2017年9月7日木曜日

仕事のモラル、男女のモラルとも前近代的ですぜ

民進党の山尾議員が同党・幹事長につく見込みであると報道されたところ、結局は別の人になり、新代表早々の座礁とかアレコレ言われ、これいかにと思っているとやはり出てきました・・・W不倫。今度はにわかに離党か、議員辞職か、そんな話になってきた。このパターン、最近年になって非常に多いのだな。

フランスでは前のオ大統領が事実婚だったかどうか忘れたが「現夫人」と離婚して、「新夫人」を迎え入れたことがある。イタリアのベ首相は、不倫も汚職(疑惑?)もくぐりぬけてきた猛者だが、イタリアの首相該当職である閣僚評議会議長を合計9年間も勤めてきたときく。

私は彼女を愛している。彼女も私を愛している。妻には申し訳ないが、愛のない結婚生活をこれからも続けることが社会人の責任だと君たちは言うのか?妻も私との結婚生活にピリオドを打つことを受け入れてくれた。もちろん、生涯を通して妻への感謝の気持ちは変わらない。生活の保障もするつもりだ。愛は移ろい行くが、感謝の気持ちに変わりはない。

こんなキザなことを言ったかどうかは分からないが、公人・政治家とはつまり職業人、男女の愛とは私生活。この区別をどの程度の厳しさで社会が設け、一人一人が意識するかは、その国ごとの文明の度合い、というか価値観によるのだろう。

ただし、日本の場合、これ以前の問題があるかも。

小生が中学生だった頃に使われていた「不純異性交遊」という非日常的単語。最初は言葉の意味が分からなかった。男子と女子は言葉を交わしてはいけないのかとさえ思ったものだ。そうではないのだが。議会は上意下達で仕事をする場所ではなく、議員一人一人を大事にしてくれるという意味では、学校社会に似ているところがあるのかも。

まあ、今となっては<お笑い用語>だと思っていたのが、最近マスコミのゴシップを聞くにつけ、よく思い出してしまうのが「不純異性交遊」という言葉だ。「不倫」というのは渡辺淳一的な一途の愛を言うのじゃないの?ちょっと事実認識において、ピンと来ないことが多いのだな。仕事仲間なら二人で食事をすることもあるし、ホテルでおしゃべりをしたくなることもあるだろう。男同士、女同士、男女二人であっても、だ。それが疑わしいってんなら、女性が輝く社会などと大層なことを話すんじゃない。そう言いたくなりますぜ。

◇ ◇ ◇

それにしても、仕事の場に自然に醸し出されてくる男女の間の信頼感と、この信頼感がそのまま私生活を侵略しているのではないかと疑う周囲の視線。

疑うのはモラルに立脚して疑うわけだが、社会の実態が変わればモラルも進化した方がよい。そう思うのは小生だけだろうか。

その昔、ナポレオン戦争の頃、制海権を有していた英国は敵国オランダの国旗が日本の出島にまだ翻っていることを知った。そこで英海軍のフリゲート艦・フェートン号が長崎港に侵入しオランダ商館員を拉致した。幕府・長崎奉行所は大騒ぎになり、フェートン号を焼き討ちしようとの計画を進めたのだが、同艦は商館員を解放し、そのまま姿を消した。長崎奉行・松平康英は『世を騒がせしこと、誠に申し訳ござらぬ』と遺書をしたため、腹を切った。

文化5年8月15日(1808年10月4日)のことである。

フェートン号事件は、長崎奉行とはまったく関係のないことで、責任はゼロである。被害もない。にも関わらず、切腹をして幕府に(世間に)詫びる決意をした。それがまた悲劇と受け取られる風でもなく、その後の日本の異国船打払令へと日本の歴史は進んでいった。その意味では幕末の攘夷運動の契機をなした事件である。

まあ、いいんだけどね、という奴でもある。

この歴史、小生はよく「なんと言うことか」と感じていて、<世間と自己>をどう考えるかと言う日本的モラルの象徴のようにも思われてきたのだ。世間が個人に押し付けるこのモラルが、実は陰に陽に日本人を不幸にしている。その第一の原因である。そう思うことが多いのだ、な。

「モラル」とは世間が決めるものではない。もし世間が正邪善悪を決めるなら、『己信じて直ければ敵百万人ありとても我行かん(日蓮)』という名文句が出てくるはずがない。

「モラル」、いや「世間」と呼ぼう、ここにも進化が必要だと感じることは多い。仕事にも、家族にも、男女にも、だ。

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