2017年9月23日土曜日

衆議院解散の大義名分はあるのかって?

にわかな解散風で本当に政治というのは一寸先は闇であると思いを新たにする。

日経にこんな解説がされている。

 ただ調査は野党の候補者一本化を前提としない数字だ。野党共闘が奏功すれば自民党の議席はさらに減る。逆に野党がしくじれば自民大勝の芽もないわけではない。「危険な賭けだ」と漏らす首相側近もいる。消費増税の使途見直しや憲法改正、北朝鮮への対応などが争点になる気配だ。

(出所)日本経済新聞、2017年9月23日

ただこれだけ大義名分を並べても反政権派マスメディアは解散の大義名分として説得力にかけるというだろう。

現政権は率直に語ってはどうだろうか。

臨時国会でも野党は再び森友事件、加計学園問題を追求する構えだと伝えられている。しかし、北朝鮮をとりまく国際環境は年末にかけて更に一層緊迫の度を増すという外交当局の予想である。

アメリカの方針、現行憲法の制約の中でどこまで日本が行動できるか等々、困難な政治が予想される。そんな中、予算委員会その他で(小生の目にはどうでもよいとしか思われないが)国会がテレビ中継される中、延々と森友・加計学園問題で首相以下の閣僚が出席を求められる事態は、日本の「国家」というものを考えれば、やはり大きな問題で、大げさにいえば戦後日本式・議会制民主主義の負の側面であると、思ってしまうのだ、な。

行政府の問題は会計検査院や検察庁など非政治的・中立的機関が設けられているのであるから、公的機関による検証を国会も信頼し、議会が本来果たすべき仕事にとりくむべきだろう。

実際、民進党は蓮舫代表が春先からの与党追求、内閣の支持率低下にもかかわらず辞任を余儀なくされ、離党者が相次ぎ党自体が崩壊寸前の危機に陥り、前原新代表への期待も薄いと伝えられている。戦術が成功しているならこうはなっていないはずだ。マスメディアが反政権闘争を展開し、内閣支持率を低下させても、それでもなお新しい政治への期待はさっぱり高まってはいないのだ。野党のとった戦術が広く国民に支持されるどころか、ある面では辟易とした感情を形成してきたという歴然たる事実がここにある。

春先以降のこれら全ての情勢を含め、<内閣の信任を問う>解散と選挙であると率直に語れば、それで十分ではないだろうか。

・・・こう述べると、『結局は、森友事件・加計学園問題の国会審議から逃げるのをよしとするのか』という指摘になってくるだろう。こういう見方は決して否定できないのだな。つまるところ、モリカケ事件を<些事を問題視した次元の低い政争>と見るか、それとも<現政権の腐敗>をそこに見て国会が行政府を問い詰めるべき大問題と解釈するのか。この二択である。こんな結論になるのではないか。

小生は(どちらかといえば)前者に近く、なので現政権の右翼的思想には拒絶感をときに感じるものの、同程度の辟易さは春先以来の民進党にも感じているので、この辺りで内閣の信任投票を国民に提案するやり方もあってよいと思っている。

信任が確認されたという状況になれば、集団的自衛権を認めた現・安保法制の運用にも自信が得られ、マスメディア攻勢や違憲訴訟の殺到にもメゲず堂々と反撃する、そんな覚悟もできる。こんな風な期待も(ひょっとすると)あるのかもしれない。もちろん「とらぬ狸の皮算用」という可能性もあるわけで、自民党の予想外の敗北、首相退陣という信じられない展開も絶対にないわけではない。「一寸先は闇」なのである。

というわけであり、激しく変化する時代、危機の時代には、前例のない解散の仕方があってもそれこそが歴史の進展であると思うわけで、前例が少なく好ましくないと言うそれ自体を問題視して学問的論議を重ねても神学論争に落ちていくだけである。社会を対象にする学問は現実の中から新たな概念を抽き出し理論を発展させ自己革新していくしか進む道はない ー 学界のバックアップがないことは現政権のウィークポイントには違いないが。

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