2016年8月30日火曜日

習路線が日本の国益に沿う?

こんな報道がされているが、同じ趣旨の内容はこれまでにも度々伝えらているので、まあまあ実態に近いのだろうと憶測される。

国有企業を保護し、経済に対する共産党の主導を強化したい習氏と、規制緩和を進めて民間企業を育てたい李克強氏の間で、以前からすきま風が吹いていたが、最近になって対立が本格化したとの見方がある。(中略)習主席は7月8日、北京で「経済情勢についての専門家座談会」を主催した。経済学者らを集め、自らが提唱した新しいスローガン「サプライサイド(供給側)重視の構造改革」について談話を発表した。李首相はこの日、北京にいたが会議に参加しなかった。共産党幹部は「“李首相外し”はここまで来たのか」と驚いたという。

その後、
8月に河北省の避暑地で開かれた党の重要会合、北戴河会議で、「習主席が経済政策の主導権を握ることが決まった」(米国の中国語ニュースサイト「博訊」)との情報も流れる。
(出所)上は産経ニュース2016年7月31日、下は同じく8月29日

中国経済がいま「転型期」にあることは間違いない。この先もバランスのとれた成長を続けていけば、中国国内に豊かな中産階級が形成されてくるのは確実で、それが中国国民の政治感覚を根本から変容させていく。これも確実に見通される。この変化を、共産党一党独裁を絶対正義とする立場からみれば、「避けるべき混乱」としか目に映らないはずだ。

日本の国益にとっては、抗日戦争に自らの正当性をおく現在の中国の体制を温存したまま規制緩和→超経済大国への道筋を許すよりは ー 日本の自民党を見るまでもなく豊かな社会を実現することにより中国共産党の永久政権は(強権を用いずとも)可能だろう ー 共産党体制の中国と今のままリスク管理を行いつつ、中国が採るべきではない方向を中国が自ら採るように動機付けていく戦略が日本の国益には適うのではないかねえ、と。

そう思われる昨今である。

2016年8月27日土曜日

最高の社風・・・?まだそんなことを言うの

今週は某企業グループの特訓ゼミで担当しているビジネスエコノミクスのレクチャーがあった。この週末をはさんで来週はいよいよチームに分かれて新規事業のプランニングに入り、最後は役員プレゼンを行って終了する。

そのレクチャーでこんな素材をとりあげた。ベサンコ他『戦略の経済学』に出てくるケースなのでマネージャークラスであれば知っていても不思議ではない話だ。

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1983年、フィリップス社は巨額の研究開発投資の成果である新メディア"CD"のプレス工場をアメリカに建設するかどうかで迷っていた。なぜならCDというメディアを市場が本当に評価するかどうかが不確定だったからである。

アメリカに進出する場合、建設投資額は1億ドルである。それに対し、売り上げ収入の現在価値は、うまくいった場合で3億ドル。市場が評価してくれなかった場合は0.5億ドルと予測しなければならなかったーちなみに、この見通しはある程度大方の専門家が合意していたものだ(と前提する)。

要するに、アメリカに新規進出する場合、大きなリスクがあった。確率50%でプラス2の利益(=3-1)が見込めるものの、確率50%でマイナス0.5(=0.5-1)の損失がありえた。単純に期待値をとれば、利益を$X$として$E[X] = 0.5 \times 2 + 0.5 \times (-0.5) = 0.75$のようにプラス値であった。が、損失を被る可能性はリスクとして意識せざるを得なかった。

検討の結果、1983年の時点でフィリップス社はアメリカ進出を1年間延期するという選択をした。なぜなら、1年間待つことによって市場がCDを評価しないことが明確になれば建設計画を放棄するという選択肢を留保できるからだ。すなわち、いま直面しているプラス2か、マイナス0.5という二択ではなく、1年待てばプラス2(=進出)か、0(=中止)という二択になるのである。その期待値を83年という時点で求めれば$E[X] = 0.5 \times 2 + 0.5 \times 0 = 1$となる。

「待つ」という選択は十分意味があったのだ。

ところがフィリップス社が待っている間にSONYが1984年にインディアナ州テレポートに新規工場を建設してしまった。フィリップス社からみれば、SONYもまた同じ合理的判断をするはずだと読んだのだろう。名人の手から水が漏れたわけだ(という見方も可能だ)。

フィリップス社のアメリカ進出は大幅に遅れ、SONYの米工場がフル稼働になるのを待たなければならなかった。

特訓ゼミの履修者に課した論題は、フィリップス社が1983年に下した「1年待つ」という判断に合理的根拠はあったかどうかというものだった。さらに、待っている間にSONYが進出するかもしれないという脅威があったにもかかわらず、なぜ待ったのか。それも検討課題にあげたのだ。

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履修者には結構面白かったようである。もちろん彼らには、当初、期待値の計算は伏せておいたし、待つことによる期待利益、というか選択肢の変化は彼ら自身で考えさせた。

面白いのは、フィリップス社の判断が合理的なものであり、役員会議に十分耐えられる根拠を有していたという結論には到達した反面、SONYが1983年の時点で、まだ大きなリスクが残っていたにもかかわらず、よくアメリカ進出を決断できたというその点については、合理的な説明を思いつくチームがなかったことである。



あれから30年・・・である。その後、SONYは往年のバイタリティをなくしてしまった。最近こそ、復活の気配があるが、30年前のSONYと今のSONYはズバリ言えば別の会社であろう。人も違っている。作るものも違っている。フィリップス社は相変わらず「合理的な会社」である。常に「正論」に沿った選択を続けてきた。

『フィリップス社の特徴は、とにかく戦略的な撤退の名人である点です。撤退を、それ自体としてみれば単なる敗北ですよね、しかし撤退することによって、本来の自分の目的をより確実に達成する見通しができてくるなら、これは立派な戦略になります。フィリップス社はここが上手い』。

