2016年12月28日水曜日

父に対して子は何をやりとげたと言えるのか?

歳末である。また一年がたったが、比較的に短命で亡くなった両親は齢をとらない。時間を超越している。

父が亡くなってからもう37年余が経過した。父は息子が北海道で暮らしていることを知らない。母も知らない。

思い返してみると、父は「自宅」、というか「持家」という方が正確か、そういう自分が建てた家には生涯住んだことがなかった。ずっと社宅住まいであった。父の実家は、ずっと祖父の持家であり、父が亡くなったときもそうであった。父の弟である叔父たちは全員結構早く家を持ったが。やはり、落語ではないが『寿限無、寿限無、ごこうのすりきれ、しゅうりんがんのぐうりんだい、食う寝るところに住むところ・・・」だねえ。家は持っておいた方が安心だ。小生は、父ほどの才能にも、勤勉さにも恵まれず、根性に至ればまったく足元にも及ばないのだが、それでも今年の春、住宅ローンを完済したから、いま暮らしているマンションは小生個人の財産になった。

といっても、恥ずかしき限りである。

小生がずっと昔に小役人に採用された時、たまたま大臣秘書官をやっていて、資料を頻繁に手渡したS.N.先輩は次官にまで栄達したのだが、先ごろ奥様からハガキが届き、亡くなられたとのこと。縦の社会を横に移動して、北海道に移住したものだから、旧知の人と覚えず疎遠になった。こんな風に突然の訃報が届き、驚くのは何度目だろう。

いま驚くと書いたが、若いころは誰かが亡くなったと聞けば、文字通りエッと驚き、葬儀に駆け付けたものだが、そんな心境といまの心境は明らかに違っている。

散る落ち葉 残る紅葉と 別れけり

人生の少し先を歩いている人が曲がり角を曲がって、急に姿が見えなくなったのと似ている。ただそれだけのことのように感じる。

こんなことを考えるようになったいま、父には何をやったと話をすることができるだろう。

逝きてのち 三十七年 家一軒 
        我に残るや 父逝きてのち 


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