2019年4月30日火曜日

平成から令和にかけて

平成時代最後の投稿がいつの間にか来てしまった。

無粋な話題である。

中国が着想した新たな戦略は「交日扼韓攻米」戦略であるのかもしれない。日ト交ワリ、韓ヲ扼シ、米ヲ攻メル、という意味である。

中国の立場に立ってみると、案外、透けて見えるような気はする。

  1. 韓国は北朝鮮との融和を進めて民族の統一、中国との対等外交を展開したいと考えているかもしれないが、韓国が拡大する結果として、朝鮮半島に統一国家が生まれることは中国にとっては悪夢だろう。
  2. 日本との融和を進めれば日本は韓国より中国を優先する。加えて、覇権闘争の相手国アメリカに対する防波堤として日本を活用できる。
  3. 反日嫌米に執着する韓国は成長モメンタムを失い、成り行きによっては立ち枯れるかもしれないが、既存の経営資源には魅力がある。韓国が中国よりも技術的下位に没落した時点で北主導で半島を統一するのであれば容認可能だろう。
  4. そうなれば日本は危機を感じとり国防により多くの資源を投入せざるを得ない。が、それは日本に対する間接的攻撃となり、アメリカに対しても有効である。戦略的代替のロジックが働き、日本が国防に資源を割き、アメリカは入れ替わりに引く。ロシアも歓迎するだろう。

随分迂遠で何年かかるか分からないが、現在の状況を前提すれば、鳴くまで待とう流の熟柿戦略といえるだろう。

2019年4月29日月曜日

いますすめるか? 日経の理解困難な記事

老後の生活資金形成は、年金が当然のことながら軸になる ― これは一部に税金が投入されているとはいうが、半分以上は在職中の「公的貯蓄」から得られる資産収益、ならびに取り崩しでもあるので、現役世代への「おんぶにだっこ」という表現は正確でない。また現役世代は引退世代が築いた社会インフラの下で育てられてきたわけでもあるので適切な表現でもない。

要するに、どの世代であっても、誰であっても、時代と環境が与えられた中で自分の人生をある目標を追い求めながら生きるということに何の違いもない。

小生の両親もそうであったし、祖父母の世代、いや更にその前の曽祖父の世代も、その時代、その時代で激しい社会的変化が進んでいて、生きるのは大変だったろうと思う。老人が少なければ、病人と子が多く、兵役もあった。大変なのは現代の若者だけではない。

★ ★ ★

さて、年金が軸になるとしても、同時に賢明な資産運用が老後の人生の豊かさを決定するうえで非常に重要であるのは事実である。

本日の日経はその点について解説している。要は、日本国内に限定せず、世界規模で持つべき資産を選ばなければならないということだ。

しかし…

世界的にも成長鈍化の傾向はあり、今後の成績は過去よりやや下がりそうだが、それでも長期では5%程度の年リターンが見込めるというのが多くの機関投資家の予想だ。世界株指数に連動する低コストのインデックス型投資信託を一本買うだけで、そうした成果が得られる。

(出所)日本経済新聞、2019年4月29日5:30配信

一部を抜粋するが、記事の全体的内容には賛同するものの、『これを今いうか!?』というのが正直な感想だ。

2016年の年初から春先であれば非常に的確な啓蒙記事であったろう。というのは、その頃は国際商品市況が暴落して、株価も世界的に低迷していたからである。その頃、英・鉱山会社の"RIO TINTO"や昔の香港上海銀行である"HSBC"、あるいは石油メジャー"BP"の配当利回りは表面で6パーセントを超えていた。英株は現地課税がゼロであるので配当課税は国内株と同じ20パーセント少々である。加えて、株価水準が底値圏にあるということは、配当利回りを大きく上回るキャピタルゲインを期待することもできた。

しかし、現時点は景気のピークアウトがささやかれたり、案外に踊り場程度の停滞で抜け出すのではないか等々、将来は微妙で、不透明である状況だ。このタイミングで「老後の資金確保には海外投資がポイントです」などと言うか?非常にミスリーディングだろう。

もし現時点で推奨するなら、日本国内のJ-REITや(エネルギー)インフラ投資法人になるはずではないか。これならこの2、3か月で上昇したとはいえ、表面利回りはまだ5パーセントを遥かに超す(そういう良質の銘柄がまだある)。価格も株式よりは総じて安定している ― というより、国内株価との相関係数が低い。

この記事を読んで、本当に連休明けから海外投資をして、株価が暴落したらどうするのか?景気後退に見舞われれば、また円高になる公算が高いが、そうなれば円評価額は為替変動だけで5~10パーセントは低落するかもしれない。あまりにも危険ではないか。小生は昨夏から(価格が上昇して配当利回りが低下した銘柄を中心に)海外株は段階的に整理してきた。

現時点のタイミングで海外投資を勧めるなど、

  1. 日本経済新聞社自体が資本市場の都合を代弁している。
  2. 日経記者は経済的センスに欠けている。
  3. そもそも記事内容について責任をとるという意識がない。

上の三つのいずれかである理屈である。

2019年4月27日土曜日

階層化、層別化、セグメンテーションは時代の流れなのか?