結局は社風というものだろう。

フィリップス社の行動パターンが好きか、(往年の)SONYの行動パターンが好きか。これは日本の戦国大名の誰が好きかという、そんな問いかけに似ている。

誰が天下をとったか。それには「能力」もあるだろうが、それ以上に時代の巡りあわせがそうさせた。こう見るしかないのが現実だと思う。「時代」がその人、というかその人達を選んだのである。



日経からメールが届いた。

『マッキンゼー流 最高の社風のつくり方』
 http://mx4.nikkei.com/?4_--_53670_--_20395_--_1


最高の社風のつくりかた・・・いやあ、まだそんなことを言っているのか。そう思いました。

なぜ優劣をつけたがるのでしょう。「最高の」社風などつくれませんよ。読むに値しないので読んではいません。

変わる時代のその環境に(タマタマ)最も適合した会社が選ばれていくのだ。適者生存とはそういうものである。そこで生きている人間の目には、その結果は必然だと思われるだろうが、あとから考えれば、その人が、その会社がタマタマそこにあったから、選ばれたに過ぎない。

変わる世界に自らを合わせて変わっていくことが大事だ・・・?

何を言っているのだか ― まあ、言いたいことはわかるが。そんなブレる会社をどの投資家が信頼するか。何をするかわからない会社は、うまく行くかもしれないが、消えてなくなるかもしれないのだ。

この会社は、こういう会社だ。それが社風である。だから受け入れられ、信頼されるのではないのか。そんな会社は(No.1にはなれなくとも)残るものだ。

いつの時代でも生き残る会社はある。あってほしいと思うような会社はある。しかし、どの会社が時代に適合し、ナンバーワンになるか。それは誰にもコントロールできるものではない。

「最高の社風」を意図的につくろうと思うその段階で、その会社は負けである。時は過ぎゆく(Tempus Fugit)。「最高の社風」だと思うその瞬間に、その会社は脆弱になり、衰退への道を歩き始める。「我が社の社風は問題ですヨ」と、そう語る人で構成される会社は何かを考えているのである。

そう思うのだ、な。

人間も会社も、「己の道を行く」。それしかないし、それでいいのではあるまいか。『人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん』というのは、こういう意味であろう。

2016年8月22日月曜日

(昨日の続き)素人のスポーツ談義

昨日はリオ五輪のことだったので、今日は夏の甲子園大会でいま話題になっている点に触れておきたい。

熊本代表の秀岳館が批判、というより「非難」されているそうだ。というのは、(最近はよくあることだが)選手全員が熊本県外出身者であるからである。そう報道されている。たとえば:
様々な話題をふりまいた夏の全国高校野球選手権甲子園大会も佳境に突入。優勝の座をかけて20日に準決勝、21日に決勝を行う。ここまで勝ち残るチームはどこも強豪で、充実した施設とスカウティング網をもっている。 
県外から「野球留学」してきた選手がレギュラーとして出場しているチームも多く、毎年「規制するべきではないか」との声があがるが、とくにルールが設けられていないのが現状。 
「おらが街」のチームを応援しようとメンバーをみたら全員他県出身者だったとなれば、複雑な感情を抱く人がでてくるのは当然だ。 
そこでしらべぇ編集部では全国の男女に「高校野球の地元代表チームに他県出身者が入っていることについて違和感を覚えるか」聞いてみた。

結果、世代があがるほど違和感を覚える割合が増加することが判明。20代は2割程度であるのに対し、40代は5割が複雑な感情を抱いている。 
野球留学が一般化し「あたりまえ」と感じている世代と、当該県出身者で甲子園に出ることが常識と感じる年代の違いかもしれない。 
今大会の出場チームも、県外選手が主力に名を連ねているチームが多い。とくに熊本県代表の秀岳館はベンチ入り選手全員が県外出身者。スタメンの半数が、監督が以前指揮をとっていた大阪のボーイズリーグ出身となっている。 
それだけに県内での風当たりは強いようで、県予選の観客たちはまるで県外のチームと戦うような目で相手チームを応援したという。しかしこれも「甲子園で勝つため」だそうで、手段を選ばず勝ちにいくことが使命と考えているようだ。 
これは秀岳館ではなく、高知県代表の明徳義塾や八戸学院光星も同様。県内選手は殆どおらず、大阪や東京などの県外出身者が中心。地元ファンは複雑な心境をもち、野球留学されてしまった県のファンからは嘆きの声があがる状況だ。(後略)
(出所)@niftyニュース、2016年8月20日

小生が暮らしている北海道の代表は北海高校であったが、選手のほとんどは道内出身であるそうだ。この事情は、10年ほど前に3連覇の寸前まで達成した駒大苫小牧も同じであったときくーV2と3年目の準優勝のエースであった田中投手は大阪出身だったと聞くが。このことが地元・北海道内の共感形成にどれほど寄与したか分からない。


まあ、とにかく小生は保守的、つまりは昔は良かったと語ることが多い右翼である。だから、この件については「全員が県外出身者なんて、その地域代表であるはずがない」。そう断言する。

だって、プロ野球でも外人枠があるんだよ、と。優勝したいなら日本ハム球団だって、どこから選手を調達しても自由でしょ、と。プロなんだから。優勝したいのだから。しかし、外人枠でそれは制限されている。自国の日本人選手がチームの多数を占めること。そう制限されているんだよね、と。プロでもそうなっているのだ。

高校に入学するまで、本人も両親もその県のどこにも住んだ経験がなく、親戚もおらず、その県とはまったく無縁で、ただ野球をしたいのでその県内に進学したのであれば、その県からみれば「県外者」である。100パーセント、県外者で構成される野球チームは、現時点でもちろんその県に居住しているのだが、「地域代表」となる資格を欠いているのではないか。極めて常識的な問いかけである。

そもそも県外出身者のみで構成された学校がその県の地域大会に出場することで、その県の出身者は大会出場機会を幾分かずつ奪われるのだ。地域代表制をとる甲子園大会の原則と矛盾している。

