2016年10月29日土曜日

反・富裕層: これは「富の正当性」への疑惑なのか

何度も書いているが『徒然草』の第140段には次の下りがある。

身死して財(たから)残る事は、智者のせざるところなり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心をとめけむんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」などいふ者どもありて、あとにあらそひたる、様(さま)あし。後は誰にと心ざすものあらば、生けらんうちにぞ譲るべき。朝夕なくてかなはざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。

(口語訳)
死んだ後に財産が残る事は、知恵のある者のしないことである。よからぬ物を蓄え置いたのも見苦しく、いい物は、それに執着したのだと思うと情けなくなる。財産をやたら残すのは、まして残念だ。「私こそが手に入れよう」など言う者どもがあって、死んだ後に争っているのは、無様だ。死んだ後誰に譲ろうと心に思う相手がいるなら、生きているうちに譲るべきだ。朝夕必要な物はあってもよいが、その他は何も持たないでいたいものだ。

(出所)徒然草 現代語訳つき朗読|第百四十段 

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報道では高層マンションの高層階には低層階よりも高い固定資産税率を課する方向になりそうだ。

近所の奥さんが視ているはずの今朝のワイドショーでも「それはそうですよ!」という意見が多いようだ。

何と言っても、「富裕層」よりは「庶民」の方が人数では圧倒的に多い。これは国を問わず、時代を問わず、まず当てはまっている事実だ。他方、その社会の経済的発展を「演出」してきたのは、富裕層であり(事業が成功したからこそ富裕になった)、その事業に「従業員」として協力してきたのが多くの庶民である。

ではあるのだが、高層階向けのエレベーターに乗る人を見ると「腹が立ちますね」というコメントがTVから聞こえてきたのは面白い。感性的になんとなく共感できる自分がいるのに気づいているのが情けない。

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そういえば先日の日経には『相続税逃れの海外移住に網』というタイトルで次の報道があった。
政府・与党は海外資産への相続課税を抜本的に見直す方針だ。相続人と被相続人が海外に5年超居住している場合、海外資産には相続税がかからないが、課税できるようにする。税逃れに歯止めをかける狙いだ。日本で一時的に働く外国人が死亡した場合、海外資産にも日本の相続税をかける現状も変える。

(出所)日本経済新聞、2016年10月21日

米欧では反・富裕層の意識、反・グローバル企業の意識が高まっている。特に「成功した企業」による節税・脱税への社会的反感が高まっている。

一言で言えば、形成された「富」の正当性に社会的な疑惑が生まれてきている。

反・自由資本主義がこれからの時代の潮流になっていくことがほぼ確実になってきたが、この方向にかけては米国よりも寧ろ日本の方がはるかに歴史があり、筋金入りともいえ、行政当局の経験もある。国民の姿勢・社会心理も寧ろ「反・経営者」、「親・社会主義」であるともいえ、さらにいえば「容共的」であるとさえもいえるのが日本社会ではあるまいか(実際、共産党への警戒感は現在の日本にほとんどない)。

日本の財政赤字と財政再建は、経済問題としてはそれほど破滅的なものではない。「日本の財政はもう絶望的だ」と真に日本人が考えているなら、国債相場が暴落する局面がもう何度も発生しているはずであるが、そんな兆候はない。日銀が国債を買っているからであるが、それが心配であるなら、円の現預金を早く手放して外貨や金を買っているはずだ。しかし、日本人が心配しているのは円高である。

財政問題を根拠にあげながら税制改革を進めるのは実は「行政戦略」であろう。そう思っている。

但し、所得課税、資産課税をリニューアルすることは、いま最もやるべきことである。これだけは同感する − 富裕層を「成功者」として、日本社会に貢献した人として尊敬するにしても、その家族を末代まで優遇する必要はないだろう。

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『徒然草』が書かれたのは鎌倉幕府が滅亡するかしないかという14世紀初めという時代である。

