2021年7月30日金曜日

断想: 前世代的な「タテ社会」は、結局、強い社会であったのか? 分からん

版画家の山下清は、何かといえば『兵隊の位でいうと・・・』という表現が好きだったそうだ ―  ご本人の声を直接聴く機会には恵まれなかったが。

この伝でいうと、小生の亡くなった父も山下画伯と同じ物差しを共有していたに違いないので、

会社の何とか部長を兵隊の位で言うと、そうだなあ、連隊長といったところかな、だから大佐になるんじゃないかなあ・・・要するに、前線の指揮官だ。司令部じゃない。

いま生きていればこんな話をするのではないかと想像する。

であるとすると、父は呼称が「△△部長」という部長職についたことはなく、つける職階にあっただけなので「大佐」ではなく、その前の「中佐」だったことになる。

そういえば、「家族団らん」(というのも古色蒼然とした表現になったが)のとき、

まあ、大佐、中佐は犬のクソって言ってね

などと冗談半分に話していたのを覚えているから、数多くの戦争アニメが人気の的になっていた当時のTV番組事情も併せて考えると、「軍」と「生活」とは互いに溶け合っていた感覚であったに違いないのだ。戦後も20年がたった頃であっても、そんな感覚が濃厚に残っていたということだ。

ま、いずれにしても、古い、前の世代でのみ通用する語り口である。

つまり、小生は戦前世代の話しぶりと感覚を直接に聴き、戦前の感性に触れながら育った世代である。

***

兵役の義務が全ての日本人男性に課されていた中では、軍体験というのは、全ての日本人男性の骨身に浸み込んだ共通経験となり、共通の言葉がそこで生まれ、例えば「カレーライス」のように味覚も料理も共通化され、良い思い出(であるはずもないが)としても、悪い思い出としても、軍務は忘れることができない国民共通の記憶になっていたはずだ。実際に従軍する男性にとっても、待つ側の女性にとっても、そうであった。この点が現代から過去を語る時の話しの核心だと思う。

よい、悪いではない。「そうであったのだ」という歴史的事実の指摘である。

この辺を押さえておかないと、《納税者感覚》という非常に共和政的な原理原則が甘々のモラル感覚で使われるという状況になる。この点は既に投稿したことがある。

実際、三島由紀夫という作家の作品を小生は最も好むというわけではないが、父と誕生年が1年しか違わないせいか、氏が遺した文章から伝わってくる思想なり、感覚なり、理念は父とほとんど重なっている。同じ言葉を使って書いている。あの世代の全員にとって、『あれ、覚えてるだろ、お前、その頃どこにいたんだよ?』と、そんな話題が生涯にわたって全ての日本人(男性)に共有される社会では、少なくとも「孤独なる宇宙」を感覚する人は稀なのではないか。 

***

国家モデルとして《民主主義》が強力で、《共和政》の国家の方が強靭である理由は、軍務や社会奉仕を含め、国民が共通に負担する義務の枠組みを国民自らが法制化できるからである。君主の無事ではなく、自分たちの安全のために行動する時でなければ、国民は自らの意志で団結できないのだという常識がここにある。このロジックは、正に古代ギリシア世界の世界大戦であったペロポネソス戦争を叙述したツキディデスの『戦史』でも展開されているところである。

民主主義は道徳的に善いから採用されるのではなく、国家として強いから選ばれるのだ、という理屈が日本ではまったく問題意識にすら上らないのは、ずっと不思議に思っている ― それでもなおペロポネソス戦争で降伏をしたのは民主主義国であるアテネの方であった点をどう考えるか?これまた興味深い演習問題であろう。

日本国内の「世論」は、(いつでも、何についても?)どこか的外れで、建前を守り、ゆえに本質を外し、幼稚な話しになっている。そんな感想がずっとあるのだ、な。「それを言っちゃあ、おしまいだよ」ではなく、「それを言わなきゃ、話しにならんだろ」という問題は、重要な問題に多いのだ。

***

そういえば、いまは倒産して名前も会社存在としても変わってしまっている某銀行に勤めていた叔父が『私ももう執行役員になったからネ・・・』と話していたのだが、あれはいつの頃だったのだろう。いずれ、バブル景気盛んな1980年代後半の頃であったのだろう。

小生が父の世代であれば

執行役員って、兵隊の位で言えば、どのくらいなんだ?

と質問したに違いない。

そうだなあ、経営中枢のすぐ下だから、少将のすぐ下の准将というところかな

まあ、日本の陸海軍には准将という位階はなかったが、ディーテイルだ。

少将になったら前線でも後方の司令部だ。会社なら取締役会だろ?はやくホントの取締役になれよ・・・

まさにタテ社会における立身出世が物語られているに違いない。

***

ところで、こんな位階・職階から成るタテ社会は、結局、どうだったのだろう? 日本の「強い組織力」の基盤であったのだろうか?

江戸時代まで日本社会は身分・家柄・石高で決まるタテ社会であった。明治になって兵役の義務が導入された。軍の階級が全国共通の物差しになった。いわば「タテ社会の国内統一化」といったところだ ― もちろん、元の軍曹が元の少佐の部下に自動的になるというわけではなかったろう。

兵役の義務があるという意味では日本人(男性)は平等であった反面、ガチガチのタテ社会であった日本は、どの程度まで強靭な国家であったのだろう? どの程度まで暮らしやすい社会だったのだろう?

この辺のリアルな肌感覚は、小生の世代はもうそれを実感として思い出すことが出来ない。体感、実感として感じとれなければ、その頃に通用していた価値観の是非を議論してみても、所詮は現代のジャズ奏者がモーツアルトのセレナーデを評論するようなもので、その場限りの泡の如き主観にしかならず、何かの知識が増えるものではない。

今朝の朝ドラで上司からスマホに連絡があった現場の責任者が『アッ、部長から呼ばれた、これってホントにストレスフル!じゃあね~』と声をかけながら歩き去っていくシーンがあった。現代日本社会の企業内組織と、そもそも企業組織が確立した時代の組織内とでは、同じ組織でも、そこにいる人たちは同じ日本人とは思えないほどの、異国的(?)かつ異文化的な落差があるに違いない。それだけは分かるのだ、な。

これだけ違う以上は、呼称は会社であっても自由に組織内をリニューアルすればよいわけだが、違う空間に生きている日本人が出会ったとき、『あのときは大変でしたね、どこにいたんですか?」と、こんな共通の話題を何ひとつ持たなくなるというのも、これがご時勢と言うなら仕方がないが、小生は淋しいネエと感じてしまう。

***

新型コロナ禍への対応で「ミソ」をつけている政府の対応振りだが、国民への自粛を求めるという一方で、政策面ではホボゝ無策の状態だ。

カミさんとも話しているのだが、2020年春のCOVID19感染拡大以降、

  1. 希望する時に、近くの場所で、望む回数だけ、無料でPCR検査を受ける体制を整える。
  2. 感染者の広域搬送システムを整えて広域医療体制を整備する。
  3. ワクチンの特例承認に向けて早期に準備を整える。

海外では当たり前のように推進した施策であるにも拘わらず、これら《検査・医療・ワクチン》という感染対策3大分野で日本の医療当局はほぼ無策をつらぬいた。専門家集団も(何故だか理由はよく分からないが)機能しなかったと結論付けてもうよいのではないだろうか。加えて、経済対策の実施面でもIT分野の弱点が露呈して、意図したようには政策効果が浸透せずという状況だ。行動自粛も抜け駆け放題のザル状態で規律付けがまったくできなかった。

感染者数、死亡者数というデータには表面化していないが、仮に欧米と同程度の感染拡大に襲われていれば、日本社会は完全に崩壊していた可能性があるくらいだ。中国というアジア発(?)の新型ウイルスであったことから日本人も何かの抵抗力を持っていたなど、幸運な面があったのだろう。「不幸中の幸い」を実力と思っては将来酷い目にあうだろう。

小生、ずっと昔に小役人を勤めた経験もあり、辞めてから20余年後の官庁内の雰囲気を想像すると、何だかこうなるような気はしていた、というか、この1年余の成り行きは妙に腑に落ちたりするわけだ。

ずっと昔に《三無主義》やら《五無主義》などと揶揄されていたからどうだということはない。しかし、『三つ子の魂、百まで』とも言うではないか。若い時分の感覚、趣味、志向はその後の職業経験をいくら重ねても、本質的には変わらないものである。だから、現時点の現役世代と両親が現役であった頃の組織を比べるとすると、同じ日本の組織であるとしても全然別モノになっているだろう。いま官公庁組織、企業組織内部で実働部隊となっている若手は、そもそも学校時代に様々の《学級崩壊》を経験してきた世代ではないだろうか。集団行動と規律付けという面で、ずっと昔よりは、格段に弱体化していることは容易に想像できる。その半面で、今回の五輪をみても見てとれるのだが、《個の強さ》を育成するという方向は実を結びつつあるのではないか。

要するに、日本社会全体が、《つくる教育》から《のばす教育》へとシフトしてきている。天賦の才能ある人物がノビノビと成長する反面、平均未満の人材を平均並みに引き上げる努力は諦めつつある。均一的な人間集団で、誰でも配置すれば並みのパフォーマンスを示すことが出来る、そんな社会ではなくなってきているわけで、使う側も使われる側も《抜擢する》、《抜擢された人に従う》、というか《そんな人を中心にまとまる》という感性がますます重要になってきている。

そんな方向で、日本社会は変わりつつある。どうもそのように見てとれるのだ、な。


昔は出来たことが、今は出来ない。この種のことは人間一人の高齢化から生じるだけではない。一つの国にも生じうることである。壊してリセットするのは愚かだが、日本社会の評価方式や組織原理を変えなければどうにもならなくなっているのは確かだとみる。