学校進学の自由はあるが、地域代表制をとる限り、「県内出身者」が過半数は占めているべきである。小生はそう思うー「県内出身者」の定義はそれなりに決める必要があるが。

上の議論は実にロジカルである。プロ野球のルールとも整合性があってバランスがとれている。


が、当の選手個々人に責任はまったくなく、そのようなチーム編成をとった当該高校にも責任はない。

地域バランスというトンチンカンな美名(?)、というより勘違いから、こうした学校経営戦略を容認してきた高野連と朝日新聞社に運営責任がある。

オリンピックに限らず、スポーツはそれ自体としては清々しく、プレーしている選手に雑念が入り込む隙はないはずなのだが、大会を主催し、集客している機関、関係している組織がとっている行動には、何がなし政治的要素が混じるのは、そもそも当たり前のことだ。優勝経験のない県が甲子園大会で躍進する。それはその県における朝日新聞の販売部数拡大に資するのだ。これまた現実だろうと思うのだ、な。

2016年8月20日土曜日

男子陸上長距離界と駅伝についての素人談義

専門は統計分析である。データは数字であることもあるし、文字情報であることもあるが、やろうとしていることは互いの関係や傾向を見て取ること。これに尽きる。

陸上競技は中学生のときに長距離を一寸やっていたくらいで、まあ、素人である。それでもマラソンや800、1500の中距離、5000、10000など長距離の結果には大いに関心がある。

今回のリオ五輪でも陸上長距離に出た日本選手の結果は芳しいものではなかった。というか、「惨敗」に近いだろうー本日現在、男子マラソンの結果がまだ出てはいないのだが・・・

小生の若い頃は必ずしもそうではなかった。円谷、君原はマラソンのメダルを獲得したし(メダルをもらったから価値があると言いたいわけではないが)、五輪での活躍は見られなかったが瀬古選手の鮮烈な快走ぶりは記憶に鮮やかである。ところが、最近はというと「活躍」という言葉がまったく当てはまらなくなった。

男子に対して、まだ女子の長距離は元気がある。高橋、野口と日本選手が連覇したのはシドニー(2000年)、アテネ(2004年)にかけてである。その後、エチオピア、ケニアといった勢力に劣勢をしいられているが、その凋落が視聴していて痛々しさを感じるというほどではない。

男子・長距離は1992年のバルセロナで森下選手がマラソンで銀メダルをとって以降、メダリストは現れていない。10000メートルでは、高岡選手がシドニー(2000年)で7位入賞を果たしている。高岡選手が2002年にシカゴで出した2時間6分16秒は、フルマラソンの記録としては2016年現在で依然として日本最高とのことだ。

箱根駅伝では区間記録が次々に塗り替えられ、高速駅伝時代の到来などと騒がれているのに、世界中の選手が参加している長距離競争ではほとんど進化していないのが日本である。そんな印象すらある。

駅伝大会というビジネスの発展に目的を置くならそれでもいいが、競技としての陸上長距離の成長を目的にするなら、いまやっていることには勘違い、というか方向違いを見てとれる気がする。


箱根駅伝は毎年の正月の年中行事であるが、日本テレビ系列による生中継が始まったのは1987年である。そして、その視聴率の推移をみると、当初は総じて20%未満であったが、1990年台になると20%を超えるようになり、最近では往路・復路とも30%に迫るほどの人気番組になっている。山登り、山下りの名人が世間の注目を集め、総合記録の更新も毎年話題になるほどで、一見すると日本陸上・長距離界は花盛りである印象をうける。

ところが現実には、世界で戦ってみると、むしろ一昔も二昔も前のほうが、日本の長距離選手は活躍できていた。それが事実であることを目にすると、むしろ驚いてしまう。

正式なデータ分析をやったわけではないが、30年から40年位まで視野を広げて、男子長距離界の成績の変化と箱根駅伝を始めとする駅伝大会の視聴率上昇の相関に着目すれば、両者の間には有意な因果関係が確認できるのではないだろうか。

もし駅伝大会の人気上昇と長距離界の練習実態との間に何かの関連性があり、箱根駅伝に出ること、そこで勝つことを目標とするような姿勢が本来の実力養成には結びついていないことが立証されるとするならば、女子長距離界が示している<男子と比べた相対的な>活躍は、箱根駅伝やその他人気のある大会がないからである。そんな結論すらひき出せそうである。


むしろ陸上男子・短距離界で、世界に対抗して勝負できる選手が育ちつつあるのではないか。可能性があるのではないか。そう思われる状況になってきたのは、短距離には「箱根駅伝」に相当するような人気イベントが国内にはないため、じっくりと実力をつけられる環境になっているからではないか。そんな推測も仮説としての興味をそそられる。

どうも色々なデータをざっと見ると、駅伝の興行的成功は陸上競技界にとってプラスにはなっていない。そう思われるのだ、な。

リオ五輪では50キロ競歩で史上初めて銅メダルを獲得した。そして、男子4×100メートルリレーでは日本がトラック競技で人見絹枝以来の銀メダル、驚きの"surprise winner of the silver medal"(NYT)となった。このショック度はラグビーW杯で南アフリカに勝利した日を上回る。

同じ男子・陸上競技でも箱根駅伝を代表とする高視聴率イベントが大学広報の戦略的ツールとなっている長距離界は、そのビジネス的盛況とは逆に、憂うべき状態にあるのではないか。

(もう間に合わないだろうが)東京オリンピックまでにはデータに基づくきちんとした検証をするべきだろう。

2016年8月17日水曜日

帰省した愚息との会話―採用後3回目の夏

下の愚息が赴任地の新潟市から夏季休暇で帰省してきた。この晩春にも向こうで会っているので、それほど久しぶりでもない。

とはいうものの、片足はもうリタイアしている小生自身の昔の姿を改めて振り返ると、息子が毎年の夏に帰省してくる、その帰省先に自分がもうなってしまったのかという気持ちになる。時間のたつのは早いものだ。また、どこでどんな暮らしをしていてもよいから親にはいつまでも元気でいてもらい、と。ずっと昔にそう考えていた自分と、いまそう思っているのかもしれないなあと推測される愚息を同時に意識させられて、どこか複雑な心持ちだ。