時代を問わず、富を残したいという行為の恥ずかしさ、醜さが挙げられているのは、それが自然の人情だからだろう。

稼いだものは使った方がいい。配偶者は自分の人生の伴侶であったかもしれないが、親の資産は子供の財産ではない。これだけは明白なのだから。

まあ、夫婦二人が死んだ後、自分たちの財産がすべて国にとられるとすれば、子供達が財産分配で争うこともない。それもまた安心立命というものか・・・

以上、覚書きまで。

2016年10月25日火曜日

学者の人生がドラマになるのか

世間では結構評判になっているようなのでニコラス・ワプショットの『ケインズとハイエク』(久保恵美子訳; 新潮文庫)を読んでみた。

二人の経済学者はともに歴史的人物であるのだが、あくまでも経済学者として著者はどう見ているのかという点に絞れば、著者ワプショットは明らかに、歴然としてケインズをより高く評価しているので、学者ハイエクのシンパは本書を読みながら慨嘆するのではないかと思われる。

学者としてばかりではなく、人間ハイエクをどう描写しているかという点についてみても、どこか哀感の漂うハイエクというイメージには共感できないところがある。もちろん、ハイエクは1974年のノーベル経済学賞受賞者であり、十分成功した人生を歩んだと、そういえば言えるのだが、本人のハイエク自身は必ずしもそう思ってはいなかったという印象も伝わってくる。

にもかかわらず、人間描写という点に限れば、ケインズよりもハイエクの人物表現のほうが遥かに精彩があり、やはりそれだけケインズは昔の人である。名前のみが残っているが、本人の息づかいは歴史の彼方に消え去りつつある。そういうことだと思う。何といってもケインズは1946年に62歳で世を去っているが、ハイエクは92歳まで長命し1992年に他界した。その時間差が作品の中の表現の違いになっているのだろう。

◆ ◆ ◆

そもそも学者の人生など、単調で平坦で、栄枯盛衰とも無縁であり、とうていドラマになるはずがない。そう思うのが常識だ。

ハイエクが「シクジリ先生」であったとまでは言わないが、そうなりかかった人生を、実に長い間、歩んだことは事実だ。

そんな学者が、なぜ最終的にノーベル経済学賞を受賞するまでに復活したのか。確かにそれはドラマにはなっているようだ―『ケインズとハイエク』には詳細にわたる事も書かれているので。が、相当つらい人生でありましたでしょうなあ・・・そんな慰めを言いたくもなるというものだ。


◆ ◆ ◆

それにしても、だ。

江戸時代の学者・新井白石はなぜNHKの大河ドラマの主人公にならないのか、小生はずっと不思議でしようがない、そんな人物なのだが、もし徳川家宣が長命し、新井白石がずっと政権を担当し、やり残すことなく存分に腕をふるっていれば、どう評価されていただろうか。

将軍家宣が長生きすれば、徳川吉宗が八代将軍になることもなかったろうし、そうすれば前政権の寵臣であると冷遇されることもなかったろう。しかし、そうなればそうなったで、政務や政策的な協議に忙殺され、傑作『折りたく柴の記』を書く時間的な暇もなかったに違いない。

今生きている我々としては、冷遇された新井白石に多くを負っている。

もし冷遇されていなければ・・・何より学者・新井白石の実行した経済政策は、現実を踏まえたものではなく、学問的な理想に基づくものであったので、おそらくはよい結果は出ず、政治家・白石は失望したことだろう。

権力に冷遇されていなければ、自分の理想を追求できた代わりに、それが効果的ではなかったことを悟り、人生というものの苦みを味わっていたに違いない。政権を追われ、長く冷遇された晩年をおくったからこそ、今に残る学問的な仕事にとりくめた・・・浮世というのは情け容赦がないものだ。

いま歴史に残る新井白石は、失脚した悲運の学者政治家であると同時に、その人柄は独特の薫りをはなっていて実に魅力的な人物であるのだが、成功した政治家・白石がいたとすれば、いま伝わっている「新井白石」は存在していなかったはずなのだ。少しさびしくなっていただろう。

まあ、そうなればそうなったで、「白石先生のしくじり人生」がドラマの素材になっていたには違いない。

とにかく・・・・・・ 歴史を舞台に想像をめぐらせるのは楽しい。後世の人に最も有益なのは、先達の成功より、むしろ失敗の経験である。

成功には幸運という神様の意図が混じり、再現可能性は(実は)ないものだが、失敗には合理的な理由があるもので、後になって敗因分析をすれば実に豊かなメッセージをくみ取ることができる。

