2016年10月4日火曜日

反・「役に立つ」の名言

ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典博士は、科学が「役に立つ」という見方が日本の社会をダメにしている、と。本日の道新朝刊のコラム記事にそんな紹介があった。

2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士は「セレンディピティ」という言葉を愛用したそうだ。セレンディピティ・・・「偶然による予定外の発見」である。

つまり、計画された実験なり、観察は、それ自体としては目的を達成せず、失敗であったことを意味する。よくいえば試行錯誤、悪く言えば偶然のたまもの。それが「発見」である。そう言えるだろう。

その伝でいえば、科学的発見とは求めて得られるものではなく、そもそもそれ自体として成功がある程度見通されている、失敗の可能性がほとんどないような研究をしていては、高い確率で計画がうまく行くが故に「発見」もまた無し。こういうロジックになる。

「発見」とは、というより一般に「イノベーション」とはといってもよいが、研究それ自体としては結果の見通しが立っていない、そんな研究から高い確率で偶然生まれてくるものである。う~ん、きわめてロジカルだ。

だから、「役に立つ」ことを求めていては社会はダメになる。この結論が出てくるわけだ。「役に立て」とは、意味のないことはするな、という意味が含まれている。さらにいえば、危ないことはするな。そんな要請がこめられることも多い。

「役に立て」と言うがあまり、「役に立たない」ことばかりを皆がするようになる・・・逆説ではあるが、現実の本質をついているかもしれない。


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大隅博士の名言は、単なるコメントではなく、科学的進歩とは何かという本質をわきまえた極めてロジカルな指摘である。反論するのは難しい。

もちろん、一定の時間と費用をかければ、必ず一定の成果が得られるような研究や調査もある。こちらは、「役に立つ」ことが求められている活動である。そんな種類の研究調査が必要なことも当たり前である。

いまどのような商品・サービスが求められているか?この疑問に答えるには、一定の調査費用をかければよい。そうすれば、必ずわかることなのだ。故に、役に立たないマーケット・リサーチは存在意義がない。これもロジカルな結論である。


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