その愚息にあまり話としては伝えることもなくなってきた。だから一緒に飲むだけのことである。この夏は、ワインセラーの超小型版(6本サイズ)を買ったのでアルザスを入れておいたのと、3月頃に買ったDarkest Bowmore(15年)を開けた。



とはいえ、まだまだ青臭さが残っている愚息には、まだいくらか話しておいたほうがいいことがある。そんな風に以下のことをメモしておいた。

  1. なんでも仕事になると面白くはなく、つまらないものだ。
  2. 自分の長所、すなわち短所である。

ところがどうも詰まらないので、例によって小生の祖父や父が喫した大敗北の話をして、それがケーススタディだとすると結論部分をどう書くかを質問してみたのだ。

以前の投稿にも父のことはメモっている。

小生: 俺の父親、つまりお前の祖父のことはどれだけ知ってる?何度も話したことはあるような気はするが・・・

愚息: あまり知らないよ。

小生: そうか。じゃあザッと話すとな・・・東レって会社はいまでは炭素繊維で有名だが、戦後からずっと三井物産から独立した新興の合成繊維メーカーとして有名だったんだ。ナイロンとか、テトロンとか、いまでも使われてる素材だが、その製造技術をアメリカから導入して大きくなったんだ。お前の祖父は京大で工業化学を勉強して恩師の小田先生だったかな、大学に残らないかと勧められたらしいが、長男だったしな、弟もまだ学校に行ってたし、それでお前の曽祖父だ、銀行マンだったことは話したことがあるよな・・・

愚息: うん、伊予銀行にいたときに大きなトラブルにあった人だよね。

小生: そうだね。その曽祖父に言われて東レに入ることになったんだ。この東レって会社を選んだことは、昭和20年代早々という時点を考えると、すごい鋭い着眼だと思うよ。ただ東レって会社の本流は主力工場が滋賀工場だったから、松山(松前)工場に入ったオヤジは傍流からスタートしたことは間違いない。そこで10年勤務したろうかな。まあ、田舎で安気な生産管理をしていれば、興奮はない代わりに安穏な一生が送れたはずなんだが、ちょうどその頃はナイロンとか、合成繊維事業で競争が激しくなって、東レとしては新規事業を開発する必要があった。それはプラスチックだろうと、な。中でもアクリルが有望だと。いまでもアクリル樹脂はいろいろな所で使われている。これで行こう。そんな戦略的な方針を会社として採って、それで松山工場で上司部下の関係にあった先輩がオヤジを抜擢したわけさ。こういうプロジェクトを起こすからアメリカやヨーロッパを見て回ってこい。プロジェクトの基本技術を確かめてこい。そうなったわけだ。それで、まずはその先輩がいる静岡・三島工場に来いということになってな。それでうちは四国から出て、引っ越していった。俺が小学校4年、9歳の時、昭和37年の夏のことだ。どうだ、ビッグチャンスだと思うだろ?

愚息: ワクワクしただろうね。

小生: 何度行ったかなあ・・・あの時代は海外旅行が制限されていたし、外貨を持って出るなんてことも楽じゃあなかった。その時代に、俺よりも色々なところに行って、その合間にローマや、アルプスや、ベルサイユや、ナイヤガラ、大陸横断バスとか、全部経験しているわけだから、トップをきって疾走している感覚だったんじゃないかなあ。家もすごく楽しくて、休みになると旅行したり、一番楽しかった時代だな。日本経済全体は昭和40年不況がこれまでにない構造不況で、ボーナスが減ったとか、そんな話をおふくろが話していた記憶もあるが、まあエネルギーに満ちていたかな。

それで、いよいよ調査研究から試験的生産という段階になって、オヤジは本社直属になって、うちも東京に引っ越したんだ。で、ジョイント先としては藤倉化成っていう化学分野では経験がある、まあまあ名門の中堅企業を選んだ。オーソドックスな選択だと思うよ、俺がいまみるとしても。

ところが、新規事業ですぐに利益が出ることはない。大体、アクリルに進出するなんてことは、化学分野の世界の潮流でもあったから、こちらが考えていることはライバル企業も考えるさ。価格は上がらない、数量が伸びないから原材料の仕入れ価格も高めになってしまう。で、利益が出ない。作れば作るほど損が出る。そんな泥沼になってしまったんだ。

そうなると、職場の士気は下がる。下がるから人心が荒廃する。未来が見えない。そもそもオヤジは自分の会社でやってるわけじゃあなかった。他人の家に派遣されたプロジェクトマネージャーだ。他人を巻き込んでやっている。それがうまくいかない。工場では他人の親父がいうことを聞かなくなる、労働組合との紛争が激化する、共産党系列の分子が入ってきて大企業による支配への反対活動を展開する、工場が閉鎖される、オヤジに出来ることがなくなってくる、そんな展開になってきた。

それで親父は、東レの副社長をつとめていた先輩に撤退を進言するんだな。俺が高校1年、昭和44年頃じゃなかったかなあ・・・お前はこれをどう思う?

