2026年2月21日土曜日

断想: 駐留米軍から「日本の司法」は信頼されているのだろうか?

 先日の衆院選関連の余波だろう:

2月に行われた衆院選で、選挙運動の報酬として運動員に現金を支払った疑いで、国民民主党から立候補していた候補者らが警視庁に逮捕されました。

Source:YAHOO! JAPANニュース

Original:FNNプライムオンライン

Date:2/21(土) 7:45配信

一体いくら払ったのかと読んでみると、

大学生5人に現金あわせて27万円を支払った疑いが持たれています

と・・・マア、27万円でも公職選挙法違反であり、別の表現をするなら《不正選挙》があったということになる。

しかしながら、この国民民主党の公認候補は落選しているのだ。

落ちた人には厳しいネエ・・・当選した国会議員には甘いけど

こんな感想です。

これから取り調べが行われて、送検され、検察が起訴するかどうかは分からないが、たった(?)27万円で公判を開くか?

マア、検察にとってはめんどくさいだけだろうから、起訴猶予とか、不起訴になるのではないかネエと思います。

日本では刑事捜査は、欧州大陸法を継受していることから、キャリア検察官が主導、指揮することになっている。起訴・不起訴の判断も担当検察官の専任であるというのが建前だ。そして、日本では裁判所による予審は廃止されたので、いったん起訴された被告人は刑事裁判において99.8~99.9%は有罪判決が下される。

つまり、よく言えば

日本の刑事裁判は(実質的に)検察官が支えている。検事がもつ秋霜烈日の精神こそ日本の正義を実現しているのだ。

こんな言い方になるし、実際にマスコミも(検察、更には官邸が怖いのか?)そう観ているようだ。

一方、悪く言えば

日本の刑事裁判担当の判事は(量刑はともかくほゞほゞ)検事の言いなりに判決文を書いている。

換言すると、刑事事件の裁判は検事による取り調べであらかた決着はついているわけだ。にも拘わらず、検事による「公判前の実質的予審?」において 弁護士の同席は認められていない。

極論すると、弁護士不在で検察庁内で「実質的裁判」が行われ、公判では検事の主張がほゞほゞ通っているのだから、

日本の司法は非民主的である

こんな理屈にならざるをえない。

たとえば沖縄県で事件を起こした米兵を日本の裁判の被告人とすることに米軍当局が、というかアメリカにいる容疑者家族というべきか、かなり消極的である理由の一つは、明らかに日本の司法に対する不信感があるからだと推察され、もしも可能なら幕末から明治時代初期のように米人容疑者に対しては《領事裁判権》、つまりアメリカ大使館内に設けられるアメリカ式の法廷で有罪・無罪の判断を行いたい。これがアメリカの本音ではないかと憶測する次第。

当の日本人が

世界に冠たる公正な日本の司法

こんな夜郎自大的な自己肯定を持ち続けている現状は信じがたいところがある。

「但し」を付け加える必要がある。裁判所の「予審」は司法の独立性を守るかという問いである。欧州大陸諸国では検察官が刑事事件の捜査を主導するが、捜査段階における検事の主導性に対して、予審判事の吟味が司法の中立性を担保する。「予審判事」の司法権限は不可侵で国家元首ですら怖れる存在である(と聞いている)。

しかしながら日本には日本の事情があった。戦前の「帝人事件」は検察による「誤起訴」、というより「でっち上げ」の典型例としてよく参照されるのだが、戦前であるから裁判所による「予審」は行われていたのである。

検察から起訴された刑事事案は、日本の司法がお手本にしたフランス、ドイツの制度に則して考えると、すべて裁判所の予審判事によって、証拠の客観性、十分性などが精査される。なので、警察・検察の捜査結果がそのまま司法の結果につながるという可能性は理屈上ないわけである。

ところが「帝人事件」では、裁判所による予審が機能しなかった。事件はまったくの「でっち上げ」であることが、本審である「公判」において明らかになったのだから、

日本の予審はなぜ機能しなかったのか?