それ故に、ビジネススクールでは主流になっている「ケーススタディ」だが、いくら成功した企業を研究しても、そこから「勝利の方程式」は決して見えてくるものではない、と。本当はそう思っているのだ。

2016年10月21日金曜日

誰でも誰かに似ているものだ

この人だけは空前絶後にして、独立自尊。そんな人は一人もいない。人はバラバラで、人それぞれだがよく見ると云っていることや、行っていることは、これまでの誰かに似ている。そう感じる時はたしかにある。

その人と似ている誰かとは誰か。この問いを考えることによって、目の前のその人を一層よく理解できるようになる。これも日常よく経験することだ。


いまの政権を担う安倍首相はほかのどの総理と似ているだろうか。

ズバリ、小生は(個人的にはリアルタイムで同じ時間を共有してはいないが)近衛文麿元首相をあげる。

小生自身は本や資料(それに父の思い出話し)を通してしか知ることはできない戦前期の首相であるが、時代の主流に反抗した反骨精神、国民からの高い支持と一部勢力の熱狂的支持、熱い説得力と裏腹のどこか淡白で弱気な突破力。悪く言えば鈍感というか傍観者的な冷淡。それと表裏をなす洗練された感性。何よりもいかにも育ちの良さそうなキャラクターが醸し出されているところなど、亡くなった小生の父なら今の安倍総理をみて、同じことをいうに違いない、と。そう思ったりしている。

近衛文麿は当時の主流派に対抗して様々の独自の戦略を提唱したのだが、結局は第一次大戦終結後のベルサイユ体制への批判に根ざすものだった − それ自体は極めて正当であり、感覚の良さを窺わせる。その反・ベルサイユ体制の精神は、悪名高いヒトラーのみならず、イギリスの経済学者ケインズも同じであり、その激しい批判は『平和の経済的帰結』にこめられている。

近衛元首相は、軍部を取り込む形で明治憲法体制を実質的に改革しようと志したものの、支持者を得たと豆殻のように跳ね返る軍部の革新勢力を抑えることに失敗した。


為すべきことを為すのは天才である。秀才は為しうることを為す。

為すべきことを為そうとしつつ、所詮は為すことのできないことを為そうとした以上、近衛文麿は天才では絶対になく、秀才でもなく、さらに言えば志そのものは凡才でなかった以上、結局は一人の愚才であった。そんな評価もやむをえないだろう(と、個人的には思っている)。

孫である細川元首相が、祖父・近衛文麿とは違った思想をもっていたように、安倍首相もよく見ると祖父・岸信介とは本質的人柄は全く別であるようだ。

よく似ているかどうかと血縁関係とはまったく別物らしい。

イヤ、イヤ、もう書くのを止めておこう・・・日本という国にはなるほど憲法上は「表現の自由」があるが、「現に迷惑を被っている人がいる」と、そんな理由があるのであれば、このブログコーナーを管理しているGoogle本社もクレームに応じて、著者に同意を求めることなく投稿は削除される。それが現実であることを以前経験しているから。

この文章も別に保存しておくか、な。

2016年10月17日月曜日

新潟県知事選: 不良債権処理と原発事故処理のあまりの違い

新潟県知事選で与党候補が敗北した。もし与党候補が勝っていれば、柏崎原発は再稼働に向けて粛々と手続きが進められ、東京電力という会社は復活への第一歩をきざむことができたはずだ。それが夢のまた夢となった・・・。

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細かな事実をここにまた書くつもりはもうないが、1990年代10年間を通して日本経済全体の大問題であったのは(言うまでもなく)「不良債権」、つまり「バブル処理」であった。

巨大金融機関とリゾート、不動産業界との不透明な関係、裏社会との関係、無理な貸し込みと延命、果ては飛ばし、粉飾決算等々、「まあ出てくるわ、出てくるわ」ともいうべき惨状であった。

事件処理の火の粉は大蔵省・日銀にも飛び火して接待不祥事から何人かの幹部が免職(依願退職)されたりしたものだが、金融機関の経営幹部の中には取り調べの厳しさに自殺を遂げた人もいたくらいだ、辞める程度で済むなら軽いものだった。それが「混迷の10年間」という時代だった。

