2017年7月22日土曜日

上西議員的間違いの本質は?

上西小百合・衆議院議員がツイッターで炎上している件は、騒がしい今年の世間にまた一つ話題を提供した形になっているのだが、中でも(大げさに言えば)哲学的関心をも集めているのが、熱狂的サッカーファンにあてた次のメッセージだ。

サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。

このツイートに対してサッカー選手の立場から次のコメントがつけられたのは、上の言葉が予想以上のインパクトをもったからだろう。

J1・FC東京の石川直宏選手も自身のTwitterで、「自分の想いだけでなく、人生乗っけてくれる皆の想いを胸にピッチで戦える事がこの上なく幸せだと感じる選手がいる」と、サポーターや選手の心情に対する理解を求めた。その上で、「そんな雰囲気も是非味スタで感じて欲しいな」と実際の試合を観戦に来るよう願った。

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少し話は変わるが、昨晩、同僚のT准教授と寿司を食べ、その後近くにあるおでん屋にいって、4時間ほどを過ごして帰った。

話は、村上春樹から葉室麟が道新に連載している新作『影ぞ恋しき』へ進み、そして雨宮蔵人シリーズの第1作『いのちなりけり』の話となり、そうなると舞台は肥前佐賀藩になる以上、当然のことながら山本常朝の『葉隠』になったのは自然な流れである。

その『葉隠』は小生の非常な愛読書で、好きになったきっかけは(これも月並みだが)三島由紀夫の『葉隠入門』をずっと昔に読んだことだった。

記憶している下りは幾つかあるのだが、上西議員の考え方が根本的に「おかしい」、というか「非日本的」だと感じたのは、次の一節も手伝っているのかもしれない。ちょっと引用しておこう。
エロース(愛)とアガペー(神の愛)を峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕(レンケツ)の情」という名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤をなした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊しているとはいえない。それは、もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に一直線につながるという確信である。(出所:新潮文庫『葉隠入門』、37頁)
サッカーと天皇制を横並びで比べるのは無茶ともいえるが、極端なこの二つのケースにも共通項が存在していることには、多くの人が賛同するのではないかと思うのだ、な。その共通している要素は歌舞伎『勧進帳』における九郎義経と武蔵坊弁慶の主従からも伝わってくるわけで、これは男女の愛ともどこか違っているかもしれず、女性には理解しがたい心情なのかもしれない。

要するに、好きな人、好きなチーム、好きな会社にとことん捧げるという非合理な心理であり、これを三島由紀夫は「恋愛感情」と言っているのだが、現代日本語で使われる「恋愛」とは実質的意味が違うかもしれない。つまり、外観としては『好きなチームをただ応援している』ように見えるのだろうが、つまりは好きで、好きで仕方がない。そこを実感として理解できないと、日本人というのが理解できんのじゃあないか。そう思うのだ、な。

葉隠はまた『人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり』と語り、また『一生忍んで思い死にする事こそ恋の本意なれ』と言っている。 忠義やら「信なくば立たず」とか、理屈っぽいことは書いていない。

上西議員の言うことは、個々人は主体的に最も意義(=私益でも公益でも文化的価値でもよい)のある生き方を計画し、それを実行するべきであるという個人主義的最適行動原理の観点から発したものかもしれず、もしそうならそれはそれでこの30年間非常に増えてきた考え方でもあるのだが、結局、非常に深いところにある日本人的心理に共感できてはいない。理解できていない。女性だからなのか、若いからなのか、分からない人だからなのか、それは分からない。が、少なくとも日本社会で政治家という仕事をやっていくには大事なことが欠けている。これだけは言えると感じた次第。

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実は、『葉隠入門』で太く赤線を引いている箇所がもう一つある。これも覚え書きとして引用しておこう。

「我人、生くる方が好きなり。多分すきな方に理が付くべし」、生きている人間にいつも理屈がつくのである。そして生きている人間は、自分が生きているということのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。(95頁)

要するに、死ぬか生きるかになれば、ほとんどの人は生きたいと願う以上、生き延びる方策のほうが正しく、死に急ぐほうは間違いだということになる。だから生き延びたほうが正しかったという理論がつくられ、事後的に死んだ方は間違っていたということになってしまうのだ。それは仕方がないことだが、真の意味でいずれが正しいかということは別にある。

反・学問的言説としてこれ以上に鋭い哲学はない。また、ストレートにズシンとくる思想もない。

注:
小一時間ほどして読み返すと本稿には公人とはいえ「個人名」が登場している、それに「女性は何トカ」の表現も混じっているネエ・・・変えようもないが。何年か前に通知なく投稿を削除されたことがあった。本稿のドラフトは別に保存しておこう。いざという時に無くさずにすむ。






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