2026年6月20日土曜日

ホンの一言: 米イ=イラン戦争? 60日間停戦? 大丈夫?との声の一例

アメリカ=イスラエル枢軸とイランとの戦闘行為は、ようやくのこと、「60日間停戦」に入った(ようだ)。

ただ、経済学者・Brad DeLong博士はsubstack.comに投稿した記事をこう結んでいる。

The chances that the next use of nuclear weapons will happen in the Middle East and will happen in the next 50 years keep rising. And Donald Trump’s inability not just to get ducks in a row, but to understand what a duck even is, is not helping.

中東で次の核兵器使用が起こる可能性、そしてそれが今後50年以内に起こる可能性は高まるばかりだ。ドナルド・トランプは、(ガア、ガアとうるさい)アヒル達をちゃんと並ばせる(=物事をきちんと整理する)ことが出来ないし、そもそもアヒル(≒ 問題)が何なのかすら理解できていないのは、どうしようもない。

まったく散々な評価であります。

トランプ政権を「猿山」になぞらえているDeLong博士から見れば

猿に出来るのか?

と思うのは無理からぬことでありましょう。


2026年6月18日木曜日

覚書き: 念仏修行の現在地点

 一昨年の2024年10月に寺で五重相伝をうけたとき毎日三百遍の称名念仏を誓った。それから1年半が経ったが、最近は毎朝6時に始め千遍の念仏を称えられるようになった。今年初めはまだ毎朝三百ないし五百遍であったが、何かの拍子で吐く息が尽きるまで十念で止めずずっと念仏を続ける仕方を「発見」した。それがヒントになり、今では腹式呼吸で息を吸ったあと、吐く息が尽きるまで南無阿弥陀仏を称える。そうすると一息で二十遍を称えられることに偶然気がついたのだ。

このやり方がいいのか悪いのか分からない。ただ、このやり方が効果的であったのか、集中心が途切れることなく、30分で1000遍、というより数珠の1コマごとに20遍。1周が27コマ、これを3周するから$20 \times 27 \times 3 \,=\, 1620$、いまの自分には十分な気がする。実際には、1息で20遍にはならない時もあり、3周目は1コマ10遍にすることも多いので、この場合は$18 \times 27 \times 2 + 10 \times 27 \,=\, 1242$になって概ね1000遍になる。

時間的にも線香が一本燃え尽きるまでになるから丁度よい。

法然は一念と多念に意義の違いはないとしているが、自らには三万遍を課し、一念派の幸西を破門している。回数を決めておくのは懈怠(=怠け心)を抑えるコツであるとも応えている。小生ももっとやれるかもしれない。が、しばらくは今の状態で落ちつきそうだ。

この30分の間、心を散らすのは本来はダメなのだが、色々な事を考える。

阿弥陀仏なる宗教的観念は当然のことインド発祥のものだが、当のインドでは日本の神仏習合とは逆に土俗的なヒンズー教が仏教を吸収してしまい、いま現在のインドに古代から残る仏教寺院はない。

大乗仏典をどう位置付けるかと言う学問上の論点はあるが、阿弥陀仏をいわゆる《浄土三部経》の文章からイメージ化すると「無限の光明」ということばで表される。だから、例えば『観無量寿経」では称名念仏の前に観想念仏の意義を釈迦如来が王妃・ヴァイデーヒーと弟子・アーナンダに語っているのだが、そこで第一に挙げられているのは《日想観》である。

心をしっかりと据え、観想を集中して動揺しないようにし、まさに沈もうとする太陽の形が天空にかかった太鼓のようであるのを観るのだ。

岩波文庫『浄土三部経』ではそう訳されている。

また阿弥陀仏については

かの仏の円光は百億の三千大千世界のようである・・・一々の光明はあまねく十方の世界を照らして、仏を念ずる生ける者どもをおさめ取って捨てられることがない。

こんな風に表現している。いわゆる9番目の《身心観文》だが、これをみても阿弥陀仏のイメージは陰りのない光であって、だからこそ阿弥陀仏は「無量寿仏」とも「無量光仏」、「無辺光仏」とも呼ぶわけであろう。

思うのだが、インド発祥のオリジナル阿弥陀仏のイメージは、法然が専修念仏の道を啓いた時の阿弥陀仏とかなり大きな違いがあると感じる。

前の投稿でも書いているが、

夜さしふけて見人もなく、聞人もなからむ時、しのびやかに起居て、百反(=百遍)にても千反(=千遍)にても、多少こころにまかせて申さむ念仏のみぞ、かざる心もなければ仏意に相応して決定往生はとぐべき。

(現代文訳:同)

深夜になり自分を見る人も聞く人もいない時、こっそり起きていて、百遍でも千遍でも、数の多少は思いのままにして称える念仏だけが、外見を飾る心がないので、仏の意志に適って間違いなく往生を遂げるでしょう。

念仏は(小生の宗派では)修行の一つの形であるが、人に見せて評価してもらう行為ではない。つまりパフォーマンスではない。だから、上に引用したように、皆が寝静まった深夜に起きて、自分だけに聞こえる声の大きさで称える念仏こそ、念仏としての意義がある、と。そう述べられている。というより、夜更けてから独り念仏を称える情景は、やはり極めて日本的であり、全くインド的でない。

法然の和歌のうち下の一首は有名である:

月影の いたらぬ里は なけれども

     ながむる人の 心にぞすむ 

 阿弥陀如来からさす光は月の光のようである、と。陰り無き光明というより、夜空に浮かぶ月のイメージをもって阿弥陀仏を観念化していることが伝わる。インド・オリジナルの阿弥陀仏とそれが中国経由で日本に伝わり鎌倉時代初めになって法然が表現した阿弥陀仏には大きな違いがある。

もともとは太陽のようであった阿弥陀仏が日本では月のイメージで理解されるようになった・・・

その違いは自らを「凡夫」であると思う心から生まれる(と勝手に理解している)。

「凡夫」とは普通の人間という意味で、我にこだわる煩悩に心は汚れきっている存在だ。ありのままの真実をみる覚悟はなく無知と偏見にまみれている。無知と偏見にまみれながら毎日を過ごし、それを自覚しないでいられるのは、智慧に欠けているためで、これが《無明》である。自分が迷子であることに気づく前の迷子に似ている。

真っ暗な夜空の中天に輝く月をみて、無明の闇に迷う自分自身をたすけてくれる阿弥陀仏の実在を感得したのであろう、そんな風に思っているところだ。

凡夫の自覚は迷いの自覚である。

無限の光明は悟りを目指す菩薩の理想である。それに対して夜空にかかる月は永遠に迷うダメな自分に向けられた一筋の光である。

同じ阿弥陀仏を思うとしても、思う人の心によって全くちがうイメージで思われるのである。


仏道では《知》と《智》を厳格に区別する。知とは知識である。学んで身につく学力と言っても可かもしれない。しかし、勉強して覚えた知識は(宗教学上の)仕事には役に立っても、阿弥陀仏国に往生する役には立たない。だからこそ『一枚起請文』の中で

智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし

と書きのこしたわけである。

知識を仕入れて知者のふるまいをする人なら現代日本に無数にいる。しかし、智者はほとんどいないのかもしれない。智とは正しい認識(=正しい宇宙観?正しい生命観?)を持つための必須の要件だ。知識を超えて真の認識に至る最後の一振りが智慧の働きである(と理解している)。

知者と智者の違いは、普通の人であっても、話を聴いているだけで分かるものである・・・というのは歴史が証明している単純な事実である。

2026年6月15日月曜日

覚書き: 「愛子天皇待望論」。これを憂慮されていたのかも・・・

ネットをみていると必要のない情報まで目に入る。

今あふれているのは《愛子天皇熱望》、《旧宮家養子絶対反対》を主張する投稿群(?)である。

不愉快ではないのだが、「またか」という感じで、もう閉口する今日この頃です。

明治以前に遡るのはいいが、江戸、室町、鎌倉、平安、奈良の各時代を一挙に飛び越えて、古代日本にまで立ち返り

天皇は決して男系継承で一貫していたわけではなかった

そもそも天照大神は女性であった、等々 

という記述をみると、

それが何か?

So what?

と言いたくなる。


ただ皇位継承が混乱していた時期と言うのは今回が初めてではなく、(周知のように?)歴史上何度もあった。

一つ不思議に思っているのは、平成上皇が生前退位された前後の事情(?)について、誰も思い出さないというか、話題にもしない所である。

そもそも天皇の生前退位、生前譲位というのは、稀とまでは行かないが、あまりない。何か特別の事情、特定の人の意志があって起きていた出来事なのである。


平成上皇の生前譲位があってまだ10年も経っていない。

平成上皇の生前譲位があり、今上陛下が即位し、秋篠宮殿下が立皇嗣の礼を経て皇嗣殿下となった。

天皇という地位は「民意」によって決まるのではなく、形式的・理念的には「神意」によって決まるものと、皇室自身がホンネでは考えているはずである。大体、民意によって天皇が即位するという理解は、それ自体が社会観として矛盾している。日本の天皇の実質をみても間違った理解だ。

いま《皇嗣殿下》と敬称するのは、皇室典範に「皇太子」、「皇太孫」の語句はあるが「皇太弟」という語句が明記されていないという法律上の理由からで、もし法律がなければ当然に「皇太弟」と呼ばれていただろう。

日本の国事行為として正式の皇室儀礼を神事として済ませた以上、民意によってそれを覆すことは思想的に不可能だ。

この一連の進展は、平成上皇が生前譲位を決意したところから発している。

そこに込められた意図は、限られた範囲の人物しか承知していないはずだが、皇位継承の方向を確定しておくことにあったと、小生は勝手にこう推測している。

歴史上の似た事例としては、(大分遡るが)持統天皇から文武天皇への譲位を連想する。

蘇我入鹿粛清と大化改新を断行した中大兄皇子が後に天智天皇となった時代は、革命(クーデター?)あり、恋愛あり、対外出兵あり、遷都ありの古代日本で最もドラマチックな時代であった。更に、天智天皇崩御後の壬申の乱から文武天皇即位までを含めると、半世紀にもわたって展開される大河ドラマでもあったのだ。

織田・豊臣・徳川の三英傑が登場する戦国末期と同じ程度に面白い時代は7世紀後半の50年間である。

中国では秦や漢、三国時代を舞台にした時代劇が作られ、韓国でも高句驪、新羅、百済の時代がドラマ化されている。同時代の日本が何故手つかずのまま話題にすらならないのか、小生にはメディア業界の鈍感さの由来が分かりませヌ。

持統天皇は天智天皇の皇女であり、天皇の実弟である大海人皇子(のちの天武天皇)の室となる。天智天皇崩御のあと、決起を胸に秘め吉野から伊勢へと脱出する逃避行に皇女は同行、大海人皇子を支え、官軍に勝利する。大海人皇子が天武天皇として即位するとき皇女は皇后に立てられる。

この辺のストーリーはそのまま歴史小説になるのであるが、Wikipediaにも概要は述べられている。

持統天皇は天武天皇崩御のあと自らが女帝として即位するのであるが、その後の皇位継承が実子の死去、異腹の皇子の存在などもあって、極めて不安定化するのである。

Wikipediaにはこんな記述がある。

持統天皇の統治期間の大部分、高市皇子が太政大臣についていた。高市は母の身分が低かったが、壬申の乱での功績が著しく、政務にあたっても信望を集めていたと推察される。公式に皇太子であったか、そうでなくとも有力候補と擬せられていたのではないかと説かれる。

その高市皇子が持統天皇10年7月10日に薨去した。『懐風藻』によれば、このとき持統天皇の後をどうするかが問題になり、皇族・臣下が集まって話し合い、葛野王の発言が決め手になって697年2月に軽皇子が皇太子になった  ―   コメント:3月と説明している例もあるが専門外でもあり深入りしない。この一連の流れを持統天皇による一種のクーデターとみなす説もある。

持統天皇は8月1日に15歳の軽皇子に譲位した。文武天皇である。日本史上、存命中の天皇が譲位したのは皇極天皇に次ぐ2番目で、持統は初の太上天皇(上皇)になった。

大国柱であった天武天皇の長男・高市皇子が亡くなったのが696年。次の天皇に想定されていた持統天皇の実子・草壁皇子は若くして亡くなっていた。草壁皇子の(異腹の)兄弟は複数いた。どの皇子にも皇位継承の可能性があった。人望のあった高市皇子の薨去によって「皇嗣」を正式に決める必要性が表面化した。

そんな時、「最初の朝臣」とも言われる葛野王が

日本では神代から親子間での皇位継承が行われており、兄弟間での継承は争いの元である。

と発言し、亡くなった草壁皇子の息子、つまり持統天皇の孫である軽皇子が皇太子に立てられることになった。697年3月の事だ。そして同年8月1日に持統天皇は生前譲位し、15歳の軽皇子が文武天皇として即位した。

高市皇子の薨去から持統天皇の生前譲位までの一連の進展は、自分の若い孫に皇位を継承させようという持統天皇の意図から発していた(と今では推測されているようだ)。

実に、持統天皇という女性は若い頃から波乱万丈、剛毅にしてカリスマ性があり、北条政子を遥かに越える日本史上最大の女傑でありました。

葛野王。壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)の息子である。後に臣籍に下り、孫は有名な文人・淡海三船である。今に伝わる伝統《万世一系》を言葉に表した元祖と見られている。

このように天皇の生前譲位は特別の意図から発していると理解するのが至当である。

とすれば、平成上皇の生前譲位の意図は

長男から次男、次男から次男の長男への皇位継承を確定させておきたい

そう理解するのが正しい(と勝手に推測している)。

そして、上皇の意図は時の政府の了解を得て日本国の国事行為と皇室神事によって公的に確定した(と勝手に思っている)。勝手に思っているのだが、確定したという事実はたとえ知識を持たないヒトが多数いようとも事実であることに変わりはない。


「愛子天皇待望論」は、それに横槍を入れる主張であり、横紙破りとも言える。

正に「このような進展になるかもしれない」と憂慮して、平成上皇は生前譲位を決意されたのであろう(と勝手に憶測している)。

政府、与党のある意味で強引かつ直線的とも感じられる姿勢の背景には、譲れぬ一線があるのであろう、と。そんな風に観ているところだ。


とはいえ、上に引用した葛野王の発言。

日本では神代から親子間での皇位継承が行われており、兄弟間での継承は争いの元である。

平成上皇の深慮にかかわらず、既に確定済みの皇位継承には「不自然なところがある」と感じる国民が多いのも仕方のない事だと思う。


持統天皇の努力にもかかわらず、その後も皇位継承の不安定は続き、何人かの女帝が即位しながら血脈をつないだが、遂に男系皇子が途絶えたことから、天智天皇系の光仁天皇を迎えることになった。皇統はここで天武系から天智系に移った。

皇位継承は、人の努力を超える形で、それでも血筋が守られ続けられてきた。そこにマア、日本人が「天皇制」を維持させていこうと感じる歴史的価値があると言えば、あるのかもしれない。

日本人には「血筋」に極めて関心をもっている人が多い(?)。「名門」に支配されるのは嫌だが、名門の末裔がいると何か安心するという心理は、ひょっとすると日本的な心情かもしれない。逆に言うと、「血筋」というものに対する関心が薄まって行くなら、永きにわたった天皇制も(国制としては)終焉を迎える背景になるのだろう。



2026年6月11日木曜日

読後感: 『台湾漫遊鉄道のふたり』は記憶に残る佳作だ

旭川地裁の公判で審理された《女子高生殺人事件》、事件自体は旭川ローカル、大きく見ても北海道ローカルな出来事であったにもかかわらず、TVの全国向けワイドショーでは連日メインの話題にしていたから吃驚した。

ずっと以前、小生も東京の役所で仕事をしていたが、その頃の感覚でいえば旭川は半分外国といってもよい極北の小都市というイメージであった。そこで起きた殺人事件・・・まあ、ミステリー好きなら興味を持つかもしれないが、一般の人はどうかネエという感覚があった(と思うのだ)が、最近はそうでもないらしい。

情報空間としての日本国に今感じる距離感と、片や首都圏に昔感じていた距離感と、心理的には同じくらいかナア

そう思います。昔の東京人なら奥多摩に感じた距離感と同じ感覚で今は旭川を感じる・・・こういうことか?ずいぶん近しくなった。そう改めて思いました。

宇都宮で熊が出たなど、東京の人は関心があるだろうから関東ローカル番組で自由にやってくれというのが北海道で暮らす小生の感覚だ。しかし、スマホ情報が身体の一部のようになった世代にとっては、旭川で起きた殺人事件と宇都宮の熊騒動は、同一の局所的近傍で生じた事件として意識される(のかもしれない)。

なるほどネエ

と自分で自分に勝手に感心する自分がいる。


それにしても検察官の求刑27年に関しては色々と論議があるようだ。

それはそうだろうと思うが、次のようなコメントには違和感を感じる。

U被告に対して検察は懲役27年の求刑をしました。 あまりにも軽い量刑です。U被告は、殺意はなかった、殺人でない、と主張している 。殺人罪が認定できるか、国民の認識を確認すれば良い。 大衆の全員が殺人であったと判断しているはずだ。 検察は、もっと事件に対して真剣に向きあって欲しい。 被害者と被害者遺族が報われない。 社会の安全も維持できない。 次の犯罪を助けることになる。 判決では正しく裁かれることを願っています。

どこかの報道に対するヤフコメ(Yahooコメント)にあった文章をコピペさせてもらった。

最近の現代日本の世相を映し出す鏡にもなっているので、個人的コメントを記しておきたい:

まず

あまりにも軽い量刑です

被害者遺族は極刑(=死刑)を望んでいるようだ。どうやら上の評者も同じ考えと見受けられる。他にも多くの日本人はそうなのかもしれない。小生が違和感を感じるのは、阿部慎之助・元巨人監督が家庭内で起こした暴行事件のときの世間の反応と、今回の極刑願望との、この二つの感覚の極端な落差である。

何度も書くが、《極刑=死刑》というのは日本人が社会の掟を破った時に日本社会が日本人に下す究極の体罰である。そう理解するべきであるし、そうではないというなら余程の鉄面皮である。

人間は誰でも正義の倫理観があるし、仁や礼の情を有している。許せないと思う倫理観は、日本人の生活の基礎になっているし、国の法律も日本人の倫理観と真っ向から矛盾するわけにはいかない。

「許せない」と思うとき、(被害者遺族でもない)無関係の日本人の多くが「そいつを殺せ」と主張する。と同時に「娘の口のきき方が悪いと怒った父親が長女を叩いた。これは体罰だ。体罰は許せん。父は職を辞して謹慎だ」と、そう非難する心理は、一体、どんな思考回路になっているのであろうと、こればかりは我が胸中で再現できない。

ある時は、許せないと思う人物を殺せという。

ある時は、許せないと怒って叩いた方が悪いという。

いくら怒っても叩くのはいかんだろうと考えるなら、いくら許せなくても殺すのはいかん、と。理屈はそうなるのじゃあないか・・・?

ま、これはずっと前から小生と世間の大方の意見と完全に異なる個所だ。ここでは繰り返さない  ―   実際には、蹴る、叩くなどの行為もなかったそうだ。


次に、

殺人罪が認定できるか、国民の認識を確認すれば良い。 大衆の全員が殺人であったと判断しているはずだ

国民の民意が「これは殺人である」と思えば、それは当人が否定しても、殺人ということになるのだろうか?これではまるで、

国民 = 皇帝

ではないか。神聖なる皇帝はすべてを決定できる権限を有していた。いまは神聖なる民意が皇帝の権限を継承している。こう言いたいのか?

民主主義を研究テーマとする研究者なら

ハッ!

の一言。まず基礎的な事柄の勉強に役立つ本を教えられて終わりになるのではないか。

暴君、暗君が革命によって追放されるのと同じ理屈で、自己研鑽を忘れて愚かな大衆に成り果てた国民の民主主義は打倒されるべきだと小生は勝手に思っている。

まあ、現代日本の民主主義の形が可視化されているという点は、ネット社会の最大の成果である。可視化は問題理解の近道であり、問題理解は問題解決への第一歩なのだから。

上で「ハッ!」という反応を使ったが、実はこれは最近読んだ『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著、三浦裕子訳)を思い出して、使えるかナと思ったのだ。

・・・申し出があったのよ。「南進政策」を宣揚する文章を書く条件でね。私は断りました。ペンを銃として戦えですって?ハッ!日の丸帝国を謳う国家が、戦争のためにここまでするなんて、まったく笑止千万よね。

こんなキャラクターの日本人女性作家が台湾の日本人会である「日新会」に招かれて、1年ほど台湾に滞在し、その間、通訳として付き添った台湾人女性との交流を旅行と料理、おしゃべりで表現した小説である。

終盤になって

帝国の横暴と、官僚の理不尽には反感を覚える。だが、本島(=台湾)を近代化した功績については、客観的な目で見れば、本島にとっても役に立つ大きな援助になったはずではないか。

こんな潜在意識が抜けない作家に対して台湾生まれの公務員が

この世界で、独りよがりの善意ほど、はた迷惑なものはございません

と伝える場面がある。

苦悩に沈む幾日かを経たあと

私はいつも、植民地に対する帝国の偏見、女性に対する男性の偏見、本島人に対する内地人の偏見について批判してきた。こんな世間の馬鹿馬鹿しさを嘲笑し、抗議してもいた。だが、実際には、私自身が世間の塵にまみれ、自分の心に潜む傲慢や偏見に気付いていない、凡俗な人間だったのだ。

作家はこう悟るに至る。

プロットは何度も聞いた月並みの主題が中心であるのだが、月並みの主題を土台にして書き込まれている登場人物のおしゃべりは血が通っているかのように生き生きしている。

これは歴史書ではなくて小説である。

結局こういうことになるのだが、その意味では世評に違わず成功している作品である。


人間が行う「認識」には、「主観 vs 客観」、「我 vs 対象」という二項対立形式からもたらされる歪みが必然的に含まれる。そもそも我が対象を見つめる、我が対象について考えるとき、考える我は見られていない。考える我を考えても、そう考える我は考えられていない。我が考える、その考えるという考え方そのものが決して考えられない盲点を作ってしまうのである。

こう考えると、歴史好きな者にとっても面白い作品だが、哲学好きにとっても結構面白い小説なのである。


今日は、世論のメチャクチャな側面をメモするつもりが、読書感想文になってしまった。どちらが主であるか分からない。

タイトルは、読書感想ということにしておこう。



2026年6月7日日曜日

感想の覚え書:「警察官 ≒ 昔のお侍さん」がこれからの世相になるか?

 オリジナルのURLはどこかにいって失念したが、こんな事件があったそうだ:

スーパーのレジで沢山の小銭で支払おうとしたお爺さんが、『小銭が多いなあ」という店員のボヤキに腹を立てて、買い物カゴを投げつけたらしい。それが運悪く店員の目(の付近?)に当たり、『これは暴力ですヨ。警察に通報しますから』となった。店長も駆けつけ周囲は騒然としたが、すぐに近くの交番からだろうか、巡査が駆け付けた。警察官の姿をみてお爺さん、途端にションボリとなり、促されて店員に謝罪をしたあと、警察官に連行されていった・・・

小生も小銭でやりとりするのは数えるのが面倒で嫌いだった。なので財布に小銭が溜まると『またクズ化したよ』と言いながら、我が家で『寄付バケツ』と呼んでいたのだが、小さなバケツ形の容器に投げ入れ、バケツが一杯になると郵便局に持参してUNICEFに寄付をするというのが長年の習慣だった。

最近はセルフレジで電子マネー支払いが新しい習慣になったので、上のような事件を知ると、何だか旧式な世代と最新の流儀だけしか知らない最新世代が溶け合わない今の世情がしのばれて、同情と淋しさとが入り混じった気分になる。

それに加えて、こんな事にも現場の管理責任者である店長を飛び越えて、警察官が《加害者》を連行していくのか、と。こちらの方に、より強い諦めと絶望に似たような感情が起こってくるわけであります。

小生の常識、というか生活感覚に沿って想像すると、多分、次のように進展する。

体躯隆々でいかにも乱暴そうな若衆ではなく、たかが(と言っては失礼だが)一人のお爺さんである。

買い物カゴを投げつけられた店員は

何をするんですか?乱暴は止めてください!

と先ずは怒る。

口の悪い若者であれば

何をしやがる、このジジイ!やる気か、てめえ!!

と怒鳴っても、周囲の客は店員を非難はするまい。

やがて店長と警備員がやって来て

お客様、どうぞ此方へ!さあ、こちらへ!!

と、腕をつかんで連れて行くであろう。騒動の現場はこれで元通りになる。

最後に、店員が周囲の客に向かって

乱暴な口をきいて申し訳ありませんでした。思わず腹がたって・・・

と言えば、多分、三々五々

あんなのもいるからネエ

とか

元気をお出しヨ

とか、声がかかり。それで騒ぎは完全に一件落着である。時間的には10分もかからないであろう。巡査の臨場など必要ない(はず)なのである。

お爺さんは

暴行障害で被害届を警察に出しましょうか?

と言われると、にわかに自らの粗忽を後悔し、治療費とお詫びの幾ばくかを負担することを了解するだろう。で、念書を一枚書かされて拇印を押す。

それで終わりになったろうし、むしろその位で終わらせるべき諍いであると、小生は感じる。

こんなことを書くと

暴行は法で裁くべきである

などと異論が聞こえてきそうだ。近年は頭の固い御仁が増えていて、実に暮らしにくくなって困る。そのうち幼稚園で子どもが他の子を押して怪我をさせた時にも巡査が駆け付ける時代になるかもしれない。

何が日常生活の範囲内で、何が法的に裁かれるべき犯罪であるかは、本来は普通の国民が決めるべき事で、そもそも国が正邪善悪を決める権利をもっているわけではない。

国や政府は、ただ法律をつくって、手続きとルーティンを定めているだけである。善悪の判断をするべき倫理を国家や政府は持っていない、というより持てる「心」が国家や政府にあるはずがないでしょう。

日本は後発・民主主義国で、決して本来の民主主義国ではない。こんな所にもそれが映っているように思っているのだ、ナ。

江戸時代まで遡らなくとも、戦前と言う時代まで、ずっと日本人は喧嘩のやり方を知っていた。

大体、鉛筆削りなどという利器はなかったので、小学生から「切り出し 」という名の小刀をみな持っていたものだ。それでも子供同士が刃物をふるう「刃傷沙汰?」など聞いたこともなかった。要するに

喧嘩の仕方をみな知っていたのである。

兵役の義務があったので大人の男性で武器の使い方を熟知している人は隣近所にいたはずだ。銃剣、軍刀、拳銃、自動小銃を見ただけで怖がるなどという感覚ではなかった(と聞いている)。小刀、包丁、金ヅチ、巻き割りなどに使うナタ、オノなど、どの家にも多くの武器(?)を普通に置いていた。今だから言えるが・・・旧友の父上は戦後のドサクサにまぎれてか、軍から支給された軍刀を終戦後も(ダマテンで?)所有していたそうだ。それも複数本あったというから中々に豪気なものである。友人本人は「怖かった」と話していたが、もしこんな父上が健在なら、いまを盛りの「トクリュウ」も手出しはできまい、まかり間違って忍び込んだら成敗されるだけだと思われる。仮に「盗賊を成敗」するとして、友人の父は暴行傷害罪に問われるのか・・・問われるのだろうネエ、非暴力の現代日本においては。

便利になるのは進歩には違いないが、人は強くなるのではなく、逆に弱くなるのである。「進歩」と言われるが、進歩とは反対の「退歩」も進んでいるのが、現代文明を全体としてみる時の客観状況だと思う。

二昔か三昔になるか分からないが、芥川龍之介や太宰治が生きた時代ならば、買い物かごが飛んできたくらいの事は「暴力」とは認識されなかったような気がする。お爺さんは巡査に連行されるほどのことはしていない。

まあ、落ち着いて、関係者で穏便に話し合ってください。

その位のことだろう、と。小生にはそんな感覚が残っている。

いま警察官は武器を携帯している。普通の国民は、突き飛ばされるだけで反撃方法を知らないため、「暴行」の被害を訴える。だから武装警察がやってくる。

何だか腰に刀を差した《お侍さん》を頼りにする町人のようではないか。


鉛筆を削る小刀くらいは子供でも持つ。そもそも「棒切れ」ですら武器にはなる。武器で自衛をするのは当たり前だという時代が以前にはあった。今は反対に、日常生活からあらゆる暴力を追放する。ただ国家だけが人を連行したり、監禁(?)したり、刑罰という暴力的手段で懲らしめることができる。

故に、国家に勤務する者だけは武装できる。戦前という時代、陸海軍将校は、当然のこと、軍刀を帯することが出来た。警察官でなくとも内務省勤務の文官官僚もサーベルを帯する権利があった。

