2018年10月2日火曜日

最も難しく人材を得にくい職業とは何だと思う?

司馬遼太郎は、最も得難い人材として「名将」を挙げている。つまりリーダーである。リーダーの役割の重要性については日本人も大変関心があり、歴史小説の多くは著名な人物のリーダーシップを語るものである。特に経営者は好きなようだ。

が、いくら座右の書を再読三読しても凡人が名将になることは稀である。リーダーになるには、多分にその人の才能、というより性格が関係する。これも周知の事実になっているはずなのだが、最近はパワハラ云々もあって、統率力や指導力の形について混迷状態に陥っているのが日本社会であるような気がする。

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本庶佑博士がノーベル医学生理学賞を受賞した。「オプジーボ」と聞いて納得した。母が肺がんで亡くなったのは1990年だったから、とうてい間に合わなかったが、医学の進歩には驚異を感じるばかりだ。

研究者として成功するには、才能も必要だが、性格がマッチしていなければならないというのも、よく聞く言葉である。

小生は、営業マンだけは向いていない、と。若いころからずっとそう感じていた。何より酒席の立ち回り、持ちまわしが極端に下手だ。酒は好きだが、献酬が、というよりその雰囲気が嫌いなのだ、な。立席パーティも苦手だ。人の波を泳ぐようにして人から人へと談笑に興じるのが非常に苦手だ。まったく・・・これでは接待も無理である。故に、営業はできない。

研究は好きだった。一つの疑問に答えを出すために1年、2年を費やするのは何ともなかった。たとえ一人でやっても孤独などは感じなかった。ある程度の結果を出せたのはある程度の才能が、というより性格が向いていたのだろうし、それ以上の結果に到達できなかったのは地頭が悪かったからだ。

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大学という場で研究をやっていると、同時に教育にも携わる必要がある。

その教育が苦手だった。学生と心を開いてコミュニケーションをとることに面白みが感じられなかったのだ。

研究仲間と会話をすることには非常な面白みを感じるのに、レベルのまだ幼い若い人たちと話をするのに面倒くささを感じたのは、若い人たちへの愛情に欠けていたからだと思っている。

研究につかれると、家に帰ってカミさんや子供たちと一緒に過ごすことを何よりも愛した。

つまり家族以外の第三者に対して、愛情を感じられなかった、連絡や調整はあっても、深い交流をしようという気にならない。とすれば、学生を教育し、育てることにはならないのは当たり前だ。

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長期間、大学という場で過ごしていると、大体の傾向が分かってくる。学生を愛し、学生の成長に強い喜びを感じ、うるさがられても若い人の面倒を見る人は少数である。

「教師」に適している性格を持っている人は大学では少数である。おそらく(これは想像だが)まずは学力で選抜される小中学校の教師もまた「教える」ことに本当に性格がマッチしている人は案外少ないのではないだろうか?

人に信頼してもらって、できないことが出来るようになるまで教え、迷っているときには何時間でもつきあい、人が成長する姿が自分のことであるように嬉しいというのは、才能の仕事ではなく、形はどうあれ愛情のなせることである。そんな愛情を持てるのは、そういう性格であるからだ、としか言いようがない。

その愛情は、おそらく博愛ではない。気に入った弟子を愛するのである。であっても良い教師というのは得難い存在には違いない。たとえ疎んじられた少数の弟子からは批判的に話されるとしても、多数の人を育てるというのはそれだけで素晴らしいものだ。

それほどまで良い先生というのは得難い。「学校」という場においてすら、良い先生は少ないものである。

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