2019年8月28日水曜日

一言メモ: 現代韓国の政治家と幕末日本の松陰との連想

現在の韓国政府に関連してちょっと語呂合わせとしては面白いと思ったのでメモしておきたい:

かくすれば かくなるものと 知りながら
   やむにやまれぬ コリア魂

そういえば、もし幕末の長州人・吉田松陰が安政の大獄を生き延びて明治の代を迎え、ある機会を得て例えば外相や首相に任じられれば、相当のトラブル・メーカーになっていたのではないだろうか ― 実際、長州藩や幕府、師・佐久間象山にとって松陰は紛れもなくトラブル・メーカーであった。長生きしたとした場合の想像は簡単である。

ドイツの「富裕税」導入検討は眉唾ものか

ドイツが「富裕税」導入を検討しているとのことだ。

[ベルリン 26日 ロイター] - ドイツ連立与党の一角を占める社会民主党(SPD)は、富裕税を導入して税収をインフラ投資などに充てることを目指している。暫定党首の1人であるトルステン・シェーファーギュンベル氏が26日明らかにした。
同氏は記者団に対し、不動産や株式、現金などに1%の富裕税を課すとした作業部会の提案をこの日の党執行委員会で支持したことを明らかにした。
(出所)ロイター、2019年8月27日配信

日本では利子配当など資本所得は20%の分離課税が原則だが、その方が得なら総合課税も選べる(住民税や国民健康保険料にはね返るが)。ドイツでは26.375%である。やはり分離課税で総合課税も選択可となっている。(参考:「主要国の配当課税の概要」及び「主要国の利子課税の概要」

富裕税というとショッキングな言葉で、「私有財産不可侵」原則に反するのではないかとも思われるが、資産評価額に対して1%課税というのは手取りベースの資産利回りを1%だけ抑えることと同じである。5%を4%に、4%なら3%に手取りの利回りが低下するわけだ。まあ、なんてことはない。

「やったらいいんじゃない」とはいうものの、2000万円の資産を税込み利回り5%で回しているとして年間収入は100万円である。税率25%のドイツでは手取り75万円である。それを更に年間20万円を徴税する。手取りは55万円。利回りでいえば、表面5%を課税後3.75%、それを「富裕税」で1%だけ抑えて2.75%にまで引き下げる。こう言ってもよい。ま、相当に厳しい。

しかし、ドイツで検討されている「富裕税」は控除額を高くする予定であり、課税対象資産は200万ユーロ超であるそうだ。円ベースでは概ね2億円余。5%では1千万円。これまでの徴税額250万円に資産額1%を上乗せして450万円。手取りでは550万円。う~ん、確かに利くことはきく。資産が20億円になれば、ゼロが一つ増えて、手取り7500万円が5500万円に減る理屈だ。このレベルになると生活水準にはほとんど影響はなく、毎年の資産増加額が少し抑えられるだけだろう。

やっぱり、分離一律課税ではなく英国のように累進税率にするほうがいいネエ……

「富裕税」という呼び名は多分に大げさである。富裕層を主たる納税層にするのでそう呼ぶのだろう。であれば累進所得税だって富裕税だ。ま、これ以上の資産格差拡大を避けるには有効かもしれない。

シェーファーギュンベル氏によると、SPDの富裕税案は年間最大100億ユーロ(111億4000万ドル)の税収が得られると試算しており、社会的正義や富の再配分といった同党が重視する問題に回帰することで党としての特徴を明確にできるとの狙いもある。
・・・だそうである。税収増1兆円余。かなりの事はできそうである。

(出所)上と同じ。

2019年8月22日木曜日

「革新系」という言葉の使用には韓国では注意を要する

政治の世界では「革新系」という言葉が頻繁に使われる。例えば、日本の政界においては自民党に比べて立憲民主党や国民民主党、更には共産党であっても「革新的」と称されている。

一体、この「革新」という言葉の真の意味合いとは何なのだろう。

「革新」に類似した言葉として「左翼」という言葉もよくつかわれる。

必ずしも現政権を保守しようという側が「保守」であり、現政権を打倒しようという側が「革新」と称されているわけではない。現に韓国の政府は「左翼政権」と呼ばれ、「革新政権」と呼ばれている。