こんな疑問が沸き起こったのは当然だ。それがひいては戦後の刑事訴訟法改正にまで尾を引いてしまった。裁判所の予審が機能しなかった理由をChatGPTに質問してみたが、その一部を引用しておこう。

なぜ予審は機能しなかったのか?

歴史研究では、いくつかの説明があります。

① 当時の予審は「強いチェック機能」を必ずしも持っていなかった

形式的審査に近かった

検察資料への依存が強かった

② 世論圧力

「大疑獄」報道

政治情勢の緊迫

③ 供述依存構造

自白・供述中心の立証

結果として、

予審段階では排除されず、公判で全面無罪

という流れになりました。

戦後になって裁判所の予審制度は廃止され(検察審査会の強化があったにせよ)現在に至るが、概ね日本の刑事司法は検事主導の戦前の香りを色濃く残しているというべきだろう。その検事は、内閣の指揮のもとにある。その内閣は国会の統制下にあり、国会は(実質的に)自民党の支配下にある。

この構造あって、この司法あり、現在の政界の実情があるわけだ。

憲法改正といえば「9条」ばかりに目を向けているが、憲法9条に「自衛隊」という語句を明記しようが現行のまま放置しようが、現実はほとんど変わらないだろう。

それに対して、司法の在り方を(高市首相お好みの)根本から変革すれば、国際社会が日本の民主主義に寄せる信頼感は飛躍的に高まるに違いない。たとえ(ないことを望むが)米兵が関係する刑事事件が発生したとしてもアメリカ政府は日本の司法を信頼して捜査、裁判に(喜んで?)米兵を委ねるであろう、というより容疑者本人もまた日本の司法の公正さを信頼して、自国の法廷と同じ度合いで自らの罪と向き合うに違いない。


昭和時代とは比較にならないほど豊かで便利な生活を現代日本社会は実現している。にもかかわらず、何とも言えない閉塞感があるのは、単に低成長や格差拡大、社会保障不安などの経済要因だけがもたらしているわけではない(と思う)。

経済も経済だが、それより

強きは救い、弱きを罰する。トップには甘く、部下には厳しい。そんな社会のどこに《正義》や《公正》があるのか?

こんな社会心理が意外と重いのではないか。与党の重鎮は真っ黒である。野党議員は失業を怖れて保身を願うだけ。司法もまた上のとおり。閉塞感の根底には怒りあり。こんな現代社会観をいまもっているわけだ。

高市旋風は《与党内アウトサイダー》ゆえに吹いたのであろう。ポピュリズムはポピュリズムだろうが、道義のある社会には決してポピュリズムの風は吹かないものだ。


2026年2月15日日曜日

ホンの一言: 「トランプ劇場」こそ今一番面白いのでは・・・リアルで怖いですが

 「エプスタイン・スキャンダル」は、日本では「対岸の火事」とみているのか、ほとんど報道されることはない。が、エプスタイン文書をめぐって世界の著名人、というか多くの「セレブ達」が疑惑の対象になって名誉を失ったり、現実に失脚している、そしてまだまだ尾を引きそうな現状をみれば、日本ローカルなモリカケ・スキャンダルとはスケールが違う。いままた足元ではスターマー首相率いる英国・労働党政権が崩壊の瀬戸際に立たされている。そうかと思うと、アメリカ議会では司法長官が逆切れした様子が報道されて、例のKrugmann博士は絶好の話題とばかりに論じている。

この件、日本でも報道はされている:

 【ワシントン共同】米下院司法委員会で11日、少女らの性的人身売買罪で起訴され自殺した富豪エプスタイン氏に関する開示文書を巡り、議員らとボンディ司法長官が激しい応酬を繰り広げた。議員らは、有力者の名前を黒塗りにする一方で被害者の情報をさらしたと批判。ボンディ氏は、議員らが文書公開をトランプ大統領の攻撃材料に利用しているとして「偽善者」と罵倒した。

Source:News.jp

Original:共同

Date:2026-02-12

エプスタイン文書の公開をめぐっては今後もずっと尾を引きそうで国際政治の時限爆弾となる状況は変わらないだろう。

Krugmanはこんな風に書いている。

Attorney General Pam Bondi’s meltdown on Wednesday while being questioned the House Judiciary Committee was exceptional, even by this administration’s rock-bottom standards. Has any high-level official ever before shrieked at a member of Congress, “You don’t tell me anything, you washed-up, loser lawyer”?

