2018年4月25日水曜日

前の投稿への反すう(その4): メディアは公益を名乗れるのか?

今度は林文科相がヨガ教室に行ったときに公用車を使っているというのでTV画面で批判されている。「私用で公用車を使っている」という疑いだ。

ヤレヤレ、メディアは一日中、国がつけているSPよろしく、大臣の一挙手一投足を報道するべく張り込んでいるのか・・・と。もっと生産的なテーマにマンパワーを投入しようという思考は働かないのかと考えてしまうのだが、マスコミ各社も何かの理由で「必死」なのだろう。

ブログとはWebLogの略称であり、作業日誌の意味である。日々に出来事を記録するのがログであるので、毎日のように流されてくるこの種の情報を書いておけば、その頃の日本の社会状況がよくわかると思って、世間ネタを書くことにしているのだが、わがブログながら最近の投稿を読んでも、世界の事や東アジアの事、広く日本国内のことはほとんど分からない。いかに現在のマスメディアが偏った報道をしているか、このことからもうかがわれる。

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まあ、上のヨガ教室のことは、ずっと昔に小役人をしていたささやかな経験を思い出しても、理解はできる。

役人は無期限・常勤職員であり、緊急事態においては公務員であるから実質24時間勤務体制である。大臣は、議員から任命された有期・常勤職員であり、下から上がってくる作業結果を待っていることが普通である。平時はともかく異常時には大臣説明が何時に入るかわからない。かつ多くの場合、高年齢で頑張りには限界がある。時にリフレッシュを体が求めるとしても、「精神一到・・・」ではあるまいし、それがダメだとは言えない。

大臣、ばかりではなく副大臣、政務官以下、末端の公務員に至るまで、担当職務で誠実に結果を出せばよいのであって、リフレッシュの方法にまで品格を求められる言われはないと、小生、そのように思っている(異論はあるだろうが)。

予定が入っていない時間帯を利用して、庁外の施設を訪れたい場合、公用車を使ってはいけないのだろうか?

使っても可、というか公用車を使ってもらった方が役所にとってはベターであると考える。その理由は、少しでも役所仕事を知っているなら自明のことである。逆に、私用だからとSPもつけず、秘書官も連れて行かず、一人タクシーにとび乗って姿をくらますのは極めて不適切である。かえって無駄なコストがかかるだろう。騒ぎにもなる。

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人員を張り付けてまで大臣の「お忍び?」のリフレッシュ先まで報道するのも、「公益」に沿った活動であると。マスメディア各社はよく「公益のためにしていることです」という表現を使う。

本当にマスメディア各社は公益のために活動しているのだろうか?

もし公益を主たる目的に活動している組織体があるなら、その経営コストは主に(あるいは一部は)公費で負担されているのが普通である。また企業の成長戦略についても自由に自社で戦略を決定できるケースはないはずだ。というのは、公益に関連する活動を自由にさせておくと「外部経済/不経済」という形で広く国民に影響が及び資源配分の歪みがもたらされることが理論的にも明らかなためである。

マスメディア企業に国から直接的に経常補助金が支給されていることはないはずである(NHKですらも自前の受信料で経営されている)。しかし、新聞は再販売価格維持制度が認められているのに加えて、「新聞特殊指定」によって全国一律の価格で安定的に販売することが可能になっており、安売り合戦は防止されている。このような経済上特別の取り扱いを受けていることによって国民が負担しているコストが即ち「マスメディアは公益に寄与している」ということの(裏返しの)根拠(=マスコミは国民によって守られている)と考えれば、理屈は一応通るかのようである。

電力会社、ガス会社もその価格は公共料金であり文字通りの「公益事業」である。JR各社、バス会社等もそうである。新聞社をはじめとする「マスメディア各社」もまた同じく「独占的な価格が認められている」、つまり電力・ガス、交通などと似たような意味合いで「公益」のために活動している企業なのだとみれば、一応、納得は得られそうだ。

ただ本当にマスメディア各社が「公益」を大きな目的として活動しているなら、新聞代もまた公共料金であるべきであり、電気代、ガス料金、鉄道運賃、バス料金、タクシー料金、電話料金、郵便料金、授業料、はたまた診療代、介護料金等々と同じく、政府による認可、さらに場合によっては国会による承認が必要とされる。そう考えるのが筋道だ。

しかし、新聞代は新聞社が自ら決定している。読者は新聞社が決定した価格で購読せざるを得ない。その決定プロセスには公共性をうかがわせる何の審査手続きもない。とすれば、現在の新聞価格は市場支配力に基づく「寡占価格」である。再販価格維持や特殊指定は、安売りを防止するための特別措置である。

