いかにも現代日本(特有?)の世相を映していると感じる記事は毎日見かけるもので、たとえば
現在の大学のキャンパスでは、セクハラなどのハラスメント防止の啓発は学生同士の関係においても進んでいる。
同じ学部、同じコミュニティ、同じ界隈といった範囲での炎上騒動を身近で見聞きしている若者も少なくなく、特に問題になりやすいのはやはり異性との関係だ。
そういう自分にとってリスクになるタブー要素を若者は意識的にも無意識的にも避け、コンプライアンス(コンプラ)を遵守するようになっている。
Source: YAHOO! JAPAN ニュース
Original: PRESIDENT Online
Date: 2026-04-29
コンプライアンス(Compliance)については前にも投稿したことがある。
確かに、アメリカ社会など《自由》の価値が日本よりは遥かに徹底されて意識されているようだから、《法》の尊重が強調されるのは、社会のバランスをとる上で必要だと思う ― 特にトランプ現政権の関係者にはコンプライアンスの感覚を徹底して持ってもらいたいと思う。現状はただ「無法」に近いのじゃあないかとも、真面目な日本人は感じる。
他方、日本人は視野の中に車が1台も見えない時でも、歩行者は信号が赤から青に変わるまで大人しく、というか真面目に待つというお国柄である。そんな国で《コンプライアンス》を強調したらどうなるか?
上に引用した下りは、社会的な帰結を示す一例でもあろう。
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上の記事は以下のように続く:
そんな調子だから、一緒に連れだって出かける時の「一番居心地のいい組み合わせ」も大幅に同性寄りにシフトしている(図表2)。恋愛至上主義真っ只中の1994年調査では約4割が「異性との二人」を挙げており、また、「男女二人ずつ」というダブルデート的な組み合わせを選ぶ人も約3割いた。
異性を含めた組み合わせを選んだ人は合計で約75%に及ぶ。それが2024年調査では異性を含む組み合わせを全て合計しても35%程度にまで減少しているのだ。
一方で大幅に増加したのが「同性同士の二人」。3人中2人はこの組み合わせを一番居心地がいいと回答している。同性との居心地が良くなった、という側面もあるだろうが、それ以上に異性との居心地が悪くなった、気の置けない関係が作りにくくなったことを痛感させられるデータだ。
一度《性的変質者》として烙印を押されてしまうと、その人は《男女共同参画》を基本理念とする現代日本では、ほとんど《社会的死》とほぼ同等の宣告を受けてしまうのが現実だろう。(特に男性が?)異性との交際、というか必要以上の親密さを避けるのも、リスク・マネジメントとしては賢明な戦略であり、いわば人生を生きていく上での《支配戦略》になっているのだと思う。
実際に「性的トラブル」を起こした人物は、支配戦略に沿って意思決定できなかった頭の悪い「落ちこぼれ」である、と。社会的には「無用」である、と。そういう事なのでありましょうか?
これは男女を問わないと思われるが、異性との一時的交友を楽しみたいと願うなら、有料ビジネスの場においてサービス消費として時間を過ごすのが最も安全である ― それでも不同意であったか同意であったかで、しばしばトラブルが発生しているようだが。
ま、いずれにしても、男女の交際にまでリスク・マネジメントの感覚が必要だと感じさせる現代日本社会において《少子化》が進むのは、当たり前だと思う次第。
夏目漱石は、『三四郎』に登場する「偉大なる暗闇」こと広田先生に、発展する日本を評して「滅びるね」と言わせているが、社会や国というのは、一生懸命に「そうなろう」と統一行動すればするほど、逆にそうはなれないものである。今のコンプライアンス運動、こんな調子であと10年やって行けるイメージがわきません。
自由と法の重みには必ずバランスがある。一方ばかり強調すると、いつか、どこかが破れる。
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むしろ
男女七歳にして席を同じうせず
教育の場で男女分離を徹底し、公共・職場においても必要以上の男女の接触を断ち、その代わりに異性の友人関係については「血縁」、「地縁」に代わって、ずっと昔は町のどこにでもいた《お節介な世話好き叔母さん》が無報酬で、ただ親切心だけで果たしていた役割と同じような、何らかの、社会的に容認されるような、新たな《社会的慣行》が日本社会に定着するまでは、いまの息詰まるような学内環境、職場環境は続くのではないか。少子化も傾向として続くのではないか。そう思われます。
そうでなければ「男女共同参画社会」ではなく「男女共同参画特区」でも創ればよろしかろう、と。
要は、人は色々、故に《棲み分け》が大事である。これに尽きるのではあるまいか?
昔の「禁・不純異性交遊」変じて、「コンプライアンス」となる。
日本社会は実はなにも変わってはいないが、いま目指している社会システムとそれに必要な倫理感覚が、日本人をハッピーにするのではなく、むしろアンハッピーにしている。そんな風に思われたりするのだ、な・・・