以上、この段落は思いついたままの書き足し。



2021年7月29日木曜日

覚え書き: 暑い夜の読書の感想

東京五輪が始まってみると、マスコミの五輪論調もガラっと変わって、案の定、世間からはその変わりぶりが余りにもエゲツナイというので、色々と批判、非難があがっているようだ。

ヤッパリね

という現象はずっと昔から多いもので、内容はその時々で様々に変われど、同じパターンの現象が単純に反復されるのは、不思議な感じがする。『学ばないネエ』というわけだが、だからこそ

歴史は繰りかえす

という経験則も出てくるのだろう。《人間性》の本質は、いくら科学技術が進歩しても、結局は同じであるからこそ、そうなのだろう。

ただ、世の中の考え方なり、思想は変転として変わってやまない。

変転としてコロコロ変わり、一周して元に戻り、戻った事にも気がつかない。そんなことすらあるのが《世間》というものである。


暑い夜に本を読むことが増えて、以前読み終わった『日本の近代④ 「国際化」の中の帝国日本』(中公新書)のページをめくり直したりすると、多くの個所に線を引いている。

せっかく線を引いているが、サッパリ、頭に残ってはいないナア、と反省しきりだ。この忘れっぽさ、これもまた『歴史は繰り返す』ことの主たる要因の一つに違いない。

例えば、政治の現実と憲法とのギャップが意識されはじめ、「憲法論争」の芽が出てきた明治の終盤、それでも堕落した現状、立ち返るべき明治維新という観念には変わりがないという時代に対して

このような立ち返るべき原点としての明治維新という歴史観が転倒されるのは、ずっと後になってからである。1930年代のマルクス主義による日本資本主義論争の中で、講座派が提示した明治維新像がそれである。そこでは明治維新はブルジョア革命として不徹底な革命であり、そのことが日本をまともな近代社会として成立させなかったという歴史観が示されている。半封建的な遅れた日本、近代社会としてゆがんだ日本、何より駄目な日本の原点としての明治維新という考え方である。これがいかに革命的な歴史観の転倒であったかは・・・(40~41頁)

こんな風に記述してある。

確かに、明治維新をどう評価するかで、「講座派」と「労農派」が激しく論争を繰り広げたのが「日本資本主義論争」であった。昭和10年前後のことである。

ごくごく最近になってから明治維新像を書きかえるような新刊書籍が書店の棚に並んでいたりする。これも長い時間の中では「お久しぶりでございます」の一例である。

戦後になってからずっと、日本の小中学校が使う教科書では、明治維新肯定論一色であった。それほど素晴らしい明治維新の遺産が毀損されたのは、昭和になってから台頭した陸海軍の横暴によるものである。そんなとらえ方である。が、新しい時代はすべて前の旧い時代から現れてくる。新しい時代がまずいなら、前の時代に原因があるに決まっている。そこを考察して、らせん状に深めていかなければ、私たち日本人が自分たちをどう観るかという歴史観は、変転として変わりつつ、長いサイクルを描いて元に戻る、そんな単純反復になるに違ない。「進歩しないネエ」とは言われたくないものだ。

そういえば日本資本主義の父・渋沢栄一って旧幕臣だったよね、福沢諭吉も西周も高松凌雲もそうだ。小栗上野介の先端性はすごいんだヨ、その小栗を処刑するなんてネエ、器が小さいんだヨ、そういえば小栗の盟友・栗本鋤雲もドラマに出て来てるネ。大体、川路聖謨とか、岩瀬忠震とか、永井尚志とか、勝海舟はもちろんとして勝を見出した大久保忠寛とかサ、幕府の人材の厚みはすごいものがある。やっぱりサ、人材としては進んだ幕府、遅れた倒幕派だったんだネエ、江戸に進駐してきた官軍を芋侍といってバカにした江戸っ子の心根はごもっともなるものがあったのサ・・・

こんな見方は、これからも時代が変わる中で、形を変えながら《繰り返し、繰り返し》現れるであろう。

《失われた20年》というキーワードを使ってずいぶんその時点、時点の政府を非難する論調が多かったのを覚えているが、「失われた20年」の原因は絶好調であった前の時代に潜在していたに決まっている。突然ダメになったわけではない。なぜそんな問題意識が(世間で)広がらないのか、釈然としない気持ちであったのは、いまでも覚えているのだな。

これだけは変えたくない

という意識が強かったためだろう・・・

三島由紀夫が転向したプロレタリア作家として著名な林房雄を(案外なほど)高く評価していることを『作家論』(中公文庫)で読んで驚いたのだが、森鴎外をどう観ているのかも寝る前の読書で最近知ったことだ。

鴎外の『青年』が、意外なほど面白くて、世間の「つまらない」という評判とはずいぶん釣り合ってないなあと感じていたのだが、

中年の鴎外は、トオマス・マンがいみじくも言ったように

老年は男性的なものであり、若さは女性的なものである

という、人間精神のふしぎな機構を知りはじめていたのであろう。私はこの作品が、『坊ちゃん』などよりも、現代の青年にもっともっと読まれるべきだと考えている。(22ページ)

こう書いているのをみて、

そだ、そだ

と頷いたものだ。 もっとも『坊ちゃん』をどう位置づけるかは、江藤淳が『近代以前』の中でも考察を加えているくらいで、中々深みのある問題ではある。が、いずれにせよ、『坊ちゃん』は中高生が読んで感想文を書くには、意外なほど手ごわくて、底が深い小説であるのは確かな所だ。

鴎外の『青年』のほうを推薦しているのをしって、一寸嬉しかったので、書き留めておく次第。


2021年7月24日土曜日

断想: 『世論こそ神の声』と常に言えるとは限らないのではないか

いつの頃からか、以下のように考えるようになったのは不思議だ。誰の影響かネエ・・・ 

命は神(仏)に与えられ、善悪の別は人間が決める。神は(自然は)善悪については何も語らない。故に、人が人の生きる場所を奪ったり、人の命を奪ったりすれば、これは全て人間の仕業であって、神とは関係がない。命を奪えば殺人である。刑罰は虐待である。そう考えないのは、そう考えないと人間が決めたからである。

であるので、小生はかなり以前から徹底的な「死刑廃止論者」である。なので、例えば教育的体罰も含め、全ての体罰を禁止しようと提案しながら、その一方で刑罰としての死刑は認めると言う人物をみると、まったく信用できない。その偽善というか、二面性には腹が立つ。

ところで、日本社会では依然として死刑肯定論者が多数を占めている。と同時に、体罰は禁止しようというのが社会的な流れである。 

《世論こそ神の声》だと考える立場は確かにある。朝日新聞のコラム記事『天声人語』のように

Vox Populi, Vox Dei

(人々の声は神の声)

そう見える時は確かにある。

しかし、常にそうなのだろうかと、深く疑う。

ごく最近の社会の様相をみると、むしろ

Vox Populi, Vox Diaboli

(人々の声は悪魔の声)

あるいは

 Vox Populi, Clamor Diaboli

(世論こそは悪魔の叫び)

いや、いや

Publica sententiam diaboli susurro → これはミスか?

Opinio publica fama diaboli → まだまずいか?

Opinio publica vox diaboli suggestiones

(世論というのは悪魔がささやく声でございます)

こういえば、シェークスピアばりの演劇風台詞にもなろう。 

それにしてもGoogle翻訳はすばらしいツールだ。

要するに、世論の転変すること風の如し。東西南北、いずれの方角からも吹く。転変として姿を変えるのは、神ではなく、悪魔であって、そうやって人間を騙すのである。神ではなくて、悪魔であると観ておく方が安全ではないか?

そういえば、古い話になるが、イエス・キリストを磔刑に追い込んだのは、帝政ローマの中央政府から任命された総督ピラトではなく、むしろ周囲をとりまく地元の民衆の声であった。多分、社会全体の大多数は直接の関係もなく、無関心で、声を出すこともしなかったのだろう。

民主主義とは人々の声に耳を傾けることから始まる。本当に声を聴くのがいいのか。声によるだろう。どんな声かも大事だろう。疑いは深まる。

中学生の頃だったろうか、判事をやっていた祖父にプロタゴラスが言ったという

人間は万物の尺度である。

こんな名句を知ったかぶりをして話したことがある。そうしたところ、祖父は

それは違う。正邪や善悪は人間が決めたいように決められるものではない。自然に道理として定まっているものだよ。

と諭されたことがある。

その時は、確かにそうだと自分の誤りに気がついた気持ちになったが、最近になって、小生の言い分もあながち間違いではないと思うようになった。

あと一言。上のプロタゴラスの名句。オリジナルの意味はポジティブなものである。これを小生はネガティブに解釈していたのだ。これ自体、かなり偏屈であった可能性はある。

2021年7月22日木曜日

一言メモ: 東京五輪・・・出てくる、出てくる。「不運の神」につきまとわれているのか?

「呪われた東京五輪」という揶揄が世間で広まっているようだが、そもそもオリンピックと東京とは相性が悪い、というか、「五輪との悪縁」があるのは事実だ。

1940年五輪の自主返上、そして今回のコロナ禍と史上初めての1年延期、その延期もワクチンが間に合わず非常事態宣言下の開催となってしまった。世界広しと言えども、こんな大都市は東京だけである。

これまで露見してきた数々の不祥事も箇条書きにリストアップしなければ思い出せないくらいだろう。

今回は次のようなトラブル:

 23日に行われる東京オリンピックの開会式でショーディレクターを務めるコメディアンの小林賢太郎さん(元ラーメンズ)が、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)をパロディーにしたとみられるコントの動画がインターネット上で拡散している。米国のユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は21日、「反ユダヤ主義の発言」として非難する声明を発表した。

URL: https://news.yahoo.co.jp/articles/0bf323874db9e58943b723a3209a003065800da1?tokyo2020

Source:東京オリンピック・パラリンピックガイド


この記事に対して、次の読者コメントが寄せられている:

そもそも論、なんで小山田氏やラーメンズ小林氏のようなサブカルチャーで道を切り開いてきたような人物に国際的な、国民的な行事の演出を任せたのかな。サブカルも立派な文化だけどさ、清廉潔白綺麗なものじゃないことは分かりきってることじゃない。

日本文化に精通している野村萬斎さんがやはり適任だったよ。

小生も同感。

まことに、ごもっともで御座います。


依頼されたコメディアンは、いまは元コメディアンであるとしても、何を頼まれるにせよ、やはり誠心誠意、《ウケ》を目的に内容を詰めるに違いない。しかし、コメディアンに拍手喝采をおくるのは、目の前のファンであるのが日常だ。ファンを喜ばせようとする努力は、コメディアンだけではない。TV、映画製作者、アーティスト等々、芸術家、芸能界関係者は全て同じだろう。

ウケをねらう努力は、それ自体、(この点は意見が分かれるとわかっているが)小生は正当な努力だと思う。

とすれば、ウケようと願っているその芸能人の《日常空間》と、国際的イベントであるオリンピックとが、相性の良いものであるかが大事だ。コメディアン、パフォーマー、演出家といっても色々いるが、きわどい「ギャグ」を飛ばして哄笑をひき出す商売と、表舞台を支配する《国際的人権感覚》、《歴史感覚》とは、相性が悪いのではないだろうか。堀田善衛『定家明月記私抄』でも「ルネサンス的遊び人」の後鳥羽天皇と「くそ真面目」な鎌倉武士とのすれ違いが書かれているように、「遊戯」と「真面目」とはハナから対立関係にあるものだ。引き合いに出せるかどうか分からないが、イスラム教信仰とフランス流の自由とがしばしば対立しているように。

どんな芸術家であれ、芸術家は(最終的には)生前の人柄ではなく、作品のみで評価されるものだ。開会寸前で退場を迫られ、その作品も日の目をみないことになったことは、《身から出た錆》であるにせよ、残念無念であるに違いない。『観てから批判してくれ』という思いもあったに違いない。


マ、自由な精神を我が命であると思う人間と、特定の価値観を譲らない人間は、最後まで溶け合うことはないし、理解しあえる時が来るのかどうかも疑わしい。


今回の件もまた「人選ミス」であった。


2021年7月20日火曜日

一言メモ: 小山田圭吾氏の一件について

「小山田圭吾」と聞いても、小生の趣味の分野とは違うので、まったく知らなかった。『五輪音楽を担当していたのか』と、改めて分かったくらいだから、ほぼ無関心であったということだ。

その小山田氏が辞任したと、エラくニュースになっている。それだけで何も感想はないのだが、どうやら10代の頃のメチャクチャな言動が理由だそうで、であれば無関心ではいられないなあ、と思った次第。

それで感想をメモっておきたくなったのだが、まとまった見解などはなく、順不同で「論点」になりそうな点を箇条書きにしておくにとどめる。

1 

東京五輪音楽担当の小山田圭吾氏が、26年前にもなるか、同氏が20代になった時点で10代の頃に通っていた学校で障害者に対して数多くのいじめをしていたと雑誌インタビューで語っていたことが、特にSNSで蒸し返され、辞任するに至った。

同氏は1969年生まれであるから、今年、52歳になる。いじめの加害者経験を雑誌インタビューで語ったのが、1995年発売の音楽雑誌であったから掲載は26年前のことになる。その1年後の1996年発売の雑誌でも、イジメの様子を具体的に語っているということだが、氏が26歳から27歳にかけての頃にあたる。

Wikipediaによると、最初のCDが1993年にリリースされているから24歳になっていたことになる。それまではデビューを果たしたが、まだ比較的駆け出しの状態であったのだろう。この最初のCDを世に出してから2年後に10代の頃のメチャクチャ振りを雑誌インタビューで「赤裸々に」話したのが、今回の一件につながったと、まあ、そういうことのようだ。

まず

未成年の頃の不適切な言動に対して、成人した後年、どの程度の責任を負わねばならないのか?

この点にまず問題意識を刺激された。「少年法」によって未成年者を保護しているスピリットはいま日本社会でどう変わりつつあるのだろうか、ということだ。「悪いことは悪い。何歳であれ、一度悪いことをすれば、一生涯それは許されないのだ」という風に考えれば、子供を育てること自体が危なくなろう。社会で共有されるモラルを理解し、身につけて、親や家庭の影響から脱して、主体的に生きられるようになるには、それなりの年齢に達する必要がある。

次に、インタビューで語っている《イジメ》であるが、学校管理者はどうしていたのだろうという点だ。

それから両親である。両親はそれを知っていたのだろうか。どんな話を家庭ではしていたのだろうか。

今では「イジメ」と「悪ふざけ」を混同するべきではないという認識が浸透したが、その当時の学校管理の実態はどうであったのかという点が、ヤッパリ、気になりますネエ・・・。

というのは、かつては「つまらない悪戯」で小言の対象になっていた程度の言動が、現時点のモラル感覚に照らすと「許容できない悪事」と判定されるようになったとしても、過去の言動を今の尺度で非難するのは、あまりフェアではあるまい。非難されるべきであるのは、そのような甘いモラル感覚で学校や社会を運営していた大人たちである、という指摘にも多少の理屈はあるというものだ。

これほどアッケラカンと10代の言動を雑誌インタビューで語っているのは、御当人に《罪悪感》というのがまったくないからだろう。その「まったくない」というのは、何故だろうか、と逆に問題意識を刺激されるのであって、その当時のリアルな生活感覚を小生も思い出そうとして、中々具体的には記憶に蘇ってこない。そんな側面があるからだ。

この辺の感覚は、多くの「戦争犯罪」、「歴史問題」にどう向き合うのが正しいかという問題とも重なる。26年前の言動を以て激しく非難するのであれば、100年もたたない昔に日本人が集団で展開していた残虐な行為にも、(ほぼ永久的に?)日本人全体が日本人として責任を感じなければならないという倫理になるのじゃあないか。

まあ、理屈としてはありうるが、ちょっと考えさせてほしい・・・と思う。

尾崎豊の『卒業』の歌詞にも《器物損壊罪》が書かれている。

〽放課後 街ふらつき 俺達は風の中

孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた

笑い声とため息の飽和した店で

ピンボールのハイスコアー 競いあった

退屈な心 刺激さえあれば

何でも大げさにしゃべり続けた


〽行儀よくまじめなんて 出来やしなかった

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった


〽信じられぬ大人との争いの中で

許しあい いったい何 解りあえただろう

うんざりしながら それでも過ごした

ひとつだけ 解っていたこと

この支配からの 卒業

これって、尾崎豊本人の実体験でもあったのじゃないだろうか。 

小生がまだ10代であった頃には、研究費への「米軍資金導入」が火を噴いて、大学は全学ストに突入し、その間、校舎にはバリケードが築かれ、窓ガラスはどこもかしこも割られ、壁は落書きで一杯になった。

確か昭和47年前後のことで、この少し前には、連合赤軍による連続リンチ殺人事件が発生して世を震撼させたものである。こうなると「イジメ」を遥かに超えた暴走である。

そこまで酷くはないが、校舎を破壊して回るのは「建造物等損壊罪」であって明確な犯罪行為であった。理屈からいえば、逮捕、立件、処罰されなければならない行為であったはずである。勉学を願う何千人もの学生に対して不利益を強いた行為は、何人かの障害者に対する反復的イジメと同列には語りようもないが、今日の価値観に照らせば「かなり悪質」と判定されるのではないだろうか。

しかるに、その当時、世間で流行していた言葉は《造反有理》というキーワードであって、反社会的な言動をする側には、そちらはそちらで、理由があるのだ、と。そんな理解が世間の主流(と言い切ると、やや違うような気もする。無視できないほどのという意味合いだ)を占めていたのである。

その果てに、連合赤軍による内ゲバと連続殺害事件が発生した。

今では著名になっている人物が20代であった頃、公共建造物を破壊して回ったり、他の学生を殴打したり袋叩きにして暴行を加えたりした過去があるかないか、若い頃の言動を洗い出そうとしているジャーナリストはほとんどいないのではないか。

世間の変わる事、実に怱々たるものがある。 

かなり以前になるが、ハーバード大学医学部推薦入学事件というのがあった。

このブログでも感想を書いた記憶があって、<ハーバード大学医学部 推薦>でブログ内検索をかけると、すぐに出てきた ― この辺がBlogというツールの便利な点である。そこから一部を引用すると

同種の事件として、ずいぶん昔のことになってしまったが、少女時代に重罪をおかした少女が模範的な生徒として成長しハイスクールで好成績をあげてハーバード大学医学部に推薦入学できるチャンスを得たところ、重罪を犯したときの地元地方紙の元記者が事件を伝える記事の写しをハーバード大学に送り「この事実をあなたたちは知っているか?」と詰問したという、この一件をあげてもよいだろう。さすがにアメリカでも論議をよんだ。それは幼い時に重罪を犯したことを許せるかどうかではなく、そのことを履歴書の賞罰欄に不記載であったことを理由に失格判定とすることがフェアであるかどうかである。いかにもアメリカらしい論議だなあと思ったことを記憶している。が、よくよく考えてみると、近年の日本では論議にもならないのではないか、幼い時に重罪をおかした少女が東京大学医学部に推薦入学するなど許せない、と。そんな非難が世間から噴出するのではないか、と。そう思ったりもするのだ。

小生、あらゆる日本人はメディア産業に対して  ―TwitterやFacebook、LineなどSNSも含まれるが ― <放送停止請求権>や<投稿記事削除請求権>を持つべきではないかと思うようになった。

小生の意見は、改めて当時の投稿を読み直しても、まったく変わっていないことを自覚する。

5 

以上、幾つかの論点をリストアップしたが、それでも五輪の人選の適・不適は事後的な結果論から判定するべき問題だろう、とはやはり思われるのだ、な。

雑誌に2度もインタビューが掲載されているのだから、どんな人物であるのか、少し調べれば分かっていたはずだ。

分かったうえで、その後の人生を踏まえてあえて選ぶという人選もありえたと思う。しかし、政府の慌てぶりを観ると、どうもそういうことではないようだ。

五輪音楽はなにも高度の芸術性を求められるわけではないし、誰も文句を言わない、功成り名を遂げた人物にお任せして良かったような気はする。1964年の東京五輪では、朝ドラにもなった古関裕而氏が音楽を作曲した。古関氏は戦中期には軍部に協力して、名曲(?)『露営の歌』を世に出したりしていたが、これを以て敗戦19年後の東京五輪当時、同氏を激しく非難する人はごくごく少数であったと記憶している。

具体的に誰がいいという意見などはないが、小山田氏は「大家」の域には達していないような気がする。誰の感性が反映したのかは知らないが、結果としては不適切な人選になってしまったわけだ。これは、ヤッパリ、まずいだろうという結論になる。

一応まとめて言えば、現時点の日本社会では「結論」は決まっている — 先のことは分からない。

しかし、この結論が「正しい」かどうかとなると、それはまた別の問題である。

例えば、死刑囚が詩を遺すとする。その詩が、人の胸を打つとしても何もおかしくはないし、その感動が反倫理的であるとは(小生は)思わない。

詩が、絵であっても、音楽であっても、同じことである。

ま、世間の外と内との境界に生きるのが、芸術家であると考えるなら、やはり五輪というオフィシャルな行事そのものの中に、世間の外側で生きているかのような人物は、やはり入り込めない。自らが生きている空間と、《世間》との距離を意識する知恵は、芸術家なら誰でももっていた方がよいのだろう。

芸術家が世間とどう距離をとりながら創作活動を続けていくかについては、遠くはゲーテも語っているし、近くはトーマス・マンも複数の作品の中で力説していることだ。


2021年7月19日月曜日

「日本人は変わった」への補足

昨晩は、いわきの勿来で暮らす弟と1時間余り電話で、というよりスマホの電話で話し込んでしまった。

話しは、コロナワクチンから五輪へ、それから中国へと飛んで行ったのだが、弟にとっての最大の疑問はパンデミック下の五輪開催を組織的に整然と実行するなどは、何をやればよいのか分かっている課題なので、日本人は最も得意として来たはずだ、それが何故これほどノロくて、しかも多くの凡ミスを繰り返しているのだろうか? そんな疑問があって、どうしても分からん、と言うのだ。


この辺りは、この20年に限ってみても教育現場で若い人を身近で見て来たし、新しく高齢層に仲間入りした人たちを街中で目にすることもあり、以前の時代と比べた激しい変わりぶりを小生もみてきたので、大体は理解しているつもりだ。

少し前に投稿もしていて、そのサワリの部分を引用すると

とにかくも日本人は変わりつつある、30年前の日本人と今の日本人は考え方や感性がまったく別の人間集団になった。まして2世代も前の60年前の日本人と今の日本人とでは、今日の日本人とイギリス人と同程度の違いが、感性、気質、行動において認められるに違いない。そんな変化が、言葉の変化にも表れている。そういうことだろう。

これとはアンチテーゼになるかもしれないが、こんなことも数年前に投稿している。

しかし、幼稚化しているのは若年世代だけではない。これまた事実だと思う。大体、TVのワイドショーに出てくる各界の中高年。何と若いことよと画面を通していながらもわかる。オジサン、オバサン達が同世代の仲間達とはしゃぎ回る姿は、小生の亡くなった両親と同国人であるとはとても思われないのだな。自動車の運転ぶりを見てみたまえ。アッと驚くとんでもない暴走や追い越しをしかけているのは、しばしばシルバーグレーの往年の名ドライバーと思われる御仁である。やはり戦争を知らない世代は幼稚化するのかねと。そう思ったりもすることは多い。

要するに、上に書いてもいるが現代の日本人はほとんど全て《戦争をしらない大人たち》になってしまった。これが本質的であると思う。小生も含めたこの人間集団もかつては《戦争を知らない子供たち》であった。

〽 戦争が終わって 僕等は生れた

 戦争を知らずに 僕等は育った

 おとなになって 歩き始める

 平和の歌を くちずさみながら

 僕等の名前を 覚えてほしい

 戦争を知らない 子供たちさ

考えてみれば(考えなくとも分かり切ったことだが)、1964年に開催された東京五輪を招致し、見事に開催したのは、(小生からみると)40代であった父親の世代、60代であったはずの祖父たちの世代である。

当時の東京都知事・東龍太郎は明治26年(1893年)生まれで、敗戦時には 52歳であった。小生の亡くなった父は一介のエンジニアであったが、育ったのは戦前期の日本であり、正課の中に「軍事教練」があった。というより、全ての日本人男児に兵役の義務が課されていたことが、現代日本との最大の違いであったはずだ。ズバリいえば、すべての日本人男性は、《いざとなれば》命の危険が高い公的業務に就くことが義務付けられていた、というわけで、そのため全ての日本人男性は銃の操作、格闘技、相手が刃物をもって襲ってきたときの基本的身ごなし等々、全ての武技を徹底的に叩き込まれていたばかりではなく、指揮官の簡潔な命令一下、整然として集団行動を展開するための感覚や意識も統一されていたわけである。これらが《義務》であったという点が《昔と今と》の違いの核心である(と小生は思っている)。

この違いが、家庭の雰囲気にも強く映し出されてくるのは、「理の当然」であったと思う。男児が誕生すれば、万が一のときには兵に召集される可能性を覚悟しなければならず、できれば「一兵士」ではなく、有用の人材となって研究開発に携わる能力を付けさせたいという親の願いにもなったとしても、その感覚はリアルタイムでそんな世界を体験できなかった小生にもよく分かる気がするのだな。

1964年の東京五輪は、そうした世代にとってのリベンジの機会でもあったわけで、開催地に決定してからは、身に着いた能力をそのまま発揮すればよかった。そんな理屈なのであったろう。

 ★

現代日本はまったく違う。

そもそも現代の日本人は、「日本国」に対していかなる義務を負担しているだろう。

兵役の義務はなくなった。そのため基本的な身体訓練はいっさい受けることがない。統一的な感覚や意識はもっていない。

納税の義務は確かにある。確かにあるが、しかし、国家の歳出の半分も租税としては納めていない。税率が低すぎるのである。もしも「税ではない」社会保険料が厚労省の裁量で引き上げられていなければ、今頃は日本の年金制度、医療制度はとっくに崩壊して、社会は大混乱に陥っているだろう。租税でさえなければ、案外すなおに負担増を受け入れる日本人の傾向に助けられているにすぎない。

教育の義務もまた最近は怪しくなってきた。小中学校の現場がその学習内容や学習意欲の形成という面で迷走状態に陥ってからすでに久しいが、いまでは子女の教育費を節約して娯楽費にあてる両親ばかりではなく、あろうことか「児童虐待」すら増加しつつあるのが現代日本の世相である。

勤労の義務も憲法に規定されているところだ。これは「義務」というよりは、義務であると規定する以上、政府の側に十分な就業機会を提供する義務があるという意味にもなるので、経済政策目標としての完全雇用を定めたものとして解釈することも可能だ(と個人的には考えている)。・・・ただ、どうなのだろう? 近年、国内は人手不足だった。就業機会は十分だった。そんな中で「勤労は義務なのだ」という「義務の自覚」がどれほど日本人に共有されているかと言えば、やはり疑わしい。ひょっとするとどこかのTVのワイドショーで誰かが「働かない自由もありますから」とか、「働かなくてすむ人生こそ最高じゃないですか」などと主張するかもしれないと、(ひそかに)心配しているくらいだ。

日本人が引き受けるべき「義務」はこの他には(基本的に)ない。

だから、前にも書いたことがあるが、戦前期の日本人に比べると、現代の日本人は(基本的に)楽で自由であるという理屈である。要するに、「国民共通のトレーニング」が有意義なことではなくなり、結果として規格化された均質の人材集団ではなくなってきた。良い意味でも、悪い意味でも、そんな風な変化が日本人には進んできた。と。どうもそんな印象なのだな。

小生: いま小学校や中学校でサ、運動会をするとき、どれくらい行進の練習をしてるだろうね? 北海道では、入場門や退場門もなくってネ、だから出場種目の順番が来ると、そのまま座っている場所からグランドにわらわらと出てくるんだよ。

弟: へえ~、そうなの。福島にはまだ入場門、退場門あるヨ。ま、行進練習はしないんだろうね、足はそろってないけどね、一応列をつくって入って来るヨ。

小生: 北海道でも昔はあったらしいんだよ。でも、誰なんだろうね『まるで軍隊みたいじゃないか』ってクレームが出てきたそうでサ、それで「もうこういうことは止めよう」ってことになったのサ。

弟: 確かに、足をそろえて行進して、特に左とか右に曲がるときはさ、内側の人が足踏みをして、外側にいくほど歩幅を大きくして曲がるじゃない。あれ、ぜんぜん面白くなかったけど、練習しないと絶対できんもんね。

小生: 運動会ひとつとっても、周りと合わせて動くためのトレーニングなんて、もうやらんわけよ。いま、役所で課長補佐やっているのは30代だよ。現場でヒトを動かす課長は40代だよ。下に指示を出しても、テキパキ動いてくれるなんて、もう期待できんだろ。どっちかって言うと、個人個人が熱意をもってやれる目的を決めてさ、「よし俺たちはこれでいこう」ってんなら、突破力は出てくるだろうけど、ま、せいぜい10人くらいで出来ることならいいけど、大集団が協力して、完璧に行動して、組織力を発揮するなんて、もう日本人にはできないんだよ。

弟: そうかあ~~。まあ、会社の中をみても、何だか納得って気はするけどネ・・・

小生: 組織的になにかをするなら、適した人は自然には出てこないから、あらかじめ基礎訓練をした人間集団を確保しておかないとダメだって事さ。アメリカやヨーロッパなら「軍」とか、「公務員」ってことになるけど、日本の自衛隊は災害救助や中国対応や、とにかく忙しいだろうし・・・公務員もだいぶん整理されたし、・・・大体、今度のコロナでも医療機関はすぐに音をあげただろ?もし無理にさせていれば、医療でも凡ミス連発だったろうね。

ま、こんな話をしてから、あとは中国の話しになっていったのだが、要するに政権上層部や与党幹部がいくら力んでみても— 力むことしか出来ないのが、「日本は上がダメ」ということでもあるのだが ―、上の意図通りに実行組織が機能しない。ある意味、現場もまた現場を把握しきれておらず、統率されておらず、混乱している。現場の混乱をまた上層部が解決できない。上も下も弱くなっている。

端的にいうと、

都市文明が発達した成熟国の弱さが表面化していて、蛮族に侵略されれば、やられてしまうのじゃないか。

と、こういう素朴な心配だ。

つまり、何か本質的なところが変わりつつある、ということであって、このことは中国もアメリカもヨーロッパもどこも、同じであって例外などはない(とみている)。

よく「国民国家(Nation State)」と言われるが、"Nation State"という概念は18世紀末以降にヨーロッパで発展した国家モデルであると、小生は勝手に思っている。明治日本は、その"Nation State"の国家モデルを天皇主権の「民本国家」として模倣しようとしたが、直輸入であったために後になってからマネージメントもリフォームもできず、結局のところ軍部独裁を許して破綻した、というのが戦前日本が歩んだ歴史だ。

現代の日本にも「国民国家」というモデルが適用されるとは、もう思えないのだ。大前提となる「国民」が本当に育ち行動しているか? 疑問であり、むしろ「国民」というより「大衆」と呼ぶべきではないかと思う今日この頃である。

国ごとに、歩んだ歴史も国民性も違うので、一般的なことは言えない。

言えないが、義務と責任がともなう反面で民主的であった共和政から、権力が集中するがパンとサーカスを庶民が楽しめた帝政へと脱皮することで、かえって不安定から安定へと移行でき、強固な国家組織として繁栄に至った古代ローマ帝国の例は、研究テーマとして今もなお有効ではないかナア、と思っている。なにも「大国の衰亡」の前例としてしか学べないわけではない。

 

2021年7月15日木曜日

一言メモ: ロジカルな議論には「ご用心」という例

日本においてもコロナワクチン接種が進む中、案の定、というか予想どおり、ワクチンパスポート慎重論が登場してきている。なにやら五輪開催慎重論にも相通じる、同じパターンの現象である。

この話題については既に投稿済みである。

「ロジカル・シンキング」という授業が大学院でも増えてきているが、その必要性を如実に感じさせる例は山ほどあるという一例。

***

たとえば、(ポイントを抜粋すると)以下のような意見がある。 

一方、個人としての効果もよく考える必要がある。というのは、個人によってワクチン接種後の抗体生成量に違いがある様に、誰でも同じ効果を生み出すものではない。つまり、感染抑止の個人の安全度合いは接種完了したからと言って一様ではないという事である。あくまで個々人毎に異なる効果であり、一律でなく確率で語るべき事項なのだ。

そして、ワクチン接種していないからといって、一様のリスクを持っている訳ではなく、個々人毎、健康状態の差異もあり、感染リスクの度合いは異なるのだ。諸事情により、ワクチン接種しない場合でも、それが即、感染リスクを増大させるものではなく、あくまで確率の問題なのだ。寧ろ、初期免疫、自然免疫力の充分な人の方が感染リスク自体は低いのである。

まとめると、個人の感染リスクはワクチン接種の有無で確定するのではないのに、サービスを受ける認証に使うのは不合理かつ不適切なのだ。即ち、社会的安全性獲得状況であれば、サービス提供が均一であるべきなのだ。

URL:https://agora-web.jp/archives/2052212.html

上の議論の勘所は

  1. ワクチンを接種したからといって効果には個人差があってバラツキがある。
  2. ワクチンを接種しないからといって、健康状態には個人差があり、リスクにはバラツキがある。
  3. 故に、ワクチンを接種するかしないかによって、リスクは確定するわけではないので、サービス提供機会は均一にするべきである。
  4. よって、ワクチンパスポートには慎重であるべきだ。

 ロジックはこんな骨子である。

また出てきましたネ、「・・・べき」という思考(?)が。

***

まあ、こんなことはワクチンパスポート(及び陰性証明書)の提示を義務付けるという(例えば)フランスも分かってやっていることなのだ。だからといって、フランスはバカだという結論にはなるまい。

何かを決めるときには、それなりのロジックがあるものだ。決めたいことが先に決まっていることもある。ロジックはどんな結論についても逆向きに構築可能である。だからこそ注意が必要だ。


上に引用した議論は大変ロジカルに展開されているようにも見える。が、ロジカルな議論で注意するべき点は、この前提が真であるとしても、この結論は必ず言えるわけではない、という論理の飛躍がないかどうかである。100パーセント論理のみによって議論されている数学上の定理であっても、その定理が真であるという証明が本当に証明になっているかどうかについては、専門分野の数学者が時間をかけて綿密に検証しなければならない。これは、例えば高木貞治の『解析概論』を丁寧に読んだことがあれば、ただちに感覚的に納得できるはずだ。

つまり、ロジカルな議論をすればそれでよいというものではなく、本当にそれが論理になっているのか、という点が最大限に重要である。


上に引用した議論だが、確かに、1段目、2段目はその通りである。ワクチン接種をしようがしまいが、感染リスクには個人差があり、バラツキがある。しかし、個人差はあっても、ワクチンを接種したグループと接種しないグループでは、感染リスクの平均値には大きな違いがあるという事実が確認されてきている。そして、そのグループ間の平均差は大きいと見るのが経験上明らかになってきている。

社会的な集団免疫が作用した事後の段階で、感染確率が一様に無視しうるほどに小さくなっている社会状態であれば、二つのグループの感染リスク分布には大きな違いはなく、ワクチン接種の有無によってサービス機会に違いを設けるのは理にかなわない。しかし、ワクチンを接種していないグループで、現に感染が終息していない状態においては、感染リスクの分布には差がある。


ワクチンパスポート制を採らないとすれば、社会全体の自粛継続か、自粛解除か、基本的にはいずれかになるという理屈だ。

ワクチン接種率が60%から70%に達する中で、接種群と非接種群との感染リスクの分布が今もなお明らかに違う状況において、社会全体を一様な枠組みに置くという考え方は、こちらのほうが理に適ってはおらず、過剰に価値観従属的、英語でいえば"too much ideology- dependent"である、と。小生はそう感じる。

ロジカルに議論しているようで、実はロジックではなく、イデオロギーが混在している議論が世間には多い。

論理を貫徹させるというのは、専門的研究者にとっても、それほど易しいことではなく、先入観や常識、価値観、理念、予想などをどこかで混ぜてしまうことがまま多い。肝に銘じておくべきだ。

2021年7月13日火曜日

断想: 東京五輪無観客から話をさらに大きくして想うこと

 ずいぶん以前の記事になるが2013年当時、日経にはこんな報道があった:

2020年東京五輪招致委員会の竹田恒和理事長は5日、国際オリンピック委員会(IOC)による独自調査で東京の支持率が70%になったと発表した。データは7月に公表される評価報告書に盛り込まれる。東京はこれまで低い支持率が課題だったが、目標の数字に到達した。

調査結果はIOC評価委員会との2日目のプレゼンテーションの中で東京側に伝えられた。東京で70%、全国で67%だった。調査時期や方法は説明されなかった。

昨年5月の1次選考時の支持率は47%で、イスタンブール(73%)とマドリード(78%)に比べて著しく低く、IOCから「強力なコミュニケーションプランが必要」と指摘された。1月末の招致委の独自調査では73%まで上昇していた。

竹田理事長は「招致委立ち上げのときから目標にしてきた数字。昨夏のロンドン五輪での日本選手の活躍が支持率上昇につながった。全国の自治体などの支援もあり、日本で開催する意義が伝えられた」と分析した。猪瀬直樹都知事は12年大会招致に成功したロンドンの支持率が68%だったことを引き合いに、「最低限のラインはクリアした」とコメントを出した。

4年前の16年招致の際は55.5%で、立候補4都市中最下位だった。国内機運の盛り上がりは再挑戦で最大の懸案の一つとされてきた。

出所:日本経済新聞、2013年3月5日

2013年にやっと70パーセントであったが、その前年2012年には47パーセントで、東京五輪に対する地元の支持率は半数にも満たなかった、ということだ。 

それが本年1月になると

世界のメディアが東京五輪・パラリンピックの今夏開催に関する世論調査の結果を大きく報じた。共同通信社が9、10日に全国電話調査した結果では、「中止すべきだ」の35・3%と「再延期すべきだ」の44・8%を併せると、反対意見は80・1%。昨年12月の前回調査の同61・2%から激増した。

出所:東京中日スポーツ、2021年1月11日

この後に、さらに記事は続き

カナダ放送局CBC(電子版)は「熱狂の1964年の五輪とは対照的な支持の減退。57年前の東京五輪は、第二次世界大戦の灰の中からの再生を象徴していた。今年7月に延期された五輪とはあまりに違い、皮肉なコントラストとなっている」と報道。『菊とバット』などの著書で知られる東京在住のロバート・ホワイティング氏は「コロナ、制約、不況下の経済減退。さまざまな理由で、ほとんどの人が五輪開催に反対している。コロナさえなければ、大半が賛成していただろう」と現状を語った。

という風に、海外から日本を観る側の結構適切な批評が紹介されている。

ここでは『 コロナさえなければ、大半が賛成していただろう』と書かれているが、小生はそうは思わない。そもそも五輪招致推進側のテコ入れがなければ、地元の開催支持率は半数にも満たない状況からスタートしたのである。これが、マア、今回の東京五輪をめぐる(グレアム・グリーンの言葉を借りれば)『事件の核心』であると思うし、《ことの真相》は歴史を振り返ると、自ずから明らかだろうと、今更ながらそう思われるのだ、な。

崩れるべきものが、ついに予想外の暴風に耐えられずして、崩れた。そういうことだろう。

東京五輪開催が決まったとき、カミさんは

なぜオリンピックなの?東北や福島県の被災者はまだ元の家に戻れないのに、そっちの方にお金を使わないといけないんじゃない?

