2017年6月1日木曜日

「第三者委員会」は県外の人に頼むほうがいいとはねえ・・・

専門家の見解には時々「噴飯もの」、というか唖然とするようなものもある。

例によって朝のワイドショーを視ながら食事をとっていると、話題の一つに「いじめ事件」があった。卒業を間近にした中学生がクラスメートのイジメに耐えかねて命を絶ったという悲しい話である。

話の根幹は地元の教育委員会のお粗末な対応ぶりと、本省から指導(電話であろう)があった翌日に「イジメなし」の結論をひっくり返し、「イジメは確かにあった」と。何ですかこれは、というのでニュースにまでなったのだろう。

外部専門家による「第三者委員会」が機能していない実態があるというので、某専門家の意見が紹介されていた。

曰く

(第三者というのであれば)県外の人に依頼する方が適切だと思われる

なるほどねえ〜、では千葉県ならばいかがでしょう。う〜む、千葉は近すぎるな。純粋の県外人とは言えぬかもしれぬ。では、神奈川県なら・・・、いや関東地方はやめておこう。いっそ関西の方にお願いしましょうか?

こんな話をカミさんとしたところだ。

依頼される西日本在住の専門家がいるとして、そんな遠いところに時間をとっていかなければならないのか、と。使命感を奮い立たせるには努力を要するだろう。なぜ地元の人で解決できないのか。「出来ないんですよね」という証拠は?そんな証拠がもしあるとして、『そんな複雑な人間関係があるとすれば、ちょっと縁のない私には難しいですねえ』、・・・堂々巡りの話しだ。こんな状態を「小田原評定」という。


制度とは器である。器の使い方がわからなければ、あってもしようのないものだろう。

組織とは、品質管理の4Mになぞらえれば、Man=Machine=Method=Materialのうちの「やり方=Method」と「ツール=Machine」、「素材=Material」を映し出す。教育委員会という組織を外から眺めていると、「やり方」や「ツール」、「素材」に弱点が(すでに)あるのかもしれないが、本質的には「ヒト=Man」が原因だろう。

失敗の原因は、しばしばヒューマン・ファクターにある。いくら技術革新を進めても、人がタッチする限り絶対になくならない失敗。そんな失敗もある。昔の倫理、儒学は、ヒューマン・ファクターによる失敗を繰り返さないための学問だと思っている。何の価値もないわけではなかった。

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