昨日は隣町までレバンガ対ジェッツ戦を観にカミさんと二人で出かけて行った。試合はレバンガの動きに切れがなく、それでも最後に追い上げたものの、6点差で負けた。ジェッツの堅い守備を破れず、囲まれてつぶされるか、苦しくなってスリーポイントを打っては外れる、そんなパターンで時間だけが過ぎた。たまにB.Leagueを観るとスカッとするが、強豪を倒してくれると満足度も飛躍的に上がるものだ。頑張ってほしい。来月は佐賀のバルーナーズ戦を観に行く。多分勝ってくれるものと期待している。
高市首相の支持率が高止まりしているのも、小生のレバンガ推しと似ているところがあるのかもしれない。負けても応援、勝っても応援、一生懸命やっている間は応援させてもらいます、という意味でいわゆる《推し》なのであろう。
特に、高市外交には(どこの世論調査だったか忘れたが)6割の支持があるという。噴飯ものというよりは、絶句を禁じ得ず、多少の怖さが混じる。
そういえば、1941年12月8日未明の真珠湾奇襲成功を臨時ニュースで聴いた日本国民の大多数は、胸のつかえが落ちるようなスカッとした気分になったと語り伝えられている。
バスの中で周囲の人に「いよいよ始まりましたね」と話しかけたくて仕方がなかったものの、自分だけが興奮しているように思われ、黙っていたというのです。
さらに、欧米の一流国と戦うことによって初めて日本人が世界の一流国民としての自覚を得られる、という趣旨のことまで書いています。
ChatGPTがこう紹介するのは、文豪・伊藤整である。
世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。
こう書いた詩人・高村光太郎は「開戦を、世界史を画する重大な転換として歓迎しています」と述べたことが紹介されている。
一般国民は「長年の胸のつかえが取れるような爽快さを感じた」というのは、小生の亡くなった父が時々話していたことである。
多分、満州事変に対する対日バッシングと国際連盟脱退で不満と不公平感、閉塞感を感じていた日本人は、《状況の一挙打開》を目指した行動に興奮を感じたのだろうと推測している。
こんなところが(当時の)アメリカ人には気色悪く感じられ、無謀を軽蔑する心情とともに、GHQのマッカーサーが戦後も数年経過した時点で米議会に
科学、芸術、神学、文化においてアングロサクソンが45歳だとすれば、ドイツ人も同程度に成熟していた。日本人はまだわれわれの45歳に対して12歳の少年のようである。
と述べたことにもつながっているのかもしれない。
決してロジックと計算を密に重ねる老獪さではなく、どちらかといえば少年のような純真さを尊ぶ日本人の集団的性格は、「あの頃」から何も変わっていないのかもしれない。
小生は、昔から集団との協調が苦手科目であったから、いまの世相には危なっかしさを感じるのみである。
高市首相のハッキリした反北京・反モスクワ姿勢(更に、反・旧連合軍?)は、日本との持久戦から降りようとしない中国・国民党の蒋介石に対して
国民政府を相手とせず
和平への途を日本の方から断ち切った当時の近衛文麿首相と何だか面影が重なっている。純粋は、高貴ではあるが、同時に幼稚でもあり、愚かさにも通じるのだ(と勝手に思っている)。
日本人は、明治維新の頃から、いやもっと昔から、老いより若さを愛する性癖がある(と勝手に思っている)。それは別にどうでもよいが、時間の価値増殖効果への無頓着は、旬より初物を好み、古酒より新酒を好む趣味をつくる。小生には浅くしかみえないのだ、ナ。
近衛首相も、大衆からの支持が高く、言葉は明快。「推し」の対象になりやすかった人柄だったのだろう。竹下元首相の「言語明瞭、意味不明了」は、これに対して、政治の職人であった同首相の雰囲気がよく表れている。