池袋交通事故をきっかけに「上級国民」というキーワードが注目されているようだ。この言葉、小生は寡聞にして知らなかった。今回の交通事故とは別のナントカいう場面で「一般国民は……何とか、かんとか」という説明を当局の人が話して、それで生まれた言葉であるという。

小生がまだ小役人をしていて、勤務先の広報誌の編集を担当していた頃、あるエコノミストが「階層消費の時代」という言葉を流行らせたことがあった。小生も、「言葉選び」の斬新さに目をつけて、そのエコノミストに原稿を依頼しようと思いついたのだが、近くにいる先輩が「やめとけ、大体、階層消費ってなんだ!?階層消費なんて言い出せば、エンゲル係数の分析でもすりゃあ、大事な事はわかる。マユツバな概念だ、これは」という大層な剣幕で、それで小生は目をさまして発想転換したものであった。そういえば、その頃、別の社会学者が「階層化社会」という言葉で注目を浴びていた。マスコミは何かというと「言葉が大事です」と言うが、言論ビジネスの商売道具を大事にするのは当然だ。しかし、その他の仕事をしている人間は、言葉選びだけをしていればよいわけではない。

ま、どれも1980年代後半、バブル時代の頃であり、「経済大国」としての自信が日本全体にみなぎっていた。そのみなぎる自信の背後では、「階層化」というキーワードが世に受けていたのだ、な。

***

マーケティングの極意は「顧客のセグメンテーション」にある、というのはビジネススクールなる機関に少しでも関心のある人なら同意するはずだ。

要するに、行動パターンが類似した顧客ごとにグループ化して、別々の異なったマーケティング戦略を企画し、利益を最大化するわけだ。不完全競争下の価格支配力を活用した、経済学者なら常識とも言える経営戦略眼がここにはある。

異なった顧客というとき、年齢、性別、居住地域もそうだが、やはり年間収入、保有資産が行動の違いをもたらす最重要な属性である。であるので、合理的なマーケティングとは、富裕層には富裕層向けの、低所得層には低所得層向けの販売戦略を展開する、まあ、身も蓋もないがそういうことが是とされている。

富裕層を「上級国民」、低所得層を「下級国民」といいかえると、今回の交通事故騒動はそっくり現在の社会構造にオーバーラップする形で噴出している、極めて現代的な社会現象である。

自動車も軽自動車があれば、数百万円から何千万円クラスの高級車がある。欲しくても買えないクルマ好きの人が街を走っているBenzやBMW、Lexusをみれば、世の不条理を感じるだろう。おしゃれの好きな人が、ARMANIやTiffanyを身に着けている人物を目の前でみれば、ひょっとすると腹が立つかもしれない。住んでいる住居だって、その違いの甚だしさは驚くほどである。

マーケティングには違いがあっても、せめて法の適用は平等であるべしという理屈は、その通りである ― 徴兵制がしかれている社会とそうではない社会とでは自ずから平等感覚にも違いがあるのじゃないかと小生は感じたりするが、それはまた別の機会に書く(←案外、重要な論点と小生には思われる)。

***

一言メモになるが、感じることを記しておきたい。

「上級国民にも処罰を」と憤激している人は、高い確率で自分は上級国民ではないと思っているのだろう。「下級国民としての自分」が前提されている。その「下級国民」が社会を望む方向に導きたいと感じている。

しかし社会に影響力を与えられれば「上級国民」である理屈だ。

小生は、「上級国民」を非難する声の中に、自らが上級国民になりたいという願望を感じる。

***

誰でも作家を志せば、文豪ゲーテのごとくありたい。

しかし、創作者ゲーテは人生を通して自らを削りながら燃焼して周りを明るくする蝋燭のようであった。トーマス・マン『ワイマールのロッテ』では最終章でゲーテ本人にそう語らせている。

思うのだが、上級国民であれ下級国民であれ、A層であれ、B層、C層であれ、偉い人であれ、偉くない人であれ、「幸福」という次元で測れば、言われるほど違いはないのじゃないかと思う。というより、「幸福」へのチャンスは、まあまあ、平等に提供されているのがこの浮世ではないか。そう思っている。

小生の両親は、成人前に戦争で苦労し、家庭をもってからは戦後の混乱期であり、忙しく働いたあとは病気で比較的若くして世を去った。それでも、思い返すと両親よりは長生きした小生とほぼ同量の幸福は享受していたような気がするのだ。

2019年4月26日金曜日

断想: 「平成日産事件」に、黒幕はいるのだろうか?

ゴーン日産元会長が再保釈された。再保釈を許可した地裁の判断を英断とする向きがある一方で、現場の東京地検、及び元検事の法律専門家は、怒髪天をつくの趣らしい。

そもそも今回の事件にはその発覚までのプロセスと事件化、検察が関係して司法取引が行われる以前に日産の反ゴーン派がとった行動履歴等々、あまりにも不透明な側面がある。

巷の噂では、ルノーとの統合を懸念した日産の「民族派」経営陣が経済産業省に「駆け込み」、そこで経済産業省は元会長の行動を日本の国内法で絡めとれると判断した。それを法務省に持ち込むと、法務省は経済産業省と何らかの取引を行い協力を応諾した。経済産業省は経営的に混乱するであろう日産を自陣営に抱え込む好機が得られると踏んだ。これは失われた「省益」の奪還である。経済産業省は首相官邸とも近しく、対フランス外交とも関係するこの事案に関して、官邸にも基本戦略を根回しした。要するに、今回の事件は日産社内の民族派と経済産業省が仕組んだ陰謀であり、法務・検察はそのシナリオに協力している。その臭いが裁判所側にも何となく漂い始めているので風見鶏の姿勢をとり始めている。

何だかネエ……、本当だとするとこれは「平成の本能寺の変」ではなく、幕閣・酒井忠清が黒幕となって進行した、江戸時代の三大お家騒動の一つ「伊達騒動」に近いのではないか?

だとすると、今回はフランス・マクロン大統領とゴーン会長にはむかった「ニッサン民族派」だが、今度は日産をわが手中に収めようとする経済産業省に対して「ニッサン独立派」が戦いの場に参入し、第2幕があがる……。

もちろん上の物語は一つの視点に過ぎない。登場人物はもっと多いのかもしれない。とはいえ、日本国内の事情に話をしぼるとしても、経済産業省が(フランス政府と張り合いながら)虎視眈々と省益を狙っていることは(もう)明らかではないだろうか。

真相は一つだ。そしてカルロス・ゴーン会長は昔の行為を咎められて排除された。

ニッサンはゴーン元会長の指揮の下で世界第2位の企業連合を形成するまでに至ったが、これから長い時間にわたる「混迷の時代」を迎えようとしている。

そんな観方を、小生、とり始めている。

2019年4月25日木曜日

覚え書: 日経記者の眼力はどうなの? FBの本日株価

日経の本日朝刊をみて驚いた。次の報道である。
【シリコンバレー=中西豊紀】米フェイスブックが24日発表した2019年1~3月期決算は純利益が前年同期比51%減の24億2900万ドル(約2725億円)だった。最終減益は15年1~3月期以来4年ぶり。米連邦取引委員会(FTC)への調査対応で30億ドルを費用計上したため。プライバシーなどへの甘い対応が業績にマイナスの影響を与え始めた。
配信は25日5時23分になっている。日本時間だろう。とすれば、NY市場でつくFB株価の動向が心配になる。上の報道の感触なら、Pre-Marketで10パーセントくらいの下落になるのではないか…

それでYahoo! Financeを見てみた。すると、"After Hours 7:59 PM"で196.38ドル、なんと前日比で7.56パーセントの急騰になっている。

狐につままれたような気持ちになって詳しい報道を調べてみる。と、Bloombergはこんな風に報道している。

(Bloomberg) -- Facebook Inc.’s shares surged in late trading after the largest social-media company posted robust quarterly sales growth and signaled it may be close to resolving a U.S. privacy investigation, easing investor concerns about the impact of regulatory threats. 
...
The better-than-expected revenue indicates that users and advertisers haven’t been turned off by a series of privacy breaches, scandals and questions about the company’s influence on political discourse. 
Facebook’s business has remained resilient mostly on the strength of its sprawling network of 2.7 billion average monthly users and its ability to let marketers precisely target them with ads.
ズバリ、一言
違うやないか!

一連の不祥事やトラブルは「もう済んだよね」という感触が支配的だと報じられている。

株式市場が示す株価というのは、投資家がフェースブックをどう観ているか、正邪善悪ではなく企業経営の将来性、利益の増減、結局、投資するのが損か得か、これらの経営的ロジックのみから形成される結果である。

そして、日本経済新聞が「経済新聞」でありたいなら、純粋に経済的な観点からフェースブックという企業について報道するべきである。やっていることが善いとか、悪いとか、社会的に望ましいとか、望ましくないとか……、そんな一過性の雑音や想念はこめるべきではない。データをみながらフェースブックはどう評価されているのかを記事にするべきだ。



2019年4月24日水曜日

一言メモ: 親の願望と社会の現実とのギャップ

こんな報道があるのをネットで知った:

リスクモンスターが4月22日に発表した「お子さん/お孫さんに勤めてほしい企業調査」に注目が集まっている。1位と2位はそれぞれ国家公務員と地方公務員で、ランキングの集計の公務員を追加した3年前の調査以来、順位の入れ替えはあるもののトップを独占し続けている。 
3位はトヨタ自動車。6年前の調査から、民間企業としては7回連続で1位だ。他の上位も、いわゆる大企業が名を連ねる傾向は変わらない。代わり映えしない「長い物に巻かれろ」的な結果に、ネットでは否定的な声が多く出ている。 
(中略) 
務めてほしい企業で重視するポイントは「給与額」、「社員を大切にする」、「福利厚生」、「将来性」、「雇用形態」が上位だった。父母世代は祖父母世代に比べ、「給与額」、「残業時間」など労働環境を重視する傾向が見られた一方で、祖父母は「将来性」、「社会的責任」、「企業規模」、「業績」など、企業のあり方を重視する傾向があった。

URL: http://news.livedoor.com/article/detail/16360865/

たとえば「2チャンネル」でも結構な話題になって甲論乙駁しているようだ。

確かにネエ…、資本主義国で親が願う希望就職先第1位が国家公務員、第2位が地方公務員とはネエ、小生も絶句、「情けなき事、落涙を禁じえず」ではあります。

もっと憐れを誘うのは、祖父ではなく両親の希望として「給与額」、「社員を大切にする」、「残業時間」等々、職場環境が優先事項として挙げられている点だ。

ここには、小さい会社を大きくする人材であってほしい、給与を倍増させる柱になってほしい、などなど、我が子に実績をあげられるような人になってほしいというのとは無縁の願望があからさまに表出されている。しかし、会社経営に資金を提供する投資家の観点にたてば、親が願望するタイプの企業にはまず投資はしないだろう。

従業員のために真っ先に給与をあげたり、社員の願いに耳を傾けたり、社員の厚生に真っ先に意を払ったりするというのは、「会社」というより「学校」に近い。

会社とは「顧客志向の原則」に立って、求められる財貨・サービスを生産して、その売り上げで「食っていく」組織である。浮世をしのいでいくのに必要な「食う寝るところ、住むところ」を確保する仕組みが会社であり、個人商店である。勝敗がつく経済的戦闘の当事者である。子供が生きていくのは「学びの場、稽古の場」ではなく「戦いの場、商いの場」である。「大切にされる」のではなく、「大切にする」のでなければ、保護してくれるその組織が競争に敗れて消え去るだろう。そうすれば「食う」に困る。困って親にもたれれば「8050」が再生産されるだけだろう。役所は企業が生み出す付加価値で支えられている存在でしかない。ライバルが走っていれば自分も走らされるのが浮世と言う世界だ

世の親が子に寄せる願望は非現実的なのである。何だか、いまの社会の実相には「空しさ」と「憐れ」がにじみ出ている。

小生も二人の愚息を育てたが、「大切にしてくれる会社を選べ」とは言わなかった。「やりがいのある所を選べ」としか言わなかった。まさか、そのやりがいのある仕事というのが、下の愚息にとっては「公務員」であるとは思わなかったが。上の愚息は食品業界で非正規の仕事をしている。こちらは「やりがい」というより、「楽しみ」を邪魔されないこと、それが優先事項であるように見受けられる。

まあ、小生は偏屈で変人だ。子供ファーストではなかったのだ、と。そう言われても仕方はない。しかし、もう一度、時間を巻き戻して、同じカットをもう一度迎えるとしても、やはり同じセリフを口にすると思う。

2019年4月22日月曜日

「元官僚」と言うのは「身分」なのか?

池袋駅前で発生した悲惨な交通事故のことである。運転していたのは87歳の男性である。高齢者による事故発生増加に政策面での対応が遅れていることが一因になっているのは明らかだ。

この事故は尾を引いていて、まだ連日TVのワイドショーでもとりあげているのだが、「元通産省工業技術院長」という肩書付きで紹介されているのだ、な。

当該男性が退職したのは60歳前であったろうか。祖父の世代であれば定年が55歳であったが…。小生よりは相当の年上である。いずれにせよ事故を起こした男性が通産省を退職したのは、年齢からして30年程度も前の事であるには違いない。相当の昔である。

地位も知識もある人であるはずなんですけどネエ……

いま観ているワイドショーではそんな物言いをしている。

30年前まで所属した組織・地位が30年たってもいまだに後光を放っているのか!?中央官庁の高級官僚の地位に「上り詰める」ことは、ほぼ終身の名誉をその人に与えるのであろうか?
小生: 韓流時代劇の「両班」と同じだネエ。それとも、官僚として栄達すれば「官位」に就くって、そんな感じがもたれているのかね?「そちを従五位の上に叙し、左兵衛佐に任ずる」、「ははあ、有難き幸せに存じ奉りまする、まこと家門の誉れ、この御恩は終生忘れませぬ」、「ウムウム、励めよ、役宅にはとく引き移るがよい」なんてねえ… 
カミさん: ホントは、狭くて古い公務員宿舎に入ってサ、毎日ずっと「母子家庭」で暮らすんだけどネ 
小生: そうそう、風呂場の浴槽は錆びて穴があきそうだし、な(笑) そんなボロ風呂に、帰ってから夜中に入ってサ、疲れてウトウト寝ちゃったときは、さすがに情けなかったよ。
カミさん: あれって直してもらったんだよね(笑) 
小生: 浴槽の穴を直してもらうなんて、「両班」であるわけないよねえ
カミさん: ソウ、ソウ(^o^

カミさんと語りながら、正直、そんな驚きの気持ちを抱いたことを記しておきたい。

2019年4月21日日曜日

一言メモ OR 隠居のたわごと? 皇位継承のこと

いま展開されているのが「さらば平成」キャンペーン、来月早々から始まるのが「はじめよう令和の新時代」キャンペーンである。

先日、見積もりをたててもらった車検の費用が一部部品の交換まで含めて23万円になった。絶句した小生はカミさんに『こんなに払って来年ハイブリッドを買うより、いま買い替えよう』と話して予定を急変更した。その結果、コンパクト・ハイブリッド4WDがトヨタからは出ていないので(本年暮れには出るらしい)、Vitzのガソリン特別仕様車を超安値ですすめられ、勢いで買う羽目になった。これもまた「サラバ平成」のノリだろう。

