2018年11月17日土曜日

断想: 政治学の現状と水準は?「民主主義」は本当に善いのか?

英国ではEU離脱交渉をめぐってメイ首相が苦境にあるという。離脱派、残留派双方から閣僚が任命されたものの、最近になって離脱派、残留派双方から閣僚の一部が辞任している。

一口に「離脱」と言っても、どのように離脱するのかで英国が直面する運命が異なる以上、どんな政治的選択をするにせよ反対者が閣内から出てくる事態は防ぎようがない。

とはいえ、国の運命を左右するほどの重要案件になるほど、多数の意見を反映した民主主義的意思決定が大事になる(はずだ)。

ところが、最近の英国内の世論調査では安定的に「EUからの離脱に反対する」という意見が過半数を占めているそうだ。

英国で現在、欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票が再実施された場合、過半数が残留を選ぶと見られることが、5日公表の世論調査で明らかになった。2016年の国民投票以降で、残留支持率は最高となっている。
調査は調査機関ナットセンと「変わる欧州における英国」が実施し、学者が中心となって分析。残留支持率は59%と、離脱支持率の41%を引き離した。16年の実際の投票では残留支持が48.1%、離脱支持が51.9%だった。
(出所)ロイター、2018年9月6日

本当に「民主主義」は重要問題に関して適切な意思決定を行えるのだろうか?

「民主主義の失敗」という事態は起こりえないのだろうか?

こんな問題提起がありうるのだが、社会科学内の「所管」を言うなら、これは政治学の問題だろう。

民主主義=多数決と割り切れば経済学の純粋理論の中に「アローの不可能性定理」が既にある。定理によれば、多数決に基づいて合理的な選択を一貫して続けることは不可能である。

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経済学では、上に述べたアローの不可能性定理の他にも、市場における完全競争が全ての商品の需給を均衡させる一般均衡価格が必ず存在するという「存在定理」、更には完全競争市場が社会的厚生を最大化するという「パレート最適」が証明済みである。そして、そのような市場経済が資源配分において失敗するとすれば、それはどのような場合か。「市場の失敗」についても理論的回答を既に与えている。また、時間的な経過の中で合理的意思決定を行う経済主体が、動学的な不合理性を犯すとすればそれは何故なのかという問題も既に解明済みである。

政治学が科学であるとすれば、政治の現状分析も重要だが、政治の純粋理論が土台になければならないはずだ。とすれば、民主主義による政治的意思決定は常にその社会にとって最適な意思決定でありうるのか?民主主義が失敗するとすれば、それはどのような性質の問題にとりくむときなのか?これらの事柄に関して、確立された定理が発見されていなければならない、と。そう思うのだ。

そもそも「民主主義」という言葉の学問的な概念定義は厳密になされているのだろうか?政治学の素人である小生にとっては当然の思いだ。

たとえばミルグロム・ロバーツの『組織の経済学』では、多数の経済主体による集計的意思決定過程ともいえる市場経済が失敗する場合があるとすれば、それは特定された分量の組み合わせである諸資源を特定地点に特定時点において集中投入することが求められる場合である。この種の課題には市場による資源配分ではなく上意下達の組織的解決、つまりは軍隊のような生産管理がより適切となる・・・。そんな議論が展開されている。

つまり解決しようとしている課題の性質に応じて、市場システムが適切な場合もあれば、上意下達の組織的管理システムが適切な場合もある。

たとえば、ある国との戦争を決意する場合、それは社会にとって窮極の重要事項であるはずだ。ということは、開戦の決意もまた民主主義によることになるが、そうなのだろうか?多数決で戦争を始めてもよいのだろうか?少数者にも配慮して、全員一致で初めて開戦できるのだろうか?

政治学はこんな問題にも理論的に回答するべきだろう。

アメリカが第2次世界大戦に参戦したのは日本による先制攻撃が契機になったのだが、それはルーズベルト大統領が開戦を決意し、上院において日本への宣戦布告を求める演説を行い、議会が大統領の決意を承認し、議会がその権限を行使して宣戦したからである。以後の具体的施策は米軍を含めた上意下達の行政システムに委ねた。『いまがその時である』という決断を民主的な多数決に求めるとしても、数理的な詳細を詰める以前に、直観的にそれは無理なことだと推測がつく。キャスティングボートを握る最後の一人に議決が委ねられるからだ。結果的にであるにせよ、一人の判断で重要事項が決まってしまうほどに非民主的な状態は考えられないだろう。

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民主主義が本当に他の社会システムに優越しているのかという点については、このブログでも投稿したことがある。

民主主義に関する証明された基本定理はあるのだろうか?

民主主義が善いのは分かり切ったことだ、と。善いものは善いから善いのだ、と。ただそれだけの理由で日本は民主主義国になっているのであれば、ただそう信じているだけのことである。目の前の現実にいつでも惑わされる。株価の乱高下に一喜一憂する素人のようなものだ。旧世代の「根拠なき信念」に疑いをもつ新世代が育って来れば、いつでも世の中の「時代の流れ」は逆転する。そんな可能性もある。

民主主義による意思決定が望ましい課題と失敗する場合があるはずだ。それは政治学の使命だろう。

宇宙人がいるとして友好関係を築くべきでしょうか?
宇宙人の存在は分かりませんが、いずれにしても民主主義で決める必要がありますヨネ

民主主義の高い理念も使いようによっては漫才に堕してしまうのだ。


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