2013年9月8日日曜日

日曜日の話し(9/8)

2020年五輪開催地が東京に決まった。

原発汚染水で想定外の混乱となったが、この結果によって最も大きなプラスの影響を受けるのは安倍総理であろうというのが多数の見方である。日曜日のわりには生臭い話しになってしまっているが。

しかしながら、昨日時点の道新には以下のコラム記事が載っていた。一部分だけの引用になるが
『東京は安全』と強調するのは『福島の現状はひどい』と認めるということ。ならば、なぜ2年半もの間、ひどい福島を放置してきたのか。バカにしている。
小生も少年時代から役人生活を辞めるまで、ずっと首都圏住人であったし、福島・いわきには弟家族が暮らしているので、それぞれの生活感覚にはピンと来るものがある。気持ちはわかる。気分を害したなら謝ります、悪気はないんだ、そういうしかない。
原発の電気は東京に送っていたのに…
確かにそうである。忘れちゃあ罰が当たるってもんだ。普通の東京人ならそう言うはずだろう。

最近は、新潟・柏崎刈羽原発の再稼働に、新潟県知事の個人的見解で反対して、首都圏への電気をストップするなど、とんでもないことだ、と。そんな意見(妄言?)を首都圏在住の何かの専門家が口にするようになっているよし。これは、しかし、福島県住人の怒りに油を注ぐのではないかねえと心配になる。「福島はもうダメだろうってんで、今度は新潟で間にあわせるつもりか!」と。

小生が、東電経営トップであれば、自社が保有している新潟・刈羽原発は、北陸電力か中部電力に売却する方向を考えるだろう。売却収入は福島第一原発の事故処理に充てる。無情だが仕方なし。青森・東通も東北電力に売却する。背に腹は代えられないのが基本的な理屈である。会社としては幕引きになるだろうが、そこで混乱を回避するべく「良き相談相手」になるのが経済産業省の仕事であろう。

新潟・刈羽他の原発を買収した北陸・中部・東北電力は、(再稼働後)そこで発電した電気― その一部か全量 ー を首都圏に販売すればよい。ただ、原発運転に伴うリスク・プレミアムと地元対策費は従前とは比較にならず高騰するだろうから、首都圏への電力価格は高めにならざるをえまい。それは仕方のない事だ。いずれにしても首都圏内電力価格は上昇するのがコスト面から引き出されるロジックである。敢えて言えば、消費地である首都圏内に小型原発を設置してこなかったエネルギー戦略の非効率性のツケである。まあ、この辺りが道理の通ったやり方ではないのかと感じるのだ、な。

ともかくも、安倍総理は強運だったが、今回の招致成功は決して「名誉ある勝利」とは言えないような気がする。

いやはや今日の日曜日の話しは、これまで書いた中でも最も生臭い話しになってしまった。これでは気持ちが清々しくならない。いまは蝦夷の地で暮らし、ここに土着しようと決めているので、首都圏のことはもう小生にとって縁遠い話しである。


後藤純男、雪の斜里岳

最近、中村彰彦の『落下は枝に還らずとも』を読んで知ったのだが、明治以前の幕末、道東・道北の防備は会津藩の担当だった。で、斜里には代官所が置かれていた。主人公の秋月悌次郎は、鶴ヶ城落城の際、降伏の使者に立った人物で、漢詩「北越潜行の詩」を残したことで名が知られている―『行無輿兮帰無家   ゆくにこしなく かえるにいえなし …』― その秋月は、一年程、左遷にあい斜里代官所に勤務した事がある。

先週、美瑛・白金温泉に泊した帰り、上富良野にある後藤純男美術館に寄ろうと思っていた。湯元温泉ホテルをチェックアウトするとき優待券までもらっておいたが、ところが十勝岳温泉経由のパノラマラインが霧で使えず、位置的に不便になり、時間の都合で割愛してしまったのが、まだ残念である。

ところが、後で分かってきたのだが、美瑛には新星館というのがあって、須田剋太と島岡達三の記念美術館になっているらしい。この施設のことは知らなんだが、須田画伯といえば司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズでずっと司馬氏に同行し挿絵を描き続けた人である。これもまた見逃せぬ。先週は近くにまで行きながら「風のガーデン」も見逃したし、次回は拙宅からほど近い場所で非正規社員をしながら暮らしている長男のほうを連れて、来年あたり見に行くとするか。


0 件のコメント: