2024年3月31日日曜日

断想: 国や社会がそんなに大事ですか?・・・という人も多いでしょう

世間ではワイドショーの影響か、海外で起きた戦争や事件、日本国内で起きている不祥事や事件について、数多の人々が人それぞれの意見を述べている。ずっと以前は、そんな「世論」の広がる媒体としては、商業メディアの他に、会社内口コミ、井戸端会議、理髪店や美容院で繰り広げられる世間話等々、自然発生的なおしゃべりが無視できないチャネルであったわけだ。それが今ではSNSやブログになった。が、その割には小生の知人でインターネットを発言舞台にしている人は少ない。SNSが「世論」を形成していると言われても小生にはピンと来ないのだ、な。マ、これもジェネレーション・ギャップなのだろう。

ここ近年は、「ご近所」と言っても所詮は他人で、「お付き合い」が希薄化したためか、「世論」といえば商業メディアを指すようになってきた。そして、日本社会で起きている色々な事実の報道に「無知な輩」は「〇〇バカ」であると叱責されているかのような雰囲気を感じるようになった ― これも単なる主観と言えばそうだ。

TV報道や新聞報道、週刊誌報道にまったく無関心であるとダメなのだろうか?


少し前に藤原定家の『明月記』、というか藤原定家のような「純粋の芸術家」について投稿したことがある。この人物は、『新古今和歌集』の編纂にも参画した歌人で高校の日本史教科書でも太字になっている。

藤原定家が生きた時代は、源氏と平氏が戦った「治承・寿永の乱」が数年続き、更にその40年後には朝廷と幕府が戦う「承久の変」が起こるなど、むしろ内乱と騒乱の時代であった。京を舞台にした王朝文化は権力基盤を喪失して衰え始め、それまでとは異質の感性に支えられた鎌倉文化が生まれてくる時期に当たる。なので、藤原定家も芸術家であるよりも前に一人の人間として世間の成り行きには無関心でいられなかったはずだ。しかるに

紅旗征戎吾が事に非ず

( たとえ大義名分があるにせよ戦争は自分には一切関係のないことでござる)

『明月記』にはこう記し、一切、論評はしていない。「論評対象にあらず」というわけだ。


その伝で言えば

自民党の裏金問題? 私には関係ございませぬ。

ロシア=ウクライナ戦争? 私に聞くのは野暮というもの・・・

イスラエル=ハマス紛争? 存じませぬ。

こんな姿勢になるだろうか?

そういえば、明治時代の物理学者・長岡半太郎は日露戦争を知らなかった(のではないか)と見られていたそうだ(これを参照)。


小生は、こんな姿勢で生を全うしようとする志が 非常に好きである。

自らが《天職》に選んだ仕事より自分にとって大事なことはない。自分に出来ることをするべきであって、自分が上手に出来ないことに口をはさむべきではないし、口をはさまないなら無関心でよい。

長岡半太郎が生きた明治という時代は天皇に統治権があった。国民主権ではなかったので、国民の側に統治の最終的責任があるわけではない。故に、日露戦争を知らずとも、一人の社会人として無責任であったとは言えない。

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