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それぞれの国には長年月の間に形成された伝統的な支配層や支配的な慣習や制度がある。これらに挑戦して新たな枠組みを構築しようという政治勢力は文字通り「革新的」である。例えば、19世紀に誕生した共産党は上の意味で典型的な革新勢力であった、というより革命を志向する勢力であった。

確かに、韓国の左翼勢力は韓国内の支配勢力を転覆しようという目的をもっているので、この意味では「革新的」であり、「左翼勢力」ではある。

ただ19世紀から20世紀の初めにかけて左翼勢力を強力に支えた共産主義思想の基盤はマルクス・レーニン主義であり、それは空虚な伝統的道徳や宗教を下部構造の上にたつ上部構造として排し、史的唯物論に立脚して社会を論じるわけである。必然的に道義や価値から議論を始めるのではなく、反対に科学万能主義とも言える議論を展開するという特徴が共通にみられてきた。

中国共産党もその伝統を十分に伝えている。

★ ★ ★

韓国の革新勢力は、しかし、利益や事業、生活という形而下的側面にあまり意を払わず、「正義」や「道義」を重視しており、最も愛用する戦略的用語は「道徳的優位」という単語であるのはよく知られている。

本来、歴史を通して澱みのようにつもり重なった先入観や偏見を排除して、事実観察のみに基づいて科学的分析を進める手法を左翼勢力は最も得意としていたはずである。

その左翼勢力が、韓国では「道徳的優位」などという用語を頻繁に使っている。その道徳とは、いかなる道徳か詳らかではないのだが、どうも受ける印象から察すると多分に朱子学的な「天理」、「道義」に道徳の源泉を求めている節もあるようだ。

だとすると、名称は確かに「左翼」であり、「革新」ではあるが、その実質は「革新」どころか、伝統的道義論に回帰した「超保守反動」に位置づけられるはずである。前の保守政権をもっと超える保守的反動であるので必然的にそうなる。日本の類似例を求めるとすれば、「革新」を称しつつも実は「国体」に執着した近衛文麿の「新体制運動」に近いかもしれない。そういえば、近衛文麿も筆頭貴族の出自でありながら既存の政党や財界、富裕層に足場を置くことを好まず、広く大衆的な人気の上にたって日本の政党政治を解体しようとした。その意味でも、現在の韓国「革新政権」は支配層の打倒を目指すという点でのみ革新的ではあるのだが、実はそれだけであり、その思想と実態は極めて「伝統回帰的」であり、過去を超越する革新的要素はほとんど持っていない政治集団ではないかとも思われる。

その超保守反動政権が共産党独裁国家である北朝鮮との融和を目指すというのは、本当は矛盾しているのだが、細かな理論、理屈は横に置けば、かつての君主制国家・朝鮮に郷愁をもちエリート政治家が庶民を道具として使っている点では、どちらもどちら、旧体制への本家帰りをしているのではないかと思われる。

どうも韓国の「革新勢力」は言葉と実態が本質的に矛盾している政治勢力であると感じている。

2019年8月21日水曜日

対企業「内定辞退予測サービス」をどう見るか?

リクナビ(親会社はリクルート)の「内定辞退予測」が世間の関心を集めている。庶民の感覚では、就活に励む学生にとって不可欠のツールであるリクナビに提供する自分の個人情報をリクナビが利用して企業側に<個人別内定辞退確率>を有償提供する。何だか個人情報保護に限りなく違反している、そんな印象もあることはある。この種のサービスを非難する人はそう感じているのではないかと推察される。

昔なら「データのクズ」として廃棄されたはずの業務情報が経済価値を持ち始めるという現代に特有の倫理問題かもしれない。

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リクナビを通して金融機関の採用情報を重点的に集めている学生がいるとして、その学生が製造業の大手メーカーの営業職も(念のため)志願しているとする。製造メーカーの立場としては、その学生が本気でその会社を志願しているかどうかを知りたいが、それは分からない。なぜなら、その学生は『いざという時の保険のために御社の面接も受けようと思いました、第一希望は▲▲銀行ですからそちらで内定がでればそちらに行こうと思います云々』などとは絶対に言わないからである。

