2012年7月16日月曜日

幸福度指標は世論調査よりはマシなのか?

第二次大戦後の経済政策の展開においてGDPという統計数字が果たしてきた役割は極めて大きい。戦前期の世界とは違う。いよいよ戦争となってから、ケインズが当時確立しつつあった国民所得統計に基づいて『戦費調達論(How to Pay for the War)』を書いたのは事実だが、全てのマクロ統計を整合的に推計する今日の国民経済計算体系(SNA)が整えられるようになったのは、時期を早めに設定するにしても1950年代以降、厳しく言えば1968年にSNA体系が国連から示されて以降のことである。

そのGDPは今は"Cold Number"と呼ばれるようになった。OECDは幸福度指数(≒Better Life Index)を作成するようになった。少し古くなったが英紙"The Guradian"のWEBサイトに以下のブログが掲載されている。

Better life: relaunching the happiness index

The OECD is relaunching its Better Life Index today - and has given us the key data behind it
• Get the data• Data journalism and data visualisations from the Guardian 
For an indicator we have to use all the time, GDP has very few friends. The idea of a single number to show a country's economic power came from US Nobel-prize winning economist Simon Kuznets - and that's what GDP is, a measure of economic output. 
What GDP misses is, arguably, more important than what it includes. 
Robert Kennedy argued that
the gross national product does not allow for the health of our children, the quality of their education or the joy of their play. It does not include the beauty of our poetry or the strength of our marriages, the intelligence of our public debate or the integrity of our public officials. It measures neither our wit nor our courage, neither our wisdom nor our learning, neither our compassion nor our devotion to our country, it measures everything in short, except that which makes life worthwhile
Even Kuznets agreed that "the welfare of a nation can scarcely be inferred from a measure of national income". 
This government - like many others - is keen to find new ways to compare nations, which is the motivation behind the moves to measure happiness and life satisfaction - and you can read more about these here. 
The Organisation for Economic Cooperation and Development - OECD - has been trying a new approach: asking people what they think is important, via its Better Life Index. (Source: The Guardian, 22 May 2012)
 OECDのオリジナルデータには日本の数字も含まれている。総括的要約をみると、
Japan performs favourably in several measures of well-being, and ranks close to the average or higher in several topics in the Better Life Index. .... In general, the Japanese are less satisfied with their lives than the OECD average, with 70% of people saying they have more positive experiences in an average day (feelings of rest, pride in accomplishment, enjoyment, etc) than negative ones (pain, worry, sadness, boredom, etc). This figure is lower than the OECD average of 72%.
幸福度指数には経済面や治安面、人生への満足感など幾つかの次元から抽出された数字が反映されるが、日本の特徴は上に記されているように"Life Satisfaction"(暮らしへの満足感)が低いところである。ただその他の次元において比較的高い数値を示しているので総合指数としては、日本人の幸福度指数はOECD平均と同じか、少し高いところにある。そうなっている。

ただ、以前の投稿でも紹介したように所謂<団塊の世代>は若かった昔からずっと暮らしへの満足感が他の世代に比べて低いという傾向が認められる。長寿社会・少子高齢化が進む中で、団塊の世代の特徴がより強く全体の数字に反映されるようになってきたという側面もある。"Life Satisfaction"の数字が低いという日本的特徴も年齢別に観察する必要があると考えられる。

× × ×

それはともかく、確かにGDP以外に多くの社会経済データがあり、それらは相互に相関しているが、完全に相関しているわけではなく、GDPに織り込まれていない、GDPとは独立の変動をする社会経済的次元が残されている。この点を否定する専門家はいないはずだ。特に統計学者なら「第1主成分の寄与率はせいぜい半分にも達しないでしょう」と、当たり前の表情をして断言するはずである。大体、金持ちの人が幸福で、貧しい人は不幸であると言えないことくらい、とっくの昔から分かっている事である。

しかし、カネがあるよりない方がいいですか?いまカネを使わないなら、いつか使えるようにとっておけばいいだろう。それが家族や地域社会に安心感をもたらし、その人たちに幸福感を提供できるのではないだろうか。日本人の不安、満足感のなさに、どこか欠乏している感覚、財政の将来不安がある、そんな側面も否定できないだろう。だとすると不安や欠乏感もつまりはカネの問題だ。カネの次元とは全く関係のない”純粋の幸せ感”とはどんな感覚なのだろう?

GDPは合計であって分配の是非はGDPから分からないともいう。しかし、こういう指摘には平等は不平等よりも良いという価値観が織り込まれているのだ、な。ならば問う。完全に平等な世界が最善なのか?それは唯一の独裁者に分配をゆだねる以外には実現できないはずだ。完全な平等が最善ではないとするならば、ではどの程度の不平等が最善なのか?それをあなたは知っているのか?全ての人が賛成するのか?要するに、論理的に解決不能な問題なのだ。所得分配は、資源の配分、技術革新の伝播など実体経済と裏腹の関係にある、その自然の流れをストップすることが正しいのか、善い事なのか?そういう風には、小生、どうしても思えないのだな ー もちろん、市場の独占的支配や交渉上優位な地位の濫用などフェアネスの問題は別にある、念のため。

確かにGDPは"Cold Number"である。GDPでは把握できない面が人間社会にはある。しかし、とらえられない面があるということと、とらえられない面をこそ優先するべきであるということとは違う。GDPとは関係のない側面をこそ注意しながら政府は<経済政策>を実行していかなければならない。それは、小生、かなり言い過ぎだと思いますな。カネとは関係のないスピリチュアルな次元は、実務家集団である政府ではなくて、癒しと信仰こそがふさわしい領域であろう。神にゆだねるべき救済といえる領分であろう。愛の役割であろう。正義が問題となる次元であろう。「信じるものは幸いなり」、懐疑と不信は欠乏感をもたらす。GDPより幸福のほうがなるほど重要だが、政府が幸福を増進できるかどうかとなると、小生、それは違うと思う。

人間、貧すれば鈍す。社会の閉塞は、要するにカネがなくなってきた、つまりはGDPが増えないことから発生している面が結構あるのじゃないか?善をなすにはカネがかかることが意外と多いのじゃないか。俗人集団である政府が解決できるのは、こういう俗な問題である。GDPと関係のない次元がどうなっているかを定期的に確かめることは、なるほど重要だ。内閣総理大臣たるもの世論調査くらいは時々は見てほしい。それと同じ程度には”純粋の幸せ感”なるもの、それもまた確かに重要だ。しかし、それが目的だ、政府は純粋な幸福を求めるべきだ。それを言っちゃあ政府もお困りでしょう。魂の救済を政府に求めても、声がかれて疲れるだけである。本日の結論はそういうことであります。


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