その頃、小生は

災害から復興するためにも日本経済を上向かせなければ、お先真っ暗なんだよ!

そう答えていたものだ。

東京五輪開催への地元支持率が半数にも達しなかった2012年当時、日本は民主党政権の迷走と、通貨安定へ力点を置き過ぎた金融政策により、1$=80円を割り込むという、《超円高不況》に入りつつあった。無為無策の民主党政権のあと、日本をどうすればよいのか、という問題を解決することが求められていた。

国際観光ツーリズムを戦略の一つとする選択が、それ自体、間違いであったというと

ならば、お前ならどうした?

と聞かれそうである — マ、今になって、それ以外にやるべきことはあったでしょ、とばかりに色々なサボリのツケが表面化しているわけだが、それをその当時、一体だれが指摘していただろう。現代日本の集合知のレベルはこの位なのだと理解するべきだろう。

2012年当時の訪日外国人観光客数は僅かに836万人。2019年の3188万人に比べれば、雲泥の違いである(資料はこれ)。安倍政権が選んだ観光ツーリズム戦略の結果がここに表れている。東京五輪は、(ぶっちゃけて言えば)この経済戦略を支える柱の一つであったことは、紛れもない事実だろうと小生はみている。

新型コロナが日本に上陸してからの推移は周知のとおり。その果てに、東京五輪が2021年に1年延期され、ついにはそれも無観客開催へと追い込まれたわけなのだが、その根本的背景の一つに、東京五輪を願う地元の(そして日本全体の)熱意がそもそも大したものではなかったことがある。

いわゆる《五輪反対派》がその根本的弱点を上手に利用して攻勢に転じた。

五輪開催をめぐって相次いで発生した不祥事をフレームアップして《五輪懐疑派》を形成した。海外由来の好機があれば、国内で団結するのではなく、逆にその機会に乗じてキーパーソンを役職から引き下ろした。そして五輪開催サイドの人材のレベルを引き下げ、問題への対応力を低下させた。メディアにも浸透し、コロナ禍を決定的好機として五輪中止への世論の流れを形成し、ついには無観客開催というギリギリの選択に主催者側を追い込み、それすらも世論との乖離があると今もなお攻撃しつつある。

小生は、徹底したへそ曲がりだから、こんな時は一歩下がって達観するのが習慣だが、上のように時間的推移を整理すると何だか《東京五輪をめぐる陰謀史観》もハナッから否定できるわけじゃあござんせんぜ。そう言いたい気持ちにもなる―チケットは持っていないが、やっぱり観客を入れたオリンピックの熱戦は観たいからだ。

振り返ると、1920年代にも日本をとりまく国際政治環境は猫の目のように激しく変化して、旧来の常識にこだわる日本政府(及び日本人)を翻弄した。

リーマン危機に続く東日本大震災は、第一次世界大戦によるバブル崩壊の後の関東大震災にも似て、甚だ運の悪い災害であった。アメリカの急速な台頭と近年の急速な中国の台頭も、何だか似ている。それに原子力発電から再生エネルギーへの急速な転換も日本のエネルギー計画における課題である。カーボン・ニュートラルが叫ばれる世界の潮流にも日本は翻弄されつつある。

自然災害と国際政治環境の激変に翻弄されつつある日本の中で、政府が選ぶ戦略が常に最善である確率は決して100パーセントではない。変化し続ける環境の中でオペレーションの一部が事後的に失敗する可能性は常にある。そんな成功と失敗が織り交ざりながら進むのが現実である。その現実に翻弄される日本人はそれでも現実に対応しなければならない。「一寸先は闇」の中で現状を理解しながら乗り越えていくには《政権交代》が不可欠の政治的メカニズムになる。

戦前期の日本では、政友会と民政党による「二大政党制」がすでに根付いていたとよく言われるが、それは過大な評価というものだ。当時の日本の政党の発祥と支持基盤は、ずっと制限選挙制の下で選挙権を有してきた「多額納税者」であって、大半は旧士族、地主、経営者などの《指導層・有産階層》である。「二大政党」のいずれも多数を占める中下位所得層の利益を代表する政党ではなかった。確かに二つの政党は対立していたが、それは党設立以来の人の縁によるものであるし、違いをしいてあげれば官僚出身者が多いか(民政党)少ないか(政友会)くらいであったろう。庶民と議員は生きる世界が違い、どちらの党でも同じであったろう。だから、大正14年に普通選挙制が実現したあと、それまで選挙権のなかった日本人は既存政党の基本的な考え方やあり方に激しく失望したのである。だから不安定化した。共産主義者が弾圧される中で、その疑似的代替組織として失望を埋めたのが陸軍だ。

現在の日本の政党は、当時とは違っている。しかしながら、政権与党の柱である自民党は、その前身の政友会、民政党と、政党としてのあり方がほとんど何も変わっていない。自民党が、その根本的構造を変革できる可能性はほぼないと思われる。支持基盤が変わらない限り、その政党で構成される政府は基本的には同じ方向の政策を選ぶ。政党主流派が交代しなければ一層のこと政策選択は硬直化する。

今回の東京五輪開催をめぐって、日本政府は暴風の中で翻弄されるかのような体を示したが、政権を支える政党のあり方が変わらなければ、今後もずっと翻弄され続けることが予想される。ついに力がつきて新しい政権が誕生する時は、日本に何も残らず、かつ何も新しい力が生まれていない。そんな惨状すらありうることである。そんな心配をするにつけ、幕末から明治への道を自らの意思によって開いた最後の将軍・徳川慶喜の判断は、改めて高く評価してもいい。そんな感想だ。


2021年7月10日土曜日

断想: 「進歩」と「変化」について思う

日記の代わりに書き続けているのがこのブログで、その意味では文字通りのWebLog、つまりWEB上の航海日誌なので、よく以前に書いたことを自分で検索することがある。

キーワードを「作品 アップ」としてブログ内検索をかけて返ってきた中に、まだ常勤現役時代の投稿があり、そこには拙い自作の作品をアップしているのが分かった。『こんなものもアップしていたのか・・・』と、改めてうなるような気分になる。

うなる気分というのは、「進歩」なり、「上達」というのは、結局のところ、あるように見えて、結局その人には起こりえないものなのか、と。そんな風に思わせてしまうからだ。

これもメモ代わりにアップしておこう。


ごく最近これを描いた。勤務していた研究棟の裏庭である。少し美化しているが、まあ、意識下ではこんな風に記憶しているということでもある。

上に引用した8年前にアップした絵と比較すると、描き方は変わったものの、レベルが上がったわけではなく、ただ変わった、どうもそれだけのようである。それだけではなく、前の作品にはアク、というか(時に押しつけがましい)自己表現(?)を自分でもみてとれるのだが、いまアップした上の作品は、よく見かける類似作品もあったりして、「ま、うまくかいたね」でスルーされて終わりそうである。

つまりは、この10年弱の間、趣味とはいえ小生に起こったことは《進歩》ではない。《変化》である。

こんな感覚は、(思い切って話を大きくすると)社会全体にも敷衍できるところがあるのではないだろうか?

確かに《科学知識》は時とともに単調に増大している。だから、化学繊維の登場は「進歩」であったし、インターネットの拡大は通信技術の「飛躍的進歩」であると、(ほぼ)全ての人は考えている(と思う)。

しかしながら、人が着用する衣服が木綿や絹から今ではナイロンやアクリル、テトロンに変わったからと言って、それは進歩なのだろうか?谷崎潤一郎が『細雪』の中で「いまではこんな着物は手に入りません」(確か?)と語らせているが、同じことは色々な美術工芸品にも言えるわけである。あるいは、人と人とが意見を交換し、集団としての合意なり、結論を出し、そのあとの行動につなげようとするとき、現代の人はインターネットがなかった昔の人たちに比較して、より上手に、速やかに、正しく、意思決定をしているだろうか?昔には出来ていたことが、今では出来なくなっていることはないだろうか?(もちろん反語的疑問文である)

もちろん、幼児死亡率が低下し平均寿命が長くなったことは、これは確かに「進歩」なのである。私たちは、以前よりも進歩した社会で暮らしていることは事実だ。しかし、進歩と同時に失われたものも多い。全てを合計すると、100年前と今の日本は別の社会であるとは言えるが、それは「進歩」というよりは「変化」と言うべきである。こんな見方もありうると思うようになった。

私たち人間には興味もないが、蟻や蜂にもその社会技術において、長期的には「進歩」があるかもしれない。専門家はもう探究しつつあるのかもしれない。しかし、人間にとって「蜂の進歩」、「蟻の進歩」は、「変化」としか目には映らないだろう。