「新卒市場」という市場があるということ自体、労働市場の非効率の原因の一つであると小生は思っているが、要するに新卒学生市場も労働市場の一部分である。一般的に、市場メカニズムは何より効率性を重視しなければならない。というのは、市場経済を基盤とする資本主義を採用している国で市場の非効率性を放置すれば、合理的な資源配分が阻害され、経済成長が抑えられるという結果を招き、ひいては競合国に対して全ての面で競争劣位に立ってしまうからである。つまり「国益」を失うわけだ。

共産主義ならいざ知らず ― グローバル化した世界で一国共産主義を語っても妄言になるが市場を信頼しないなら政府が決める理屈だ ―、資本主義経済では市場メカニズムの効率性維持が致命的に重要である。

故に、リクナビによる内定辞退予測サービスが企業側の人材採用コストの節減に大いに役立つのであれば、それだけでこのサービスは十分にビジネスとして成り立つ基盤がある。そんな理屈になる。

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では新卒学生の側で何らかのマイナスは生じるのだろうか?

もし内定辞退確率の計算に使用している情報が正確で計算アルゴリズムも適切であるなら、その学生は計算された確率に(ほぼほぼ)沿って行動選択をする可能性が高い。心の中で「最終的にはあの企業には行きたくないんだよネ」と感じつつ面接を受けているのであれば、企業の側から不合格を示されても最初から強く志願しているわけではないから大きな損失とは言えないだろう。問題は、金融機関を志願しつつもすべての金融機関で不合格となり、製造メーカーでのみ合格となる場合だ ― 小生が新卒であった頃はそんな例が数多いた。リクナビの内定辞退予測サービスがなければ、メーカーで無事採用されていたところを、リクナビが余計なサービスを開始したために(実力?はあるのに)不合格を出されてしまう。そんな気の毒な学生が発生するかもしれない。

しかし、更に一歩先を予測することも大事だろう。そもそも強くは希望せず、動機付けも弱く、たまたま滑り止めで採用されてしまうような企業に入社したとしても、いまの時代である、3年か5年程度で転職してしまうのではないか。最初の希望である金融機関に転職するチャンスを見つけるのではないか。そもそもメーカーは長期的に会社の経営を支えてくれる人材を正規社員として求めている。そんな会社にモチベーションが弱い学生が偶然に入社してくるとしても、会社側も学生側も互いに意欲を示しあって前向きの"Human Relation"を形成することは難しく、やはりそれは会社・学生双方にとって不幸なマッチングではないか。そうも感じてしまうのだ、な。

こう考えると、学生の側において極めて大きな損失を招くようなサービスではないのではないか。
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まあ、ベネフィット配分のバランスは確かに悪い。このままでは、企業側に便益が厚く、学生側にはプラスであるのかどうかも分からない。

キーポイントは、内定辞退確率の計算でどのような個人情報をインプットしたか、行動予測精度は十分に高いのか等々、予測モデルの良否について事後的な検証・評価を欠かさないことだ。計算アルゴリズムの精緻化も鍵である。そんな統計科学的な研究が蓄積されていけば、今度は受験予備校の合格確率と同じように新卒学生に対して<会社別内定確率>を計算して結果を学生側に提供してあげる、いわば逆向きのサービスも開始可能であろう。もしそんなサービスが構築できれば、全国の大学が競って有償契約するであろう。

企業側、学生側双方に有用な情報を提供することは、日本の労働市場を大いに効率化し、職業選択という人生でも最も大事な節目において間違った選択をしないですむ人を増やすことにもなるだろう。

2019年8月17日土曜日

メモ: 高校野球で登板を回避する選択について

一日二回のメモをアップするのは初めてだ。

夏の甲子園大会がだんだんと佳境を迎えている。本日も星稜・智弁和歌山戦のように延長戦の末に劇的な幕切れがあるなどどれも熱戦だ。

思い出すのは岩手県予選の決勝戦でエースが登板を回避して出場できなかった大船渡高校のこと。

投げすぎを心配したというのが理由だった。球数制限が検討される今日、自然な判断とも言えるが実際には賛否両論あるようだ。簡単にいえば「高校野球の段階で登板をしいて故障させてしまっては、将来必ずプロ野球で活躍するだろう逸材を潰してしまうことになる、その危険を避けたのです」と。そういう思考になる。

確かに将来のプロ入りまでを考えた上で今現在どうするかと考えるのは戦略的思考であり、理屈は通っている。

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しかし、世の中は一寸先は闇である。プロで活躍する前に運悪く交通事故に遭ってしまって投げられなくなるという可能性はゼロではあるまい。そうでなくとも球質や制球力がいま一つ十分でなくプロ野球で期待されたほどには活躍できないという可能性もある。

将来を考慮して現在は自重するというのは理屈に適っているが、予想通りの将来はやってこないかもしれない。「将来これこれの事をするつもりだから……」などと思惑をもたず、後先を考えずにチームメートと一丸となり全力で戦えたはずのこの夏の機会を自ら捨て去ったその選択を後になって後悔することにはならないか?

