2017年5月31日水曜日

「流行」に30年遅れでついていくのはアリなのか

今年の終盤国会は、相変わらず加計学園(と、出来れば森友も?)騒動と前文科次官の暴露戦術にかかりっきりという状況に近い。

対北朝鮮外交を問い直すことはせず、統合幕僚長による憲法への自衛隊明記は有難いとの発言の政治性を検証することもせず、米国抜きのTPP維持路線が日本の国益につながるのかどうかも全くとりあげない。

ゴシップ戦略を採用したからといえば仕方がないのだが、与党も与党、野党も野党。内閣支持率が下がるのとシンクロして、民進党支持率も下がるのは、ごく自然な結果である。というか、民主党を政権に押し上げたリベラルな保守層は既に同党を見限り、もはや残された支持層は社民党や共産党を支持してきた階層と重なりつつある。逃げた支持層の一部は自民党支持のリベラル層を分厚くしつつある。ポスト安倍の自民党は少なからず変化するだろう。民進党の歴史的役割はもう終わったかもしれない。政党としての運命は、そろそろ極まりつつあると言えそうだ。

こんな事情もあるので、スキャンダルをいくら暴露しても、与党の支持基盤が対立勢力に侵食されるという社会的メカニズムが働かなくなりつつある。日本では小選挙区制が二大政党をもたらすことはなかった。こんなところだろうなあ。

下らないので、仕事か本のことを作業日誌として書いておく。

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村上春樹の本を最近になって初めて何冊か手にとった。デビュー後、40年遅れでやっと偏屈な小生も世の中に追いついてきたか・・・。

書店の棚で『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を見つけて、こんなものも書くのかと買って読んでみた。「ああ、こんな文章を書くのか」と快い印象を受けた。これを知らなんだら、読もうという気にはまだなっていなかったろう。

『東京奇譚集』で「ああ、ムラカミとはこんな世界なのか」と見直した。

少し長いものを読んでみようとチャンドラーの新訳『大いなる眠り』を読んでみると、息切れすることなく、一貫した流れが作られていた。

で、最新作の『騎士団長殺し』を読み終えようとしているところだ。小説として最上の味わいだと思う。他の作品との比較をするには知識が不十分だが。

随分以前になるが入ゼミ面接のとき、志願者に何か好きな本はあるかと聞いたところ、村上春樹が好きだと答えた学生がいて、『ノルウェイの森』はなんども読んだというのを覚えている。森村誠一や赤川次郎ばりのミステリーではないのだろうがブレイク中の人気作家だろうと軽く聞き流したのは、結果として大きな損失だった。そういえば尾崎豊を初めて聴いたのも、当人が死んでから以後、それからは10年遅れの愛聴者になった。

やはり若い人たちのいうことには真剣に耳を傾ける方がよい。

ただ、ノーベル文学賞。どうだろうか。ま、こんなことは、本当のところ、どうでもよいのだろう。前にも投稿したことがあるが、新しい何ものかがそこに創られている、というか提案されているかどうか。選ぶ側はそんな価値観を持っているのではないかと書いたことがある。つまりロジカルにいうと、独創的であるかどうかだが、その点では安部公房の作品を読んだ時のショックには比べようもない(その安部公房もカフカが世に登場した時の衝撃には及ばないだろう)。安部公房の世界は面白いというより怖いものであり、それは世の中の怖さに対応するものでもあったと今は思う。ムラカミ的世界には、(いいにしろ、悪いにしろ)読者を楽しませる要素が多く含まれている。

いろいろあるが、確かに読まないでいたのは損だった。
この齢になって少し世界が広がった気がする。

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