★ ★ ★

その関連というわけではないが、よく考えると来月即位する新天皇陛下と秋篠宮皇嗣殿下とは5歳違いである。天皇が80歳になるときに皇嗣は75歳になる。これでは皇位を継承するのに自然な状態ではない。生前退位も異例であったが、もっと異例である皇位辞退も発生する可能性が高い、というので結構な論題になっているようだ。

それでなくとも悠仁親王が皇位を継承する時点になると、男性継承者が極端に少なくなり、天皇制維持も不安視される、と。そんな事情もある。そこで女性天皇、女系天皇を容認するか?国民の大半は容認しているという「世論調査」の結果も出ているので、一層、混とんとしているのが象徴天皇制の現状だ。

とはいえ、「一代限りの女性天皇」はともかく、「女系天皇」には激烈な反対運動も予想され、であるが故に選択の合理性がそこにあるとしても、現実には採択不能であると予想する。

★ ★ ★

愛子内親王が臣籍降下された旧宮家(=伏見宮系)のいずれかの青年と婚姻をするとすれば、いまある問題の半分以上、いや8割方は(遠い将来を含め)解消する(というより、解消への一歩になる)だろうと感じられる。

この種の話題については数年前に一度投稿したことがある。

伝統ある家門を継承するにあたって日本人はそれほどまでに男系であるか、女系であるかには執着していない、というのが小生の感覚だ。

ただ、容認できる範囲と容認できないことの線引きは明確にあるので、慎重でなければならない。

ま、当たり前である。

2019年4月17日水曜日

断想: 制度や正義というほど野暮な話題はない

モームとディケンズには100年ほどの時代の違いがある。例えて言うなら夏目漱石と村上春樹が生きた時代の違いに相当するかもしれない。

だからディケンズを読んでも、馬車は出てくるが自動車はない。シャーロック・ホームズが利用した電報はまだない。ランプもなく蝋燭である。しかしガス灯は既にロンドンの夜を照らしていた。

『荒涼館』は訴訟事件が軸の一つになっているが、現代でも生きるような文章があるから面白い。

たとえば

『制度だ!どこにいってもわしはきかされましたよ。制度がそうなってますからって。個人が問題なんじゃない。制度がそうなってるんだって……おまえは正義にもとづいてさばかれた、だから引き下がりなさい、といえますか?…あの男には責任がない。そういう制度になってるんだから…』(第15章)

ディケンズは、言うまでもなく役人ではなく、民間に生きた作家である。制度や正義よりも人間個人に目を向けるとしても、ごく自然で当たり前だ。どの人も自分の人生を生きているのであって、制度や法律をまもることが人生の目的ではない。そもそも制度や法律などは、その時々の流れでどうにでも変わりうるものである。昨日までは「正しい」とされたことが今日は「間違い」であったと一変しても誰も責められないのが浮世の習いだ。大事なのは、現実に生きている人間集団のコモンセンスである。その場の人がどう感じるかという感性と常識だけが、実存するルールである。

実に健全だ。

民間放送の番組を観ていて、何よりも不愉快に感じるのは、「法的にはどうなるのですか?」という問いかけから、ほぼ常に話を始める点である。

「こうなったには理由があったと思うのですが…」という普通の疑問から話を始めれば、真っ当な内容になるだろう。法律や正義を問題にするのは役人や司法当局、法律専門家だけにしてほしいものだ。世間の井戸端会議に弁護士や検事OBは不要である。

誰のために民間メディア企業を経営しているのか分からなくなる現象が目に付くことは実に多い。

駐車場の隣の区画に蟻が巣を作っている。コンクリートの割れ目から地下に入り込んで、通路を縦横に掘削しつつあるのだ。まさか、地面が陥没することはないだろうネエ…管理人室には「蟻が巣を作ってますよ」と伝えておいた。アリの世界にもルールや制度があるのだろう、社会である以上は。それが何であっても、「だから何?」というほどの意義しかない。アリ社会にのみ役に立つのがアリの法律である。人間社会の制度、法律、正義もどこか似ているところがある。

2019年4月12日金曜日

一言メモ: 忖度…国語力の貧困か

下関北九州道路に関連して国交省副大臣や他の議員が「忖度」発言をしたというので、マスコミが報道(アピール?)している。

しかし、本当に報道するべき内容は「忖度の有無」ではない。公共事業予算に関する「利益誘導」があったかどうかである。

「忖度」などは組織で仕事をしていれば常に誰もがやっていることである。大体、新入社員に対して守れと強調する「ほうれんそう」。これ自体が、報告+連絡+相談をビジネス現場で実質的に強要しているわけであり、忖度を超える確認を求めているわけである。即ち、自儘という零点からスタートし、忖度(≒気配り)、ほうれんそうへと上がる階層的評価尺度が歴然とある。当たり前である。

