。そして新潟・山形の県境には鼠ヶ関があった。太平洋側では福島の勿来関を越えればみちのくであったと同じで、日本海側では鼠ヶ関を越えればみちのくという感覚だったのだろう。山形県は出羽国である。要するに、新潟県までは「越ノ国」、ひと続きの北陸の土地として京の都の人々には認識されていた。

「新潟は北陸」としてとらえても感覚的にはマッチしている。それが自然であって、「間違い」というのは役人根性に過ぎる。

話が脱線した。その北越の政治家・田中角栄を師匠とする小沢一郎氏が、今回また再び長州・山口県出身の政治家・安倍晋三氏と対決する。そして、(おそらく)敗北するのであろう。越後長岡と縁ができた政治家の悲哀であるとすれば、これまた長岡という土地がもっている「業(ゴウ)」かもしれない。

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