愚息: う~ん、八方ふさがりで利益が出ないなら、無理はしないで、撤退を考えるのはわかる。

小生: ところが東レの副社長は、撤退はできないという(小生がその場にいたわけではないが)。で、親父は苦悩するんだ。どうしたらいいかって毎日考えているうちに、まず神経性胃炎が治らなくなる。そのうち心身症になる。で、お前の曽祖父、オヤジの父親がまだ四国・松山で健在だったから相談したんだが、田舎には帰るな、大体事業が成功するか失敗するか、撤退するか撤退しないかという判断はお前の(=俺のオヤジ)責任じゃないだろう。悩んだりするな。そう語ったらしい。それで、おれのオヤジは「無責任だ」と自分の父親を批判してたなあ。まあ、お袋から間接的に聞いたんだがな・・・

で、いまでいう鬱病が悪化して、会社にも行けなくなって1年以上は部屋に閉じこもって、布団の中から出てこれなくなってしまったんだ。もともと心臓に毛が生えているのかって言われる人柄で、コストカットの名人、その割に工場の現場では人望抜群と言われていた人なんだけどね。

担当から外れて、そのプロジェクトも結局は頓挫して、親父は別の先輩が呼んでくれた名古屋工場に移ってまた仕事につくようになったんだけど、以前の人柄とは別人のようになってしまっていてね。窓際族と自称する数年を名古屋で過ごした後、胃癌になったというわけさ。

さてと、これをだね、お前の祖父が経験した人生をケーススタディだとして、この敗北からくみとるべき教訓、どこに間違いの原因があったか。結論をお前ならどうまとめる?


× × ×



愚息: (しばらく考える様子を示した後) 撤退を進言したんだよね。そこが分かれ目だったんじゃないかと思う。この判断の誤りがその後の進展の発端だった・・・

小生: 目の付け所はまあいい。が、それでは成績としては<不可>だ。なぜなら、そもそも撤退を進言するという状態になったこと自体、何かの判断ミスの現れであり、問題はそうなってしまった原因は何か、これに回答しなくてはならないんだ。なぜ撤退を進言するような事態になったんだと思う。

愚息: 利益が出なかったからだよね。

小生: そうだ。それは確かだ。

愚息: ・・・利益が出なかったとしても、それは新規事業だから仕方がないというか、

小生: いい線をいってるぞ。ヒントをいうとな、現在では東レもアクリル事業、というかプラスチック事業を大きく発展させて成功しているし、藤倉化成もアクリル事業は主力分野になってるんだ。お前の祖父が取り組んだ事業は、戦略的には正しかった。これは事実なんだよ。しかし、その時は失敗し、敗北をした。どこに敗因があったか?

愚息: 今は損失が出るけど、長期的には必ず利益が出るという展望を示して、それを共有化することが必要だったよね。

小生: そうだ。そこまでいうと92点、まあギリギリ<秀>になるな。じゃあ、結論部分の第1行は何と書く?

愚息: 新規事業の見通しについて数字を示し、事業に取り組む関係者の意識を統一する作業が最も重要であったが、この段階における努力が不十分であったため、導入段階の不調が生産現場の士気低下を招き、事業の継続を困難ならしめた……、こんな感じかなあ

小生: そうだね。ビジネススクールでは新規事業のスタートアップ失敗は典型的な素材なんだな。大体、新規事業で最初に何年か損失を出すというのは日常茶飯事だ。『10年たったら結果は出せると思いますが、最初は損ばかりですよ、それでもやりますか?』、オヤジとしてはそういうべきだったし、そういわずにまず利益が出ないことを解決するべき問題にしたのは―それ自体としては間違いじゃあないんだが―目的の置き方が間違っていた。

おれならそういうだろうね。

お前の祖父は利益確保を目的にした。しかし、10年かかるなら10年実行できる基盤をまず最初につくるべきだった。二社の相互信頼の形成をまず第一の目標にするべきだった。

何年か損失が出ようと、それならば中でも行けそうな具体的な製品は何にしぼるか?そんな改善システム(=採算化への仕組み)を目的にするべきだった。進むべき方向を選んで、必ず成功させる、協力体制から抜けることはないという信頼を形成する。これを目的にして、現場の士気低下を極力さける。実際に利益を出して、採算のとれる事業にする、その役回りは後任にゆずってもよかったくらいだ。正しい目的を設定して、それに徹していたなら、オヤジは困難な新規事業立ち上げの功労者になって、その先将来も東レという会社の柱として活躍できていたはずさ。おれならこれを結論に書くだろうかなあ。

どちらにしても、失敗はそれをつらい経験、忘れたい経験、それだけを意識するなら単なるマイナスの資産にしかならない。しかし、大敗北も、それを経験した人にとってはプラスの財産だ。失敗からしかわからないことがあるからね。もし同じパターンの失敗をするなら、お前、これ以上の不孝はないよ。


× × ×


目的設定の誤りは、現場を疲弊させ、リーダーその人の失敗だけじゃあなく、参加したすべての人の人生、家族の人生をも辛いものにしてしまう。

戦略上の劣勢を戦術で補うことはできず、戦術上の劣勢を(個々人の)戦闘で補うことはできない。

まあ、亀のような愚息ではあるが、方向性は大分あってきたかなと感じさせる。飛行高度を上げながら順調に上昇しているようである。




2016年8月14日日曜日

ドーピング防止の特効薬?

リオ五輪は、トイレやプールの水質など施設上の不備、国旗や国歌の間違いなど運営上のミスに加えて、ロシアによる国家的ドーピング制裁から始まるドーピング防止でも色々と話題を提供するオリンピックになった。

オーストラリアの某競泳選手が中国の長距離スイマーが以前にドーピングによる出場停止処分歴があることをとりあげ、「インチキ野郎」と痛罵し、これに対して中国の組織委員会が正式に抗議する。こんな事件もあった。

上のやりとりに品格はないが、処分歴のあるアスリートの公式記録を本当に信頼してよいのかという問いかけには、なかなか、回答が難しいのも事実だろう。




小生は大学という場で教育・研究サービスに従事しているので、「インチキな手段」で成績をあげる誘惑にどう対抗するかが大変な難問であるのは日常的に体感している。

レポートや試験で、コピペをしたり、カンニングをしたり―あるいは研究上の論文で盗作をしたり―そんな不正は国を問わず、時代を問わず、常にあり続けたわけであり、スリや詐欺がなくならないのと同じく、こういう行為は人間性そのものから発していると考えれば、不正の発生を嘆くことそのものには大した意味がない。