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福島第一原発事故とバブル処理と、どちらが大きな問題であるか。意味のない問いかけだが、どちらも日常の経営活動で恒常的に発生するマネジメントの範囲には入らない。どんな大事件にもあることだが、ちょっとしたチョンボや思い込みが重大な結果を招いてしまった、そんな側面も共通しているようだ。どちらも特異かつ例外的なスケールをもつ。経済史年表にも記載されることは間違いない大事件である。

それにしては、原発事故とその後の東電処理は外から見ていると「甘々の処分」でお茶を濁している、というイメージを拭きれない。

世間に潜在している「東電不信」には堅い根っこがある。不信の念が継続する限り、問題は根本的に解決されず、再稼働には政治的リスクがある、と同時に国民もまた不幸であると言わざるを得ない。こちらの処理のほうが政府にとっては難しい課題だろう ー いまから鬼の手を揮うには時機を逸したし、経営責任を負う立場にあった関係者も十分に社会的な制裁をうけてきているわけなのだが。

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ただ一つ想像できることがある。

もし原発事故を起こした電力会社が北海道電力であったらどうであったろう?

たとえ津波の中での事故であったにしても、事故の直接的原因・間接的原因は徹底的に調査されていたに違いない。そして国有化にとどまらず、北電が所有する発送電設備の大半を東京電力(今の仮定では事故を起こしていない)、東北電力など他の電力会社、電力市場に参入したいと念願してきた北海道ガス(外資も政府機関もありえただろう)などへ売却するよう、半ば強制されていたであろう。経営幹部も責任を追求され、おそらくは起訴され、「有罪」となっていたのではないだろうか。

発送電施設は大半が他社に渡り、設備をカネに変えた電力会社は事故処理会社を作って、賠償と廃炉を粛々と進める。処理が終わったら清算し、世の中から退場する。

旧・従業員はそれぞれ「第二の人生」を探す(あくまで個人的な事柄で政府が関知するはずがない)。

もちろん公的資金もどこかのステージで注入されたろう。

拓銀(北海道拓殖銀行)を破綻させた後の「行政実験」もそうであったが、原発事故においても又、こんな実験が北海道という場で試されていたはずである。

これだけは、確実に想像できるし、それが現実でなかったことをいま嬉しいと感じる。

と同時に、首都圏に電力をおくる企業であるために僅かでもリスクのある革新ができずにいる。生殺しのように国家管理の下に置かれている。これもまた悲しいことである。

2016年10月15日土曜日

ノーベル文学賞のいう「文学」とはどんな文学なのだろう

今年度のノーベル文学賞は(何と)ボブ・ディランが受賞した。予想する向きもあったらしいが、これまでの経緯を素直に考えれば、びっくりした人のほうが多かったのではないだろうか。

ノーベル文学賞は、チェコのフランツ・カフカ賞とも、英国のブッカー賞とも、日本の芥川賞とも違っているのかもしれない。実際、英国の文豪サマセット=モームも20世紀文学の創始者ともいわれる英人・ジェームズ=ジョイスや仏人・マルセル=プルーストもノーベル文学賞は受賞していない。

おかしい・・・。「文学」の専門家なら思う(と思う)。

しかし、「だからノーベル文学賞は国々と民族回り持ちの単なる名誉賞」というわけではないだろう。

結局、何のために「ノーベル賞」という表彰基金ができたのかという、そんな設立理念によるのだろう(と思う)。


小生は文学には素人の単なる読書好きでしかないが、過去の受賞者をよく見ると、多くの人は何か「主張」というか「、もっと言うなら「主義」をもっていた人物ではなかったか。そんな気がしないでもない。トーマス・マン(1929年)然り、ヘッセ(1949年)然り、パール・バック(1939年)然り、だ。要するに、ノーベル賞を授与する側は何か「思想」を求めているのではないか。そんな気配がするのだな。

それに作家だけではない。哲学者ベルグソンは1927年に新しい哲学への功績で文学賞を授与されている。もっと遡って、1902年に受賞したモムゼンは歴史家にしてローマ法学者であった。モムゼンのローマ史は有名なギボンの『ローマ帝国衰亡史』と同じく文学的香りをそなえていると同時に、近代歴史学の礎石としての価値もあるそうだ(Wikipediaによる)。

