2018年6月30日土曜日

松平定信=保守反動政権は一面的であった・・手のひら返し

専門はマクロ経済の実証分析であり歴史ではない。経済史でも計量的手法がこの4、50年間に大いに普及してきたので、最初のゼミ選択で経済史畑を選び、徳川期の日本経済に関する統計的分析を研究テーマにしてもよかったなあ、と今になって感じている。

最近(と言っても、刊行直後に購入したので3年前になるが)読んだ本の中で感心したのは岩新のシリーズ「日本近世史」にある第5巻『幕末から維新へ』(著者:藤田覚)だ。

時代としては、天明期の経済危機(=天明の大飢饉)の後、明治維新直前までが対象範囲である。具体的には、寛政(概ね1790年代)から天保(概ね1830年代)にかけて外国船の接近・渡来が頻発する中で、当時の政府である幕府が国防・外交政策に苦慮し、莫大な努力と迷走を繰り返しつつ嘉永6年の黒船、幕末へと至った時代である。その100年間の中には、御用金(=国債)と貨幣改鋳による益金(=マネーサプライ増加)で財源を調達し続けつつも、文化的には江戸期最後の花を開かせた文化文政期も含まれる。

もう何度も読み直した。

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江戸期の日本をどう評価するかについては、明治維新の過大評価の見直し風潮と反比例する形で、最近は江戸期再評価の視点が注目を集めているが、その嚆矢はといえばやはり小生がまだ学生時代に世の注目を集めつつあった速水融先生であろう。江戸時代から停滞と抑圧のイメージを払拭したのは速水氏の(例えば)『日本経済史への視覚』である。氏の「勤勉革命」は維新前の日本社会を見る目をずいぶん明るいものに変えてしまった。

上に引用した岩新だが、読みどころは満載だ。田沼時代の「政治の経済化」を崩壊させた天明の大飢饉に対して、再び行政の再構築に努力した政権として松平定信を位置づけている。その定信は早い段階で政権をしりぞいたものの、残った「寛政の遺老」たちが天保期に至る19世紀初めの政治的努力を主導したプロセスが分かりやすい形でまとめられている。第3章「近代の芽生え」は中でも必読かもしれず、高校生の夏季課題図書に選んでも適切だろう。
日本人が非常に変化した、というか近代化したのもこの時代である。
頂点的な学者たちの学問の発展ではなく、民衆の知的な発展を近世後期の歴史の基礎過程としてみておきたい。江戸時代後期に生きた民衆は、生産、生活、文化のさまざまな面で、ゆっくりとしかし着実な進歩・発展を遂げた。それこそが、江戸時代の社会を突き崩し近代という歴史を準備したもっとも深部の力と考える。
(中略)
一季奉公人たちは奉公先で夜間に勉強し、初めは古状揃・庭訓往来でも難しすぎると言っていたのが、四書五経へと進み、素読稽古の夜は短いと嘆くほどになり、のちに素読はしなければならないものと言われたほど流行したという。
(中略)
庶民の教育機関である手習い所は、とくに18世紀から19世紀に入ると激増し、「教育爆発」ともいわれる現象が指摘されている。商品生産、貨幣経済の発達にともない、日常の生活や生産の場で、またよりよい奉公先を得るため、読み書き算盤が必要になったことがその背景にあった。それが日本人の識字率を高めることに結果した。
このような動きを具体的な史料をリストアップしながら説得的に紹介している。

ずいぶん前の投稿で松代定信の寛政の改革=保守反動と位置付けたが、これでは節穴であった。

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これは素人の仮説的空想なのだが、経済政策に重点を置いた田沼時代を経て、そのバブルともいえる好況が天明期の自然災害(飢饉、浅間山大噴火)をきっかけに崩壊するのだが、このような繁栄と崩壊を経験する中で日本人の合理的思考はずいぶん鍛えられたのではないだろうか。方向性が全く異なる蘭学と国学とが開花し発展したのはこの時代である。国学が古神道と結びつき尊皇攘夷思想を育んだのもこの時代だ。 人々が多様な思考を議論できるようになった背景として、何と言っても貨幣経済の全国的浸透を挙げなければなるまい。国を問わずマネーは社会の近代化のエッセンスであり、近代化を推進するための駆動力なのである。もちろん貨幣と金融は制度としてシステム化されて初めて機能するものだ

徳川時代といえば、17世紀末の元禄時代までは高度成長を実現したが、その後はゼロ成長社会となり、生産性はマイナス、人口もマイナス、文化水準も俗悪化、国民の気質も矮小化と、そんな否定的見方が多かった経緯がある。特に戦前期にはそうだ。今後読もうと思って古書店から買い入れた高橋亀吉『日本近代経済形成史』(全3巻)も大略そんな観点に立っている。最近ぼつぼつページをひも解き始めたのだが、いささか失望している。

保守反動である松平定信政権から以後、幕末まで停滞していたはずの日本社会が実はそうではなく、前時代の進歩が民衆レベルにまで浸透し、人的・経済的側面で明治以後の近代化を用意したというのは非常に合理的な理解の仕方である。

ともすれば、イデオロギー論争になりがちな明治維新評価は、まあ一言でいえばどうでもよい問題だ。それは単に宮廷クーデターであったと小生は(個人的には)思っている。政治的立場で意見が分かれそうな問題とは別に、社会のリアリティについてどんな実証的確認ができるのか、知的な意味で真に面白いのはこちらのほうだ。

小生の祖父は戦前期から戦後にかけて銀行に勤務していたが、祖父の思い出話しに登場する話題は小生の知らない物事が多かった。何しろメールやスマホはおろか、TVもなく、電車もなく、自動車やラジオは贅沢品であったのだ。とはいえ、祖父は非常に合理的な人で、小生に話すときの処世訓や世間話は実に分かりやすく、理にかなったものだった。戦前の天皇制と戦後の国民主権と、国の形は真逆になったが、天皇のことをどう思うかというレベルになると、小生と祖父と(当然に父も含めて)、大きな違いはなかった印象がある。法制度とそこで生きる人間のあり方は別なのだと思う。世代は違うが、祖父と小生は同じ年ごろには同じ発想をしたような気もするのだ。世代ごとに人は変わり、流行語も変わるが、大体は同じような考え方をするように日本人はいつなったのだろうか?

社会が近代化すれば、国民は必ず政治に関心を持つ。外国船の渡来に国防意識を高めた江戸期の日本人が
例のとおり公儀にては秘密と申すこと、御持病と存じたてまつり候
と。政府(=幕府)というのは都合の悪い情報を隠すものだという風説があったことを知ると、つくづく日本社会は変わらないものだと、というか江戸時代の政治状況は日本国憲法と幕藩制との外形的違いほどには現代社会と大きくは違わなかった。そんな風にすら感じられるのだ、な。



<近代化>というのが、考えるに値する大きなテーマであるとすると、その淵源を遡る作業はいつでも楽しいものである。



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