「不正」は人間社会に常にある。

大学では(小生の勤務先に限った措置かもしれないが)、試験室でカンニングなど不正が確認されれば、その学期の他の試験科目はすべてゼロ点となる。たとえ、他の科目で不正を行ってはいなくとも、すべて零点である。定期試験が零点となれば、もちろん単位も認定されない。レポートの盗作など他の不正についても同様である。

要するに、一回の不正を行うことにより、不正を行わなかった他の成果もすべて抹消されることになる。

(重要な事実は)それでも現実に不正は時に発生しているということだ。今後将来とも不正は永遠になくならないだろう。


もし、当該学期の試験科目だけではなく、不正を犯したその学生が入学後に修得したすべての科目をゼロ点にするという方式だとどうだろうか?

これは極端に厳しい。上級生の場合、一回の不正でその学生は卒業が事実上困難になる。だから退学を余儀なくされる。つまりは、一度のカンニングで放校にするという考え方に等しいわけだ。

「不正」を決して許さないという観点にたてば、一度でもそれが確認されれば、ただちにレッドカードを出す。これ以外の選択はない。不正をおかしたその大学を退学し、別の大学に入りなおして、やり直してほしい。確かにこんな発想もあってよいかもしれない。

これをさらに厳しくすれば、不正で処分された学生は、他の大学の受験資格をも失う。こんな方法もあるわけだ。不正を決して許さないと考えれば、いくらでも厳しくしてもよい。理屈はこうなるだろう。大学ではなく、別のところで人生を生きてほしい・・・こう考える立場である。

・・・ホント、きりがありません。



しかし、苛酷にすぎる制裁は、本人が潜在的にもっている成長の可能性を一挙に奪う。これは全体の利益を損なうものである。そう考えれば、制裁の厳しさには合理的な水準がある。

現在の法律・規則・制裁については大体はこんな考え方で構築されている。

簡単に言えば、不正を十分に抑止できれば制度としては機能しているわけである。


一度でもドーピングが確認されれば、その選手のそれまでの公式記録をすべて抹消する。但し、その後の試合への出場権はそのまま保持させる。積み重ねてきた実績を失う一方で、未来への機会は与える。一度の不正でその競技者が参加している競技の場から「追放」されることはないという点で、この方式は大学における現在の不正処理にかなり近くなる。



まあ、不正を行わなかった試合の記録がすべて取り消され、それまでに得たメダルもすべて剥奪されるとなれば、かなりの厳格化にはなる。が、世界の大学ではこの位はやっているものであり、なにも甘いわけではない。

中国の長距離スイマーがもっている世界記録は、したがって、上の観点に立てば処分された時点で抹消されていることになろう。また検体が残っている限り、将来いつかの時点で自らの不正が暴露されるかもしれない。自分の成果がいつか抹消されるかもしれない。これは相当の心理的プレッシャーになるだろう。

ドーピング防止の特効薬は、未来に向けての出場停止ではなく(服用効果の消失まで一定期間の停止は必要だろうが)、過去の実績抹消のほうが一層厳格であって、小生はこちらのほうが抑止効果があると思う。

とはいうものの、仮にこうしたとしてもドーピングはなくならないだろう。スポーツで失敗しても、人は、いろいろな生き方ができるからだ。賭ける値打ちがあることなら、人は自分の人生をそれに賭けるものだ。

それに、個人競技なら適用も容易だが、団体競技で、それも短時間だけ出場した選手に不正が確認された場合はどうするか。そんな細かい点も残されている。


2016年8月12日金曜日

エネルギーの価格破壊もそろそろ終焉か

北海道の海水浴は、毎年の夏、それほど何度も好機があるわけではなく、その日に行けるなら行っておくのが秘訣である。今年は、週末に暑い日が多く、少なくとも2回のチャンスはあった。今日もひどい暑さだ。先刻買い物の帰途、浜の方を眺めると、たいそうな人出だ。お盆には海で泳がないと少年の頃に言われたものだが、もう何の関係もないようだ。

気温も暑いが、このところ株価も上がり調子だ。特に石油株の復調が目立つ。NY市場における石油大手の株価をみると、エクソンモービル(XOM)、シェブロン(CVX)、BP(BP)各社とも、昨夏の上海暴落、今冬の二度目の上海暴落に見舞われながらも、次第に回復を続けている。図の出所はどれもYahoo! Financeである。







この背景には、歴史的低水準にまで暴落していた資源価格が次第に回復している。これが当然あげられるわけだ。

日本国内の景気動向指数(先行指数)だけに基づいて予測計算をすると、すでに5月時点、つまり3月までのデータを見るだけで「7月ボトム」という見通しが得られていた ー 直近足元のデータを織り込んだ再計算はまだしていないが。

米国のエネルギー情報局(Energy Information Administration)が公表している石油価格の短期見通しによれば、現在バーレル当たり40ドル台前半で変動しているウェスト・テキサス・インターミディエイト(WTI)価格が、今秋には底入れをして、来年にかけて緩やかに上昇し、来年中ごろには50ドルを超える見通しになっている。それ以降も石油価格は上昇トレンドをたどり、2017年12月には60ドルに戻る。石油価格についてはそう展望されているわけだ。下に一部の図を引用しておく。



米国内でシェールオイル企業の掘削リグが再び増勢を示しているということだが、中国経済はともかくとして、インド、アフリカなど今後20~30年の世界経済はまだまだ成長の余地がある。これも確実に言えるわけであり、輸送用、電力、化学分野など、石油需要はまだなお拡大を続けるとみている。というより、先進国ではロボット革命が進行する中で、やるべきこと、投資するべきこと、育てるべき人材は山積しているのが現実だ。お金の使い道がないわけではなく、新規投資分野はまだ漠然としていてリスクが高いので様子をみているのが率直なところだろう。そうでなければ、アマゾンやフェースブックの株価が飛ぶような急上昇を何年も続けられるはずがない。