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人によっては「あの年の夏が自分にとっては最高の時でした」と、「その後は下る一方でした」という人もいる。人によっては「夏の高校野球は僕の人生で大事な一歩でした」という人もいる。人は色々だが、人生もまた色々だ。現在から将来にかけての人生を先取りして、将来を決めたうえで現在を決める。確かに経済理論では動学的最適化行動として合理性は証明されている。と同時に、先日も三鷹に棲んでいる小生の叔父と電話で話したのだが『〇〇君、ほんとに人生というのは思う様にはいかないものだネエ』、こぼすような、諦めているような、淋しいような独特な口調が受話器の向こうから聞こえていたのを思い出すのだ。

一言メモ: 韓国版「文化大革命」はまだ起きていないのではないか

先日の投稿で「韓国は先祖帰り」をしたのではないかと書いた。「先祖帰り」というなら、本来ならば儒教文化への「先祖帰り」という意味になる。

韓国では儒教的思考法がいまだ支配的であるのだろうか。「何が正しいか」を常に言い続ける様子をみているとそんな印象を受けてしまう。

そんなことを思いめぐらしているうちに、韓国は近代以降一度も伝統的儒教文化を排撃する時代をもってこなかったのではないか、と。そう思い至った。

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日本の明治維新の直後から文明開化の時代にかけては、「欧化主義」、「廃仏毀釈」という言葉がまだ残っているように伝統文化への批判が極めて激しい時代だった。福沢諭吉も「武士道は親の仇で御座る」と書いているし、もっと激しい非難は儒教的思考方式、儒教的価値観全体に対して加えている。儒教的倫理がいかに馬鹿々々しく愚かなものであったかは、『学問のすすめ』の中で「楠木正成=ゴン助」論を展開して思う存分にやっつけているくらいだ。そして実験的事実に基づく科学的思考法を徹底的に支持した。

ただ明治23年の大日本帝国憲法発布以降、明治天皇が成人されるに及んで日本の教育課程の中に儒教的倫理感が織り込まれるようになり、明治は復古の時代を迎える。明治から大正にかけては国際化、都市化と伝統文化が奇妙に混在した社会になる。

中国でも文化大革命の中で伝統的儒教は徹底的に排撃された。そもそもマルクス・レーニン主義というのは史的唯物論に立脚しており、理念中心の儒学とは水と油であったのだ。

北朝鮮はいざしらず、大韓民国において伝統文化が徹底的に批判される時代をこれまで一度は持ったことがあるのだろうか。まあ、持ったというならそれは日本が統治した35年間であったのだろうが、現在の韓国はその時代とは断絶している。それでは現在の韓国文化を支えている思想はどんな思想なのだろう。儒教的思考や儒教的価値観をどのようにアウフヘーベンして今日に至っているのだろうか。

参考文献を探しているのだが、なかなか見つからない。

2019年8月16日金曜日

一言メモ: ことわざ「他山の石」が役立つ韓国の失敗

昨日は終戦記念日であったが韓国では光復節になる。文大統領の演説はさぞや激烈な対日敵意に満ち溢れたものになるだろうと予想されていたが、それが案に相違してマイルド、というより日本に対話による解決を呼びかけるものであったというので、色々と心底を詮索されているようだ。

融和を目指していた北朝鮮からは「日韓軍事情報包括保全協定(GSOMIA)」を破棄せよと強請され、韓国とは接触に及ばずと突っぱねられる。日本とは輸出管理をめぐって「協議をする意思はない」と拒絶される。対日関係が悪化するので、対北朝鮮でより一層融和的に出ざるを得ず、それがまたアメリカから不信感をかう。「統一朝鮮」を語っては夢物語と揶揄される。ますます信用されなくなる。

