2025年8月12日火曜日

ホンノ一言: 靖国神社をめぐる「まぎれもない正論」?

我が家では、広島原爆記念日の8月6日から寺で施餓鬼会のある8月18日までを、いつからか「鎮魂週間」と呼ぶ習慣になった。今月は23日の月参りもお休みなので、(普段より時間はかかるが)阿弥陀経全文でも読誦しようと思っている。これも今後の新しい習慣になるだろう。

マ、とにかく毎年の八月上旬から下旬にかけて、これほど弔いや慰霊の集中する期間は他にない。


先の戦争と敗戦を思い起こす時機にも当たるのか、政治記事が多く見られるのも今頃だ。たとえば、いま進行中の自民党内・石破おろしに関連付けて以下のような意見もチラホラと目につくわけで、こうした片言隻句にこそ、現代日本人の心の中のホンネが出てくるのだと小生は思っている:

「高市氏の外交姿勢です。特に“首相になった場合も靖国参拝を継続する”と主張した点が問題視されたと見ています。実際その点を指摘する議員もいました。高市氏を支持する勢力にとって心強い訴えだったようですが、それによって票が逃げ、半分くらい腰かけていた女性初の首相の座からも滑り落ちてしまった格好です」

(中略) 

もっとも、祖国のために心ならずも戦地に赴き亡くなった方々に心からの哀悼を捧げ、平和に感謝すること自体、何ら批判や非難、干渉を受けるいわれはない。そもそも内政の問題であり、また日本には信教の自由もある――これはまぎれもない正論。

URL:https://www.dailyshincho.jp/article/2025/08050551/?all=1

Date:2025年08月05日 

なるほど『戦地に赴き亡くなった方々に心からの哀悼を捧げ、平和に感謝すること自体、何ら批判や非難、干渉を受けるいわれはない』という部分を非難する人はいるはずはないし、それは世界共通の思いだろうと、(勝手に)判断している。

これは紛れもなく正論だ

しかし、靖国神社については正論が当てはまらない現状になっている。即ち、「戦争責任」というより「開戦責任」と言うべきかもしれないが、1978年10月17日、靖国神社は、A級戦犯のうち、死刑判決を受けた7人とほか7人(判決前に病死した2名を含む)の計14人を秘密裏に合祀することにした。いま日本国の総理大臣が靖国神社に公式参拝することに、これほど神経を使うようになったのは、これが(唯一の?)理由である。もちろん、以後、天皇を含めて皇族は靖国神社を参拝していない。


日本の皇室すら参拝しない現状の靖国神社に「正論」は適用できない。日本の皇室すら参拝しないのに海外が理解してくれるはずがない。

現在の日本は、靖国神社とは関わりのない形で、戦没者を慰霊しているのである   ―   靖国神社の廃止については、戦後早々に発表された石橋湛山の意見に小生も賛成だ、というのはずいぶん昔に投稿している。

であるので、高市議員は異端的な歴史観、価値観をもっていると判断されても仕方がない。


もちろん、靖国神社に合祀された14名は、戦争の犠牲者として祀られる資格がないかといえば、詳細に生前の発言行動を精査すれば、必ずしも公式評価のとおりではなく、歴史の中で犠牲者となった何人かに過ぎないわけである  ―  こういう「評価」こそ、これまた「微妙」であるのが戦争の帰結というものだが。

しかし、確立された歴史観を覆すのは、現時点における政策であり、主張である。もし現在の靖国神社を是として、世界の理解を得ようと考えるなら、踏むべき外交的手順が要る。それをすっ飛ばして、指導的な政治家が公式参拝するとすれば、仰山に言えば戦前期・日本が当時の国際連盟を(ケツマクッテ)脱退した時と同じ、海外からのリアクションが予想されるであろう、と。

これ以上の話しは必要ないと思う。別にもつれた糸のような複雑な経緯があるというより、実は単純な話だと思う。



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