過去を美化する儒学思想は近代科学による啓蒙と進歩に駆逐されたはずであるが、何が進歩し、何が変化に過ぎないのか。この点は結構重要な問題ではないかと思う。理念や価値観、主義、思想には進歩はなく、風化と変化のみがある。こんな見方も確かにありうるような気はする。だからこそ、《動かぬ原点》を過去に置いたのが儒学などの東洋哲学であるのかもしれない。

2021年7月9日金曜日

この一年、日本はご家老の代理執政だったネエ

日本の対コロナ対策には、昨年のうちから既に不満も限界に達しつつあったようで、その頃、こんなやり取りをカミさんとしたことをメモにして投稿している:

歌舞伎町でもススキノでもそうなんだけどサ、いくら注意しても言うことを聞かないホントに心配な店は、もう最前線の担当者には頭に入ってるんだよ。そんな店をターゲットにして、夜中にマスクをせずに盛り上がっているその最中に、突然踏み込んでサ、『これから緊急衛生検査を始めます。この部屋を出ないでください』ってね、店の経営者には『衛生検査令状です』とか、もしこんな行動がお上に許されればね、これは感染予防には正に一罰百戒ってものになるさ。ススキノが感染拡大の核になるって状態は、絶対確実に止められる。これは間違いないよ。

ついに東京五輪を無観客開催に決めたかと思うと、今になって、悪質な飲み屋には酒類を卸すなということで、卸元、更には金融機関に圧力をかけて締め上げるという方針だそうだ。

情けないが、日本もイヨイヨ《陰険な民主主義国》へと衣替えをしていくということだろうか。

こんな陰険な締め上げを何故発想したかだが、日本では人権が最大限に尊重され、私権制限は不可能であるから、営業の自由を制限するような政策はとれないのだ、という例の説明(というより逃げ口上?)と何か関係しているのだろう。いわゆる《民主主義・資本主義・法の支配》(だったかな?)という共有された価値観3点セットと何やら関係があるらしい。「だから・・・」ということだろうが、とにかく日本人は頭ごなしの形式論理に弱い。初等中等教育でディベートの訓練をしていないことが原因かもしれない。よく言えば、正直だが、悪く言うと、騙されやすい。年号を覚えるよりは、ロジックを身に着ける方がずっと自分の身を守るのに役立つはずだ。普通の人が(揚げ足とりではなく真の意味で)論理的な論争ができるのは民主主義の大前提である。

さっさと必要な法律をつくり、必要な条例をつくり、悪質な違反店舗に対しては

△△条例違反により〇〇日間の営業停止とする

こんな行政命令を出せばそれで済む話だ。必要な条件を示して「これを満たせばご自由に」ということだ。この感染対策のどこが非民主主義的であるのか、浅学非才な小生はまったく理解できない。営業の自由は運転の自由と同じで完全な自由を意味しているわけではない。違憲訴訟があれば毅然として受けて立てばよい — まず確実に政府が勝つ。《一罰百戒》は「一罰」で済むだろうが、《百戒千戒》は《千戒万戒》になる理屈で、しかも悪質な不届き者が得をして、日本社会の公正/フェアネスの感覚が薄れる。こちらのほうがはるかに重大だ。その重大なことに政府は注意が及ばない。小利にこだわって大損をしている。

器が小さいといえばそうなるのだろうが、寧ろこうした政策選択の根源的背景には、政府上層部の志が低い、詰まるところ、安倍前首相の突然の退陣後は「殿御不例によりご家老の代理執政」とするような状態になっている、そんな意識、というか構造であるからだろう。

大技を出すには自信がない。そんな風にも見えるのだナア・・・


・・・それと併せて、マスコミが問題の本質を理解するまでに、まあ、時間のかかること、かかること。最近になって徐に軌道を修正してきてはいるようだが、メディア経営陣、担当者の鈍感、無学、不勉強ぶりも相当なレベルじゃないかと、確かに小生も浅学にして非才ではあるが、不満が高まる今日この頃である・・・


まあ、黒船来航の危機の真っ最中、判断ができない13代将軍・徳川家定をいただいて、老中・阿部正弘が大変苦労をした。この肝心なときに・・・というわけで、状況としては似ているワナ、と思ったりする。

 

2021年7月7日水曜日

使われなくなった言葉「特異体質」、「不可抗力」、「卑屈」についておもう

前稿では『濹東綺譚』の中から、「今では使えないのじゃないか」と思われる文章表現を引用してみた。これに限らず、ずっと前に公表された小説作品には(詩や俳句も?)、今なら使用を自粛するだろうと思われるような単語が頻出しているものだ。

おそらく、使う側に悪意などはなく、ただそれによって不愉快になる人たちが何人かいるという問題が、時間の経過と人権意識の高まりの中で、今のような「タブー集」になってきたものと推測される ― 実際に、そんなタブー集があれば見てみたいものであるし、それがどのような手続きでオーソライズされているかは、憲法上の表現の自由を侵害していないのか否かで、重要な点になると(個人的には)思うのだが、今は「使う側|する側|言う側」の権利より、「使われる側|される側|言われる側」の権利に相対的なウェイトが移ってきている、そんな時代の感性というものが背景にあるのだろう。

その時々の時代の感性が移り変わるとともに、クローズアップされる問題もあれば、フェードアウトする問題もある。

20年も経てば現役世代の過半は交代する。人が変われば理念や価値観、感性、発想は変わる。早稲田大学の校歌で謳うような

〽集り散じて 人は変れど

〽仰ぐは同じき 理想の光

などというのは、何事によらず創業者・思想家が陥る幻影である。ちょうどカール・マルクスが

 私はマルクス主義者ではない

発言したのもほぼ同様な成り行きを指して言ったことだろう。

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そういえば、この10何年かで以前と比べるとメッキリ使われなくなった言葉がある。思いつくままに挙げてみると


★ 特異体質

 ワクチンで副反応が出て、(最悪の場合は)死に至ったりする。以前にもそんな出来事は何回かニュースで聞いたことがある。小生の幼少期にはまだ集団接種というものがあって、種痘、ツベルクリン、BCGは生徒全員が接種され、更に希望する者には日本脳炎、百日咳などの予防注射(=ワクチン)もあった。その頃、小生は田舎に暮らしていたので、日本脳炎の予防注射だけは受けた記憶がある。というのは、日本脳炎の予防注射はそれはそれは痛い注射で、その痛さが児童たちの間では伝説になっていたくらいなのだ。

それでも、稀には厳しい副反応に苦しむ児童がいたのだと思う。そんなとき、ニュースでは「特異体質」という言葉を使っていたような記憶がある。いまでは「アレルギー体質」、あるいはもっと穏やかな別の言葉で報道されているようだが、何百万分の1の確率で発生する副反応例を「アレルギー体質」というごく一般的な名詞で表現するのが適切なのかどうか、小生は疑問に感じている。花粉症やアレルギー性結膜炎も「アレルギー体質」に由来する症状だ。文字通りの「特異例」、「特異体質」という表現が正確であると思う。

多分、差別を避けるための人権上の配慮だと思われるが、言葉の正確性を犠牲にした「ひいきの引き倒し」ではないだろうか。


★ 不可抗力

例えば、先日熱海市で発生した土石流は「不可抗力」であったのかどうかが問題になっている。盛り土を行った企業に責任はないのかどうかが検証されるようである。

「不可抗力」という言葉だが、現在は「想定外」という言葉に半ば代替されている。というより、「想定外だったとお考えですか?」、「はい、そう思っております」、「本当に想定外でしょうか?想定しておくべきだったという指摘もありますが。現実に発生したことをどうお考えですか?」、「想定しなかった点について社内で検証しているところでございます」・・・と、マア、こんな極めて現代的なヤリトリが背景となって、「不可抗力」という言葉が使いにくくなってきたのだろうというのは直ちに分かる。

まあ、こんな追求をすれば、あらゆる交通事故に対して「想定外のことが起きたとお考えですか?」、「はい、そう思ってました」、「でも実際には事故は起きたわけですから、(少なくともネ)過失であったと、そうなりますよね?」・・・(実質的には意味がないのだが)こういう種類の形式論理学に普通のヒトが対抗するのは難しいものだ。

ずっと以前は、専門家の見解として

これは不可抗力ですね

こんな見解が報道されれば、専門家でも対応できない事故であったのか、と。そんな《諦め》の心理が広く国民の間には浸透し、被害者には同情と憐みが集まる。そんな情景であったと思う。

運・不運という要素に人生は大きく左右されるものだ。

「不可抗力」という言葉には、文字通り、抗いがたい力がこの世にはある。そんな認識なり、大前提がある。 

発生した現象に対して、「不可抗力」とは考えず、まずは「責任」を追及するという法律家的思考が社会に普及してきたのは、ワイドショーのレギュラー・コメンテーターに弁護士などの法律専門家が多数選ばれてきたという時代の流行と、どこか通底しているかもしれない。並行して進んできた両方に影響している共通のファクターがあるように思われる。地球温暖化を太陽系スケールの天文現象と考えず、二酸化炭素排出という人間の行為に主たる原因と責任を求めるのも、法律的発想に相通じるものがあると思ってみている。

《法律的思考》は、端的に言えば、黒白を明確化するためのロジック、である。つまり、法律的には、常に結論が明快に導かれるわけである。その結論が、真の意味で正しいか正しくないかは、経験的実証を経なければならないのだが、明文化された法的規定を前提として法理を貫徹させれば、社会で発生するあらゆる問題に対して、法律関係を措定し、《正解》を必ず出せる。というか、結論が出るように条文が書かれている。何ごとによらず《正解》を出すための工夫に対して社会的な需要がある。だから(実質的に正しい対応か否かは不明なのだが)形式上、法律を定める。そうすれば責任の所在を確定でき不可抗力による諦めをなくすことができる。