どうやら「勝利の方程式」ならぬ「敗北の方程式」を選び取ってしまった形だ。

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こんな韓国の苦境を形容するのにマスコミは『覆水盆に返らず』という諺を愛用しているようだが、小生はズバリ
二兎を追う者は一兎をも得ず
そう言いたい。まさに絵にかいたような失敗例である。そう思うのだ、な。

北との融和・統一を長期戦略として目指すのなら、北と南だけで実現できるはずがなく、米・中・露・欧がからんだ巨大プロジェクトになる。

まず日本とだけは綿密なコミュニケーションを絶やさず固い盟約を確認しておくべきであった。もちろんそうするには、日本にも利益になることを韓国はしなければならないということなのだが、朝鮮半島マターで日本が利益を得るという選択は絶対にしたくない、そんな執着が合理性を欠く行動をとらせたと。そうも言えるだろう。

韓国だけではなく日本もタイアップして半島経営への不退転のコミットメントを発すれば、現在の両国の経済力、経済資源を考慮すると、米中露欧も影響された可能性がある。

文さん、あちらも立て、こちらも立て、複数の目標を一度に追及するという愚を犯したようだ。なぜそんな失敗をしたのかといえば、最優先されるべき第一目標、つまり「半島統一」にすべての政治資源を集中できなかった。自らに制約を課してしまった。対日敵意にとらわれた。『歴史を正す』という目標も自らに課してしまった。これを目標にするならアメリカとだけは意思疎通を密にしておくべきであった。北朝鮮融和は二次的目標とするべきだった。

あれも、これも……、秀才にはよく起こりうる失敗である。

日本も「他山の石」とするべきだ。

2019年8月14日水曜日

メモ: 旧世代には理解困難な発想

旧世代には理解困難な発想が最近は増えてきている。とりあえず二点だけ覚え書きにしておこう。

第1:

「上意下達」という組織原理に疑問を抱き、問題を発見しようとする姿勢は、これは健全だと思う。ただ、本日の道新朝刊でも記事になっていたが、自衛隊でも
「上意下達」意識改革がカギ
防衛省がパワハラ対策
こんな記事が載ってしまうのが今の世相である。時代の流行を追っているのだろう。

まったく「時の勢い」というのは怖い。

自衛隊の行動原理が「上意下達」から「創意自由」へ切り替わったら日本はどうなるのか?自衛隊は総理大臣の指揮に服するという原理はどうなるか?武装集団が上意下達に疑問を抱くとどうなるか?実に怖いことである。

江戸の旧幕時代、「上意である」という一言に全員が服した時代の倫理観を改めて見直したいくらいだ。

第2:

お盆に帰省した子供夫婦への禁句があるそうだ。

子供はまだ?
孫が楽しみだわね

これを言っちゃあいけないそうだ。

小生は旧世代に属するので、結婚をすれば子供が待たれる、大学に戻れば教授になるのはいつか、学位はいつとるのか、と。激励にも似たプレッシャーを受けてきた世代である。

現代の若手世代は多分プレッシャーが嫌いなのであろうということは憶測可能である。

これは一般論なのだが、親世代の期待がどこにあるのか。それを耳にするのに負担を感じるなら帰省しなければよいのではないだろうか。そもそも親子とはいえ、独立すれば狭い意味の家族ではなくなるのだから、名々の行動は自由である。盆と正月には帰省しなければならないという規則はない。若夫婦で海外旅行、水入らず。何も悪くはない。

親も子も年々齢をとる。親子の関係であっても年齢に応じた交際、コミュニケーションに変わっていくのは自然なことである。

「もたれあい」ではなく、「助け合い」で行きたいものである。助け合う意志が薄弱なのであれば、帰省して休憩しようとする子供家族に謝して断るのも教育の一環かもしれない。


2019年8月9日金曜日

国と企業を混同するトンチンカンな意見

今年10月に消費税率が8%から10%に引き上げられ、税込み価格の計算がずいぶんしやすくなる。700円の書籍なら税込み756円になるところが、10月からは1割増しの770円となる。簡単に暗算ができる。

「増税する中で公務員給与を引き上げる怪」という話題を記事にしている新聞社があったりする。すると平和な日本ではこんな意見に「その通りだ」という反応が案の定あったりする。

もし赤字企業があるときにどんな経営再建が必要だろうか?従業員の給与を引き下げる事だろうか?