近代日本の《お侍さん》である。


腕力を否定する現代日本人は、暴力、暴行に弱い。故に《お侍さん》を頼りにする。そのうち、あらゆる公務員は十手ならぬ《房飾りのある警棒》を持つ権利を与えられるかもしれない。あらゆる諍いに警棒を持った公務員が ― もう公務員とは別の名称で呼ばれるだろうが  ―  (身分証を提示しながら)割って入り、双方から供述をとり、警備当局に書類を出しておくことになるかもしれない。

かつての「一億総中流社会」は、階層化、身分化で溶け合わない階層に分離していき、「新型の士農工商社会」が再びやってくるかもしれない。

文系より理系が大事だよネ、食糧安全保障を考えれば農がもっと大事だよネ

というわけだ。 


あらゆる「武器」の不所持、家庭の内と外を問わず一切の「暴行」が禁止される社会は、制裁と懲罰を許される階層と制裁や懲罰を受ける階層に分かれるという社会的な結末に至るであろう・・・

そして、溶け合わない二つの階層は、住いの地域も分かれて行くだろう。明治初めの東京も(全国の城下町と同様に)武家屋敷と町屋は地理的に分かれていた  ―   隅田川以東は次第に混ざり合って来ていたようだが。

階層化は身分化になり、最後には地理的棲み分けとなって、景観としても完成するのである。こうした変化を日本人全体が評価し、受け入れることで歴史の大きな時代が一つ進むのであろう。その頃、未来の日本人が民主主義という西洋の香りがする社会構造をどう思うか、もう分かりませヌ。

そんな風に未来を想像しながら世間の移り変わりを観ている所であります。

【加筆修正: 2026-06-08】

2026年6月6日土曜日

ホンの一言:国旗損壊罪よりこちらが先では?

高市内閣が提出する《国旗損壊罪》の新設法案、世間ではその必要性や何をどうすれば処罰されるのかという線引など、無数の《???》が飛んでいる模様だ。

日の丸と言っても布や紙で出来た旗である。ひょっとすると、日の丸弁当も国旗のパクリだ、と。日の丸を食べるなど何事か、と。まさかネ。

思うのだが、たかが旗の尊厳を守るより、天皇や皇室を侮辱したり揶揄したりする言動を《不敬罪》とする方がよほど意味があるのじゃあないか、と。不敬罪の復活。憲法で規定する日本国民統合の象徴なのだから尊厳性を守ると言うならこちらが先だと思うがいかに?

2026年6月2日火曜日

断想: 「皇位は世襲」のはずが、思わぬ対立、混乱が起きているのは何故だろう?

 TVは(まだ?)意図的に控えているのだろうか、今国会に上程される予定(と思われる)の皇室典範改正案をめぐって、ネット界ではもう「女性天皇・女系天皇」支持論であふれている。あふれているのは、現実政治においては力学的に劣勢であると感じているからだろう。極々たまに「旧宮家養子容認、男系天皇」支持論を見かけるが数的には劣勢である。

小生は、前にも投稿したが、皇位継承をめぐって世間で議論が喧しいという正にこの状況は、《世襲》を原則とする《天皇制》と矛盾している、と。そう思う立場にいる。

例えば「天皇 非民主的」でブログ内検索をすれば、結構、多数の投稿がかかってくる。それを見ると、皇位継承も戦後日本の民主主義と男女平等という現代的文明観に沿って行われるべきである、とは全く思っていない自分が改めて可視化される感覚がする。


ただ、ずいぶん前に「家門の継承」というテーマでこんな投稿もしている:

五代将軍徳川綱吉は子に恵まれなかったので、紀州藩に嫁がせた娘・鶴姫の夫である徳川綱教を次期将軍にしようとした。子ではない娘婿である。その時、綱吉には若くして世を去った実兄・綱重の遺子である甲府宰相綱豊がいたにもかかわらずである。これには流石に水戸藩のご隠居である徳川光圀が反対したという。それはそうだろう。血のつながりの濃さによって継承していくのが<世襲>というシステムの本質なのだから。しかし、もしこれが、娘・鶴姫の子であったら水戸黄門も反対しきれなかったのではないか。これが<女系将軍>というものだ。結果としては、肝心の紀州藩主綱教が死んでしまい、兄の子である甥が六代将軍家宣になるのだが、こうしてみると幕府内に<女系将軍>が後を継ぐという事態にそれほどの拒絶感はなかったのではないか。そう思わせる逸話であろう。

「家門の継承」、「血筋の継承」という話には、現代日本人も意外に強い関心を持っているようなのは、いまでもネットをみていると、「関ケ原合戦の直前に悲劇の死をとげた細川ガラシャの子孫はいるのか?」とか、 「室町時代の足利将軍家の末裔はいまでもいるのか?」とか、この種の話題にはかなり多数の人が関心を寄せているのがよく伝わってくることからも言えるのではないか。

