2018年2月24日土曜日

古代ギリシアのオリンピアと現代のオリンピックの大きな違い

始まった時は「どうなることか?」と思われた平昌五輪であったが、無事閉会を迎えられそうだ。

関係者はヤレヤレというところか。五輪で整備した施設は20年後にも稼働しているのかどうか、気になるところではあるが。

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それにしても今回の冬季五輪、決してアスリート・ファーストではなかったネエ、と。そう感じる。

というより、政治がオリンピックに優越することが明確に表現された大会であった。

「政治」は人間社会の最も人間的な領域であり、ある意味で高次元の活動だとは思う。とはいうものの、所詮は単なる上部構造であって、社会や生活の豊かさが政治によってもたらされることはほとんどなく、自然科学、社会科学の進歩こそが豊かさをもたらす真の要因である、と。政治が重要だとすればただ一点。おかしなことや独善的なことを決してしないことだ。まあ、ホボホボ100%、そう結論できる。というのが小生の見方である。

なので、今回は実に下らない五輪で、1936年のベルリン大会と並んで史上ワースト2を構成するのではないかとすら思ったが、終盤になってから相当盛り上がって来た。

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古代ギリシアでは4年に1度ペロポネソス半島の寒村オリュンピアにあるゼウス神殿にギリシア世界全土から人々が集まって祝祭が開催されていた。それが古代オリンピアである。開催中は敵対する都市国家であっても争いを中断し、神々を称える祭典を祝うことにした・・・という歴史的事実が、(周知のように)現代オリンピック運動が始められた契機であった。

しかしながら、古代ギリシア世界を構成していた都市国家群は、必ずしも国制や価値観を共有していたわけではなかった。同じギリシア民族であってもドーリア人が建設したスパルタと傍流のアカイア人が建てたアテナイは、行政システム、日常的なライフスタイルなど、多くの点で大きな違いがあった。そればかりではなく、多数の都市国家に分立したギリシア世界では内戦が頻繁に繰り返されていた。

とはいうものの、国家の組織・制度・主義には大きな違いがあるにしても、宗教は共有されていた。信仰する神々はギリシア世界の中では同じであった。遠く北方にあるオリュンポス山に住まう神々をギリシア人都市国家はそろって信仰していたのであって、戦国時代さながらの日常にもかかわらず、信仰という面では共有される基盤があったようだ。ギリシア世界のオリンピアにペルシア帝国が招かれることはなかった。北隣のマケドニア王国も永らく参加は許されなかった(王族の先祖がギリシアの英雄ヘラクレスであると主張してある時期からは許されたようだが)。

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古代のオリンピアは大神ゼウスに全ギリシア民族がそろって奉納する祝祭であったのだが、現代オリンピックは何を理念として共有しているのだろう。

五輪で共有されるのがもはや同一の神々ではないことは、あまりに自明である。共有されるからには、理解されていることが不可欠だ。

思うに、現代オリンピックで共有されている価値は<マネー>ではないだろうか?

カネの有難みだけは、いま生きている地球上の全人類が理解可能であると、ほぼほぼ結論しても許されるだろう。

具体的には、時代の変化にともなって、金からドルへ、ドルから何種かのソブリン・マネーへ、ソブリン・マネーから仮想通貨へと、マネーの実体はシフトして来ているにもかかわらず、だ。

実際、全人類レベルで理解が共有されている価値はもうカネしかないのが現実ではないだろうか?他に、何があるだろう??言葉では、色々と形而上学的な理念を語ることができる。しかしどれもローカルではないか。限られた地域でしか理解されないのではないか。立派に語られる言葉は現実のマネーの前ではどれほどの重みがあるだろう、現代の世界で。

信仰する神々に神聖なる闘技を披露して神々の祝福をうけたいという本源的欲求に代わる動機として、<それはカネになる>という以外に現代オリンピック運動を継続できる真の動機があるだろうか?

開催を続ける真の動機が何であるかにおいて、古代オリンピアと現代オリンピックはまったく別のものである。

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マネーが社会を支配する社会こそ<資本主義社会>であると定義するなら、現代オリンピック運動は資本主義の申し子である。

更にいえば、カネを個人ベースで追及するか、国家レベルで追及するかという点だけが、資本主義と社会主義・(現代)共産主義の相違である、と解釈すれば、マネーを使用する社会主義も、共産主義もまた資本主義体制のヴァリエーションの一例に過ぎない。そう思うのだ、な。

その意味では世界はすでに一つになっている。

古代オリンピックの主祭神がゼウスとオリュンポスの12神であったのに対し、現代オリンピックの祭神はマネーであろう。古代ギリシア世界にギリシア神話があったと同じく、現代オリンピックを支える現代世界にはロスチャイルドやエジソン、フォードやスティーブ・ジョブス、ビル・ゲーツ、ジェフ・ベゾスといった拝金教の神々がいる。アップルやアマゾンという神殿ではなく、わざわざペソポネソス半島のオリンピア遺跡から聖火リレーが出発するという儀式こそブラックユーモアである。

世界はすでにマネーという祭神の下で一つになっている。そんなことを思った今回の五輪であった。

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