2015年以降の停滞は、というより2014年夏場から始まった「価格破壊」はそろそろ終息する。そう見ている。下図はブレント先物価格だが、手元にあったのでペーストしておく。指標価格はどれもパラレルに動いている。

(出所)Nasdaq

中国経済?確かに不良債権、過剰債務を何とかしなければならない。ただ、離陸期から成熟期にさしかかった転型期に進めるべき構造調整が中国経済の本質的問題だ。資本損失もあるが、同時に今後の拡大が確実である市場は中国国内にある。経済政策を間違えなければ、安定した中成長を続ける可能性は高い。

中国リスクは、マクロ経済面から見る限り、それほどの心配には当たらない。そうみているところだ ー今後の 生活水準向上に伴って、政治参加への国民の要求がますます高まり、それが体制不安をもたらし、経済的リスクを増す要因になりうる点がジレンマといえばジレンマだろうが。



2016年8月9日火曜日

時間のみが解決できる問題なのか

毎年の夏、8月6日の広島・原爆記念日から盆明けの8月16日まで幾つかの祭りや慰霊祭ががあい続き、日本は鎮魂週間に入るかのようである。

ケネディ米大使が新潟・長岡市の花火大会を訪れー長岡花火大会は非常に有名であるー長岡空襲の犠牲者への献花台にも献花したとの報道だ。

長岡まつりに合わせて2日から長岡入りしたアメリカのケネディ駐日大使がアオーレ長岡に設置された空襲犠牲者のための献花台に献花しました。長岡市によるとアメリカの駐日大使が長岡空襲の犠牲者に対して献花をしたのは初めてのこと。ケネディ大使は「ここで亡くなった方々を悼むとても意味のある機会でした。我々が長岡市民と共に平和へと手を取り合って行きたいと思いました。」と話しました。

(出所)UX新潟テレビ21、2016年8月3日

その契機となったことは新潟日報が本日伝えている。
 長岡花火には長岡空襲の犠牲者を慰霊するとともに、平和への願いが込められている。市が戦後70年の昨夏、日米開戦の舞台となった米ハワイ州の真珠湾で花火を打ち上げたことなどが縁になり、ケネディ大使を招待した。
 花火の前に、ケネディ大使は市主催のパーティーに出席。「長年、長岡の花火を見てみたいと思っていた。長岡の平和への思いについて学ばせていただければ、と思う」とあいさつした。
 森民夫市長は「花火に込められたメッセージをご理解いただけたと思う」と語った。
(出所)新潟日報、2016年8月9日

越後長岡は太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官・山本五十六の故郷である。戦時中、長岡市にはこれといった軍需産業もないはずであったし、大都市圏の中枢機能もなかったはずだが、 Wikipediaによれば1945年8月2日から3日にかけての空襲で市街地の8割が焼亡、1500人弱の犠牲者が出た。

Wikipediaに記載されている概説によれば、アメリカが事前に計画した攻撃でもなかったようであり、多分に偶然によるものと憶測されている。

小生は、真珠湾奇襲作戦の最高責任者の出身地に対するアメリカ側の報復であろうとずっと思っていた。

が、どちらでもいいことである。時間がたてば、上の報道のようなことも出来てくるのだなと思った次第。

日米は4年間戦争をしたにすぎない。1931年の満州事変から数えても日米関係が非常に悪化したのは15年ほどである。この時間は戦前期日本78年のごく一部でしかない。それでも大統領が広島を訪問し、大使が長岡市を訪れるのに71年がたっている。

日中戦争を1937年以降とすれば8年間、日清戦争以後はずっと敵対関係にあったとみれば51年間。韓国併合という路線をとって以降、終戦まで35年間。帝国日本が韓国への圧力を強める第一歩になった第一次日朝修好条規(1876年)から数えると69年間。これだけの時間を敵対的にすごしたとすれば、現時点においてもなお日中間、日韓間に悪感情が残るのはむしろ自然なことであるとも思われる。

「歴史」は人間が書き残したり、語ったりするにすぎないが、歴史をどう書くかに関係なく、起こった事実は現在の状況にもそのままつながって今に生きる人間を縛っている。それは人間社会の出来事なのだから、やはり「責任」というのがある。これを論じない限り、「和解」という節目はこれから以後もずっと訪れないのだろう。それまでに必要な時間は、日米間の71年よりはずっと長いはずである。

2016年8月8日月曜日

配偶者控除見直しへのへそ曲がり的反対

日経での報道:
政府の経済財政諮問会議の民間議員は8日の会合で配偶者控除の見直しをめぐり、年内に結論を出すよう政府に求める。専業主婦世帯の税負担を軽くする配偶者控除は女性の就労促進を妨げているとの指摘があり、政府・与党も見直しが必要との認識を共有している。年末にまとめる2017年度税制改正大綱に盛り込むよう要請する。

 現在の制度は妻の年収が103万円以下であれば、夫の課税所得から38万円の控除を受けられる。政府はこれまでも「国民的議論が必要」として見直しを議論してきた。控除を廃止し、新たに夫婦単位で一定額の控除を設けるなどの案が検討されたが、消費増税時に導入する軽減税率の議論に時間を割かれ16年度税制改正で結論は棚上げされた。

 政府が経済政策「アベノミクス」推進の柱とする働き方改革でも女性が就労しやすい環境を整備することが課題になる。
(出所)2016年8月8日、日本経済新聞

現役引退が間近に迫った小生としては、個人的には「無関係のことでありんす」とやり過ごすのが正解だ。細かいことで頭を使うのは損である。

しかし、『女性が就労しやすい環境を整備する』という下りには疑問がある。

そもそも絶対的に善である物事はこの世にはないものだ。ある視点からみれば良いことが、別の面からみれば悪いのが、自然・社会の鉄則だ。

確かに「女性が就労しやすい」ことで達成しやすくなる目的はある。労働供給のボトルネックを緩和して、潜在成長力を上げるという目的にはプラスだろう。ある意味で「経済合理性」があるとは思う。しかし、プラス効果は一面的だ。ロジックとしては、就労しやすい=主婦専業を奨励しない。これも別の面で言えることだ。