女性天皇は歴史に実例がある。母方で血がつながっている女系でも尊貴な血筋にはわけもなく尊敬(?)の念を感じてしまう日本人の癖は、それが天皇ともなれば、歌舞伎俳優の襲名や芸能界の二世たちとは全然レベルが違う話になってくるのは明らかに思われる。

冷静に考えれば、男系、女系、男性、女性を問わず、天皇家の血筋を継承していってほしいというのが、最大多数の日本人の共通の感覚なのだろうと推測する。

皇室が断絶すれば多くの日本人は日本文化の伝統まで失われたという喪失感覚を覚えるかもしれない。移民政策の失敗とシンクロすれば日本社会全体が予期しない方向へ不安定化するかもしれない。もちろん、その時には直系が絶えたということで、傍流からどうにでも継がせることは可能だが、それはそれで今をはるかに上回る大騒動になるに違いない。

ただ政府は「男系継承」を続けたいと考えているようだから、これはもう仕方がないと思うのだ、ナ。

反政府の立場から「女系容認」の世論をぶつければ、正に皇位継承をめぐって「政治的対立」が生まれるわけで、そうなれば次の天皇に政治的な色合いが最初からついて回ることになるのが理屈だ。

現時点の継承順に沿って秋篠宮家に皇統が移れば秋篠系の天皇は「親・自民党の天皇」、皇位に就けなかった今上天皇の内親王は「親・リベラル勢力が支持した悲劇の(?)内親王」として自動的に認知されてしまうのではないか?そして「皇位を奪われた内親王の子女たち」は、自動的に(政治的には?)リベラル色の強い皇族として見られることになってしまう・・・ずっと昔、宮中の派閥はこうして生まれるものであった。宮中ならマシだが、今は民主主義だ。社会を舞台に皇位をめぐって派閥が形成される。

・・・この種の政治的対立は、「日本国民統合の象徴」としての天皇そのものを決定的に毀損する結果になる  ―   これもまた非常に日本史的な展開ではあるが。

何度も投稿したが、民主主義と天皇制は水と油の関係にある。そもそも天皇の権威を尊重するのは非・民主的であり、民主主義を徹底すれば天皇制を廃止して、大統領制にするべき筋合いなのだと、そう書いたのもつい最近の事である。

皇位は《世襲》によると憲法で定めているのは、皇位は血筋によって決まるのであり、民意によって決まるのではないという意味だと小生は(勝手に)理解している。

世襲とは、つまり、次期天皇をめぐって国民の対立を生まないことを期待しての制度である。

これが日本の天皇制の最も重要な点であろう。

まあ、個人的には

  • 新しい元号くらいは官房長官ではなく新たに即位した天皇が発表するべき筋合いではないか?
  • 新たな天皇が即位するとき位は、憲法改正の論点整理をして条文を見直しても天皇と政治の独立に反するとは言えないのではないか?

そんな気持ちではあるが、その前に「皇位継承」そのもので意見が対立するなどは、昔風にいえば《世の乱れ》の典型的原因になりうるのである  ―   もう十分に乱れていると言う御仁もいるかもしれないが。

日本国憲法の第2条には、確かに『皇位は世襲のものであり』と記述されているが、その後に『国会の議決した皇室典範の定めるところにより継承される』と明記されている。

あたかも「世襲」のあり方には「国会の議決」、つまり「民意」が介入する余地を認めている。

いま「あたかも」と書いたが、現在の混乱はここから生起していると思っている。憲法制定時、更には皇室典範が戦前の「皇族家法」から国会が議決する法律になった時には、まったく予想していなかった混乱だろう。

もともと穴が開いていた船底から浸水し始めた状況と似ている感じがする。これを《千慮の一失》という人はおそらく保守派であろう。


いずれにせよ、上皇陛下退位のとき、今上陛下即位に併せて秋篠宮様が皇嗣殿下になることは、今上天皇ご自身が

「文仁親王が皇嗣であることを、広く内外に宣明します」

と世界に向けて公にされている。いわゆる2020年11月8日に行われた「立皇嗣宣明の儀」である。これをひっくり返すなど天皇も政府も出来るはずがない。綸言汗の如し、である。

既にいる皇嗣殿下がいざ践祚するとして、さて皇太子はということになれば、どう考えても天皇の長男の悠仁親王になる。仮に年長の女性でも可であるとすれば、長女の真子様が皇族復帰をして皇太子となるか、でなければまだ皇籍にある(かもしれない)佳子内親王が皇太子になるかの選択肢になるのが理屈ではないか?

いま世間で吹聴されている《愛子内親王推し活》は、天皇陛下が世界に向けて嘘をついたことになってもよい、と。こういう主張と同じ意味になる。推し活はわかるが、その低能ぶりは雑音の域を超えていると思うがいかに?

マア、色々と考えられるが、この辺にしたい。

【加筆修正:2026年6月5日】