忖度が当たり前であるのに対して、公共事業予算を自ら(自党に、とは異なる)にとって有利であるように支出するとすれば、それは「利益誘導」に該当し、国益からは乖離する行政となるだろう、見方によってはだが。即ち、利益誘導があったとすれば当たり前だとは言えず、大きな問題が隠れている可能性がある。もしも、利益誘導のあとに、関係した政治家に何がしかの政治資金が謝礼として還流するとすれば、これは地検・特捜部マターであるキャッシュバック(公金横領)であり、汚職に該当する。

しかし、それでは公共事業予算の配分や執行はどのように決めればよいのだろうか?公共事業予算というのは、本質的には、一定の予算額の取り合いである事には違いなく、どのように決めるとしても、それ自体が「利益を誘導する行為」の総決算にはなってしまうのだ。

まあ、汚れ仕事には違いない。大物政治家を輩出した都道府県は高速道路や空港、新幹線が通るというのは、ずっと前から言われている事だ。しかし、この種の仕事を官僚ではなく、民選議員が行っているからこそ、日本は民主主義国家でありうるのだ、とも言えるだろう。

いずれにしても、「忖度」と非難がましく書きながら、使うべき言葉である「利益誘導と汚職の可能性」を使わないのは、国語力の貧困だ。いや、欠けているのは国語力というよりは、報道機関としての覚悟なのかもしれない。

2019年4月7日日曜日

「巨悪は眠らせない」の表と裏

文豪サマセット・モームは小生が愛してやまない作家のひとりであるが、作品の中でも面白さという点では1、2を争うと思われる『英国諜報員・アシェンデン』(Ashenden Or The British Agent)に以下の1節がある(新潮文庫版から引用):
アシェンデンは善をよしと考えているものの、悪に憤ることはあまりない。ときどき冷酷だといわれることがあるのは、人を好き嫌い以前に興味の対象としてみてしまうからだった。
後続の文章も実に味わい深いが長くなるので控えておく。

善にこしたことはないが、悪をみても憤りは感じないのは確かに冷酷だ。しかし、相手の弱みに付け込んで秘密を聴きだし、それを母国に伝え、発覚したと悟った敵方は自分を信じて秘密を話してくれた相手を処刑する……、確かに冷酷でなくてはできない仕事である。故に、スパイが冷酷であるのは必然だ。

が、冷酷な仕打ちをするのは、スパイだけではない。普通のどこにでもいる人が、普段は善人であるのに、ふとした機会に悪人になってしまうのである。

あなたは未だ覚えているでせう、私がいつか貴方に、造り付けの悪人が世の中にゐるものではないと云った事を。多くの善人がいざといふ場合に突然悪人になるのだから油断しては不可ないと云った事を。

既に夏目漱石が『こころ』の中で、人間性と悪との必然的結びつきを語っている。この作品は、外ならぬ自分自身が「悪人」として人生をおくることになった「先生」の物語りである。

漱石もモームも愛する小生は、悪に対してただ「許せない」と言い募る人たちの目線よりは、心の中に善も悪も抱え込んでいる人間を研究しようとする目線のほうにずっと共感を感じる。

小生の身の周りにはいないが、ただひたすら『そんなこと、許せない』と憤る人は、人間理解という以前に、自らの倫理感覚が鈍感なのだと小生は思っている。他を罰することに偏る人は、自らを善しと決めてかかっているから可能であるわけであり、それは倫理感覚が鈍いことの現れでもあるからだ。

***

ある検事総長だったか…
巨悪は眠らせない
とか何とか、話したというので、一世を風靡したことがあった。

今回のカルロス・ゴーン元・日産会長も「巨悪」を演じていたのかもしれない。

しかし、一昨日の晩、同僚と一献酌み交わしたのだが、こんな話をした。

小生: ゴーンさんの裁判の行方はまったく分かりませんよねえ・・・ 
同僚: そうですね。経営学者としては教えられる事も多い人でしたが。 
小生: でもね、こんな多国籍の人が関係する国境をこえたビジネス事案はこれから増えてくると思いますよ。ルーティンを学習しておかないと検察も対応できんでしょう。 
同僚: 増えてくるでしょうね、確かに。中国とか、アメリカとか、もう発生していてもおかしくはないですから。
小生: フランスだから良かったんですよ。これが中国だったら、いやゴーンさんが仮にアメリカ人だったらどうでしょう? 著名なアメリカ人でも同じことでしたかね?
同僚: アメリカ人だったら、ですか?・・・アッハッハッハ・・・ 
小生: 地検の特捜は内閣に押さえつけられて何もできなかったんじゃないですかねえ・・・フランスは国際事案の摘発の練習相手になってくれているんですヨ。いわば「予行演習」だな・・・、何のための予行演習かは明らかですけどネ。それにゴーンさんは生粋のフランス人じゃないですしね。まあ、多国籍の人で、どこの国が人権を守るのかがハッキリしない、ここも都合が良かったのかもしれませんね。

元・検事総長の名言には続きがなければ現実的ではない。正確には以下のように言うべきだった:

