2018年1月16日火曜日

一言メモ: TVワイドショーへのいつもながらの苦情

TVのワイドショーというのは、(先日も使った表現だが)『ほんと、日本というのはトンデモナイ国だよなあ』という韓国の人たちの反日とすごく似ていて、『ほんと、今どきのワイドショーっていうのは、とんでもない番組だよなあ』と、そう口にすると大体の人と感覚を共有できる。そんな時代である。

韓国と北朝鮮が平昌五輪開催を前に雪解けブームである。ワイドショーも例によって、視聴率のあがる世間的話題に集中する癖があるので、これをとりあげている。

気になった下り:

それにしてもですよ、これまで喧嘩をしてきた隣の国が、急に笑顔になって、やあやあと。 
いや、韓国は本音では北朝鮮とネ、同じ民族ですから、仲良くやりたい。そんな思いがあるわけですよ。 
へえ~~~っ!でもね、国際社会の動きとは逆ですよね。北朝鮮ですよ。 
それでもネ、相手が笑顔で家から出てくれば、こちらもニコニコとネ。根は同じ民族なんですから。 
へえ~~~!
何が「へえ~~~っ」ですかね。

分断国家の悲哀は決して体感的に共有できるものではないが、第2次大戦敗戦を機に、もし東京以北の日本本土と、中部地方以西の日本が分断され、主義も歴史も違ってしまって、再統一までの道筋もおぼつかない。そんな想像をすれば、やはり独特の悲しさや無力感は想像できるのではないか。もしそうなっていれば、いまの北方領土どころではないだろう。アメリカもロシアも中国も、(そしておそらく日本もそうに違いないが)、朝鮮半島の分断の継続を本心では(なぜか)望んでいる ー 決して口には出さないが。そういう韓国と北朝鮮が、たまに巡ってくるオリンピックを口実に、つかの間の平和攻勢を演出するとしても、『あからさまに五輪を政治利用するなど本当にいいんでしょうか?』と目くじらをたてることもないのではないか。もともと古代ギリシア世界のオリンピアはそんなものだったのだ。一時休戦をして、オリンピックの後はまた戦火を交えていたのだ。それを『スポーツの祭典と政治をごっちゃ混ぜにして」などというのは、実に「ケツの穴の小さい」、料簡の狭い言い草であると感じる。

朝鮮半島の現状には、日本も相当の責任があるだろう。確かに朝鮮戦争そのものには交戦国としては参加していないが、アジアにおいて戦後もずっと活動してきた米軍の後方支援基地は何を隠そうこの日本であったことを思えば、「我が国はずっと平和国家で来たわけですから」などとはヨク言ウワ。まったくの偽善。偽善も偽善のコンコンチキである。加えて、1910年から45年までの歴史問題もあるからややこしい。朝鮮半島の現状に(直接的責任は小さいとはいえ)日本は濃厚に関係している事実にかわりはない。

それを『へえ~~~っ』とはねえ、高校の社会科をもう一度勉強した方がいいのじゃないか。そう感じた次第。

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