トランプ大統領が「イスラエルに唆されて?」対イラン軍事攻撃に踏み切った動機は(ほゞほゞ確実に?)今秋に予定されている中間選挙であるという巷の憶測は、小生もたぶんそうなのだろうナアと思っている。
何度も投稿してきたことだが
これが物事の本質だろう。
この三流政治家が、お前たちが考えていることは全部マルっとお見通しだ!
と、言いたいところだネエ。
世界中で地域紛争の種を探しては、これに介入し、自分の政治的地位を自国内で高めて選挙を有利にしたいというタイプの行為は、国際平和のためにも《それ自体が戦争犯罪》として認定してほしいものだ。
この意味では、プーチンもゼレンスキーもトランプも、更にはロシア=ウクライナ戦争勃発時のジョンソン英・元首相も、もちろんイスラエルのネタニヤフ現首相も、一人残らず戦争犯罪を犯しつつあると観る立場に小生はいる。
《普通選挙》は自国が民主主義国であると主張するための最重要な必要条件として理解されている。確かにこれは近代以降の世界の常識だ。しかしながら、この認識は市民革命から参政権拡大、民主主義の浸透という政治的プロセスと、資本主義経済の持続的成長という経済的プロセスが、相互にシンクロして進んできたという最近200年間の経験から得られた《社会科学的仮説》に過ぎない。
(何度も投稿してきたことだが)実際には、古代ギリシア世界においては民主的なアテネが腐敗、没落し、その後にギリシア語を使う広大なヘレニズム文化圏を築いたのは専制的なアレクサンドロス大王とそれを継承したヘレニズム国家であった。ヘレニズム世界の中で東西の文化は溶け合い、自由で広域的な貿易が発展し、かつてない豊かな社会が実現した。また古代ローマがいわゆる《Pax Romana》(=ローマの平和)を実現したのは、民主的な共和制ローマではなく帝政に移行した後のローマ帝国である。ローマ帝国の歴史的評価は周知のとおりだ。
多くの国民に豊かで自由な暮らしを提供できる国家は、政治体制が非民主主義的であるとしても、国家の中身は十分に《民主的》であると、小生には思える時がある。
民主主義国において
民意に勝る意志はない。民意こそ正義である。
と自惚れる姿勢は、専制君主国において
王の意志こそが神聖であって、これに勝る正義はない。
と自惚れる王の姿勢と瓜二つである。
どちらも
道理を無視して愚かな人間(たち?)の意志を神聖視する
という根本的誤りを犯している。
世論調査は「暮らしと経済」が最も切実な要求であることを(ほぼ常に)示している。この当たり前の事実を徹底して理解しているマスメディア企業は驚くほど少ないようだ。
愚人が権力を行使するほど怖いことはない。
《道理》は、つまり感情や欲望ではない《理性》が求める道は、民意であれ、君命であれ、あらゆる人間の意志や希望に優越するものでなければなるまい。
人の心の働きで、ただ一つ時代や国を超えて不変であるのは、理性だけである。だからこそ、理性は数学や自然科学にとどまらず、モラルや信仰においても人間社会に有益な道理を示しうると考えられてきた。西洋の哲学だけではなく、インド、中国でも理性、知性に対する信頼は文化の根底として揺るぎがなかった。
いまエリートへの反感と理性への信頼喪失がシンクロして進んでいるのだとすれば未来は暗い。
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