2017年7月5日水曜日

自民惨敗が今後に投げかける本当の意味合いとは

ワイドショーなど町の噂では、都議選の自民惨敗によって安倍政権の終わりが始まるとか、政界再編成が進むとか、誰が都民ファーストの会に合流するかとか、色々な話になっている。これはこれで面白いのは事実だが、一つ大事な着眼点があるとすれば2012年12月から始まった第2次安倍内閣のレガシーは何であったか、いや「現状から推測するに何がレガシーになりそうか」という問いかけの方だろう。


とにかくこの20年以上、何かと言えば「改革」という単語が口にされており、「改革」を目指さない政党は政党にあらず、あるのは「リベラルな改革」と「保守改革」、この二つのみである情けない状況が続いている。

が、真の意味で国の形を変える改革をこの20年間に求めるとすれば、元首相・橋本龍太郎が基礎付けた行革のみである(と小生は思っている)。いわゆる「小泉改革」は、橋本行革で実現した中央省庁再編成と内閣主導の体制が可能にしたもので、いうなれば「橋本行革の残り香」のようなものである(と小生は思っている)― 安倍官邸の力はその残り香を更に煎じ詰めて、人事で苦くしたようなものじゃなかろうか。

いま小泉改革は「橋本行革の残り香」であるとたとえたが、それでも郵政改革は元首相・小泉純一郎が真に有していた問題意識を解決しようとしたものであった(のだろう)し、前代から引き継いだ課題であるにせよ「司法改革」もそうである。また、経財相・竹中平蔵が主導したものであったにせよ1990年代から引きずってきた「不良債権問題」を根本的に解消したことも政治的成果として今後ますます評価されると思う(と小生は思っている)。

本当の意味で「改革」を目指した内閣であれば政治的遺産が残るものなのだ。


先日の都議選における自民党惨敗をきっかけにして、今後始まるであろうことは第2次安倍政権のレガシーは何であるだろうか。この問いかけであろう。つまり、「安倍政権はなにを成し遂げた政権であったのか?」という総括を多くの専門家や素人が話すようになる。そして常識化する。通念が形成される。

そうなると、候補としては三つの成果があげられることは確実である。

  1. 特定秘密の保護に関する法律(2014年12月10日施行)
  2. 集団的自衛権容認の閣議決定と平和安全法制整備法等の安保関連法(2016年3月29日施行)
  3. テロ等準備罪の新設(2017年6月成立)

主たる成果はこの位ではないか。そして、この三つとも安倍政権が本来目指していた志であるようにみえ、確かに極右を基盤とする政権の個性がよく表れていると言える。

一方、経済政策のほうは、規制緩和や自由化が強調されているが、実は具体的な成果はほとんどないのが現実だ。電力自由化などはあるけれど・・・、医療や雇用、教育でのコア領域では目玉になるような、「これが自由化だ、創造的破壊だ」と言えるほどの成果はまだない(はずだ)。日銀が担当する金融政策は黒田総裁が就任直後からそれまでの白川前総裁の路線とは正反対の方向がとられ、いわゆる「アベノミクス」がスタートしたが、その後具体的に緩和・撤廃された規制は細々としたものであったのが現実ではないかと見ている。掛け声の大きさほどには、日本経済に新たなイノベーションは進んではおらず、むしろ日本の美点や匠の技を自画自賛するような風潮が高まっている(と小生は感じている)。つまり保守化している。

確かに、マクロ経済的にみて日本の雇用状況は劇的に改善され、株価も上昇したが、2012年12月以降の株価上昇は世界で進行した国際マクロ的な現象であり、現在の人手不足も多分に団塊の世代の退職、若年者人口の減少からもたらされている部分が大きい。この数年を振り返る時、改めて気がつくのはかつて続々と登場した「楽天」や「ソフトバンク」、「アスクル」、「ライブドア」等々といった荒々しくともエネルギーにみちた日本新興企業群の後続がさっぱりとだえている現状のほうだ。

あえて言えば、米国でヒラリー・クリントンが当選し、TPPが発効していれば大きなレガシーになっていただろうし、この点はアンラッキーというしかない。欧州(そして英国)と現在交渉中のEPAも最終合意に至れば(まだ未確定ながら)高く評価できる。更にまた、消費税率引き上げの三党合意(2012年6月)を覆して、約束を破ったことをどう評価するかがある。が、この点はなお微妙なところだろう。

要約すると、アベノミクスの旗印の下で既存の枠組みと対決しようとして、現実には決定的対立を避けて来た面が(今までのところ)目立つ。「岩盤規制」とはいうが、実は「規制は岩盤のようなのです」という言い訳として(これまでは)使ってきた。どうもそんな現実がそろそろわかってきた。そういう段階に来ている。もともとアベノミクスは三本目の矢が欠けていると言われて来たが、考えていたのはTPPの一本槍だったのか。「外圧」の他にはヤル気がなかったのではないか。そんな疑いが生じて来たのがいまの段階だ(と小生は思う)。

つまり、安全保障・軍事・治安領域においては過激なほどの政策方針変更を断行しているのに対して、経済・国民生活領域においては変更することに甚だしく臆病で冒険を避けている。それが現政権4年半の特徴だと言える ー その典型が理論的には必要で、確実に望ましいといえる消費税率10%引き上げ、世界的には微小とさえ言えるたった2パーセントの引き上げ(軽減税率対象の拡大も含め、それでもなお)の延期であった。

もちろん、これら全てが政治戦略であり、最も実現したかったことを先ず実現したと言えばそのとおりなのだろう。確かに安全保障は経済と暮らしより前に担保されるべきものではある。が、とはいえ、とってきた選択が本当に必要で、真に国民が望んでいたものと一致していたのかどうか、まだ理解は不十分だというのが(小生の)印象だ。


誰もが支持するような、国民のニーズに合致するような政策が現に展開されているのであれば、少々の不祥事は乗り越えられるものである。

要するに、大学における授業評価に似たような政権評価が、安倍政権に対して、これから多くの専門家によって語られるようになるだろう。あるべき状況に戻る、ということか。

その意味で、安倍政権というより「安倍一強」は確実に終わる。これから増えてくるこうした評価の眼差しに耐えるほどの政治的遺産を現政権は残しつつあるのだろうか?

恐いとすれば、この問いかけが一番恐いかもしれない。

政権の本当の敵がいるとすれば、前川前次官でもないし、都民ファーストの会でもない。まして消滅寸前の民進党ではない。本当に恐いのはこのような総括的な評価の視線だろう。



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