2018年4月27日金曜日

マスコミ企業の「三無主義」か?

最近の何度かの投稿で「公益」という単語を頻繁に使った。それはマスコミも愛用しているし、(自称)専門家、政府職員も同様なので、ここでも使っているわけで、小生個人としてはこれまでの投稿でも述べているように、真に具体的かつ現実的な意味合いで「公益」などという利益はないと考えている。

あるのは「公益」ではなく「私益」のみである、というのが現実だと思っている。

ただ、マア、少しは考えてみよう。「公益」が公共サービスの提供を指しているなら、明らかにメディアのいう「公益」とは違っている。公共財・準公共財を問わず、これらは排除不可能性、等量消費性の二つもしくは一つを特性として有し、公的機関によって提供されるのが適切な財・サービスであって、そうでなければ過少にしか提供されないことが理論的にも証明されているからだ。明らかにメディア産業とは違う。

もしメディアが公共財である「知識・情報基盤」をサービスとして提供しているというなら、これは噴飯ものである。芸能業界のゴシップ、不倫情報が知識情報基盤の提供するべきサービスであると語る人物は今もこの先もまず見当たらないのではないか。

メディアの語る「公益」とは、極めて多数の視聴者・読者の要望に応えているという当たり前の意味か、でなければ前稿で述べた『官庁が公益に従事しているなら、情報源である官庁と"Win-Win"の戦略的関係を結んだ記者クラブは、こちらもまた公益に寄与してきたという理屈になる』という見方をとるか、どちらかだろう。後者は「これまでは」という区切りがついてしまった。故に、可能性があるのは前者ただ一つだ。

多数の要望に応えることは「公益」なのか・・・?それは違う。もしも成長なき静態的状況であれば、「公益」という名のもとに誰かが助かるとすれば、他の誰かが損をするに決まっているのである。故に、「公益」の向上という以上は、所得、豊かさ、国際関係、領土面積など何らかの意味で拡大を志向しなければ理屈に合わない。

どのような意味で「公益」が向上すると考えているのか?「公益」という言葉を使う以上は、使った側に説明する責任がある。この辺り、小生、かなり厳密にとりあげてもいいのではないかと思っているのだ、な。

なので、例えばテレビ朝日が「無断録音の外部への横流しは公益のために行いました」という時、率直なところ「???」、「公益のために無断録音って、それ、盗聴しましたってことですか?」であったわけだ。安倍総理も同じようなことを主張していた。共謀罪を設けることは「公益」のためであります。集団的自衛権行使への閣議決定は公益の向上に必ず資するものであります・・・ではなかったか。

どちらもどちらであるが、ただ言えることは政府は民主的統制の下に制度上服している。だから、なぜそれが「公益」に寄与するのか、質問も受けなければならず、説明責任もある。

しかし、「公益のためにやりました」と主張しているテレビ朝日は、民主的統制下にはなく、民間企業として自由に行動している。

まあ実際に民間企業であるのだから「ご随意に」というわけなのだが、「公益」を名乗る経済主体としては余りにお粗末、かつ無責任、無軌道、無作法な姿勢ではあるまいか、と。そう感じるのだ、な。

なので本日のタイトルは表題の通りとした。実際、いまマスメディアの経営を担っている人たちは若かりし頃、その「三無主義」、はたまた「五無主義」が批判的にとりあげられていた世代である。

むべなるかな、三つ子の魂、百まで。格言にいうとおりではないか。

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