2018年1月23日火曜日

研究とリスク

ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が所長を勤めている京都大学・iPS細胞研究所で論文不正事件が発生した。

聞くと、この3月に雇用期間が切れる若手助教が単独でしたデータ改竄であるという。有期雇用が研究者に与えるプレッシャーや不安が新聞等ではとりあげられている。

山中教授については以前にも本ブログでも投稿したことがある。中にこんな下りがある。
「真っ白なところに何を描いてもいい」はずの基礎研究に「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した」 ことが、文字通り、時代を切り開く研究のきっかけであったとしたら、これは趣味だとかたづけられる計画ではなく、真の科学的挑戦だ。そんな判断をした資金提供者の眼力もまた賞賛に値するに違いない。
日本の学界組織全体から支援を受けて研究大成への歩みを始めることができたことを山中教授が振り返っている点に好感をもつことができた。そんな趣旨のことを前の投稿には書いている。

もしそうならば、いま若手助教が研究者としての雇用不安に耐えられずに論文不正を行ってしまったことに若い時と逆の立場にある山中教授が痛切な悔恨の念を感じていることは非常によく理解できる。

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前にも書いているようにアカデミックな(特に最先端の応用科学部門の)研究者はベンチャー起業家と同じである。個々人が成功に至る確率は、研究テーマごとに測ってみると、10%にもならないだろう。

(教育とは切り離された)純粋の研究所は、だから多数の多分野の多彩な研究者を抱える。個々人の研究者も単線的な実験計画、研究計画では失敗のリスクが大きいので、何らかの方法でリスクをヘッジしようとするものだ。

その時の雇用形態が問題になっている。

全ての研究者を(2年では短すぎるのでまずは)3年(?)乃至5年程度の有期雇用にしなければ組織全体でリスクをカバーできないわけではあるまい。

3年でまとまらなければ別の機関に移籍して同じ研究を継続できる研究環境があれば「短期有期研究員」でも支障はないだろう ー それでも実験を主とする科学分野では現実的には移籍は難しいかもしれず、さらに移籍のためのコスト(=備品設備の移転など)、データの所有権・利用権が個人に帰属するか等々、明確なルールが必要となる。

もし、移籍の際の不利益が非常に大きいなら、有期雇用制度は研究員にとって耐え難いかもしれない。得られた結果がいま一つで、任期延長が結果の成否にかかっており、延長がない場合の身の処し方について誰も相談相手がいない場合、データ改竄、図の修正などの論文不正への誘惑は誰の心にも兆しうるはずである。そんな不安をその人のモラル感覚だけを信頼して傍観するとすれば、研究機関のリスク管理としては拙劣だと思う。

軍団が敵軍と戦闘を行う場合の論理も同じだろう。個々の兵士の生死にはリスクがある。戦闘中に戦死する確率は高い場合で20%に達するだろう。戦闘は非常に危険であるのだ。個々のリスクを計算した上で、全体としてより速やかに敵軍が崩壊すれば戦闘には勝利したことになる。作戦は成功したわけであり、生き残った兵士は晴れやかに凱旋できる。しかし、戦死した兵士は戻らない。というより、勇敢にも戦死した兵士がいたからこそ、戦闘に勝利できたのだ。しかし、喜んで死ぬ兵士などいない。死のリスクを意識して、それでもなお死をおそれず戦うモチベーションが与えられていなければならない。動機があったからこそ個々の兵士は勇敢に戦い、少なからぬ兵士は戦死できるのだ。単なる「犠牲」ではない。「勇気アル者ガ最モ早ク負傷シ最モ多ク死ヌ」というのは、あらゆる職場において共通の真実だ。幸運な者と臆病者が生き延びるのだ。これが真相であるにせよ、そう思わせないことこそ組織マネージメントの本当の核心だ。

もし研究成果を出せなければ雇用が打ち切られ、在職中の結果も失敗の過程を記録した研究ノートも全てその機関に差し出すのであれば残るものは失敗の経験以外にはなにもない(そこまで酷くはないと思うが)。
討ち死にしたくはないんですよね。
それなら逃げなさい。
逃げたら処罰されるか追放されます。
それなら戦っている振りをしていなさい。 
限られた雇用期間のうちに必ず結果を得られるエクササイズ程度の研究テーマに取り組むのが最も賢明という理屈である。

こんな組織は勝てない。これだけは言える。

日本企業は莫大な金額の内部留保をつみあげ、この日進月歩の技術革新の時代にあって投資にカネをつぎこむのをためらっていると言われる。何にせよ投資はリスクだ。リスクを敢えて引き受けるのをためらうのは、現状に満足していることもあるが、挑戦する人間が失敗した場合、その後に継続する道が見えないからだ。失敗のコストが大きすぎれば、安全な収益率がいかに低くとも、甘んじて低収益で我慢するだろう。すでに十分成功しているなら猶更である。だからリスクは何にせよすべて避けるほうが合理的になる。

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いずれにしても人は合理的に行動したがるものだ。その合理的行動を全体にとって望ましい結果につなげていくには、適切なルールと制度をつくっておくことが不可欠だ。

まあ、総司令官は何人かが戦死したからといって辞めたりはしない。むしろ勝てば凱旋将軍となる。戦死率が敵軍より高くなった場合でも、目的を達成すれば勝利になる。社長もそうである。経営不安をもたらせば辞めるが、会社が成長すれば個々の失敗は成功のためのコストとなる。トップの責任のとり方はそれ自体が深い問題である。


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