2018年2月1日木曜日

適法だったかもしれないが間違った法律だった、とな!?

昨晩は、現役最後の授業をいつもよりは早めに終えて帰途についた。宅に入るとき、ふと空を見上げると三日月、いや赤味がかった満月が煌々と輝いている・・・「あれっ、今日は月食なの?」と、カミさんにそう尋ねると「そうそう、言ってた、言ってた、あれ月食だよ」というので、二人でしばらく眺めていた。

部屋に戻ってから調べてみると、昨晩の皆既月食は月が地球に近づいて大きく見えるスーパームーン、同じ1月に2度目の満月を迎えるブルームーン、それに皆既月食が重なったというわけで、これは152年ぶりの天文現象であるそうだ。

西洋占星術では、月食は一度欠けてからまた元のように輝くというので「よみがえり」、「生まれ変わり」、「復活」を象徴しているのだ、と。

いいねえ・・・復活だとさ
へえ~
現役最後の授業で生まれ変わりってのは、縁起がいいねえ
へえ~
それにね、かに座の満月っていうのは、大願成就。未来に向けて計画をたてよっていう意味でもあるそうだよ
へえ~~~

先日聞いたテレビのワイドショーでキャスターが連発していた感嘆符付きの「へえ~っ」をうちのカミさんも連発していたが、当たらぬも八卦にせよ、嬉しくないといえばウソになる。

■ ■ ■

一夜明ける。

(もうそろそろ毎月購読はいいなかとは思っているが)朝刊を読む。コラム記事に目を向けると
本来であれば「当時は適法だった」のあとに、せめてこう続けるべきだろう。「適法だったが、誤った法律だった」と。
はあ~~っ! 感嘆符付きの疑問が出てくる。どうやら「優生保護法」の下で不妊手術をされてしまった人たちのことを評しているらしい。

誤った法律でも「当時は適法」とかわす考え方はなお政府にはあるようだ

この論説委員(?)は何を語り始めたのか、と。そう思いました。呆れました。まあ、同情的にみれば、ちょうどあれですナ。韓国の新聞人が従軍慰安婦を語るときも同じような心境なのでありましょう。そう感じた。有名な感性優先の報道哲学がここにもある。

政府や政治家に必要なのは、悪法に正面から向き合う姿勢だ。

「法律ではあるけれど、これ悪法なんだよね。間違っている法律かもしれないんだよね」、と。法に対するこのような姿勢から出てくる考え方は「守らない方が正しいんじゃない?」という思想ではないだろうか。

「これは悪法です。だから変えましょう。これまで間違ったことをしてきました」、と。法に対するこのような姿勢のどこが間違っているかという問いかけは、現代でも学生向けの好適な演習問題である。

ソクラテスの「悪法もまた法なり」。何とコラム記事の中で揶揄的に引用している。一体この御仁はプラトンの『ソクラテスの弁明』を本当に熟読したのだろうか?中学校の推薦図書を真面目に読書していれば読んではいるはずだ。読めばこのような使い方はしないだろう。

法というのは時代に合わせて進化させていくべきだ。だとすれば、憲法改正も議論をしてよいわけである、むしろ常に議論の場を設けておくべきである。いわんや一般の法律においてをや、である。法はすべて時代の進展にそって改正していくべきものである。

しかし、改正をしたからといって従来の憲法が間違っていた、だから直したわけではないのだ。法もしかり。間違っているから改正するわけではないでしょう。価値観や哲学、倫理観は時代の変化に伴って変わるものである。だから修正していくのだ。これまで間違ったことをしていたので正す。こんな乳幼児のようなものの考え方はやめてほしいものである。だから「最近のジャーナリストは、無教養であるだけではなく、そもそも地頭が悪い」と批判されるようになったのではないだろうか。

昨夜の月はまことに美しいものであったが、浅薄な新聞の論説ほど目を汚すものはない。

浮世というのは文字通りのごった煮。玉石混交。そんな中で、蓮のように美しく咲いていようと、先輩と語り合ったのはもう30年の昔になった。

時代というのは変わるのである。


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