女性が就労を選びやすくすることは、女性が主婦専業を選びにくくすることと同じである。本当に、こうすることが今の日本社会の現実にマッチしたことなのか。

 少子化に加えて、子供と過ごす時間、親子のあり方、幼児期の育て方など様々な問題が指摘されているにもかかわらず、専業主婦の利益を抑え、仕事につくことを奨励する。こんな制度改革が、真に社会の利益になるのだろうか。社会の潮流に合致していない。学齢期前の幼児に食事と保育士を与えればそれで育つと考えるのは誤りである。小生は心の底からへそ曲がり、かつ相当の右翼である。リベラルな発想など糞食らえだ。故に、反対である。

2016年8月3日水曜日

少数派をみるときのバランス感覚

内閣改造も終わりこの国の将来も少し変わるのだろうか?

と思いながらネットをみていると

 社民党の又市征治幹事長は3日、同日発足する第3次安倍晋三再改造内閣について、「インパクトや新鮮味は感じられない。『入閣待機組』約70人の在庫一掃セールのようだ」とする談話を発表した。

(出所)産経ニュース、2016年8月3日

うん?確か、社民党というのは先日の参院選で当選者がほとんど出なかったはずだが・・・Wikipediaによれば当選者数1名か。

まあ、確かに「政党」である以上は個人ではなく、支えている人が何十万人か何百万人位はいるわけだ。どこかの誰かが言っているのではない。

が、なぜ報道するのだろう。

同様の疑問は、NHKでよく放映する政談で与野党の代表が出演する番組である。

国会ではないので、議席数に比例して出演者数を決めるのは野暮というものだ。しかし、あらゆる政党から1名ずつ出てしまうと、与党は二人、野党は数人。視聴者には、少数の勢力が大多数の声を抑圧して大事なことを決めようとしている。そんな印象になってしまう。が、現実はその反対であるわけだ。

だから、TVの政談番組は非現実的だ。世間とは逆さの状況を作っている。そうすることの価値とはなんだろう。民主主義か?政治的平等か?

物理的に評価すれば、巨大政党は巨大な声をもち、少数派は小さい声しか出せない。それが現実であり、社会全体は大多数の人が望むように動いていくのが合理的だ、というのが「天声人語」というものだと思うがどうだろう。

少数の人の声に耳を傾け、それを考察し分析し評価するのは、政治家やメディアというより、真理を追求する知識人、学者の仕事だろう。


2016年8月1日月曜日

戦いを怖れる日本男児になってしまったか?

カミさんとも話しているのが、昨日投票があって、予想に反し夜8時ころにもう当選確実が出てしまった都知事選挙。

そもそもカミさんが(都内の有権者でもないのだが)何かにつけて話していたのは、「後出し」が有利だという「法則」というか、業界の「経験則」のようだったもの。この伝でいけば、公示二日前の出馬宣言など、究極の後出しだ。絶対有利であったはず、理屈では。

「それはおかしいヨ」と。真っ先に手を挙げた小池百合子氏は颯爽としていたと話している。『それに比べて何だい?あの男たちは、一々理屈を言っているけど、グズグズしててさあ、やるならやるでサッサと手を挙げて名乗りをあげなくちゃ!』。

男児たる小生も、ハハアと答えるばかり也、だ。


まあ、男たちは負けるべくして負けたな。その感覚は正しい。

そもそも「後出し有利」とか、ジャンケンのマジナイでもあるまいし、そんなロジックは最初っから屁理屈であったに違いない。百歩譲って、後出しジャンケンが勝っていたとしても、それは個別のケースをみれば、勝った側には勝つだけの理由が、負けた側にはそれだけの理由があったというシンプルな事実があるのみである。それが何度か偶々続いたに過ぎないことは直観的に明らかである。

直観に反したことが偶々起こって、それに理屈らしきものをつけるのは、専門家の「商売」に過ぎない。


それにしてもあれです・・・。

太平洋戦争でボロボロに負けて、日本の男性はガチンコ勝負をよほど嫌がるようになったか。

「根回し」と言えば聞こえはいいが、要はリスク回避ばかりを好むようになってしまった感がある。自然と協議や談合が増える。でなければ、気にしているのは、世間の風とお体裁だ。

WBCに出たときのイチロー選手だったか、『勝ちゃあイイんですよ』。颯爽としているではないか。サムライたるもの、こうでなければならない。

勝ったら全部とればいいのである。負けたらすべて失う。世の中そうではなかったか。やれ結果平等とか、格差拡大とか話している内に、リスクは嫌いという男ばかりになってしまった。

今という時代は、本当の日本男児がいなくなり、いるのは妻や娘たちである・・・


明治維新では絶対優勢の幕府が敗退し、滅亡必至で勝てるはずのなかった長州が薩摩と同盟を結び大逆転の進展となった。

長州のギャンブルは見事に成功した。

この勝利がそのまま成功体験となって、明治維新後、長州閥に率いられた明治陸軍と明治政府は戦争を怖れず、果敢な攻勢を継続し、短時日で帝国日本を確立した。それだけをみれば見事なものだ。

が、危険を顧みず成功体験をそのまま反復したものだから、最終的には亡国の憂き目をみた。それで、日本男児はアツモノにこりてナマスを吹くようになったのか・・・。

女性は戦争で負けたわけではないから、まだまだ意気軒高としている。

危ない橋になると怯えて、退路を探しておくのは男のほうになった。

そんな話をカミさんはしている。負けっぷりが悪すぎて、返す言葉がない。