巨悪は眠らせない!
もちろん自分たちに出来る範囲で、ですが…

『人間が白黒の二色で塗り分けられるものなら、生きるのも楽になり、行動するのも簡単になる!』。これまた『アシェンデン』の中の一節だ。

日本のメディア産業が毎日大量生産している報道記事が、耐えがたいほどに浅薄であることと、最近の日本の文学作品が(一部を除いて)どれもこれも善は善、悪は悪とでも言いたいかのような薄っぺらさがあることと、どこかで繋がっているのだと思っている。



2019年4月6日土曜日

一言メモ: 「世論調査」は改称するほうがよいのではないか

マスメディア各社が実施するいわゆる(自称?)「世論調査」。その不思議で、理解困難な点は小生の仕事柄もあって、これまでにも何度か本ブログに投稿してきた。左上の入力欄に「世論調査」を入れて検索をかけるだけで、結構な数の投稿をしてきたことに改めて気がつく。いやあ、「世論調査」というのは色々と考えさせられてきたのだネエと、驚くくらいだ。

滋賀大学にデータサイエンス学部が創設されたときは、当該分野の専門家にも評判になったが、今度は成城大学にも類似の機関ができたとのことだ。

成城大学は、2019年4月、データサイエンス教育研究センターを開設した。データに関心を持ちデータに基づき考え行動する学生を育て、人文・社会科学の分野におけるデータサイエンスの応用の開拓を目指す。

(出所)『大学ジャーナルONLINE』、2019年4月6日


メディアの報道記事を読んでいると、あまりにデータに対する「無感覚」― これを"IT Illiteracy"ならぬ"Data Illiteracy"というのだろうが ― が記事執筆者から伝わってきて、そのたびごとに文系学部の理数教育軽視の弊害、というより、それ以前に何かというと「理系」、「文系」というタテの壁が学問世界に歴然としてあると思い込んでいる日本の非常識に呆れてきたのだ。

外国の専門家の略歴をみていると、「歴史」から「物理」に移籍したり、「数学」から「哲学」に移ったり、「文学」から「化学」へ移ったりしてきたケースがままにある。

そもそも欧米の"Under Graduate"の教育開始時において、「理系」、「文系」の2分野に分けるという系統的区分はなく、まして進学指導においてこんな言葉が使われていることはないはずである。日本においては、単に「数式」や「ロジック」が嫌か、嫌でないかで生徒をフィルタリングしているだけであって、学問の発展には極めて問題が多い……、というのはずっと以前から指摘されているが、報道界で注目されることはない。

というより「不正統計」などといって、統計業務の細かい点に食らいつく割には、学問の事柄にはとんと関心を示さないという傾向にも、小生は理解の困難を感じている。

上のように、データサイエンス関係の教育機関が増えていけば、少しは数字に明るい報道記者が記事を書くようになるのだろうか。そう期待してやまない。18歳以降の学部教育の段階から知識全体を「理系」と「文系」に分けて語るのは、日本経済の足を引っ張る原因にすらなっていると思われる。


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それはさておき、いや、それにしても、メディア各社の「世論調査」。令和の新元号発表の前後で安倍内閣支持率が10パーセントも急上昇したそうだ。

次回の「世論調査」では、その「一時的要因」が剥げ落ち、しかも新しく出来した国交省副大臣による「忖度発言」が影響して支持率は10パーセント以上落ちるのではないかと、業界ではいまから「予想」しているそうなのだ、な。

これはもう「世論調査」というべきではない。「印象調査」と呼ぶ方が適切だ。もし、こんな不安定に揺らぎ動く数字が本質的・実質的に「世論」をとらえているのだとすれば、小生は「民主主義」には反対せざるを得ない。英国のEU離脱騒動を観ているだけでも、その理由は明らかだろう。

数字に表れているのは世間の総意としてマクロ的に実存している「世論」ではなく、『今の内閣、感じ悪いヨネ』、『結構、好いノリしてるヨネ』という類の現時点の社会心理状態だろうと思われる。英名をつけるとすれば"Public Opinion"ではなくて、"Contemporary Social Sentiment"を使うべきである。

2019年4月2日火曜日

メモ: 『便利なのが一番』に政治的思惑は不要である

昨日、新しい元号「令和」が発表され、これから史上空前の10連休が終わるまでは「さようなら平成」キャンペーンで列島全体が盛り上がりそうである。

この事自体は好いことであろう。少なくとも「怪しからん」と非難して水をさす必要はない。

実体経済に不透明感が増す中で株価も上げるかどうかは分からないが、10月には即位の大宴もあり、最初の予想よりは心理的な明るさが増して、今年の景気は意外と強めに推移するかもしれない。『消費税率引き上げ?8パーセントから10パーセント?いいヨ!かまへん、かまへん』と、そんなノリですんなりクリアされることすらあるかもしれない。

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それはともかく…

元号の使用がそもそも時代遅れなのは、外務省が西暦で原則とすると決めたことによく表れています。
和暦やめ西暦の原則使用、外務省が検討 読み替え煩雑で」(朝日新聞2019年4月1日)
参照
今日から和暦をやめて西暦に。新元号発表を契機に和暦はやめるべき。無駄混乱邪魔」(ブロゴス)
 これが文化だ、伝統だなんていうのも時代錯誤。一部の人たちの思惑でしかありません。
 これを機に元号とはさよならしましょう。
URL: https://blogos.com/article/368022/