犠牲者を出さない。犠牲が出れば社会の中で責任を求める。

本来は不可抗力という力の作用は《リスク》であり、リスクに対しては《保険》というビジネスで対応するのが合理的である。ビジネスを成長させて合理的に対応するべきリスクという問題に、《法律》という思考でアプローチしている。法律は、古代ギリシア、というより古代メソポタミアの「ハムラビ法典」にまで遡ることができる社会的ツールであるが、本当に「法律」によってリスクを処理することが善いのかどうか。小生は「法律的思考」とは無縁の門外漢だからよく分からないが、リスクの根源には常に複数の可能性を考慮する不確実性がある以上、明確な結論を導くツールである法律とリスク・マネジメントとは水と油ではないか、と。個人的にはそう思っている。


★ 卑屈

この「卑屈」という言葉もあまり聞かなくなった。

これをどう観るかは結構微妙で難しい。ここではいま思いつくことをメモしたい。

石田禮助という三井物産社長や国鉄総裁を歴任した大物財界人がいたのだが、城山三郎がこの人物を主人公として『粗にして野だが卑ではない』という作品を書いている。

卑屈を英語でいえば"mean"や"nasty"、"dirty"あたりになるが、決して "rough" や "rude" と同じではない。言葉使いは無礼で乱暴でも、その心根は清潔かつ剛直で、誰に対しても媚びない人物がいる。媚びないというのは、最近のマスコミ業界では忖度をしないという表現になるが、これは語法の間違いであって、正しくは阿らない、おべっかやお世辞を言わないということである。英語で言えば、卑しい(mean)の反対は"noble"だが、この"noble"を日本語になおすとき、簡単に貴族的と言うべきではないと感じる。むしろ日本の歴史に則すと、noble=samuraiという関係になると思う。『私も武士のはしくれでござる』という言葉が、「あの人はノーブルである」という、そんな感覚になるのだろうと感じる。

こう考えると、「卑屈」という形容詞は、「あの者は武士ではない」という感覚に極めて近く、つまりは「言葉を変える」、「上司におもねる」、「うそをつく」、「腹を切るべきときに腹を切らない、責任を全うしない」、「生死のかかるリスクを避ける、保身第一」等々、要するに「身を屈して生存を願う」という姿勢を「卑屈の表れであって恥ずかしい」と感じる、ここに"nobility"(=nobleの名詞形)の核心があるわけで、それがこれまでの日本人の中に濃厚に残ってきた行動倫理と一体になっている。

そういうことで日本人は卑屈な人間を嫌う ― というか、嫌ってきた。卑屈な人間が嫌いであるという人間観は、同じく武断的な騎士社会を経た欧州社会の人間観にも通じる面があった。つまり最後には「命をかけて責任をとる覚悟があるか」という《生死を超えた覚悟》にモラルの源泉を認める、それこそ生きた人間に宿るモラルの本質である、と。何か裏から考えているようだが、《卑屈》とは、いま述べたことの真逆の心性。そういうことであると思うのだ、な。

その「卑屈」だという言葉が、最近はメッキリ聞かれなくなった。この変化と並行して「上から目線」という表現が頻繁に使われるようになった。前者は下を見て侮蔑する言葉である。後者は上をみて怒りを示す言葉である。この二つの変化には何か関連性があるような気もするが、実は正直ハッキリとは分からない。

よく分からないのだが、感覚的には分かるような気もする。「そんな卑屈なことはできん」という言い方は、「卑屈な行動をしている奴がいるが、そいつらと俺は違う」と、そういう意味であって、聞いている側は「自分と人とは違う。自分を人より上だと考えている、何という高慢なヒトだ」と。そういうことなのかもしれないが、しかし、この反応は永井荷風が懐かしむように正しく江戸町人が武士に対してもっていた共有された感覚なのだと思う。

かつて天谷直弘という独創的な通産官僚が1989年に《町人国家・日本》を唱えたのだが、出版から30年余を経た現在から振り返ると、より深い意味でも日本人からサムライは消え失せつつあるのであって、みな普通の町人、どの人も卑しいわけでもノーブルであるわけでもなく、ウソと誠を織り交ぜた才覚で富をなせばそれが成功した人生だ、と。そういうことかなあ、と思っているところなのだ。

とにかくも日本人は変わりつつある、30年前の日本人と今の日本人は考え方や感性がまったく別の人間集団になった。まして2世代も前の60年前の日本人と今の日本人とでは、今日の日本人とイギリス人と同程度の違いが、感性、気質、行動において認められるに違いない。そんな変化が、言葉の変化にも表れている。そういうことだろう。

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そういえば、ワクチン接種が拡大しつつあるコロナ禍終盤においてイギリスと日本とで正反対の政策を選んでいる。イギリスは行動規制を撤廃して賭けに出る一方、日本はそのイギリスより社会状況はマシであるのに、五輪は無観客でとより慎重になっている。一人ずつをみると、客員研究員として滞在中のイギリス人研究者と日本人とで、それほどの違いがあるわけではない。美味いものは美味いというし、会議中に所長と重鎮教授が激しい口論をすれば、同じように顔をしかめるものだ。しかし、長く付き合っていると日本人同士でも価値観や感性が大きく違うことに驚くことがある。何千万人という国民全体となると、日本人とイギリス人の平均的な感性の違いが合計されて、正反対の行き方を選ぶとしても、なにもおかしくはないわけだ。とにかくイギリス人は他国はしないことをやって大英帝国を築いたが、日本は危ないと考えて鎖国を選んだ国である。国民性の違いというのは、行動の変化を通して観察可能であるということだろう。なるほどイギリスは戦争をすれば勝つ側におり、日本は負けた側にある、というのもこのつながりかと妙に納得したりする。

2021年7月3日土曜日

『濹東綺譚』再読の年中行事

夏が来ると永井荷風の『濹東綺譚』を読み返すのが習慣になっている。今年も7月になったのでまた読んだ。

読んでいると、これまでは気がつかなかった文章表現に心が魅かれることがある。

荷風の分身でもある大江匡が9月も半ばになって玉ノ井のお雪に会いに往ったときのことだ。氷白玉を口に運びながらお雪は路地を通り過ぎる 素見客 ひやかし とこんなやりとりをする:

「よう、お姉さん、ご馳走様」

「一つあげよう。口をおあき。」

「青酸加里か。命が惜しいや。」

「文無しの癖に。聞いてあきれらア。」

「何云ってやんでい。 どぶ っこ女郎。」

「へっ、 芥溜 ごみため 野郎。」

後から来る 素見客 ひやかし は「ハゝゝハ」と笑って通り過ぎる。

最近の日本社会でこんな自由闊達な表現は許されているのだろうか?もはや「ちんば」や「めくら」といった単語も、何十年も昔の古典的作品であればオリジナルの原稿を尊重するという名目で改竄は控えているようだが、いま仕事をしている人たちは、「タブー集」のような資料を手元に置いて、創作をしているに違いない。

表現の自由が保障されているとはいえ、不自由な時代になってきたものである。

これほど気を使いながらも、メディア従業員は本来は美しい言葉であったはずの「忖度」を誰も使いたがらないような汚い言葉にして、しかも恥じとも感じないようである。

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濹東綺譚の末尾に続く『作後贅言』は『濹東綺譚』本体を補う永井荷風その人の文明批評であり、と同時に知友・神代帚葉を想う懐旧談にもなっている。今回は以下の下りが面白かった:

四竹を鳴らして説経を唄っていた娘が、三味線をひいて流行唄を歌う姉さんになったのは、 孑孒 ぼうふら が蚊になり、オボコがイナになり、イナがボラになったと同じで、これは自然の進化である。マルクスを論じていた人が朱子学を奉ずるようになったのは、進化ではなくして別の物に変わったのである。前の者は空となり、後の者は忽然として出現したのである。やどり蟹の殻の中に、蟹ではない別の生物が住んだようなものである。

このところ《多様化》を唱えながらも、実のところは《共有された価値観》以外の価値観をいっさい認めず、少し世間の常識と違ったことを発言すれば、まるで西洋の「魔女狩り」、江戸時代の「隠れキリシタン狩り」を想わせるような社会的圧迫を加えることを繰り返す、その時々で流行りの理念や価値観を自分の脳みそ(≒ヤドカリの殻)の中に仕込んでは、それが旧くならないうちに旬のいけにえを探しては人を批判し、そうかと思うと、2、3年もたてば全く別の言葉で別の人を非難する。次々に別の中身(≒ヤドリ蟹の蟹)を仕入れては口から毒気を吐くマスメディア記者やTVのコメンテーター達の姿を思わず連想してしまった次第。

こう考えると、多分、今から数年もすれば世間の価値観や理念、世界の潮流も変わるだろうから、その時はその時で流行りの立場に身を移して、いまは褒めたたえられている人達を、今度は手のひらを反すように報道し、批判し始めていることだろう、と。国民の「知る権利」に奉仕し、△△主義に貢献しているのだ、と。そんな成り行きが予想されるのだ、な。

満州事変や5.15事件が世を騒がせた時代の中で、こんな痛烈な文明批評を、儚くも美しい人の縁と織りまぜて書き上げているところが、『濹東綺譚』という小説に独特な雰囲気を与えているところだ。玉ノ井というその実は汚穢に満ちた私娼窟に生きている娼婦に美を見出すという荷風の目は、高い理想を求めて正義の行動を起こす人たちに汚れ切った心を観ている。その意味では末尾の『作後贅言』は「巻後解題」ともいうべきもので、本編と末尾を一体の作品としてみると、検閲を免れるための工夫をこらした「反戦・反軍小説」である。