2018年5月5日土曜日

ウォークマンとイヤホンで音楽趣味を再開

小生が暮らしていた家にはじめて「ステレオ」なる電気製品が鎮座することになったのは中学校1年の冬である。この前後のことは一度投稿したことがある。今はJVCケンウッドになっているが、当時はまだ一流にして名門の音楽メーカーであった日本ビクターの製品だった。まだSONYなどはテープレコーダーの新興メーカーであり、ステレオと言えばビクターかコロンビアという時代だった。白い犬が蓄音機に聞き入っている"His Master's Voice"の図柄の入ったステレオを母は本当に喜んで「またこのマークのあるプレーヤーで好きな曲を聴けるのね」とよく話していた。小生が音楽好きになったのも、その影響である。そのステレオも父が亡くなって家を引き払う時に廃棄した。代わりに何かのときに買ったのが日立のLo-Dで、残った家族で移り住んだ利根川河畔の公団住宅で愛聴したのは主にクラシックだった。が、母は一日時間があるにもかかわらず、あまりレコードをかけて聴こうとはせず、小生も極端な多忙の中で毎日の暮らしから音楽らしい音楽はだんだんと消え去っていった。小役人をしていたころの小生の日常は、干からびた仕事漬けのような暮らしであった。

その母が晩年になって四国・松山の日赤病院で最後の夏を過ごしているとき慰めになっていたのはウォークマンである。まだカセットテープの時代で、1本テープを入れてもせいぜい45分程度でA面とB面を入れ替えなければならなかった。それでも母は小型であるにもかかわらず、非常な高音質には驚いて、ベッドの上で聴いていた姿をよく覚えている。

その後、ウォークマンはアップルのiPod、iPhoneを端緒とする携帯型デジタル・オーディオ・プレーヤー(DAP)の台頭により、すっかり市場からは駆逐されてしまったかと勝手に思い込んでいた。

***

この春、常勤から非常勤になった。学生も自由人であるが、十分な収入基盤のない経済状況であれば、毎日を過ごしたいようには過ごせないわけであり、言葉の定義どおりの自由人であるとは言いがたい。若いうちは何事も我慢することが多く、その意味ではむしろ不自由人だと言うべきところがある。4月になってからの小生は日常の生活を送りつつ、十分な閑暇をもてるようになったという意味では、自由人になることができた。今はやりの「高等遊民」とも言えるのかもしれない。

それで、画作だけではなく、ずっとなじんできた音楽を高音質で毎日聴きたくなった。製品事情をよく調べてみると、なくなったと思ったWalkmanブランドがしっかりと継承され、進化し、残っているという事実を再発見した。それで購入したのが"ZX2"だった。旧モデルで既に生産停止となっているので型落ち価格になっていた。

それにAudio-Technicaの"CKS55"の廉価品(という程には安くはなかったように思うが価格は忘れた)を繋いで聴いていた。iPhoneでずっと10年ほど使ってきた古いイヤホンである。が、耐用年数が来たのか、時々、鳴らなくなった。それでJVCの"FX1100"を買って聴き始めたところだ。これまた旧モデルで生産停止となり、いまは型落ち価格になっていた。まるでアウトレット探しだ。

***

イヤホンを変えてみると、確かに音が素晴らしい。ユーザーの感想を読むと、低音域が強調されすぎる傾向があるようなので、そんな気構えで聴いたのだが、これまで着けていたのが、ヨレヨレ状態のオーディオテクニカである。いつも正体不明のベース音がブォン、ブォンと地底から響いている感じだった。それに比べると、JVCのFX1100は非常にバランスのとれた音のように最初から感じられた。鳴っている空間が倍ほどに広がったようでもあった。

ただイヤホンで聴くのは、せいぜいがピアノ・コンチェルトまで、ポップスやジャズ、クラシックの室内楽まではよいが、「シンフォニーをイヤホンで聴くなんて・・・まず絶対に無理、というか無茶」と考えていた。

ところが、ブルックナーの第8番を聴いてまったく認識が変わってしまった。宇宙という存在を感じさせるようなブルックナーのあの「第8番」が第4楽章まで完全に鳴りきっている。ここまでコントラバスをリアルに鳴らせるのは据え置きアンプ+高音質スピーカーあるのみ(必然的に大音響となりマンションでは難しい)と思っていたのでこれは驚きだ。

若いころから愛聴してきたのはシューリヒト指揮ウィーンフィル版だが、マタチッチが1984年3月7日に来日してN響を指揮したときのライブ録音も同程度に、というより一層素晴らしいと思ってきた。このシンフォニーの白眉は多くの人は第3楽章のアダージオであるとするのだが、小生は第4楽章が好きである。ブルックナーが若い時期に暮らしたオーストリア・聖フローリアン修道院に訪れる白一色の世界が目の前に浮かび上がる。地上の世界を超える「存在」そのものを意識させられるときもある。この第4楽章ばかりは携帯用のWalkmanとイヤホン、ヘッドホンでは絶対にダメだろうと思ってきた。イヤホンで聴くなんてあり得ないと決めていた。それが見事に裏切られたと同時に、これほどオーディオ技術がこの30年で進歩したなら、なぜセカンドハウスを買ってそこにリスニングルーム兼アトリエを作ることを夢としてきたのか、まったくもって馬鹿々々しいことであった。


0 件のコメント: