2016年8月20日土曜日

男子陸上長距離界と駅伝についての素人談義

専門は統計分析である。データは数字であることもあるし、文字情報であることもあるが、やろうとしていることは互いの関係や傾向を見て取ること。これに尽きる。

陸上競技は中学生のときに長距離を一寸やっていたくらいで、まあ、素人である。それでもマラソンや800、1500の中距離、5000、10000など長距離の結果には大いに関心がある。

今回のリオ五輪でも陸上長距離に出た日本選手の結果は芳しいものではなかった。というか、「惨敗」に近いだろうー本日現在、男子マラソンの結果がまだ出てはいないのだが・・・

小生の若い頃は必ずしもそうではなかった。円谷、君原はマラソンのメダルを獲得したし(メダルをもらったから価値があると言いたいわけではないが)、五輪での活躍は見られなかったが瀬古選手の鮮烈な快走ぶりは記憶に鮮やかである。ところが、最近はというと「活躍」という言葉がまったく当てはまらなくなった。

男子に対して、まだ女子の長距離は元気がある。高橋、野口と日本選手が連覇したのはシドニー(2000年)、アテネ(2004年)にかけてである。その後、エチオピア、ケニアといった勢力に劣勢をしいられているが、その凋落が視聴していて痛々しさを感じるというほどではない。

男子・長距離は1992年のバルセロナで森下選手がマラソンで銀メダルをとって以降、メダリストは現れていない。10000メートルでは、高岡選手がシドニー(2000年)で7位入賞を果たしている。高岡選手が2002年にシカゴで出した2時間6分16秒は、フルマラソンの記録としては2016年現在で依然として日本最高とのことだ。

箱根駅伝では区間記録が次々に塗り替えられ、高速駅伝時代の到来などと騒がれているのに、世界中の選手が参加している長距離競争ではほとんど進化していないのが日本である。そんな印象すらある。

駅伝大会というビジネスの発展に目的を置くならそれでもいいが、競技としての陸上長距離の成長を目的にするなら、いまやっていることには勘違い、というか方向違いを見てとれる気がする。


箱根駅伝は毎年の正月の年中行事であるが、日本テレビ系列による生中継が始まったのは1987年である。そして、その視聴率の推移をみると、当初は総じて20%未満であったが、1990年台になると20%を超えるようになり、最近では往路・復路とも30%に迫るほどの人気番組になっている。山登り、山下りの名人が世間の注目を集め、総合記録の更新も毎年話題になるほどで、一見すると日本陸上・長距離界は花盛りである印象をうける。

ところが現実には、世界で戦ってみると、むしろ一昔も二昔も前のほうが、日本の長距離選手は活躍できていた。それが事実であることを目にすると、むしろ驚いてしまう。

正式なデータ分析をやったわけではないが、30年から40年位まで視野を広げて、男子長距離界の成績の変化と箱根駅伝を始めとする駅伝大会の視聴率上昇の相関に着目すれば、両者の間には有意な因果関係が確認できるのではないだろうか。

もし駅伝大会の人気上昇と長距離界の練習実態との間に何かの関連性があり、箱根駅伝に出ること、そこで勝つことを目標とするような姿勢が本来の実力養成には結びついていないことが立証されるとするならば、女子長距離界が示している<男子と比べた相対的な>活躍は、箱根駅伝やその他人気のある大会がないからである。そんな結論すらひき出せそうである。


むしろ陸上男子・短距離界で、世界に対抗して勝負できる選手が育ちつつあるのではないか。可能性があるのではないか。そう思われる状況になってきたのは、短距離には「箱根駅伝」に相当するような人気イベントが国内にはないため、じっくりと実力をつけられる環境になっているからではないか。そんな推測も仮説としての興味をそそられる。

どうも色々なデータをざっと見ると、駅伝の興行的成功は陸上競技界にとってプラスにはなっていない。そう思われるのだ、な。

リオ五輪では50キロ競歩で史上初めて銅メダルを獲得した。そして、男子4×100メートルリレーでは日本がトラック競技で人見絹枝以来の銀メダル、驚きの"surprise winner of the silver medal"(NYT)となった。このショック度はラグビーW杯で南アフリカに勝利した日を上回る。

同じ男子・陸上競技でも箱根駅伝を代表とする高視聴率イベントが大学広報の戦略的ツールとなっている長距離界は、そのビジネス的盛況とは逆に、憂うべき状態にあるのではないか。

(もう間に合わないだろうが)東京オリンピックまでにはデータに基づくきちんとした検証をするべきだろう。

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