ミュージカル・キャッツの原作ともなった作品で有名な詩人T.S.エリオットは1948年に、『第2次大戦回顧録』で有名な英国の元首相・チャーチルは平和賞ではなく、ノーベル文学賞を1953年に授与されている。どちらも重量級の文化人(政治家?)といえよう。

どうもノーベル賞を授与する側としては、世界を変えるような思想、哲学、創作世界を提示するような、そんな「道を切り開いた人物」をイメージにもっているような気がする。

まあ、確かにボブ・ディランはその詩と歌を通してベトナム反戦運動の口火をきり、その後のフォークソング文化なるものの狼煙をあげたわけだから、アメリカ社会を「変えた」といえば変えた人物だ。

エンターテインメントとは、あくまで別の尺度で選んでいるのだ、と。要するに、そういうことではないか。といって、村上春樹の小説に魅力的な創作世界を超えるような、何か社会を変えつつある力があるのかないのか。小生はこれ以上の知識をもっていない。

以上、単なるメモである。

2016年10月12日水曜日

これは「大学の自殺」にあたるかも

古い本だが、時々、大内兵衛の自伝『経済学五十年』を読み返す。少年時代から大学を退官した後の人生を振り返っているのだが、最も生彩を放っているのは戦前の軍部独裁時代に東京帝国大学が過剰なまでに「時代」というか、「時勢」なるものと協調しようとして、そうする中で自ら大学として崩壊していった頃の思い出話しである。

中でも「左翼分子」を大学から放逐するときに大学執行部と協力的姿勢を示した自由主義者・河合栄治郎が、今度は自分が自由主義者である咎で大学を追われることになった下りは、文字通り1930年代という時代がいかに「下らない時代」であったか、限られた10数年ではあるがそんな戦前期・日本の現実を伝えてくれている。

亡くなった父も当然に戦前派であったが、その時代が実に下らなかったことは、小生の幼少期に折に触れ、朝の昼の晩の食卓を囲みながら、語り草にしていたものである。いやまあ、個別の話題はここでは省こう。

下の記事があったので全文を引用しておく:

 「残業100時間で過労死は情けない」とするコメントを武蔵野大学(東京)の教授がインターネットのニュースサイトに投稿したことについて、同大学が10日、謝罪した。7日に電通の女性新入社員の過労自殺のニュースが配信された時間帯の投稿で、ネット上では「炎上」していた。
 投稿したのは、グローバルビジネス学科の長谷川秀夫教授。東芝で財務畑を歩み、ニトリなどの役員を歴任した後、昨年から同大教授を務める。
 武蔵野大などによると、長谷川教授は7日夜、「過労死等防止対策白書」の政府発表を受けてニュースサイトにコメントを投稿。「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」などと記した。
 電通社員の過労自殺のニュースが配信された時間帯に投稿されたもので、コメントがネット上に拡散。「こういう人たちが労災被害者を生み出している」「死者にむち打つ発言だ」などと批判が広がった。長谷川教授は8日に投稿を削除し、「つらい長時間労働を乗り切らないと会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断した」などと釈明する謝罪コメントを改めて投稿した。
 武蔵野大は10日、公式ホームページに「誠に遺憾であり、残念」などとする謝罪コメントを西本照真学長名で掲載。「不快感を覚える方がいるのは当然」とし、長谷川教授の処分を検討している。(千葉卓朗)

(出所)Yahoo!ニュース、(元記事)朝日新聞デジタル、2016年10月11日22時3分配信

なるほど、意見を公開したら職場から「処分」ですか・・・。井戸端会議ならよいとでも・・・。

以前に具体的な人名を含めた記事をこのように引用し、小生の意見を述べた投稿をしたことがあった。ところが何週間かたってから「指摘に応じ削除しました」という通知がGoogleから届いた。