このように考えると、新聞社が「公益に従事している」」と主張するのは無理である可能性が出てくる。TV局もまた政府から電波を割り当てられている。国から認可された「法定寡占企業」である。「守られている」のは何故かといえば「公益性があるからだ」といえば、なるほど理屈は通るが、しかし価格決定については審査を受けておらず、寡占企業として行動している。「公益に従事している」とは主張できない経営を現にとっていると言われても仕方がない。

そもそも「わが社は公益に奉仕するという理念にたっています」という言い方は、電力・ガス・鉄道・バス会社など明々白々たる公益企業だけではなく、私企業たる電機メーカーも口にする言葉であるし、建設土木企業も同じようなことは言っている ― 鹿島建設や大成建設が公益に奉仕しているとは誰も言わないだろう。

新聞社は、公益に従事しているのだ、TV局は公益に従事しているのだ、と。小生は、現にある公益企業と比較して、それほどまでに自信をもって公益に従事しているとマスメディア各社が主張する根拠が分からない。わからないし、もし真の意味で「公益」に関連する企業活動をしているのであれば、その価格は認可を必要とする公共料金であるべきであるし、その運営と経営管理には(間接的にもせよ)会計検査院が関与するべきだろう。従業員給与、役員賞与なども価格を構成する以上、自社の都合で自由に決めてよい理屈にはならないはずだ。

現に電気料金については以下のような報道もある:

会計検査院の国交相に対する是正のポイントの後者は、電力会社との契約の是正です。電気を始めとする公共料金は、確かに民間の商取引と異なり、交渉で契約条件を決める事はできません。しかし、利用状況に応じて料金メニューが分かれており、また、業種や地域によっては、補助が適用される場合があります。電力、水道、ガス各社とも、こちらから働きかければ、契約の適正化の相談に応じてくれますが、向こうから、こちらの利用状況を診断し、契約の適正化を働きかけてくれることはありません。会計検査院は、国道事務所等の電気需給契約にこの契約の適正化の余地がある事を指摘したものです。

URL: https://www.insightnow.jp/article/4501

それが真に公益であるなら、国民共通の公共サービスの生産コストは効率化されるべきであり、国民負担の節減が期待されるべきだ。

大体、新聞やTVに登場する「言論」が「公益」そのものであるなら、インターネットに投稿されているテキストもまた意見の表明であり「公益」に寄与している。このブログにしても「公益」に寄与していると主張したいところだ。作家の司馬遼太郎や村上春樹もまた日本文化の向上をもたらし「公益」に寄与したといえる。こんな見方をすれば、清掃業者も公益に寄与しているし、公園の剪定業者も公益に寄与しているのである。新聞やTV、マスコミ各社が特別の地位にあるわけではない。マスコミ大手企業が公益に従事しているなら、既存マスメディア企業のライバルであるYouTubeもまた「事実を報道している」という点で公益に従事している。Twitterも公益に寄与している。Facebookもそうだ。しかし、そのFacebookはいま公益を損なったという疑惑に揺れているのである。Facebookがなぜ非難されているか、その核心的理由が保護されるべき個人情報の不適切な管理であることを忘れてはならない。新聞社、TV局であるから、個人情報といえども自社の判断で自由に処理してよいという免責規定はないのだ。新聞社やTV局など既存マスメディアの独善性はやはり否定できない、と。そう思われるのだな。

マスコミ各社と他の明らかな公益企業との違いは、マスコミ各社は多数の読者を有していることを自社の利益に活用することが可能な地位にある。「政党」ではないが、「政党」と同じく、あるいはもっと強力な政治的影響力を行使できる地位にある。この点にこそ本当の違いがある。マスメディアが「公益のために」というとき、その本音は「わが社の政治的活動のために」と言うべきであるのかもしれない。しかし、「政治」と言っても、それは「公益」ではなく、最終的には「私益」でしかないのだ。まあ、『それをいっちゃおしめえさ』と言われるだろうが・・・

結論:

マスコミ各社は、国からは独立した純民間の言論企業である、と。自らのポジションについてはそう語るべきだろう。(反対陣営ではなく)わが社を支持する、思想を同じくする読者層の声を大きく、強く、社会に広げるために活動しているのだ、と。敵対する陣営の思想・言論とは徹底的に戦い、敵対勢力を殲滅するのだ、と。そろそろ偽善なき、率直な語り方をするべきではないか、と。こんな風な思いがしきりにするのだな。実際、マスコミ各社の最近の「報道」ぶりは、見ていられないほどに建前と実質とが乖離して、その不誠実な姿勢には腹が立つほどである。

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