今週末の参院選は、国政選挙としては投稿したように「自分が知る最も下らない選挙」であるのだが、それでも自公(=与党)が過半数割れするかどうかは、ギャンブルの対象としては面白い(と言わざるを得ない) ― 事情は知らないが、海外サイトでは既に賭けの対象になっているかもしれない。
著名な(?)投資家である田端信太郎の発想や意見には、結構、同感する点が多い。最先端の(といってもイイと思うが)ビジネスの現場で生きてきた経験は、同氏のリソースにしっかりとなっている、と思う ― 同僚による評価、というか業界内評価がどんなであるかは、分野も違うので熟知していないが。
その田端氏の最近の見立て:
- 今回の総選挙で自民党が過半数割れする可能性に触れ、その場合「石破さんが責任とって辞める可能性がまあある」と。
- 昨今議論される消費税減税については「消費税減税実現しません」と断言。国民民主党や維新の会が減税を主張しているものの、「下げたら戻せない」という構造的な問題があるため、政治的には実現が難しい・・・
- 高齢者の医療費自己負担割合の引き上げ(1割から3割)が、社会保障費抑制のための現実的な手段となる・・・
- これから30年インフレが続く・・・政府の無責任な「バラマキ」政策が財政規律を緩め、通貨価値の希薄化を招いていることがある
- 株とか不動産とか、そういうインフレに強い金融資産を買わないと、はっきり言って死ぬ
- 現場系の職人やタクシー運転手など、「体を使う仕事は全然足りなくて、すごく収入増えてると思う」と述べ、意欲さえあれば稼げる時代になったと強調。
- 大学進学の必要性にも疑問を呈し、「変な大学は行く必要ないよね」と、手に職をつけることの重要性を説いた。
- 日本経済がインフレという不可逆的なフェーズに入ったことで、個人間の格差がさらに広がる・・・
URL:https://news.livedoor.com/article/detail/29168329/
YouTube:https://www.youtube.com/watch?v=mMUd4O7U5WM&t=1756s
上に抜粋した同氏の見方には、八割がた賛成だ。特に、第6から第7にかけて「手に職をつける方が得」、「変な大学に行く必要はなし」というのは、堀江貴文氏とも同じ目線で、やっぱり同じ釜の飯を食った仲間だネエと感じる次第。徹底的に実践的。イイと思います…
なるほど後期高齢者の医療費負担率を1割から3割に引き上げれば、医療保険料は下げられる ― それよりは、(前にも投稿したように)消費税率引き上げと同時に国民年金保険料をゼロにする方が筋が良いと思うが、医療費負担率を一律3割とすることも、宿題であるには違いない。
(上の要約とはやや異なるが)現在から今後将来にかけて豊かな人生を送って行くためには
- AI(=人工知能)をパートナーにできる優れた頭脳で勝負する。
- 手に職を付けて手足・身体で勝負する。
この二つのどちらか一つだけが正道だ。敢えて言うが、このほかの道はない、そう断言する。
頭脳・身体でなく口で勝負する仕事はなくなっていく
ということだ。なお、上で「AIをパートナーにできる」というのは、AIに使われるのではなく、AIを有能な部下として使いこなせる、という意味である。
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製造業(=モノづくり)が(相対的に)地盤沈下したここ半世紀の間に評価された「言葉で勝負する才能」は、残念ながら急速に陳腐化して、主流から脱落する。
もはや「言葉を紡ぐ能力」は、生きた人間の専売特許ではなくなった。
《グローバル・クラスの創造性ある頭脳》、でなければ《工業高校・専門学校から高専レベルの基礎+職業経験知》、このいずれかを糧に出来れば、豊かな人生を送れる。
前者は少数の人間にのみ与えられる天賦の才で決まるが、後者なら99%の汗と1%のアイデアがあれば誰でも勝負できる。
現場を担当して社会のインフラを守る仕事が尊重される時代… …、個人的には真っ当で善い時代になって来たと期待しているところだ。
松本清張の社会派推理小説が描くような「虚業の栄える時代」は終焉してほしいものだ。
ちょうど流通業で中間段階にある卸売がスリム化されるように、社会の生産体系においても、中間段階にあって言葉を使う仕事はだんだんと消失するということか……「本社」などは半分以下にスリム化できるのでは?「中央官庁」も同じであります。
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こんな変化の時代に大学は対応できるのか、と?
それは上に書いたとおり。
全国大学の50%から70%超(?)は「大学」とは別種の職業専門学校に衣替えをするであろうし、強制的にそうすることを迫られるものと予想する。この意味で、今年度から始まった一部多子世帯に対する「大学授業料無償化」は、現代日本の問題が視えていないという事実を露呈させた、時代に逆行した愚策だ。
「大学」というより、むしろ職業スキルの教育機関は、文科省から外し、経済産業省の所管とした上で規制を撤廃し、職業資格認定制度と併せて、有用な就業機会につなげていく方が遥かによい(はずだ)。職業につながる教育サービスである以上、市場による評価に馴染むはずだ。厚労省所管の産業分野との関連は書くのも面倒、分かり切った事なので省略。
政治家や中央官庁の堕落と機能劣化には甚だしいものがあるので、「こんな行政が・・・」というより、政府は職業教育の舞台設計から降りる方が良い。こう記して覚え書きとしたい。
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人間社会は、ずっと大昔の石器時代から
智恵のある者が、智恵のない愚か者から、何もかもをむしりとる。
この実相は、人間性が同じである限り、変わらないし、今後将来も変わるまい。
人間の魂は、智恵、気概、欲望の三つから成り立つとする魂三分説をギリシアの哲学者・プラトンは唱えた。ところが、この中の智恵を補うAI(=人工知能)が登場した。人間の智恵、つまりはロゴス、言葉の優越が人工物によって砂状化しつつある社会になってきた。
しかし《優れた人間》は人間社会にはやはり必要だ(と思う)。では、今後の人間社会で優れた人間とはどんな資質をもった人間であるのか?・・・分かりませヌ。「優れた人間」そのものは変わらないと思うが、今後将来、「大衆が優れていると見る人間」とはどんな人間になるのか、小生にはまったく分かりませぬ。
うまくやって行ってほしいものだ。
AIが助けてくれるから、全ての人の生産性がアップして豊かになれるはずだ、と?
それは分からない。ただ労働者の報酬は労働市場で決まる。AIの普及は労働需要を増やすのか?誰もが懸念している事には、それなりの理由はあるのだ。
ロジカルに考えれば、AIは、AIを使う凡人に報酬を与えるのではなく、AIを所有する人間、AIを創造する頭脳にこそ利益を与える(はずだ)―もちろんAIを利用する消費者は、消費者余剰を得るという形で、より豊かな社会を享受するのは確かだ。だからと言って、多数の人がAIによって儲かるというのは、電力、自動車が登場した時と同じで、また別の話しだ。
【加筆修正:2025-07-17】
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