2018年4月22日日曜日

前の投稿への反すう(その2): 「セクハラ」チンドン屋になったら戦後日本の国会もおしまい

前々回の投稿への補足その2を書きとめておきたい。

冷静に今回のセクハラ事件を思い返せば、財務事務次官は女性記者との会話が事実であると認め、不適切な言葉使いにより停職1か月+減給3か月、この夏を待って退官。この辺りが地位の高さと職責、品格に欠けた不適切な会話、使った言葉に対するペナルティとのバランスがとれた道理の通った処分ではなかったろうか。

これに対して女性記者の方は、複数のルール違反を重ねている。まずは無断録音。次に、オフレコのやりとりを報道しようと考えたこと、三番目に自社で却下されたというので会社に隠してネタを週刊誌に横流ししたことである。これは服務規程違反にあたる。

この三つの違反は懲戒解雇に相当する理屈だ。他方、セクハラの被害者でもあった。許せないという気持ちも理解できる。情状はあった。それを斟酌すれば、諭旨解雇が適切だと思う。報道局長は当然辞任に値する。女性記者から相談をうけていたという直接上司も併せて解雇が相当。このように思う。

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ただ世間は(特に女性達は)いま正気をなくしてしまっているようで、セクハラ非難の一点張りで正邪善悪の道理を忘れている。(女性特有の?)ヒステリーである。この世間の暴風を自社の追い風と錯覚して、テレビ朝日が処分を遅らせると、マスメディア全体の自殺につながるだろう。

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最後に、これは想像である。

こんなことを言うのは不吉で、万が一のもしもだが、仮に上のように道理が通った処分が課される場合、女性記者が将来を悲観して命を絶つとしよう。

そうしたら日本のマスメディアはどんな反応をするだろう。

あろうことか、辞めた財務次官にマスコミが押し寄せて、『今回亡くなられた女性記者に対してどういう気持ちをお持ちですか?』、『なんとも感じないんですか?』と、文字通りのメディア・スクラムを組んで一人の個人に対して圧力を加えるであろう。それが憲法違反の人権侵害であるとはまったく思わないに違いない。そこがメディアの怖さだ・・・メディアの怖さとは群衆の怖さと同一なのである。

それを見て、国会の6野党(だったか、5野党だったか、厳密には7個になるのだっけ?)の議員たちは『誠実な女性記者を哀れな死に追い込んだにも関わらず何の反省もなく一言の謝罪もしない前財務次官、財務省を私たちは絶対に許さない。その事務次官を任命した財務大臣を私たちは許さない。安倍総理大臣もまた任命責任から逃げられない』、と。大いに気勢を上げるのではないか・・・その情景が目に浮かぶようだ。

仮にもし、こんな情景が正夢になったら、戦後日本の立憲主義、基本的人権の尊厳、罪刑法定主義、法の前の平等、民主主義、国権の最高機関たる国会の尊厳、三権分立、等々。すべては実質的に堕落、自壊して、あとはチンドン屋が日本社会の先を行くのか、横から騒ぎ立てるのか、後ろからついて来るだけなのか分からないが、日本の社会もいよいよ1920年までの浮かれ社会から1930年代の政党政治の没落までと同じ、戦後民主主義没落の10年間に入っていくことになるだろう。

10年後の日本がどうなっているか全くわからなくなってきた。

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