赤字なら従業員の給与を下げることから始めなければならんだろうという人がいれば、経営再建を引き受けてやってみればよい。会社を倒産させてしまうだろう。

給与を下げれば出ていくカネを節約出来ると考えるのだろうがそれは浅知恵だ。人が会社からいなくなるだけだ。出来る人材が去ればその会社は左前だ。再建のチャンスを失うだけである。

それでも「現に多くの会社は給与を下げるか、引き上げ凍結をしていますよ」とこだわる人がいる。「だから失われた20年を招いてしまったんですよ」と小生は言いたいところだ。まったくの下策であった。給与が下がっても会社を愛する人がいるのは会社には有難いことだ。再建できた暁には高額の報奨が得られると思って苦境をともにしてくれるのは有難いことである。見込みがなければ誰もついてこないだろう。人はトップの出来不出来をみる。武士も御恩奉公で頑張れた。奉公だけでは誰も頑張らないのが世の鉄則である。

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赤字企業の再建に必要なのは、給与引き下げではなく、赤字事業のリストラである。赤字であるということはその会社の強みが失われていることを意味する。スリム化し得意分野に経営資源を集中させて再建するのが王道であることはもう誰もが知識としては知っているはずだ。

日本政府の各種サービス分野で赤字事業の核となっているのは社会保障である。もしも「財政再建」が日本の国家目標であるなら社会保障事業をリストラすればよいという理屈になる。特に将来支出の嵩む年金事業からは撤退し、事業譲渡を進めるのが緊急の課題ということになる。そして、期待収益率の高い最先端研究支援、高等教育や老朽インフラ補修にカネを回すべきであるという提案になる。

思わず「そうだよね」と言いたくなる人は多いだろう。

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しかし、赤字事業の社会保障を引き受ける会社はあるだろうか?国が断念するような赤字事業を引き受ける企業が民間にあるはずはない。あるとすれば外国流のコストカットをむねとする引き受け手しかいない。要するに、富裕層中心の年金保険事業のみに特化し、文字通りの社会保障は止めるという結末になる。日本社会には阿鼻叫喚が巻き起こるだろう。相当の確率で共産党が政権を握るだろう。

それでもよいなら話はここで終わる。

今になって止めるなら、そもそも年金保険などをなぜ国は始めたのだろうか。明治から大正、戦争直前にかけて戦前期日本ではロクな社会保障はなかったが、それでも日本人は快活に暮らしていたのである。大家族制の伝統と核家族化を融合させながら上手に生きていたのである。

国家直営の社会保障を始めるという選択は不可逆、もう後戻りはできないと思うしかない。とすれば、持続可能な財政システムを考えて実行するしか選択肢はないわけだ。

年金については何度も投稿してきた。つい最近も投稿した。会社では普通こんな風にしていますよなどと考えても、あまり役に立つ方策は出ては来ないのである。

2019年8月6日火曜日

一言メモ: 行政能力への不信は増すばかり

日韓対立に対応して韓国政府は『100大主要品目の5年以内内製化』を目指すという。

記事の一部を抜粋しよう:

まず、日本への依存度が高い6つの分野の100大品目を中心に、輸入国の多様化とともに国内生産の拡大を集中的に進めることにした。日本の輸出規制3大品目を含め、主力産業に直接影響を及ぼす品目の中から、業界の意見と専門家の検討を経て、半導体やディスプレイ、自動車、電気電子、機械金属、基礎化学などの分野で選ばれた。この中で、需給逼迫のリスクが高いと判断された半導体やディスプレイ、自動車など5分野の20品目は、1年以内に供給安定化を実現するのが政府の目標だ。日本の輸出規制の対象となっているフッ化水素などの主要な材料は、米国や中国、欧州連合(EU)などを通じて、代替輸入先を確保することにした。対外依存度が高いが、自立化に時間がかかる80品目は、研究・開発(R&D)の財源を集中投資し、合併・買収(M&A)などを通じて5年以内に供給を安定化させることにした。
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190806-00034029-hankyoreh-kr
元記事:ハンギョレ新聞、2019年8月6日配信

ズバリいうなら、文字通りの「泥縄式」である。計画の成否には数多くの前提の確認とシミュレーションが欠かせない。

韓国政府の経済政策能力は、無理な最低賃金引き上げを強行したことにも如実に表れている。

理にかなった賃金調整政策をすら円滑に進められない政府が、100品目の輸入代替産業育成というもっと複雑な産業政策を着実に進められるはずがない。

韓国経済はビジネス、経済の動きに無知な政府によって混乱を強いられるであろう。

その間の資源の浪費は韓国の経済成長を大いに抑えることが確実に予想される。公的資金の少なからぬ額は無駄に投下されていくことだろう。

もっと有望な分野に資金が回ることは政府の目標の前に抑えられるだろう。

そして低い経済成長が続くことにより期待成長率も低下し、それが投資を消極化させ、生産性向上を抑え、潜在成長率を低下させるというロジックは、日本も1990年代から2000年代にかけてはまったワナである。

元徴用工に保障されるべき正義の賠償(日韓で妥協できたとしてもせいぜいが)数億円を得るために国家経済数十兆円を犠牲にするとすれば、いかに道徳倫理の面で理に適っていても、やっていることは愚かである。

2019年8月3日土曜日

一言メモ: 国際経済上の要注意点

国際経済上の要注意点を覚え書きにしておきたい:

昨日の対韓優遇措置停止(=ホワイト国から除外する措置)に関する閣議決定。昨日時点でウォンの対ドル相場が1200ウォン/$を超えていたが、来週のウォン相場の行方が要注意だ。

FRBが7月末に0.25BPの利下げを決定した。これに対して『景気拡大中になぜ利下げ?』という声も多いようだ。確かに不思議なタイミングではある。

利下げは実に2008年以来10年振りのことになる。が、決定と同時に「利下げサイクルに入ったわけではない」と、これまたどうも訳の分からない一言をFRB議長が追加した。

金利の長短スプレッド等をみると実体経済のピークアウトが間近いことがわかる。米中紛争にともなう中国経済の減速から世界経済は既に「踊り場」から「後退局面」へ入りつつあるかもしれない ― 世界GDPの四半期動向は正確には分からないという統計的限界がある。

今回の金利引き下げは、「引き下げが必要な局面だとは言えないが、ちょっと下げておきますネ」という程度のものなのだろうか?状況はまた異なるが、1980年代末に円高不況を恐れるあまり低めの金利を継続し、遂に未曽有の株価バブル、地価バブルを招いてしまった日銀の迷いを何だか思い出してしまう。何なのだろう、下げておきながら「引き下げサイクルに入ったわけではない」というのは……。

世界経済を映し出す主な指標の一つである銅価格は、2016年春に大底をうち2018年春にピークをつけたあと、その後は下落基調を続け、この先もっと下がる見込みが強い。弱い兆候だ。原油(WTI)も同様で2018年の高値70$/Bから最近は55$/B、大体2割下がっている。一方、鉄鉱石は上がっている。2016年初の大底から2倍強は上がっている。とはいえ、2011年のリーマン危機後高値に比べればまだ6割程度の中位水準に留まっている。

総じて世界経済は「熱狂状態」とはほど遠く、むしろ温度が下がってきていて熱い湯を足したくなってきた、そんな感じに近いか。金利面では何もしなくともよい状況とも思われる ― 中国経済の減速が既にかなりの程度になっているという不安はあるのだが。

ハッキリしているのはNY株式市場の株価は一見するだけで高すぎることだ。2001年のITバブル崩壊、2008年のリーマン危機のあと、まるでロケットである。実体経済の裏付けがない。3~4割程度の株価調整が明日から始まるとしても当たり前だと思う。その調整が2018年に既に発生して進行中であるとは思われないのだな。株価調整にしては長すぎる。


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言えることは、現在の株価は金融現象であるということだ。『インフレは貨幣的現象である』とよく言われるが、通貨創造は金融によって行われる以上、金融現象でもある。同じ意味で、リーマン危機後の株価は金融現象化した。「金利を少し下げておきますネ」という動作は「もうちょっと株価を下げないでおきますネ、しかし上がるとは思わないで下さいヨ」と。下世話にいえばこんなことを米金融当局トップは言いたかったのではないか。いやいやホント、金融政策も世につれ、人につれ……である。

韓国経済のことも気になるが、もっと心配になるのはやはり世界経済の実態と金融とのバランスである。