2018年1月26日金曜日

一言メモ: 学問とは魔法使いの呪文なのか?

大変面白い「論争」が進行中のようである。

曰く「自衛隊は軍隊なのか、そうでないのか?」。極めてシンプルな問いかけだと思うのだが、これが実は大変難しい論争を引き起こすに足る大問題であると「法律専門家」には見えるらしいのだ、な。

一方の意見(一部省略して引用):
戦争放棄と戦力不保持を国是とする現在の憲法の下でも「軍隊」の存在が認められる、という理屈は、憲法の明文の規定を読む限りどこからも出てこない。
国際政治学というのは、簡単に法の文理解釈を乗り越えてしまう学問なのか、と驚いてしまう。
自衛隊は国際法上は「軍隊」だ、自衛隊は国際的には「軍隊」として扱われている、などと仰っても、自衛隊が諸外国の軍隊と同じようなことをしているか、と言えば、そんなことはない。
(中略) 
学者が何と言っても自衛隊は軍隊だ、などと篠田氏は仰るが、篠田氏が何と言っても自衛隊は自衛隊であって、軍隊ではない。
まあ、篠田氏は憲法学者の議論が観念的過ぎるとうことから、あえて世論を惹起するために自衛隊は学者が何と言っても軍隊だ(もっとも、「学者が何と言っても」という文言は、ブロゴスの編集者の方で付けられた付加文言。念のため。)、などという一見乱暴な議論を展開されれうのだろうが、この種の議論は目下の憲法改正論議にとって何のプラスにもならないだろうと思うから、あえて異論を申し上げておく。

(URL)http://agora-web.jp/archives/2030718.html

元々は、以下の意見に対する異論である。
自衛権は国際法上の概念であり、日本国憲法上の概念ではない。国際人道法(武力紛争法)は国際法の一部であり、日本国憲法の一部ではない。武力行使を規制しているのは国際法であり、日本国憲法は後付けでそれを追認したにすぎない。憲法学者が「すべて憲法学者に仕切らせろ」といった類のことを主張している日本の現状が、異常である。
自衛隊はどこからどう見ても軍隊である。イデオロギー的なロマン主義を介在させなければ、極めて自然にそう言えるはずだ。
(URL) http://agora-web.jp/archives/2030702.html

一方は「自衛隊は軍隊である」と言い、他方は「いや、自衛隊は軍隊ではない」と言っているのだから、意見は真っ向から対立している。

どちらが正しいかを決めうる問題であるとすれば、いずれかの方は間違っているということになる。

どちらかが「間違っている」のだろうか?

***

小生は法律には素人だ。経済学と統計分析でメシを食ってきた。

だからと言っては何なのだが、遠慮がちに口をはさむとすれば、「ものも言いよう」という、それだけの事ではないのかな、と。

黒いガウンをまとった魔法使いが唱える呪文のようにも聞こえる。


ここに包丁をもって通りを歩いている男がいるとする。

町の人は、知らない男が包丁をもって歩いているのを怖がり警察に連絡するだろう。


駆けつけたお巡りさんがその不審者を尋問する。これに対して、その男は
誤解ですよ。誰かに斬りつけようとか、そんなのじゃありません。単なる包丁じゃないですか。調理器具ですよ。家に戻って魚をおろすんです。それだけです。迷惑ですねえ、犯罪者扱いされるなんて!
そう答える。

確かに、包丁は「武器」ではない。調理器具だ。しかし、殺意をもつ人間が包丁をもてば、殺傷のための手段、つまり武器になる。当人にそんなつもりはなくとも、無頼漢に囲まれれば包丁を使って自衛するかもしれない。

包丁に対して、ミサイルや戦闘機、ヘリ空母は、純然たる武器である。自衛隊は武器をどう使うつもりなのか?

***

確かに日本人は「自衛隊」を軍隊であるとは考えていない(というのが最大公約数的見方だろう)。自衛隊が軍隊として活動しているわけでもない(といまも言えるかもしれない)。そもそも日本国憲法第9条では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記してある。「陸海空軍」は持たないと決めている以上、現に持っている自衛隊は軍ではない。でなければ、自衛隊は違憲となる(事実、そう考えている法律専門家もいる)。

ただ、憲法には「陸海空軍その他の戦力」を含め保持しないと書いてある。自衛隊は「その他の戦力」にも該当しないということになる。戦力には該当しない組織が、ミサイルや戦闘機、イージス艦、ヘリ空母、潜水艦等々を持つというのは不思議ではないか?「武器をもっていても使うつもりはない」ということなのだろうか。だとすると、これ以上の浪費はないではないか。やはり使うつもりでミサイルを持っているに違いない。こちらからは使わない。そういうことである。

しかしねえ・・・包丁を抜き身で持って町を歩けますか?誰も何ともいいませんか?

結局は、上の論争は戦後ずっと継続してきた論争の焼き直しである。

現在進行中の論争を目にして、思わず小生はニヤニヤとしてしまった。

***

包丁を抜き身でもって歩いても町の人は怖がるであろう。それは武器になりうるからだ。まして、ミサイルや軍艦は最初から武器である。それともミサイルは武器ではないと定義する認識論はありえますか?

もしミサイルは武器にあらずという認識論がありうるなら北朝鮮は大喜びだ。

「ものも言いよう」である。

現に包丁を持って歩いている男がいるなら、もって歩いている当人が何を考えているかよりは、一般世間の多数の人が包丁をどう見るか、包丁をもって歩いている人をどう見るか。これが大事だ。どう見るかがアクションを決める。

同じように、ミサイルや軍艦をもっている武装集団は世界全般、他の国々はその組織をどう認識し、どのような言葉でその存在を呼ぶか。真に重要な論点はこの点だけではないだろうか。どう認識するかで世界の他の国々はアクションを決める。

その認識を、何語で表現しても、実態は同じである。実態が同じであれば、周囲のアクションも同じになるはずだ。

結局「ものも言いよう」。同じ実態を二つの言葉で表現するのは、どちらも間違いではないが、学者の誠実さとは縁遠い。

ただ補足するとすれば、いまのところ中国も日本は平和憲法に束縛されており、自衛隊は(普通にいう)軍隊とは異なる。色々なメディアを読む限りはそう見ているようだ。とすれば、(少なくとも現時点では)自衛隊は軍隊ではないということかもしれない。しかし、軍隊であるための武器を保持している事実は否定できまい。訓練を経た実力集団である。

ロジックの建てようによっては軍隊ではないだろうが、実態としては軍隊と同じである。実態が同じなら、軍隊と呼ぶのが学者として誠実ではないか。もちろん、その瞬間、憲法改正の必要を指摘するか、自衛隊の解体を主張するか、いずれか一つを選ばなければならないが、どちらにしても学者冥利につきる大仕事ではないか。

事故を起こして運転するのはやめて住居として使っているミニバンは「もう自動車ではない、これは家です」と、そう言ってもよいが、存在としては自動車であることに変わりはあるまい。同じことである。それとも『もう私は運転免許を持っていないので、これが自動車であるはずがありません(笑)』と、・・・イヤマア、これは出来のいいジョークになった。

ホント、「ものも言いよう」だ。


0 件のコメント: