2018年4月26日木曜日

ゾンビ化する「記者クラブ制」のあと

財務事務次官セクハラ事件のあと続けてきた一連の投稿もそろそろ一段落としたい。

今朝、カミさんとこんな会話をした:

小生: それにしてもサ、TOKIOの山口某は女癖が悪いって評判もあったわけだろ?夜、自宅に来たらって誘われてサア、ノコノコついていくっていうのはあり得るか? 
カミさん: ちょっと見たかったのよ、どんな家で暮らしているのか。友達に話したら盛り上がるでしょ。 
小生: でも、いくら二人だからって、年上の40台の男の家にあがるってのはね、遊ぼうっていう誘いにOKのサインを出したってことなんだよ。 
カミさん: (憤然として)それがセクハラなんじゃない?なんで男の人って、そんな風に考えるの? 
小生: あのね・・・ある省なんだけどネ、最下位は新聞社、次はTV局、その上にキャスターがあって、最上位には女子アナが来るっていうんだけどね、『俺、3人ゲット!!』、『残念、キャスターをきのう落としたヨ』って、そんなやりとりがあるらしいんだよ。何かで読んだ覚えがあるんだ。それを他の女性記者が聞くと、怒りに身を震わせるというんだけどさ、現実にそんなことが大好きな男はいるんだよ、現実に。 
カミさん: そんなことをしなければいいじゃない!! 
小生: 大半の男はしようとしないさ、そんなこと。女性だからって言って、誰彼構わずエッチな話もしないし、すぐに手を握ろうともしないよ。でも、沈香も焚かず屁もひらず、っていうだろ?仕事ができる男性の中には、女好きな奴がいる、それも現実で、女性もその事は知っているべきなんだよ。 人畜無害な男には女性の方からアプローチしないって言う面もあるだろ?
カミさん: 偉くなってほしくないわね。 
小生: ウン、そういう男は大体仕事はできるんだけど、アクが強い面もあってね、ある程度まで以上は出世できないのが、僕の若かったころの相場だったんだけどね。なんだか、理由は分からないんだけど、最近は仕事さえ出来れば、ほかに悪評があっても一番上まで偉くなってしまうんだよね、何故そうなってしまったのかは分からないんだけどね。
この世に男性と女性がいて、混じって仕事をしている限り、イザコザがなくなることは決してない。それが人間社会の現実だ。

男性だけであってもトラブルはある。イジメもある。パワハラもある。無数にあるだろう。もし相手が女性で片方が男性になれば、セクハラが発生する。それだけの違いである。男女を分けてしまえば、ハラスメントがなくなるというものではない。女性だけの人間集団であっても、嫌なことはあるし、イジメもあるのだ。

ハラスメントが多発しているのが事実ならそれは何故かという研究が求められていることであり、カミングアウトとか厳罰化とか"#Me Too"とか・・・まあ、無駄だとまでは言わないが、いつまでやるんですか、と。小生、ある種の空しさを禁じ得ないのだ、な。

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さて、ポスト財務事務次官セクハラ事件がどうなるか?

省庁と記者クラブは、永年の間、持ちつ持たれつの関係にあった。省庁からみればメディアが広報をしてくれたわけである。クラブに所属している大手マスコミ企業からみれば公式の「記者レク」に出席できる権利をもつ。併せて、夜回りでスクープネタをゲットできる機会をもつこともできた。

利害が異なるのにこんな持ちつ持たれつの関係が機能したのは、双方に「相手は仁義(?)を守る」という相互信頼があったからだ。クラブに入っていない週刊誌の記者が夜になって自宅を訪れても家の中に入れてもらえるはずがない。そこに仁義などはないからだ。

記者クラブというのは、ゲーム論でいう「繰り返しゲーム」におけるナッシュ均衡を形成していたわけで、信頼とペナルティの自生的メカニズムであったと言える。

もし官庁が公益に従事しているなら、情報源である官庁と"Win-Win"の戦略的関係を結んだ記者クラブは、こちらもまた公益に寄与してきたという理屈になる。いまでも「マスメディアは公益に従事しているのですから…」という言い方をすることが多いが、その根拠は制度上の公的機関と信頼関係を築きつつ社会に情報を提供してきたという、その歴史に立脚してのことだと思われるわけで、確かにその言い方は間違いではない一面がある。

これまでは・・・である。

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しかしながら、時代は変わりつつある。

そもそもインターネットも、FacebookもTwitterもないころ、国民に政策に関する理解を訴えるためには、中央省庁はマスコミ各社、特に大手5大紙、NHKや民放キー局を通すしか有効な広報ルートはなかった。地方自治体なら地元紙と地方局がメイン・パートナーになってきた。

が、いまは各省庁のホームページをみれば欲しい情報やデータをすぐに入手できる。官庁が運用しているFacebookをフォローすれば、更にリアルタイムで新たな政策や構想を知らせてくれる。記者の筆を通すよりもはるかに正確にオリジナルの資料を読めるのだ。その資料をどう解釈すればよいのかという疑問があれば、分かりやすい解説記事がいくらでもGoogleで検索できる。内閣府の経済社会総合研究所からメールマガジンをとっていれば特定の政策に関する専門的研究の結果をいち早く知ることができるのだ。

もともと官庁側から見ると外部の報道機関を排除し、特権的な取材権をふりかざす「記者クラブ」という制度はもはや「うざい」存在であったと推察する。

中央省庁の側からみれば、情報を直接的に国民に伝達できるようになってきたわけであり、情報提供の「中抜き」が進むのは必然でもあった。

そんな時代背景の中にあって、その記者クラブという鎖の中の最も弱い環であったのだろう「テレビ朝日」は、情報源たる官庁との暗黙の相互信頼を決定的に毀損させるという行動をした、というか現にそう行動しつつある。

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確かに財務事務次官が女性記者と交わした会話は品格にかけ、眉をひそめさせるものである。国の中央官庁の要職にある身としてあまりにも下品であり、国際的にも恥ずかしい。

しかし、いま津波のように高まる反セクハラの声が日本社会を本質的に変えることは、おそらくの所、ないだろうと小生は悲観的にみている。

セクハラにとどまらず、パワハラ、アカハラ、マタハラ等々、あらゆる種類のハラスメントは、イジメもそうであるが、日本人が真に求めている社会や人間関係のリアリティ自体から必然的に一定の割合で生じてしまう。そう理解するよりほかにどんな理解の仕方があるだろうか。いわば「万引き」や「窃盗」や「振り込め詐欺」などの犯罪と同様、完全にゼロにまで撲滅することは技術的にも、人間の本性を考えても不可能である。故に、セクハラもまた発生するごとに個別的に処罰していかなければならない。それも(残念ながら)「微罪」として扱われることは必然であろうと考えているからだ ― やはり「不適切な話し」という断罪には「表現の自由の抑圧」という一面があり、憲法の保障する基本的人権との調和が求められてくるのは必至であろうと思うのだ、な。

これに対して、官庁と記者クラブ所属企業との相互信頼の亀裂は具体的な結果を必ずもたらすものと予想する。その進展は今回のセクハラ被害者がその行動をとったとき、おそらく予想していなかったことだろうし、望んでいたわけでもないはずだ。が、記者クラブのゾンビ化が今後急速に進むのを止めることはできないだろう。

覆水盆にかえらず、である。

記者クラブ所属企業だけに限定していた「レク」を中央官庁(やがては地方自治体も)が一般企業に開放するのはもう時間の問題だろう。「夜討ち、朝駆け」は、報道各社がやってもよいし、多分続けると思うが、クラブの会員、非会員の区別はもう設けられず、すべての報道機関は対等の立場に立って取材競争を行うことにならざるを得ない。そこにもはや「仁義」というものはなくなるだろう。

情報源とマスメディアによる報道ゲームで信頼を裏切る行為を片方がしても一定のペナルティが機能していれば記者クラブは存続できた。しかし、一方のプレーヤーがゲームの世界から外側の世界に離脱して、より広い世界でゲームをしようと決意した時点で、それまでの報道ゲームは終了したのであり、終了した以上は、プレーヤーたる記者クラブは舞台から去るしかないのである。

今後は、新しい報道ゲームとして再編成されるだろう。新しい公務員行動規範も作成されるだろうし、おそらく国内外の報道機関が入り乱れる自由競争となるはずのメディア産業においても国際的に通用する新たな記者行動規範が作成されていくに違いない。

いまのところ上のように予想していると述べることで、最近の一連の投稿の区切りをつけたい。



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