Yet what truly amazed me was her demand that Democrats stop talking about Jeffrey Epstein because the Dow was above 50,000. This plumbed new depths of moral bankruptcy, effectively saying: “How dare you complain about child rape when the stock market is up?”

Source:substack.com

URL: https://paulkrugman.substack.com/p/the-maga-bubble-is-imploding

Date: 2026-02-13

"Attorney General"は日本では「検事総長」と訳されることが多いが「司法長官」のことである。その人物が議会の答弁の最中に「キレて」、クルーグマン博士は

これまで、国会議員に向かって「何も言わないで!この落ちこぼれの弁護士が!!」と叫んだ連邦政府の高官がいただろうか?

と呆れているのだから、書いた側もスカッとしたに違いない。マ、少なくとも日本の法務大臣がこんな態度を国会で示せば、即日罷免となるのは間違いないところだ。

更に、クルーグマン博士は書く:

しかし、私が本当に驚いたのは、「株価のダウ平均だって50000ドルを超えたのよ。もう民主党はジェフリー・エプスタインについて話すのをやめてちょうだい!」と彼女が要求したことだ。トランプ政権を支える政治家のモラルは新たな底に向かって落下中だ。実際、「株価も上がっているというのに、まだ児童レイプが何とかかんとか、もう止めて!」と言っているようなものではないか。

いやあ、面白いです。

《トランプ劇場》は日本ローカルの《小泉劇場》を遥かに上回るスペクタクルになっている。

ずっと以前に投稿したが、アメリカ大統領のThe Worst Oneは第一次世界大戦後に就任したハーディング大統領と評価はほぼ決まっていたようなのだが、政権ともどもトランプ大統領が記録を更新することは間違いなさそうである。

そういえば高市総理も

「裏金議員」なんて呼び方、もう止めてちょうだい

と、そんなお願いをメディアにしているそうだが、真偽はどうなのだろう?NHK辺りは「不記載」議員などと呼び方を変えているように思うのだが・・・

 

 

2026年2月13日金曜日

断想: トップと部下の「世界共通の規範」というのは?

日本海海戦の作戦立案は先任参謀である秋山真之によるものだったという話しは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を待つまでもなく、松山で生まれた小生は幼少時から何度も聞かされていた。実際、海水浴場のある松山市・梅津寺には秋山兄弟の銅像がある。

とはいえ、

この見事な作戦は〇〇参謀の立案であった

こんな風に立案者が有名になるのは、例外的でなければならず、作戦を採用するのも、実行するのも、トップである司令官の責任であるはずだ。

だから、勝てば作戦を採用した司令官の功績であって、負ければ作戦を採用した司令官の責任である。こう考えるのが組織の論理であるはずだ。

日本海海戦で勝った司令官は東郷平八郎で勝利をもたらした提督として参謀・秋山を遥かに超える評価を得ている。これが本当の姿で、むしろ参謀・秋山の天才ぶりが『坂の上の雲』の中で叙述されていることも、実は参謀としては望ましい姿ではないと思う。参謀とは世間に知られてはならない黒子であるべきで、だからこそ参謀は思い切った立案をすることができる。

参謀やスタッフには結果責任はない

これが小生の理解である。


ところが昭和時代になると、勝てば参謀本部の作戦課長の功績、負ければ現地の司令官の責任という風潮になったようだ。本来は勝っても、負けてもトップの責任だ。参謀以下の部下に対してはトップが感謝の気持ちをもてば十分であって、部下の名前まで歴史に残るのは、おかしな話しだというのが小生の感覚だ。


これから高市政権が進める経済政策、外交政策も、うまく行っても、まずく行っても、その功績や責任は高市総理と担当大臣にある。

有力な参謀であるスタッフやアドバイザー、秘書官や側近官僚を探し出しては「隠れた権力者」などとおだて上げるのは、日本のマスコミの悪い癖である。

「現代の柳沢吉保」、「官邸のラスプーチン」などと持ち上げては叩き落すのがメディアの習慣になれば、失敗したスタッフをスケープゴートにして結果責任から逃げるのもトップの習慣となる。そうして

逃げるトップのために身命をかける部下など一人もいませんよ

こんな状態が論理的な帰結としてもたらされる。愚かだ。これが世界共通の行動規範だと思う。

2026年2月11日水曜日

ホンの一言: 衆院選の結果の「あと解釈」があふれているようで

 衆院選の自民圧勝を受けて、ネットなど巷では

自民圧勝、中道大敗の理由には三つあり

といった風の解説記事があふれている。

全て《あと解釈》(=hindsight)である。


何しろ「結果」が「事実」としてもう可視化されている。

〇〇が原因となって△△の結果がもたらされるであろう

といえば事前の予想である。これは勇気のいる知的努力である。リスクも負担している。

これに対し、「あと解釈」というのは、判明済みの結果から逆に考えて

 〇〇が原因となって△△の結果がもたらされた

というものだ。


可視化された結果から逆に原因を考えるという点では統計分析の《ベイズモデル》に似ている様だが、偽物である。

ベイズ分析とは、確認済みの結果をもたらしうる全ての原因を列挙してから、

△△という結果がもたらされた原因は〇〇であった可能性が高い

という議論をする。この可能性を「事後確率」という。つまり事後確率を計算するには、それぞれの原因から確認済の結果がもたらされる「事前確率」が分かっていなければならない。事前の予想ができる人のみベイズ的な事後分析が出来るのである。


なので、事前には黙っていたのに、結果が分かった事後になってから、原因はこうだったという記事は一切信用しないことにしている。

2026年2月9日月曜日

ホンの一言: 高市さん圧勝は「北京の北風戦略」の失敗とも言えるかも

衆院選も直前予想のとおり、というかそれ以上の《自民圧勝》となり、今日あたりは何だか大相撲の千秋楽が終わったあとのような感覚だ。

「事前予想のとおり」というのは「ああ、やっぱりネ」という勝敗なので、意外感というか、サプライズはなかったのだが。

色々な方面からコメントが寄せられている由。トランプ大統領、メローニ伊首相、李大統領は早々に祝いのメッセージをアップしたらしい。

石破前首相も何やらコメントしたようだ。これに対して、ネットでは

 始まったばかりだから期待値に決まってるだろ。まだ実績あるわけないだろ

こんなものまであったので、思わず笑ってしまいました。

総理大臣をこれからやる人、実績なくともイイの?

その辺の大学が教員を公募するときにも業績、論文抜き刷りは必須だ。専門誌なら何でもよいわけではなく、査読付きという条件も付加される。

職務を担うのに十分な能力があることを、自己宣伝ではなく、実績で証明するのは、公職に就くものの義務である。


ただ、高市首相が総理たるにふさわしい資質をお持ちであることは十分に示された。それは決断力である。

トップに専門的な知識、技術はそれほど必要でないと思う。その代わりに、一流の人材を見出し、抜擢し、活かす人物眼もまた決断力と同じ程度に不可欠だ。

この辺り、大学の学長に求められる資質にも通じるし、企業、官庁など、あらゆる組織に通じる条件ではないか。

高市首相の周りには、今後、一流・二流・三流以下、ごみ芥のような人物まで近づいては売り込むことだろう。

実績がなければ、期待値は(実は)計算できず、リスクだけが大きい。実績は期待値を計算可能にするとともに、リスクを減じる。安定感が出るのだ。

何の実績もない新人を主役に抜擢するのが冒険である理屈は誰でもわかる。実際、無名の新人が主役をつとめる冒険作は往々にして失敗する。

一国の総理大臣に実績がないことを、国民は(本当は)不安に感じなければならないはずだ。


小生思うのだが、

今回の高市総理大勝をもたらした最大の要因は北京政府がとった「北風戦略」である。

就任早々のちょっとした失言を「もっけの幸い」とばかりに、高市政権打倒をもくろんだのだろう、北京政府が居丈高になって対日経済制裁を打ってきたのは、逆に日本人、特に若年層の怒りに火をつけるもので、日本人有権者に

がんばれ高市! 負けるな高市!

という感情を高める結果になった。首相が断固として発言を撤回しない姿勢も奏功した。確かにこれは首相の資質を証明する何よりの「実績」だ。昨年の総裁選で小泉進次郎氏が当選し首相であったと仮定して、同じような姿勢をとれたかどうか、いささか不安が残るのは小生だけではないかもしれない。


もちろん、だからと言って、対中外交悪化のリスクは(北京政府が戦略を変更しない限り)これから顕在化する可能性が高いわけで、現実に日本人がそのマイナスを感じ始めたとき、それでも高市政権を支持し続けるかどうかは別の話し。ほゞほゞすべての現代日本人は、自己利益を動機として意思決定しているはずで、損だと見切ったときは高市批判に転じるはずである。外交リスクと併せて、経済リスクも依然として残っている客観状況に変わりはないのである。

政治家に《精神主義》は禁物で、激を飛ばすのはせいぜい3回で賞味期限は切れる。


北京政府は、いかにも器が違うという鷹揚な態度を示し、

素人のようなことを日本の首相が言うのは困る

まあ、揶揄する程度に抑えておけば、おそらく解散の大義もなく、政治勘の悪さ、失言癖ばかりが悪目立ちするという展開になった可能性がある。

「北風戦略」より「太陽戦略」を北京政府は採るべきであった。そう思う次第。

囲碁でもそうだが、相手の無理な打ち込みは正面から受けて立たず、やんわりと包囲、対応する方が相手の無理筋がだんだんと明らかになるものである。

2026年2月7日土曜日

断想:「良妻賢母」が再び語られる・・・「復古調の令和時代」になる?

国政選挙の前は色々な論点が集中的に世間で取り上げられるので、ブログ投稿も自然に増えてしまう。明日で集中投稿週間もひとまず終わりそうだ。

本日は、昨日の続稿ということで。

こんな下りを昨日は書いた:

こうみると、いま世界の民主主義国では極右の女性政治家が急速に支持を集めつつある、というのが潮流であるようで、この根底にはやはり1990年代以降のグローバル化、リベラル思想の支配を否定する保守反動が勢いを増してきた。こう達観するべきなのだろう。

・・・

どちらにしても「LGBT」など少数者への過剰な配慮、「男女性差の過剰な否定」、「選択的夫婦別姓の過剰な主張」、「外国人の一部参政権容認など過剰な人権擁護」等々、リベラル思想を象徴するようなポリティカル・アジェンダは、当分の間は休眠を余儀なくされそうな気配になってきた。

本当に高市自民党が圧勝するのか、いまだに100パーセント信用する気にはならないのだが、これほどまで事前調査の結果がそろっている以上、そうなのだろうと予想してしまう。もし反対の結果が出れば、それこそ『ビックリ仰天、開いた口がふさがらぬ』ということでござんしょう。

まあ、多分、高市自民党は圧勝するのだと、そんな気分に小生もなっている。

となると、日本でも《保守反動》の政治が色濃く出て来るはずで、前稿では代表的な例をあげたわけだ。

実は、もっとディープな方向転換が日本で(突然、まっしぐらに)進み始めるのではないか・・・とも想像(?)しているので覚書きとして書いておきたい。

但し、ひょっとすると、高市自民党は小幅の勝利、というか「辛勝」にとどまるかもしれない。そうなれば、これから書く想像は空振りである。

それは《専業主婦再評価》の議論から始まり、最後には《良妻賢母の勧め》に至る、ある意味で《復古的家庭像》の盛り上がりである。

振り返れば、戦後日本の高度成長を支えた「人口ボーナス」が消え去り、それとは反対の「人口オーナス」が見通される1980年頃から《男女雇用均等化》への歩みは始まっていた。実際、「男女雇用均等法」が施行されたのは1986年4月である。

小生が経済学を勉強していた頃は、女性労働力は「核労働力」ではなく「縁辺労働力」として位置づけられ、従って主たる問題は「男女賃金格差」の分析であった。それが想定を超える少子化の進行で男性労働力の減少が予想されることから、女性労働力への期待が高まってきた。人手不足になれば臨時的に働くのではなく、常時、労働資源として女性には働いてほしい、そんな風に企業経営者の目が向いてきたわけである。

つまり、「男女雇用均等化」への動きは、男性労働力人口の減少に危機感を強めた経済界が、女性の労働市場参入を促した結果だろうと推測している。外国出身の移民に頼らない労働力確保の方策として、家庭にいた日本人女性に財界が着目し、政府も後押しをした。これが現実に進んだ経済プロセスであり、それを駆動したロジックは男性賃金の上昇に歯止めをかけたい企業経営の論理で、決して《男女間の不平等是正》に価値を置くリベラル思想などではなかったと小生は理解している。

ご都合主義はいつでも高邁な理念を装束としてまとわされるものなのである。

ところが専業主婦モデルが崩壊し半分以上の世帯が共稼ぎ世帯になるに伴って、予想以上に少子化が進んだ。経済界も政府も男女合計の労働者数が減少していくことに危機感を覚えた。人手不足の深刻化は、AI、自動化など資本集約度の上昇で(本来は)対応できる問題で、賃金上昇圧力は生産性の上昇で解決するべきだ。しかし、自動化のための投資資金の捻出に苦しむ企業が多い。安価な外国人労働力に目を向けているのは、企業経営の論理に従えば当然である。

共稼ぎ世帯の増加と少子化の急速な進行の間に因果関係があるかどうかは、なかなか検証が難しいが、何の関連もないとは断言できないと小生も思ってはいる。

少子化の解決(?)に向けては、例えば年金支給モデルの改変などで対応できるのではないかと、素朴な方式を投稿したこともあった。が、人手不足と少子化を同時に解決するには道は一つである。

現場は外国人にお願いするので、日本人女性は家庭を守って、子を産み、育てる仕事に従事して下さい・・・

と、

実際、専業主婦モデルの時代には、男性世帯主に家族の皆さんを扶養できるだけの報酬を支払っていました。今は男女協業の中でそれが出来なくなりましたが、元の賃金モデルに戻していくことにします。女性の方は、もう外で働く必要はありません・・・ありがとうございました。家庭にお戻り頂いても結構でございます。本当に有難うございました。日本国として感謝いたします。

と、いずれ政府の中枢で検討される経済社会モデルの中で、上のような「基本方針の大転換」が浮上してくるのではないか?

実に《ご都合主義》である。が、ご都合主義ではなく高邁な理想に基づいて日本国を統治した政府など、これまでの歴史を通してあっただろうか?

何だか、笑い話のようだが、ありえぬ事ではないと想像(というより空想?)している。

ここまでくると、保守反動の時代を超えて、「復古の潮流」と呼ぶべきであろう。ただ外国人の急増が進む中での21世紀型の「復古日本」であるのが違う。


・・・もちろん少子化現象をもたらしている要因は、共稼ぎ世帯の増加に限ったことではない。ひょっとすると、夫婦二人とも仕事で多忙であるという事と子を育てないという意思決定の間には何の関連もないのかもしれない。忙しくても子をもつ親は多い。経済的に豊かで時間に余裕のある専業主婦でも子は一人か、つくらないという家庭も多い。一概には言えない。しかし、今よりはずっと貧しく、大半の女性が専業主婦として家事労働に勤しんでいた時代、一人っ子は少なく、3人兄弟は普通であったのだ。少子化は現代の《都市化》と《多消費社会》の下で進んできた。「福祉国家」の理念が浸透し法制化されたことも少子化には関係しているだろう。真の要因を求めるとすれば、「共稼ぎ」の増加ではなくこちらの方向だろうというのは、これまでの投稿でも書いている。以上、つけたしまで   ―  実証作業は面倒だからもうやらないが。

年金など福祉国家の根幹に対する信頼性が低下しているいま、少子化が進んでいるのは、(仮説としては)論理矛盾で、反証でもあるが、本日はこの辺でやめておこう。

【加筆修正:2026-02-09】



2026年2月6日金曜日

ホンの一言: リベラルから保守反動への世界的潮流?

今週末の衆院選ではどうやら高市首相率いる自民党が圧勝しそうな塩梅だ。中道改革連合が発足した当初は期待をもたせられたが、やはり「お疲れ気味」の老人が二人で語りかけるスタイルでは有権者をひきつけない。

いま巷では高市首相圧勝のあとは自民党単独政権の《爆走》が始まるであろうと予想する向きが増えている。

積極的財政政策推進と円安・インフレ加速、それに高金利到来。対中関係の一層の悪化と対日経済制裁の拡大。皇室典範の改正で男系天皇制死守。憲法改正で自衛隊明記、更には「国防軍への改称」か?まさか徴兵制再開への道を開くなどもありうるか?

公約には含まれなかったが、医療・年金など公的保険のスリム化、労働市場の流動化促進と金銭解雇解禁。農業経営の合理化、等々。ここまでやってくれれば日本経済には勢いが戻るだろう。急に精力がつきすぎて頓死するかもしれないが。

ま、滞っていた日本社会が俄かに走り始めることだけは高い確率で予想できる。とにかく《決断力》のある首相であることが実証されたわけだ。

やはり過激派なのであるナア、と思う。決して全て反対だと思っているわけではない。先日にも投稿したが、経済・外交政策だけは目を覆いたくなるのだ。

振り返ると、イタリアの右翼過激派のメローニ首相、ドイツ政界で勢力を急拡大中のAFD(Alternative für Deutschland:ドイツのための選択肢)を率いる極右政治家アリス・ワイデル博士は二人とも女性である。更に、フランスの「国民戦線」だったか「国民連合」だったかの代表をしているマリーヌ・ルペンもパリ大学卒の弁護士ながら過激派ぶりは筋金が通っているようだ。但し、ルペン女史に関しては、これを脅威とするマクロン大統領の指示かどうか不明だが、検察が公金横領事件容疑で検挙し、一審が有罪となったので2027年の大統領選挙への出馬は禁じられたよし。裁判は控訴審が進行中である。

こうみると、いま世界の民主主義国では極右の女性政治家が急速に支持を集めつつある、というのが潮流であるようで、この根底にはやはり1990年代以降のグローバル化、リベラル思想の支配を否定する保守反動が勢いを増してきた。こう達観するべきなのだろう。

とすれば、今後、イギリスでも再びサッチャー的な女性政治家が出現する可能性はあるし、ドイツもAFD政権がいよいよ現実化するかもしれない。

日本の高市政権(が多分実現するだろうが)、これも世界の中で理解した方がよいのかもしれない。

どちらにしても「LGBT」など少数者への過剰な配慮、「男女性差の過剰な否定」、「選択的夫婦別姓の過剰な主張」、「外国人の一部参政権容認など過剰な人権擁護」等々、リベラル思想を象徴するようなポリティカル・アジェンダは、当分の間は休眠を余儀なくされそうな気配になってきた。