2017年6月6日火曜日

自分のための年表をつくっている

このブログを遡ってみていくと、政治的な話題が結構数多く登場している。

世間の井戸端会議では、まずは近隣の人の噂、次にオカミの批判、さらにあげれば遊びと食い物。大体はこのくらいで何時間はすぎるものだ。

ただ、政治的なことが自分で好きなわけでもない。小生、小役人をやっていた末期の頃、具体的には1988年から大震災のあった2011年までずっと日記をつけていた ー それ以前の記録もあるのだが、ワープロ専用機のファイル形式でフロッピーディスクに保存されていて今も読めるのかどうか不明だ。ちょうど二人の愚息が幼児期から大学を卒業して独立するまでの、長いようで実はそれほど長くもなかった時間に重なり合っている。その日記に書いていることは、とても細々とした事ばかりだ。その日の食事や寝た時間、家族で外出した行き先と、そこでどんな事があったのか。そんな事ばかりを飽きもせずに書いている。仕事でやっていた細かな作業も書いている。今では使わないPC上の小道具をインストールした、そんなことも記録している。政治的な事柄を書いているこのブログ(WEB LOG ≒ 作業日誌)よりも、その頃に書き続けていたチャンとした「日記」の方がよほど作業日誌的である。その頃、そんな細かい事がなぜ大事であったのか、今となっては思い出せない事が多い。

このブログは、多分、自分のための年表を作っておきたいのだろうなあ、と。そう思う。

考えてみれば、江戸幕府が出来た西暦1603年にも小生の先祖は、多分、いまも親戚が暮らしている四国松山の近くで、まあ海賊か、でなければ少し内陸に入った辺りで地道な百姓でもやっていたのだろう。源頼朝が征夷大将軍になった1192年にも、やはり四国で、そうでなければどこかの土地で暮らしていたわけだ。

徳川家康や源頼朝がどんな地位に就こうと、どんな権力を得ようと、特に何という関係もなかったはずだ ー いや、・・・少しは面倒な事態に巻き込まれたのかもしれないが、特に言い伝えもないということは、忘却しても良かった細かい事だったのだろう。どんな細かい事がその時はあったにせよ、社会の大きな流れは、たとえ最高権力者であっても変えようはなく、出来ることは周囲から支持されるかされないか、その意味では一人一人の人間のやっていることは誰でも同じである。

どの時代のどの先祖であっても、食事をして、何か食っていけることをやっていたには違いがないとすれば、いま生きている小生と大体は同じように日を過ごしていたわけだ。とすれば、後になって何か作業日誌的なものを読み返すとすれば、その頃はどんな時代であったか、どんな出来事が世を騒がせたのか。知りたいのはそんなことだと思う。だから年表を目で追うような、その年の十大ニュースを思い出すような記述の方がずっと役に立ちそうなのだ、な。

この辺が何となくわかってきたので、直接的な当事者ではないが、政治的なことを書き続けている。空気が乾燥していると、火事が増える。大火になるかもしれない。大火が起きれば大きな事件になる。自分には関係ないが、大きな事件になったそんな事を書く。書けば大火そのことに加えて、その前後の世の中がザックリと思い浮かんでくる。空気が乾燥していて、風が吹き荒れていた季節が実感としてよみがえる。そんな風な、ちょうど自分のための「年表」をつくりたい。そんな感覚で、このブログには結構政治的なことが書かれている。そう思っている。

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