2018年8月20日月曜日

この話は「無思慮」か、「無意味」か 

巷で漢文は役に立つのか立たないのかという話があるそうな・・・

本気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない

上のツイッター投稿に対して真正面から反論している内容に関心を覚えたのだ。反論であるから主旨は『それでも漢文は現代社会において役に立つ。例えば・・・』というものだ(URLはこちら) 。

反論で展開されている点は、そのとおり、だと思った。そもそも上のツイッター投稿だが、「春はあけぼの」は漢文ではなくて、日本の『枕草子』じゃあないですか?「春眠不覺曉」の勘違いだろう。とまあ、そんな問いかけは一切超越して、「漢文・古文は役に立たんヨ」という人が多くいることは想像できる。

客観的に言えば、漢文の教養、古文の教養がなくとも、ビジネスマンとして有能であることは可能である。また、西洋史のフランク王国やビザンチン帝国のことを知らなくとも、日常業務に支障はないだろう。更にいえば、力学の3法則、アルキメデスの原理もいらないし、一定の初速と角度で投げたボールが落ちる地点を予想する計算も知っておく必要は全然ない(はずだ、エンジニアは別として)。化学反応式も知る必要はない。生物においてATP(アデノシン三リン酸)が果たす役割も知っておく必要はない。数学も数学Ⅰだけでいいでしょう。微積は工学部卒にやってもらえばいい。というか、中学校の簡単な方程式を解ければそれで十分かも・・・という風に議論を詰めていけば、有能な営業マンや経営企画担当者になるために必要な知識はごくごく僅かですむはずだ。まあ、四則演算、常用漢字、いわば読み書き算盤である、な。

英語能力はいずれにしても分野を問わず必要であるから、必要|不必要の議論の対象外とする。それも、マア、ビジネス英語で十分だろう。

大事な事は、ほぼすべて、OJT。現場で覚えればよい・・・。ずっと役立つ。学校がつらいと思っている人は、なにも「学校」にこだわる必要は全くない。教科書にも、本にもこだわる必要はない。この意味で漢文が役に立つ機会はまれだ(というか、小生の経験でもなかった)。知識や技術は、社会という学校で経験を通して身につくものだ・・・と、本筋から離れてしまったが、小生はいまこのように振り返っているところだ。

がしかし、こうなると、ビジネスエリートとして能力を発揮するために必要な知識・技術がこれほどまでに(本当は)僅かである、という議論になるが、この見方はおかしくないか?

この問いかけが出てくるのではないだろうか?この点が実は最も重要だ。

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「自分にとって役に立たない」イコール「社会には不要である」というわけではない。「自分にとって役に立たない」イコール「自分には不必要」だと思う人は、無理して勉強する必要はないのではないだろうか。多くの人は中学校のあと職業高校か、専門学校に進めば十分な「実用知識」が得られるはずだ。得にもなる。

役に立つと思うか、思わないか。意義があると感じるか、感じないか、それはその人の志による。どういう風に生きたいと思っているかによることだ。

確かに
知は力なり
ではあるが、求める知識をどの辺におくかは人によるのである。

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