2024年4月23日火曜日

断想: 「専業主婦」をみる現代的視線への異論

実を言うと、専業主婦の第3号被保険者を廃止するべきであるとか、配偶者控除を廃止するべきであるとか、意義のない浅い議論だとずっと以前から思っている。

実際、<専業主婦>をキーワードにしてブログ内検索をかけてみると、非常に多数の投稿がかかってくる。

例えば、2016年4月14日の投稿にはこんなことを書いている:

税制もまた行政府が行う政策の一環だ。同棲をしている二人と、正式に結婚をしている二人はもう差別しない。そう考えるなら、税負担も平等にするべきだ。しかし、育児には家庭が必要で、家庭を築くには正式に結婚することが望ましい。そう考えるなら、専業主婦となるがゆえの利益は、そのことの社会的利益に対応するものと考えて、(一定期間かもしれないが)育児に専念する行為に対する報酬であると意味付けても、小生、それほど道理に反しているとは思えないのだ、な。そもそも今は子育てに優しい、出生率を高める方向の制度が必要なのではないか。

極右だとは自覚していないが、かなりの保守である。というか、内縁の夫婦と正式の夫婦を差別するなという意見も入り込んでいるので、かなりのプログレッシブではないかとも意識している。

かと思うと、 2016年8月8日には

確かに「女性が就労しやすい」ことで達成しやすくなる目的はある。労働供給のボトルネックを緩和して、潜在成長力を上げるという目的にはプラスだろう。ある意味で「経済合理性」があるとは思う。しかし、プラス効果は一面的だ。ロジックとしては、就労しやすい=主婦専業を奨励しない。これも別の面で言えることだ。

女性が就労を選びやすくすることは、女性が主婦専業を選びにくくすることと同じである。本当に、こうすることが今の日本社会の現実にマッチしたことなのか。

いや、いや、参りますネエ、旧すぎて・・・と言われそうだ 。

ごく最近になっても、

非市場家庭内サービスを担当していた専業主婦が、労働市場に参入し、サラリーをもらって働くようになれば、それまではゼロであった付加価値がプラスになるので、人口で割った一人当たりGDPが成長するのは当然の理屈であって、IMFの分析担当者が言う通りだ。

しかし、<国内総生産=GDP>という概念を考えるとき、主婦(と限ったわけではない)が担っている非市場性の<家庭内労働>も本来は帰属評価をして「国内総生産(=GDP)」に加算するべきなのである。

以前は、家庭内主婦労働を評価しないマクロ経済統計に対する不信感がずいぶんあったものである。平成25年には ― もう昔になったのか —、内閣府が家庭内の無償活動を評価、加算した拡大GDPを試算しているが、上のような問題意識に応じる試みだった。

「主婦労働」を評価しようという問題意識そのものが、もはや「時代遅れ」になってしまったのかもしれない。問題意識がなくなリャ、研究もせんわナ、ということだ。

しかし、新たな時代なら新たな時代として、研究の積み上げが必要だ。経済分析への取り組みがまったくとられないまま、世間が「少子化対策」、「子育て支援」、「財源調達」、「ジェンダーフリー」などと騒いでみても、これはいわば「負の世論」であって、有意義な政策形成にはほとんど寄与しないと観ている。そんな下向きの世論に応じて政策を展開してみても、それはいわゆる古代ギリシアのプラトンの昔からある「衆愚政治」というものだ。


・・・その果てに、家庭内で働いていた女性たちが労働市場へ参入し、そこで報酬を伴う仕事に就き、足元では女性労働者 ― ほとんどが非正規だが ― の就業率もほぼ上限に達し、ビジネス現場では空前の人出不足になった。

この状況をどのように考え、どのように評価すればよいのだろう?

日本の労働力人口の減少が始まった1998年以降、この25余年間、日本は一体何をしてきたのだろう?


騒がしいイデオロギーと落ち着いた国民生活とは、しばしば両立しないものだ。

騒がしい集団には注目して報道し、静かで安定した人たちが共有する基本的問題には無関心をつらぬく日本のジャーナリズムの底の浅さも、現代日本社会の世相を醸し出している一因なのかもしれない。


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