戦前期のくだらない時代と何がなし共通点があると思うのだが・・・まあ、削除されたくはないので、これ以上は書かないー マ、念のために原文は別に保存しておこうか、ネ。

2016年10月11日火曜日

「データ音痴」のサンプル

自分の主張に都合の良い事実を見つけると、他のデータとの整合性をチェックすることなく、自分の元来の主張と目の前の事実を単純に結びつける・・・、これは人の常である。

「幽霊はいる」と日ごろ信じている人は、夜一人で歩いているとき、風に揺れるススキの穂も幽霊にみえる。同じことだ。

いいサンプルをみつけた:
 それにしても、なぜノーベル賞を受賞した日本人科学者は全員男性なのでしょうか。
 その最も大きな理由として、理系学生に占める女性の割合が低いこと(修士課程で理学22%、工学12%)があります。
 また各国の研究者に占める女性の割合は、アメリカ34%、イギリス38%であるのに対し、日本は15%程度にとどまっています。
 さらに、家事・育児は女性の役割という意識が根強い社会で、妻が全面的にサポートするという働き方が求められる状況も、原因ではないでしょうか。これでは、女性研究者が同じほどの業績をあげることは難しいでしょう。
(出所)Yahoo!ニュース (元記事)毎日新聞2016年10月9日

要するに、日本社会は学界を含めて、「家事・育児は女性の役割という意識が根強い社会で、妻が全面的にサポートするという働き方が求められている 」が故に、いくら才能豊かな女性であってもノーベル賞を受賞するような研究には従事できないでいるのだ、故に日本からは女性受賞者が出ないのである・・・と。そういう主旨であるようだ。

しかし、この論法でいけば、アメリカは学界における女性の割合が34パーセント、イギリスでは38%の高率を占めるのであるから、英米両国の女性研究者のノーベル賞受賞回数は日本よりはずっと多い。そうなっているはずである。

しかし、そもそもの話し、自然科学分野における女性のノーベル賞受賞者はこれまでに延べ人数で僅か16人である。全分野に広げても女性は延べ44人、全受賞者中5%程度を占めるに過ぎない(参考サイト)。アメリカやイギリスは女性研究者がはるかに恵まれた研究生活を送っているので、日本よりはずっとノーベル賞受賞者が多い、というわけではない。

また最近20年間に限っても女性の(自然科学分野の)ノーベル賞受賞者が増えてきているという兆候もない。

日本の女性でノーベル賞受賞者が現れない原因は、日本社会に特有の原因によるというよりも、科学の純粋研究、特にノーベル賞を得られるような(ある意味で)突飛な研究を続ける活動に占めている女性の比率。この比率が世界的に低い。だからではないか。とすれば、それは何故か。こうした面から語るべきではないか。

日本社会に根強い「女性観」がもたらしている事実ではない。また、研究活動のあり方を倫理的な観点から論評する目線にも(個人的には)反対である。

2016年10月8日土曜日

時代背景、トレンド・・・小説の予定外の効用

小説は特定の時代に書かれたものだから、作者が生きていた時代では常識であった考え方や時代背景などが、自然に書き込まれていることがある。

ずっと以前になるが学部ゼミで有島武郎の『生まれ出づる悩み』を読ませたことがある。主人公は、言うまでもなく、岩内で家族とともに漁師として生きていた木田金次郎青年であり、絵を捨てきれない木田青年と交流のあった有島がこの作品を発表したのは1918年のことであった。

1918年といえば14年から始まった欧州大戦(=第一次世界大戦)が終わった年であり、それまで未曽有の好景気にわいた日本に次第に不況の影が忍び寄ってきていた時期にあたる。そんな時代背景が有島の描いた岩内町の風景描写にもそこはかとなく漂っているのだ。


最近は岡本綺堂の『半七捕物長』に久方ぶりではまっていることは以前にも本ブログに投稿した。昨晩、光文社から出ている時代小説文庫版の第3巻に収められている「雪達磨」を読んでいると、≪文久元年の冬には、江戸に一度も雪が降らなかった。冬じゅうに少しも雪を見ないというのは、殆ど前代未聞の奇蹟であるかのように、江戸の人々が不思議がって云いはやしていると、その埋め合わせというのか、あくる年の文久二年の春には、正月の元旦から大雪がふり出して、三が日の間ふり通した結果は、八百八町を真っ白に埋めてしまった。故老の口碑によると、この雪は三尺も積もったと伝えられている・・・≫、こんな風な叙述があるのだ、な。

文久二年といえば1862年、・・・、まだまだ寒冷期であったろう。岡本綺堂は旧幕臣の息子として明治五年(1872年)に東京で生まれた人である。長じてからもまだ文久二年の大雪のことを記憶している人は周りに大勢いたはずだ。


