2025年12月13日土曜日

断想: 「心の中にのみある」をキチンと理解できる人、少ないかも?

世間でよく言われるが、

宗教によって神々は様々だが、これらはすべて人の心の中にのみ存在するという点では共通している。
同じ趣旨の記事を先日ネットでも見かけたから、現代日本社会の大多数の人々にとっては当たり前の常識になっているのだろう。

確かに神という観念は、心の外の外界に可視化しうる存在物(=物理的存在)としては存在しないという理屈は納得的である。しかし、上のような考え方の根底に

心の中にのみ存在するのだから、本質的には虚構であって、客観的に実在するものではない。すなわち、全ての宗教は人間が作ったストーリーに過ぎない。
これが言いたい事であれば、まったく賛成できない。というか、正反対であるというのは、最近の何度かの投稿で強調してきたことだ。とはいえ、これを再説するのに《唯識論》の要点から始めるのは面倒だ。ただ
「客観は実在するが、主観は心の中にのみある」と考えること自体がその人の主観である。末那識が駆使するその人の大脳が「彼我」の「彼」として構築した映像を「客観」という。
つまり「客観は実在する」と人が言うとき、要するに「我は実在する」というのを裏側から言っているだけだ。「考える」という行為には「考える我」と「考える非我」という二項対立が最初から必要なのである。大脳は正に考えている「大脳それ自身」を同時に考えることはできない。これだけを今日は記しておきたい。

「経験科学」という知識を議論し始めると長くなる。




昨年の秋に相伝を受けたことを契機に朝の読経が習慣になった。最初は「日常勤行式」に沿ってやっていたが、最近は月曜以外には「専修念仏」をしている。もし人が『南無阿弥陀仏』というのは人がつくった想像によるものだと言えば、人が考えたものであるのは確かな事実だ。異論はない。

そう意見を投げかける人に問うことがあるとすれば $$ \frac{\partial^2 u}{\partial t^2} = a^2 \frac{\partial^2 u}{\partial x^2}+f $$ という文字列と

南無阿弥陀仏
という文字列が記された固形物を(人類がその時まで生存しているかどうか分からないが)何万年もの未来に発見する人がいるとして、どう考えるだろう?

どちらの文字列も物理的存在として確かに客観的に実在すると言っても可であろう。他の人とも目で見ているその文字列は同一の表象として認識されるのは間違いないからだ。

とはいえ、客観的に実在するのは目で見ている文字列だけであるというなら、それは誤りだ。上の偏微分方程式はいわゆる『波動方程式』で、理系の大学なら2年か3年で学習するはずだ。方程式が伝えようとしている《知の働き》を理解できた人には

方程式が伝えている知の働きと知がとらえた真理が実在するのであって、この文字列はいま消え失せても文字が消えるだけで本質は何も失われない。
そう考えるはずである。そして、知がとらえた真理は生死を超越して永遠不変である理屈だ。なぜなら真理は、古代ギリシア人なら《ロゴス》、現代の英米人なら"Truth"、ドイツ人なら"Die Wahrheit"という単語で表現するはずだが、物質を媒体とする単なる現象ではないからである。物質は時間が経過する中で、老朽化し、消失するが、非物質的な知の成果は物質とは別に現に働いているともいえるわけだ。

働いている以上、そう働かせている主体が(いずれかの空間に)実在していると考えるとしても合理的な思考というものだろう。もちろん測定可能な何かのデータがエビデンスになるとは思われないので、経験科学の成果だけが真理であると断言する人は別の立場にいる。しかし、そうした《科学原理主義者》は、データによって実証されるまでは、いかなる数学的定理も真理とはいえないという羽目に陥るのではないかと逆に心配になる。

物質と非物質との違いは何度も投稿してきたので、これ以上くりかえす必要はない。が、念仏と偏微分方程式は、文字列自体に意味があるわけではなく、思念している心の中でとらえている対象が本質という点では似ている。見えているのは単なる記号である。本当に実在しているのは目で見ている物ではなく、知性がとらえた観念の方である。

だから、最初に引用した『神々は人の心の中にのみ存在するのです』というのは、確かにその通りで仏教では「法界」と言うのだが、これをきちんと理解できる人は(難しいことは避ける?)現代日本社会ではもう驚くほど少数じゃあないかと思っているのだ ― 少し以前は精神的な事柄にも親しんできた前の世代が身近にも生きていたので状況は違っていたが、最近年の高齢者は(年齢の割には)ただ元気なだけが取り柄であるとしか感じられない。

理性ではなく、視覚や聴覚など感覚を通したものだけが実在すると思う人は、自動運転されて走っているバスを目撃すれば

ついに人類は考える自動車を発明したわけか!
タイムスリップしたシャーロック・ホームズよろしく、こう思いこむことでありましょう。仮にそうなりゃ、
人が作った機械が考えるなら、鳥も考えているし、犬だって考えてるだろう。いやいや、宇宙全体、何かを考えているンでございましょう
そんな「汎神論」みたいな、マア、正反対の極地にも通じるわけです。

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