2016年9月24日土曜日

当然の真理は将来にも必ず貫かれる

日本国内にも社会・経済系で優れたブログは多くある。

最近注意をひいた文章を二つ引用する。
よく日本の政府債務は1100兆円といわれるが、これは政府のバランスシートに載っているオンバランスの債務だけだ。純債務はこれより少ないが、財務省の推計では約670兆円で、GDPの1.35倍だ。
これとは別に、社会保障特別会計で向こう30年に払う約束をしているオフバランスの債務は、次の表のように純債務ベースで約1600兆円ある(鈴木氏の推計)。これは毎年約50兆円の財政赤字として一般会計から穴埋めされる。それが社会保障関係費である。したがって日本政府の借金は、合計で2200兆円以上あるのだ。
(中略) 
もはや財政赤字の要因として、社会保障以外は取るに足りないといってもよい。事業仕分けで「無駄の削減」なんてやっても、焼け石に水にもならないのだ。安倍首相がこの問題に手をつけないで「高齢化はチャンス」などと意味不明の話をしているのは理解できない。社会保障危機=財政危機は国を滅ぼす、憲法改正よりはるかに重大な問題だ。
(出所)池田信夫「財政危機とは社会保障の危機である」 << Agora 、2016年9月24日

指摘されている問題の本質はまさにその通りだ。家族に高齢者がいて、私的な資産運用収入か公的な年金収入で生計費が賄わなければ、資産を取りくずすか、負債を増やすしか方法はないのである。これは常に当てはまるロジックだ。

負債は、その時点では資産の減少としては認識されないが、返済の義務が生じている以上、資産は既に減っている。もちろん純資産の意味である。

実支出が実収入を超えれば、必ず純資産としては減っている。

もし高齢者が自分の名義で借金することができなければ、現役世代が借りる。家庭ならこの時点で現役世代が借金増加を拒否するので、高齢者は自分の資産を取り崩すか、資産がなければ生計費を削るか、いずれかを選ぶしかない。

しかし、日本社会全体で高齢者を支える「社会保障」では、政府が負債を増やしている。が、負債が増えたその時点で日本全体の純資産が減っていることにはなかなか気が付かない。

いや、もう少し厳密にいう必要がある。

なるほど国債の大半を外国人が買っているわけではない。つまり外国から金を借りているわけではない。ただ、財政赤字の原因は主に高齢者に対する社会保障給付である。政府がカネを持っている人からカネを借りている。政府名義で借りているわけだ。

一見、カネを持っている人の資産は減ってはいない。しかし、歴史上、膨張した公債が問題なく償還された例はない。日本の国債も正常に返済されることはないであろう。

ということは、日本で究極の資産保有者である家計の純資産がこの時点ですでに取り崩されている。こう見るのが理屈である。

消費税率の引き上げ、あるいはインフレの進行は、いま進行中の経済取引と一対一に対応してはいない。いま進んでいることは、資産保有者から社会保障受給者への富の移転なのである。

要するに、私有財産不可侵を原則とする資本主義はすでに風前の灯、あえていうなら既に名目上の体制と化しており、日本社会の実質は社会主義であると言っても過言ではなかろう、と。小生はそう思うのだ、な。

前に投降したように、資本課税か、相続税強化が最もロジカルである。まず十中八九そうなるであろうと敢えて予言しておく ― 海外移住、資産の海外移転等による節税・脱税については別にとりあげる。すでに世界共通の政策課題であり、日本政府からみれば大した問題ではない。

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注意を引いたもう一つのブログがある。

こに来て元官僚の高橋洋一氏が、日本政府の徴税権を資産計上しろと言い出した(J-CASTニュース)。

こういうと、まだ債務超過であるという批判もある。しかし、政府の場合、強制的に税金を徴収できる徴税権がある。どんなに少なく見積もっても毎年30兆円以上の税金徴収ができるのだから、その資産価値は数百兆円以上だろう。というわけで、政府バランスシートでみても、統合政府バランスシートで見ても債務超過ではない。
(中略) 
東インド会社のように営利企業であれば、利潤最大を目指して徴税や歳出ができるので、徴税権から利益を得ることはできるであろうが、日本政府は営利企業では無い。徴税権を生かして、国民資産を無闇に接収することは許されない。いつかはプライマリー・バランスの赤字を解消するのであろうが、大きな黒字にはならないであろう。それを割り引いて現在価値を出しても、ゼロと見なせる数字にしかならない。つまり、日本政府の徴税権の資産価値はゼロである。
(出所)ニュースの社会学的な裏側 、2016年8月14日


論争的な文章の外見とは異なり、指摘している点は正にシンプルこの上ない一点である。

政府は"Ponzi Game"を行えない。借金は必ず最後には返す。無期限であれ、収支は必ずバランスする。この公理である。ゆえに、政府の徴税権の資産価値はゼロとなる。

同じ理屈は実は家計にも当てはまっている。なぜなら、家計は生産主体ではないからだ。付加価値を産むのは企業部門であり、家計は効用を最大化しようとする消費主体である。故に、最終的には必ず収支バランスする。

この理屈で社会保障を考えれば、いま進んでいるのは政府の債務増加というよりは、家計の資産減少であるとみるのが正しい。政府の負債であるから、家計の資産減少という真の姿が見えにくいだけである。

将来的には、資産を奪われたあとの家計部門、内部留保を蓄積した民間企業、そして民主主義勢力によっては倒されえない民主的政府の純資産ゼロという状態。この三つが日本を構成するだろう。なんといっても、日本は資本主義社会であり、オンゴーイングの企業から資産を接収することはなしえないはずだ。

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実は、政府はサービス生産者である。さらに、国営企業を独占的に経営すれば、利益追求主体になりうる。この点は、家計も個人企業を経営できることと変わらない ― というか、持ち家の住宅賃貸サービスは帰属処理された個人企業としてとらえるのが理屈だ。

なので、政府や家計に当てはまる"No Ponzi Game"という前提は、あくまでも教科書の中のことである。だから、政府や家計の今後の行動によっては、うえで述べたとおりのことが起こるとは断言できない。

上に書いているのは、普通に考えればという前提付きのあくまでも形式的な論理である。


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