2018年1月28日日曜日

「これは公(おおやけ)の問題です」のウソと裏

昨日は朝から夕方まで卒年次生による最終発表会があり、採点員を務めた。前週が第1回、昨日は第2回であり、このあとはもうない。

ずっと毎年、最終発表会があると採点員を担当し、決められた時間帯には司会もやってきたが、この春には退役するので最終発表会を担当することはなくなる。続けるのは自分がやってきた授業だけである。もうそろそろ"Old soldiers never die,  they just fade away"の道を歩いていく時機である。

高速バスで家路につき、迎えに来たカミさんの車に乗る。『栃ノ心、勝ったよ』。『知ってるヨ、スマホでネットを見ながら帰ったからネ』。

栃ノ心は春日野部屋の関取である。いま4年前の傷害事件を隠ぺいしたというので世間の逆風にさらされているのが春日野親方である。その親方が、栃ノ心が千秋楽をまたずに初優勝を遂げると、思わず涙を流して号泣し、それをみた八角理事長らももらい泣きしたと報道されている。

これは実に何とも極めて日本的な世界である。文字通り「ちょんまげの世界」の情景だ。

角界とは狭い世界なのだ。

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その狭い世界が、本音では相撲にそれほどの関心をもってはおらず、本場所にも巡業にも行ったことがない一般多数の世間の人たちに、毎日テレビが流す映像を通して露出され、(多くはネガティブな視点から)批評されている。

分野はまったく違うが、論文ねつ造事件が起きた京都大学・iPS細胞研究所も日本相撲協会の二の舞になるのではないかと危惧したが、こちらはどうやら「マスメディアの興味本位はあまりにひどい」という意見がネットにあふれ出たからなのか、炎上はしない見通しだ。

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相撲の方は、いま現時点も目の前のワイドショーでとりあげられている。大砂嵐関の無免許運転及び物損事件(?)の話である。いわば「角界不祥事ちゃんこ鍋」という塩梅で番組を構成している。「ま、僕たち、関係ないから」という割り切りが出来ているのだろうし、割り切ったうえで視聴者の関心が集まればビジネスとしてはOKである。そんなビジネスモデルなのだといえばその通りである。 ー そもそも小生の周囲にはマスメディア産業から給与を得ている人はいないので多少は悪意が混じっているかもしれない。

どこかで読んだが、春日野親方は激しい指導で知られていて、時にゴルフのアイアンで殴打することもあったようだ。この話し、このたび初優勝した栃ノ心がまだ若いころに普段着で外出し好きな酒を飲み、門限を破って部屋に帰ったのを親方が厳しく叱ったときの事であるらしい。まあ、力自慢で負けず嫌いの10代、20代の男たちが集団生活をしている。大体は大部屋にたむろしている。普通の学校のクラブ活動と同じ方式では統制できない。小生はそう思う。ゼミ生数名をまとめるにも苦労したダメダメ教官であったので、まとめるだけでも大変だというのは痛切に共感できるのだ、な。

どちらにしても春日野部屋には慶事であるに違いない。栃東以来46年ぶりという。小生の幼かった頃、まだ大鵬が登場する前、横綱・吉葉山が引退するのと入れ違いに春日野部屋の栃錦と花籠部屋の若乃花が一世を風靡するようになっていた(子供の目には朝潮太郎もいかにも強げに見えていたが)。小生は、激し過ぎてどことなく常軌を逸する雰囲気のあった若乃花よりは栃錦のほうが安心して見ていられて好きだった。ある意味で、小生の前頭葉には春日野部屋への好感がインプリントされている。この点は認めてもよい。

好きか、嫌いかというのは純粋に感情によるものなので、理屈を超えた事柄だ。その好きか、嫌いかという世界に、普段は関心をもっていない人たちが是非善悪の理屈っぽい話しをしてみても、事柄の本筋はいつもスルリと落ちてしまうものである。

◇ ◇ ◇

事柄の本質が抜けてしまっている、で思い出したことがある。

小生がもっとも不愉快なメディア表現が一つある:
・・・。私たちの税金が投入されているのですから! ですから、私たちの問題でもあるのです。
この言葉である。

だから相撲界の不祥事にも口を出す権利がある。相撲関係者だけの話ではない。京都大学だけの問題ではない。そんなことを主張したいとき、必ず上の表現が出てくる。

なるほど、日本相撲協会は公益法人であり、税制上の優遇措置が適用されている。京都大学は国立大学だ。とすれば、私たちの税金が投じられていると解釈しても無理筋ではないだろう。

しかし、そんなことをいえば放送業を認められている放送各社は国から保護されている。もしも放送市場が自由化されていれば、この30年間、新規参入が相次ぎ、放送各社の収益源であるCM料金は速やかに低下していたはずである。特に、インターネットが普及するまでは、自由化の効果は大きかったであろう。放送業界各社の高利益は、国民から利益機会を奪うことによって支えられていたのである。これは国民の税金が放送業界各社に投じられているのと同じことである。

というか同様のことは電力業界、ガス業界、はたまた鉄道、航空、タクシー業界にも、医療、保険、金融、農林水産業等々にも当てはまる。

消費者サイドからみても、年金受給者は国民の税金を直接的にもらっている。公務員と同じ立場だ。年金をもらっているからと言って、何かまずいことをしてしまった場合、『税金をもらっている以上、公人なのですから、プライバシーなどという資格はあるでしょうか!」とマスメディアに叫ばれては、これは文字通りの基本的人権の侵害に相当すると思う。

・・・実に、キリがないのである。

税金が投じられていない人々、組織がどこにあるだろう?
税金でまかなわれている公共サービスのお世話になっていない人々、企業、団体がどこにあるだろう?

◇ ◇ ◇

「私たちの税金が使われているのですから」といえば、いかにもその話題は「公(おおやけ)」の話題であると思いがちであるが、マスメディアがその話題をとりあげる理由は「公(おおやけ)」の問題であり、重要な問題であるからではなく、会社の私的利益追求が主な動機であるという指摘を否定できるだろうか。本当は私的利益追求が真の動機であることを「隠ぺい」しながら、メディア事業を継続しているのではないか?

だとすると、どの組織、企業、団体にせよ「事実を隠ぺいしている」と非難する資格はマスメディア産業のどの企業にもないであろう。小生は、そう思っているので、上の表現には怒りを感じることが多いのだ、な。

どちらにしても日本相撲協会の仕事に従事していない人は、外部の人であり、その事務執行には権利がなく、意思決定には参画できない。シンプルこの上ない事実がここにある。外から影響力を行使したいのであれば、ちゃんとファンになって本場所や巡業に足を運ぶことだろう。単に「税金をおさめている」というだけでは、利害関係者である資格もないし、発言をしてもスルーされるだけであろう。




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