こんな意見も開陳されているからインターネットというのは、色々とマイナスの側面を指摘する人もいるが、やはり自由な議論の場として貴重である事実に変わりはない。

ただ一つ疑問がある。

「元号」なる慣習なり、制度に抵抗を感じる日本人がいることはなるほど理解できるのだが、「元号」には国粋主義を感じ、「西暦」ならば好いという理屈はさっぱり分からないのだ、な。

「西暦」とはキリスト紀元である。小生は父祖代々の他力本願の仏教徒である。「元号」はダメで「西暦」は好いという心理は共有できない。

しかし、こんなことを言いだせばイスラム教徒は「西暦」に反発する権利がある。西暦はキリスト教徒だけが使用すればよいという理屈になり、実に不便である。国連の公文書はどの暦法を採用すれば許容されるのか結論が出なくなる可能性がある。

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「元号」に国粋主義を感じるなら、「西暦」にも近代欧州のコロニアリズムを感じるべきである。が、こんな政治的思惑を述べるとすれば、「愚か」とまでは言わないが、「頑固」だとは感じるし、そもそもこんな議論は不必要であろう。そう思われるのだ、な。

年月日は普及している便利なやり方をとるのが効率的だ。これだけである。それ以上でも以下でもない。暦や月日の数え方、曜日の呼び名などは自由に決めればよい。「それは不便で問題だ」という人がいるとすれば、「世界では西暦の普及率が高いようですぜ」と。言葉の英語、通貨のドル。ツールは便利であればそれでよい。

旧くとも「祭り」は全国各地で継承されており、相撲も半分は神事、半分は興行として今後も継承され、観戦したい人はチケットを買うだろう ― 小生も夏場所の升席を買った、令和最初の両国開催場所である。「元号」の習慣を続けたいと思う多数の日本人がいる限り、元号も代を重ねながら続くことだろう。大安仏滅を気にする人はまだいる。干支占いもまたなくならない。それには実質的理由がある。科学の進展とは別のことであり、生活をそれなりに面白く豊かにしてくれている。

結果として慣習が継承されてきて、今後も続くとすれば、それを認めるしか選択肢がないのが政治という営みである。

もしも「国」というものが実存らしくありえるならば、国を国たらしめている個々の人間たちの慣習や感性が先にある。なので、継承されてきた慣習が良いの悪いのと言い立てて、社会をある方向に導いていこうという行為は、よく言えば「前衛的かつ革新的」、客観的には「左翼的で暴力的」、簡単に言えばそもそも尻尾が犬を振りまわすような行為であり、そんな試みは横暴である。時間の無駄とすら言える。そう思われるのだ、な。

無駄な前衛的な議論などはせず、便利なものは素直にツールとして使えばよい。政治的思惑や「▲▲イズム」は不必要。そうではないだろうか。

2019年4月1日月曜日

一言感想: 新元号「令和」

元号で社会的スケールの狂騒曲が演じられるのは、(もはや)世界で日本一国のみである。

それでもテロや大災害で騒然となるよりは、余程、好いことには違いない。これが第一点。

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11時半に菅官房長官が「令和」の2文字を墨書した額を掲げたとき、小生の最初の印象は一部の人がネガティブな第一印象を述べているように「命令の令だなあ」というものだった。

『万葉集』に基づいたという選定理由はそれほどスッと頭に入ったわけではない ― 多くの人も同様だっただろう。

今回は漢籍に加えて日本の古典を専門とする人を選定作業に加えたという報道が流れた段階で、新しい元号は我が国の古典から選ぶのだろうという見当はアラアラでついていた。それでも(これも多くの専門家が述べているように)、多分、『日本書紀』か、それとも歴代の天皇の御歌か、もしくは和歌の秀作ではないかと思っていた。例えば大伴家持の「海ゆかばみずくかばね…」などは戦前の準国歌ともなっていた。あるいは時代を下って、本居宣長辺りの名句からか。そんな風に思いめぐらせていたのだ。まあ、こうして思い返すと、いい線は行っていたのだろう。

何事も予測のトレーニングは役に立つものだ。

それにしても「司令官の令」、「命令の令」とはネエ・・・という感覚がまずあったのは事実だ。

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しかし、日本の漢字は意味解釈が重層的で複雑である。読み方すらも、呉音、漢音、唐音と複数ある。

「令和」の令は、「ご令室」、「ご令嬢」、「ご令兄」の令であることにやがて思い至った。

「令」の元来の意味は「神の思し召し」というニュアンスであるらしい。となれば、「神意にそった和を」という意味にもなるか……。と、こう考えれば、神社に毎正月初詣する日本人の感覚が現れた国風の元号であるとも言える。

簡単にいえば「うるわしき和」という理解でいいのだろうと、まあ、人間の慣れというのは便利なものである。

もちろん元々の意味は、初春の令月(=二月)に咲く花を愛でる叙景的な感動から発するものである。