以前、天保時代に制作された歌川広重の浮世絵「蒲原夜之雪」の豪雪は、江戸に暮らしていた広重のおそらく寒かった天保の実際の経験に基づきながら描いたものであったろうとの覚書をこのブログに残したこともある。

文久二年は1862年、かと思えば銚子の沖合にある海鹿島には、明治時代になっても2、300頭のアシカが(まだ)棲息していたという。

明治時代は、少なくとも前半20年間は、いまと(また、前の時代に比べて)比べて非常に寒い時代であった。

よく「観測史上最高」という形容がされるが、東京気象台が気象電報を開始したのは1883(明治16)年。いま気象庁のホームページで日本の月平均気温の長期トレンドを図に描くと、日清戦争後の1898年からデータがそろっているようである。

いずれにしても、いま言われている気温の長期トレンドとは、最近において最も寒かった時代の気温を開始時点にしてトレンドをみていることになる。

ミス・ジャッジメントにならないか。ちょうど、前回の景気の谷を開始時点として販売の回復をみているようなものだ。そういう面があるのではないだろうか、と。一寸、気になったので覚書にしておいた。



2016年10月4日火曜日

反・「役に立つ」の名言

ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典博士は、科学が「役に立つ」という見方が日本の社会をダメにしている、と。本日の道新朝刊のコラム記事にそんな紹介があった。

2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士は「セレンディピティ」という言葉を愛用したそうだ。セレンディピティ・・・「偶然による予定外の発見」である。

つまり、計画された実験なり、観察は、それ自体としては目的を達成せず、失敗であったことを意味する。よくいえば試行錯誤、悪く言えば偶然のたまもの。それが「発見」である。そう言えるだろう。

その伝でいえば、科学的発見とは求めて得られるものではなく、そもそもそれ自体として成功がある程度見通されている、失敗の可能性がほとんどないような研究をしていては、高い確率で計画がうまく行くが故に「発見」もまた無し。こういうロジックになる。

「発見」とは、というより一般に「イノベーション」とはといってもよいが、研究それ自体としては結果の見通しが立っていない、そんな研究から高い確率で偶然生まれてくるものである。う~ん、きわめてロジカルだ。

だから、「役に立つ」ことを求めていては社会はダメになる。この結論が出てくるわけだ。「役に立て」とは、意味のないことはするな、という意味が含まれている。さらにいえば、危ないことはするな。そんな要請がこめられることも多い。

「役に立て」と言うがあまり、「役に立たない」ことばかりを皆がするようになる・・・逆説ではあるが、現実の本質をついているかもしれない。


◆ ◆ ◆


大隅博士の名言は、単なるコメントではなく、科学的進歩とは何かという本質をわきまえた極めてロジカルな指摘である。反論するのは難しい。

もちろん、一定の時間と費用をかければ、必ず一定の成果が得られるような研究や調査もある。こちらは、「役に立つ」ことが求められている活動である。そんな種類の研究調査が必要なことも当たり前である。

いまどのような商品・サービスが求められているか?この疑問に答えるには、一定の調査費用をかければよい。そうすれば、必ずわかることなのだ。故に、役に立たないマーケット・リサーチは存在意義がない。これもロジカルな結論である。


2016年10月1日土曜日

配偶者控除・・・迷走しているような

昨日投稿の後、本日付で標記のテーマについて報道があり、政府は「配偶者控除撤廃+夫婦控除導入」の提案は見送り、配偶者控除を拡大するという方向が出てきたとのこと。

うちのカミサンなどは、配偶者控除の上限を引き上げるなら、それが一番いいんじゃないのと話している。多分、近所の奥様連と情報交換する中で、現在の配偶者控除という税制がどう受け取られているか、ある程度の感覚が形成されているのだろう。

この辺に大多数の意識はあるのだと思われる。

ただ、103万円を150万円まで上げる位でいいのか・・・。『非正規でフルに働いても170万円とか、200万円までいかないし、嬉しんじゃないかなあ』。そんなことを言っているから、井戸端会議も結構「データのエビデンス」に裏付けられ、それなりの水準の話しになっているようだ。

ただ、フルに働きやすくするというのは、子育て支援としては落第の政策だと(個人的には)思っている。これは最近何度か投稿したとおりだ。